佐川町ファンクラブ

佐川町の一層の活性化を応援し、“高知を元気にする”ブログです。

沢村さんの沖縄通信・・・佐川町出身・黒岩恒さんの顕彰碑を見ました(再計)

2012-09-30 | 何でも情報ボックス

2012年9月28日の高知新聞夕刊に

「尖閣」命名は本県出身者 博物学者・黒岩恒 112年前 島々を探検

と言う記事が載りました。牧野富太郎とも親交の深かった、佐川町出身の黒岩恒(くろいわ・ひさし)氏のこの件について、

佐川町出身で現在沖縄在住の沢村さんが、このことを記していたので再掲しました。

 

 
その後おかわりありませんか。12月となっても沖縄はまだ扇風機が欠かせません。明日からは少し気温も下がりそうです。名護方面に一泊でドライブしたので、黒岩恒の碑をやっと見つけました。僕もブログに書く予定ですが、先に高知の人にもお知らせしたいと思い、拙文と写真を送ります。                                     
                                                    沢村
 
黒岩恒さんの顕彰碑を見ました
 
 「知られざる高知人」として以前、紹介した黒岩恒さんの顕彰碑が名護市内で建立されているのを、見てきました。
 
黒岩さんは、佐川町立野の生まれで、明治25年(1892)沖縄師範学校教諭として赴任し、明治35年に国頭(くにがみ)郡各間切組合立農学校の創立にあたり、初代農学校長に迎え入れられました。「間切」というのは、現在の町村にあたる単位です。
 
博物学者だった黒岩さんは、沖縄に28年間いた間に、沖縄の動植物から地質、民俗など広く関心を持ち調べて、たくさんの新種を発見したことで知られます。「クロイワ」と名のつく動植物は、数十種類もあるそうです。
 
最近、話題の尖閣諸島を調査し、尖閣諸島を命名したことでも知られ、尖閣諸島問題がクローズアップされるにつけ、命名者の黒岩さんも新たな注目を集めているようです。
 
 
sawa073.jpg
                    黒岩恒先生顕彰碑
 
 この顕彰碑は、名護市大中の県立北部病院の駐車場の敷地内にあります。黒岩さんが初代校長を務めたこの農学校は、日本三大農学校の一つとしてその名声を博し、幾多の有為な人材を輩出したと言われます。黒岩さんは教え子たちにとても慕われていたようです。
 
顕彰碑は、昭和43年(1968)に「黒岩恒先生顕彰会」が建立したものです。碑文では「沖縄在住二十八年、其の間十有三年間の農学校長としての功績が最も顕著であり、文部省から選奨の栄誉に浴し、またそのすぐれた薫陶を与えた教え子四百余名を農民指導者として社会に送り出し、自からその最高指導者となり、農産物、有用植物、家畜等優良品種の導入増殖普及に努力、原始的であった沖縄の農法を科学的近代農法へ改革する基礎を創始した」と記しています。
 
 
sawa076.jpg
                漢詩が刻印された顕彰碑の裏面
 
 碑の裏面には、明治40年(1907)、昆虫植物採集の帰途、名護市(当時は町)許田(きょだ)付近で詠んだ漢詩を刻んでいます。漢詩は、風光明美な名護湾と付近の風景を称賛した内容です。
 
 
 
sawa079.jpg
   黒岩さんが初代校長を務めた国頭農学校跡の碑、左隣りに見えるのは黒岩恒先生顕彰碑
 
 黒岩さんの顕彰碑の左隣りには、この漢詩を別の碑として建立してあり、右隣には、初代校長を務めた「国頭郡各間切島組合立甲種国頭農学校跡」の碑が、一昨年(2008年)に同窓会によって建立されたばかりです。
 
 
 

沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます)

沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒  追記
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その4
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その3
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その2
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その1

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ


尖閣列島の命名者となる !  沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その4 (再掲)

2012-09-29 | 何でも情報ボックス

2012年9月28日の高知新聞夕刊に

「尖閣」命名は本県出身者 博物学者・黒岩恒 112年前 島々を探検

と言う記事が載りました。牧野富太郎とも親交の深かった、佐川町出身の黒岩恒(くろいわ・ひさし)氏のこの件について、

佐川町出身で現在沖縄在住の沢村さんが、このことを記していたので再掲しました。

 

尖閣列島の命名者となる


黒岩氏の功績で忘れてはならないのは、尖閣(せんかく)列島を探検し、島名、地名の命名者であることだ。

尖閣列島は、八重山諸島と中国の間の東シナ海に浮かんでいて、中国と領有権をめぐり争いがある。

この島々の存在は、古くから知られてはいたようだ。琉球王国は、一四世紀から中国皇帝の臣下になり、琉球国王が中国に朝貢し、皇帝が冊封使(さっぽうし)を派遣し国王として任命していた。

冊封体制のもとで、中国との貿易も盛んだったので、琉球と中国の間を定期的に船で往来していた。海を渡る時、船が那覇港を出ると、慶良間(けらま)諸島、久米島と見ながら進み、次には尖閣列島を目印にして、中国へと航海したという。

この尖閣列島を最初に探検したのは、福岡県から沖縄に商売でやって来ていた古賀辰四郎という人物だった。古賀は、県内の無人島を探検していて、一八八四年(明治一七年)、尖閣列島を探検したという。

古賀は、まだ黒岩氏が農学校の校長になる前の教師時代に、理学士宮島幹之助とともに、尖閣列島の風土病、伝染病、ハブ、イノシシ、その他の有害動物の有無や飲料水の適否などの調査を委嘱したという。

