佐川町ファンクラブ

佐川町の一層の活性化を応援し、“高知を元気にする”ブログです。

仁淀川・四国カルストジオパーク 推進協議会ニュース 第7号

2010-12-20 | 何でも情報ボックス

仁淀川・四国カルストジオパーク推進協議会ニュース 第7号

 

仁淀川町の銅鉱山と空海弘法大師

仁淀川町には日本でも最古に属する銅鉱脈が存在します。名野川(長坂)鉱山、樫山鉱山、長者鉱山、安居鉱山などはどれもキースラーガー(Kieslager)銅鉱床で、近代まで銅を生産していました。
決してビールの名前ではないですよ。これはドイツ語で層状含銅硫化鉄鉱鉱床と訳されています。別名「別子型鉱床」と言われており、別子銅山は住友財閥の大躍進の基礎となった鉱山で、二代目吉左衛門友芳が1691年(元禄4年)に開発した愛媛県の別子銅山です。
大川村にあった白滝鉱山もこの別子銅山と同じ鉱山種類です。このように中央構造線に沿って銅鉱脈や水銀鉱脈が多く存在します。
安居銅山は「池川年代記」によれば1714年土佐藩の許可の下、銅採掘が始まっており、1817年(文化15年)、この銅山には全国13の国から来た730人の銅鉱夫が働いており、遠くは奥州(岩手県)、下総(千葉県)等からも人夫として出稼ぎに来ていました。この安居銅山は太平洋戦争中まで操業しているのです。安居渓谷の河原では今でも黒くて、重い、この銅鉱床の精錬滓(カナハダ)が拾えるので、是非見つけて下さい。
 
                   kuukai1.jpg
                 空海が右手に持っているのが「独鈷」
 
2008年中国陝西省西安訪問したとき、空海弘法大師が留学した「青龍寺」を訪ねました。その時そのお寺の職員の方と話をした時、職員の方が「空海はここで真言密教の勉強だけをしていたのではない、幅広い科学的な知識も身につけていた、特に彼が頑張っていた勉強は、錬金術、鉱物探査技術、その為の植物分類学等です」と言うことを聞きました。
 
古来より金鉱脈や銀鉱脈等の鉱物資源があるところにはその鉱物が好きな特別な植物が繁茂している事は良く知られていることです。
 
空海は当時の最先端科学を唐の都長安で勉強していたわけですね。「今も昔も宗教を行っていくのはお金がかかるなあ」と感じたことでした。
 
空海は日本に帰国してから、真言密教の修験の場として「四国八十八カ所」を開いた訳ですが、単に四国の野山を駆けめぐっていた訳ではないようです。やはりそこは、長安で学んだ最先端科学を駆使して、何かを探していたのではないでしょうか?

四国霊場と鉱物分布の関係

 
kuukai2.jpg                                 ● 八十八番番札所寺院
                                                                                                                                ■ 別格寺院
                                                                                                                                ▲     銅山・水銀山
 
 
  中央構造線及三波川帯、秩父帯の周囲にはこのように多くの銅山や水銀鉱脈が走っており、四国八十八カ所霊場と合致します。
 
一説によると、空海弘法大師が持っていたト「錫杖」はピッケルで「独鈷」(どっこ、この絵で空海が手に持っている金属の仏具)はハンマーとして用いていたと言われています。奈良の高野山は中央構造線の真上に存在し、その下には水銀の大鉱脈があると言われています。高野山開山にあたり、空海を導いたのが「丹生都比売」です。
 
「丹生」とは「辰砂」即ち「水銀」の事です。紀伊半島は丹生(水銀)の名が付く所が多いのです。中央構造線はフォッサマグナから来ており、金、水銀、銅などの鉱脈とは深い関係にあります。
 
仁淀川町での武田勝頼伝説などを思うに、武田家所領の金鉱山はフォッサマグナと重なっており、武田家は古来より様々な鉱物資源を探査し、その資金源にしてきました。
 
話は飛躍しますが、もし武田勝頼がこの土佐の山奥に移り住んできたと言うことであれば、武田家の所領である甲斐と同じように中央構造線付近に存在する鉱物資源を求めてきたと考えても面白いですね。
 
昔より修験者は金、水銀、銅などを求めて中央構造線一体(吉野熊野、石鎚山、剣山等)を駆けめぐっていたようです。見方を変えれば、修験者は「鉱山師」の顔も持っていたのではないか?銅価格が高騰する時代、再度この眠れるお宝を見直しても良いのでは?  
 

