5人の孫に恵まれて。

パソコン・囲碁・スキー・パークゴルフ
など 孫たちと一緒に楽しみたい・・

懐かしい福島県・・・

2011-06-15 20:02:32 | Weblog
昭和45年頃まで北海道の米づくりは 田植えから稲刈りまで
人力だった。その労働力は東北からの若者たちに頼っていた・・・
春4月から11月までの8か月間 各家庭に住み込んで就農していた。
我がマチの農家には秋田から80名 福島から130名 新潟佐渡から
30名ほどが 毎年 北海道の農業労働者として支えてくれたものだ。
私は45年前 その労働力の確保のため 福島県(福島市・二本松市)を
担当した。100名以上の若者を引率して 福島駅から青森へ‥そして
青函連絡船・函館から我がマチへ‥気が遠くなるほどの時間だった・・
田植え機やコンバインなどの機械化が進み 東北からの農業労働者募集は
無くなったのだが 農業後継者に嫁いだ人も多く 福島県人会・秋田県人会
・佐渡会など 故郷を懐かしむ会が時々開かれるそうだ。
特に 福島原発の放射能被害が広がるなかで「私の実家は中通りなので
放射能の心配はしていないが 風評被害で実家が苦しんでいる」・・と
福島出身のお母さん達の故郷を思う気持ちは高まっている・・