Learning Tomato (旧「eラーニングかもしれないBlog」)

大学教育を中心に不定期に書いています。

vol.296:卒業式や謝恩会でスピーチを聴いて思った事

2009年03月30日 | 小ネタ
先週は大学の謝恩会と学位授与式、それから娘の卒業証書授与式に参加しました。
謝恩会は学位授与式の前々日に横浜の某ホテルで開催されました。筆者は、大学時代に謝恩会というものに参加したこともなく、かつ今年卒業する4年生の授業やゼミを担当していないため、当初は参加しない予定でした。しかし、殆どの先生が謝恩会に参加することが当日になって判明し、「教員初年度は長いものに巻かれて無難に!」をモットーとしている筆者としてはは急遽予定変更して参加しました。急に参加したためほぼ普段着の筆者とは対照的に、男子学生も女子学生も思い切りオシャレをし、最期の時を楽しんでいました。来賓の挨拶や同期の実行委員の学生が前にでて話していても一向に耳を貸さず、ずーっと騒いだままだったことは言うまでもありません。

その4日後、娘の小学校の卒業証書授与式に参加しました。こちらは公式の場ということもあり、送る側で参加した5年生も含め誰一人おしゃべりすることありません。久しぶりに入った小学校の体育館の凛とした雰囲気は、子供達の巣立ちにふさわしいものでした。

さて、校長先生が卒業生へ送るスピーチの中で、下記の興味深いエピソードを話してくれました。

それは数ヶ月前に6年生からの申し出により行った取組みにまつわるお話しです。いつも全校集会の時に騒いでいる低学年の聴く態度をなんとかしようと、6年生が低学年の列の間に入り「静かに聴く態度」を示すことになったそうです。6年生が隣できちんと聴く態度を示したためか、大きいお兄さんお姉さんが隣に立っていたためか、その日の全校朝礼は大変静かだったそうです。そして、朝礼の後5年生から「6年生の聴く態度は立派だった。あんな6年生になりたい」という感想文が多数寄せられたそうです。

このエピソードを紹介した後、校長先生から「人と人の信頼関係は、相手の話をきちんと聴くことから始まります。上級生が聴く態度を後輩に示していくことで、話を聴くことのできる生徒を育てることが我が小学校の伝統であり誇りです」という力強いお言葉をいただきました。

小学校では、話が聴ける生徒を育ててくれているのに、一体我々大学は何をやっていたのだろうと、ちょっと情けなくなりました。いくら謝恩会の席とはいえ、前に人がでて話をしているのなら、そこに耳を傾けるのが人としての礼儀です。折角初中等教育の課程で育成してくれた聴く能力を、大学で忘れさせてしまっているのではないかと反省した次第です。

「学力低下」という言葉が数年前からよく飛び交っています。そこで必ず聴かれるのが「高校までの教育や家庭での躾ができていない」というグチです。しかし、本当にそうなんでしょうか?もしかしたら、既に修得している力を大学4年間でスポイルしてしまっているのではないか?謝恩会と卒業式に参加しそんな不安にかられた筆者なのでした。

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