皆もやるから僕もやるという全く主体性のない、軟弱な考えの下、やってみました。今回の音読材料は『匆匆』です。初めはピンイン通りに読みます。次は whyさんを真似て、悲しい、淋しい気持ちを出せるものなら出そうと読みました。最後はパロディー版です。今回の文章も今の僕にとってはレベルが高いのでさわりの部分だけです。でも、すばらしい文章に出会えてなおかつそれを音読できるのはいいことだと思います。だって、今のペースでそのレベルになるのを待っていたら、3年はかかっちゃうもの。
文中の『你』って誰のこと? 読者? 時間? 神さま? それともその当時の特定の政治勢力に左右されない悠久の歴史を持つ中国?
①ピンイン通りの音読(右クリックして新しいタブで開いてください。)
http://fkja.voiceblog.jp/data/sam8823/1322740760.mp3
『也没有影子。』の影が第3声になっていません。ごめんなさい。後で気付きました。
②whyさんのマネッコ
http://fkja.voiceblog.jp/data/sam8823/1322740809.mp3
少し元気がない声で、僕の好きな読み方ではありません。僕はどちらかというと『宣戦布告文』みたいな勇ましい読み方が好きです。
③パロディー版『匆匆』
あまりにも、フザケすぎで、怒られちゃう。
公表中止します。
匆匆
朱自清
燕子去了,有再来的时候;杨柳枯了,有再青的时候;桃花谢了,有再开的时候。但是,聪明的,你告诉我,我们的日子为什么一去不复返呢?——是有人偷了他们罢:那是谁?又藏在何处呢?是他们自己逃走了罢:现在又到了哪里呢?
我不知道他们给了我多少日子;但我的手确乎是渐渐空虚了。在默默里算着,八千多日子已经从我手中溜去;像针尖上一滴水滴在大海里,我的日子滴在时间的流里,没有声音,也没有影子。我不禁头涔涔而泪潸潸了。
去的尽管去了,来的尽管来着;去来的中间,又怎样地匆匆呢?早上我起来的时候,小屋里射进两三方斜斜的太阳。太阳他有脚啊,轻轻悄悄地挪移了;我也茫茫然跟着旋转。于是-—洗手的时候,日子从水盆里过去;吃饭的时候,日子从饭碗里过去;默默时,便从凝然的双眼前过去。我觉察他去的匆匆了,伸出手遮挽时,他又从遮挽着的手边过去,天时,我躺在床上,他便伶伶俐俐地从我身上跨过,从我脚边飞去了。等我睁开眼和太阳再见,这算又溜走了一日。我掩着面叹息。但是新来的日子的影儿又开始在叹息里闪过了。
在逃去如飞的日子里,在千门万户的世界里的我能做些什么呢?只有徘徊罢了,只有匆匆罢了;在八千多日的匆匆里,除徘徊外,又剩些什么呢?过去的日子如轻烟,被微风吹散了,如薄雾,被初阳蒸融了;我留着些什么痕迹呢?我何曾留着像游丝样的痕迹呢?我赤裸裸来到这世界,转眼间也将赤裸裸的回去罢?但不能平的,为什么偏要白白走这一遭啊?
你聪明的,告诉我,我们的日子为什么一去不复返呢?
1922年3月28日
(原载1922年4月11日《时事新报·文学旬刊》第34期)