日本語、英語、中国語の3カ国語で、佐川地質館のホームページを作りました

2010-12-10 | 体験できる観光
前略
 
 佐川地質館のホームページを作りました。日本語、英語、中国語の3カ国語で作成しています。
 
英語、中国語でこれだけ詳しく高知の歴史や地質の事を紹介している物は他にないと外国人の方から評価していただきました。
 
英語で佐川、高知の歴史を詳しく紹介していることについて、教材にも使わして貰いたいとの話しも聞きました。
 
中国語に関しては高知県の事をこれだけ詳しく紹介している物は無いとの評価も頂きました。これから徐々にグーグル検索の順位も上がると思います。是非見てください。
 
  下にあるのがURLです。英語は「English」, 中国語は「中文」をクリックしたらそれぞれの言語で見れます。英語の関しては日本語のホームページと内容が一部違います。
 
  草々、
    橋掛
 

http://www.town.sakawa.kochi.jp/chishitsukan/index.html

 

 

 

HN:仁淀川 さん

佐川地質館(佐川町)

仁淀川流域の情報


仁淀川・四国カルストジオパーク に関する情報

仁淀川流域"宇宙桜の会" に関する記事

佐川町ファンクラブ 

HN:仁淀川 さんの記事




沢村さんの沖縄通信・・・佐川町出身・黒岩恒さんの顕彰碑を見ました

2010-12-07 | 何でも情報ボックス
その後おかわりありませんか。12月となっても沖縄はまだ扇風機が欠かせません。明日からは少し気温も下がりそうです。名護方面に一泊でドライブしたので、黒岩恒の碑をやっと見つけました。僕もブログに書く予定ですが、先に高知の人にもお知らせしたいと思い、拙文と写真を送ります。                                     
                                                    沢村
 
黒岩恒さんの顕彰碑を見ました
 
 「知られざる高知人」として以前、紹介した黒岩恒さんの顕彰碑が名護市内で建立されているのを、見てきました。
 
黒岩さんは、佐川町立野の生まれで、明治25年(1892)沖縄師範学校教諭として赴任し、明治35年に国頭(くにがみ)郡各間切組合立農学校の創立にあたり、初代農学校長に迎え入れられました。「間切」というのは、現在の町村にあたる単位です。
 
博物学者だった黒岩さんは、沖縄に28年間いた間に、沖縄の動植物から地質、民俗など広く関心を持ち調べて、たくさんの新種を発見したことで知られます。「クロイワ」と名のつく動植物は、数十種類もあるそうです。
 
最近、話題の尖閣諸島を調査し、尖閣諸島を命名したことでも知られ、尖閣諸島問題がクローズアップされるにつけ、命名者の黒岩さんも新たな注目を集めているようです。
 
 
sawa073.jpg
                    黒岩恒先生顕彰碑
 
 この顕彰碑は、名護市大中の県立北部病院の駐車場の敷地内にあります。黒岩さんが初代校長を務めたこの農学校は、日本三大農学校の一つとしてその名声を博し、幾多の有為な人材を輩出したと言われます。黒岩さんは教え子たちにとても慕われていたようです。
 
顕彰碑は、昭和43年(1968)に「黒岩恒先生顕彰会」が建立したものです。碑文では「沖縄在住二十八年、其の間十有三年間の農学校長としての功績が最も顕著であり、文部省から選奨の栄誉に浴し、またそのすぐれた薫陶を与えた教え子四百余名を農民指導者として社会に送り出し、自からその最高指導者となり、農産物、有用植物、家畜等優良品種の導入増殖普及に努力、原始的であった沖縄の農法を科学的近代農法へ改革する基礎を創始した」と記しています。
 
 
    sawa076.jpg
                漢詩が刻印された顕彰碑の裏面
 
 碑の裏面には、明治40年(1907)、昆虫植物採集の帰途、名護市(当時は町)許田(きょだ)付近で詠んだ漢詩を刻んでいます。漢詩は、風光明美な名護湾と付近の風景を称賛した内容です。
 
 
 
sawa079.jpg
   黒岩さんが初代校長を務めた国頭農学校跡の碑、左隣りに見えるのは黒岩恒先生顕彰碑
 
 黒岩さんの顕彰碑の左隣りには、この漢詩を別の碑として建立してあり、右隣には、初代校長を務めた「国頭郡各間切島組合立甲種国頭農学校跡」の碑が、一昨年(2008年)に同窓会によって建立されたばかりです。
 
 
 

沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます) 

沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒  追記
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その4
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その3
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その2
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その1

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