黒岩氏らが上陸して調査した結果、マラリアや伝染病はなく、ハブ、イノシシも生息せず、四島のうち魚釣島だけ湧水があることも発見された。古賀は、尖閣列島の借地請願を政府に出して、日清戦争の後、島を三〇年間にわたる無償借地の許可を得て、開拓事業も行った。

黒岩氏はこの島々を探検して「尖閣列島探検記事」を『地学雑誌』(一九〇〇年、明治三三年発行)に掲載している。一九〇〇年五月三日に那覇港を出港して五月二〇日に帰り、往復一八日間かかったという。

宮島博士は黄尾嶼(久場島)の一島に留まり、黒岩氏は魚釣島など「他の列島を回遊せり」「余は窃(ひそ)かに尖閣列島なる名称を新設することとなせり」と記す。

さらに、魚釣島の最高地点を当時の奈良原県知事の名前をとり「奈良原岳」と名付け、水流の流れているところは、八重山島司・野村道安の名前をとり「道安渓」、岬には沖縄師範学校長・安藤喜一郎の名前から「安藤岬」、さらに「イソナの瀬戸」「伊沢泊」「新田の立石」「屏風岳」などといった地名を次々に付けたそうだ。

黒岩氏は主に、島の地質や生物を調べた。鳥類はアホウドリ、クロアシアホウドリが群集してきていることを確認した。

植物は、琉球列島と異なるのは、松、沖縄松に限らずない、蘇鉄は皆無、八重山列島とも大いに異なるところがあると述べている。そして、たくさんの植物を採集し、その植物名の一覧表を掲げている。

黒岩氏の業績を顕彰するために、一九六八年秋に、名護市内の名護城跡の公園内に顕彰碑が建立された。沖縄を離れて五〇年近くも後から顕彰碑が建つというのも、その人柄と業績が沖縄、とくに山原の人々に伝えられていることを示すものだろう。

黒岩氏は、一九二〇年(大正九年)に和歌山県に移住し、高野口町で一九三〇年、七二歳で没したという。

黒岩氏が拠点としていた沖縄本島の山原(やんばる)地方は、中南部と違って、山々が連なり、深い森林におおわれ、ヤンバルクイナやノグチゲラなど固有動植物が数多く生息している。

このやんばるの森を含め琉球列島が世界自然遺産の候補地にリストアップされるほど、世界的にも貴重な自然が残る場所である。

しかし、いま豊かな自然と貴重な生態系が壊されようとしている。開発の波が押し寄せ、特に必要以上に林道建設が進められている。山を削り赤土を河川と海に流し込み、自然と環境に重大な悪影響を与えている。

一方で、山原の広大な国有林が在沖米国海兵隊の北部訓練場(約七五〇〇㌶)となっている。演習場の一部返還と合わせて、東村に米軍のヘリコプターの離着陸用の軍用施設(ヘリパッド)の建設が進められようとしている。

その上、名護市辺野古には、ジュゴンの生息する美ら海(ちゅらうみ)を埋め立てて、V字型滑走路をもつ巨大な軍事基地を新たに建設しようとしている。

米軍の新たな基地建設は、いずれも貴重な自然と生活環境、平和と安全を危うくするとして、多くの住民、県内外の人々が建設反対の声を上げている。

黒岩氏が現代に生きていれば、この沖縄北部の現実をどう見るのだろうか。きっと、「なんという愚かなことをするのだろうか」と驚き、悲しみ、そして憤るだろう。

「貴重な自然と環境を守れ!」という声を上げるのではないだろうか。教育者で博物学者として、黒岩氏が打ち込んできた仕事と研究からみて、私はその思いを強くする。 (終わり)     HN:沢村 

 

 

沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます)

沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒  追記
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その4
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その3
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その2
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その1

 
沢村さんの沖縄通信 目次
 

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ


元日の贈り物・・・ジョン万次郎と牧野富太郎

2012-01-30 | 何でも情報ボックス

タイトルを見ると、なんのことか意味不明だろう。元日といえば、届くのは年賀状が普通。それが、今年の元日は、なんと郵便局から年賀状とは別に、2回にわけて配達があった。こんなことは初めてなので、ビックリ。さっそく開いてみると、一つは「沖縄ジョン万次郎会」の『結成20周年記念誌』である。もう一つは、故郷の同級生が送ってくれた町発行のカレンダー。といっても、町出身の植物学者の牧野富太郎の植物画を各月に掲載したものだった。
 新年に届いたプレゼントに、元日から嬉しい気持ちになった。この二つの贈り物に共通するものは、「ジョン万と富太郎」という2人とも、高知県出身の誇るべき偉人であるということだ。長くなるので、今日はジョン万次郎記念誌を紹介したい。

Img086

これを送ってくれたのは、沖縄ジョン万次郎会事務局長の名嘉真和彦氏。年末にある忘年会でたまたま一緒になり、名嘉真さんがジョン万会役員であることを知り、連れ合いが「夫は高知県出身です」と伝えたところ、「記念誌を送りますよ」と言ってくれたのだった。

 中浜万次郎は、漁船で遭難してアメリカの捕鯨船に助けられ、10年間アメリカで過ごした後、1851年に琉球の大渡海岸に上陸し、取り調べのため半年間、琉球に滞在した。滞在したのが、豊見城村翁長(トミグスクソンオナガ)の高安家だった。万次郎は、幕末の日本に西洋の事情や民主主義の思想を伝え、開国の先駆者となった。その万次郎が、滞在したさいは、村の先代たちは、温情ある接遇をしたという。この史実や万次郎に関することを広く普及していこうと、1991年に発足したのが、この会である。

Img089  

記念誌は、A4版で154ページもある立派な装丁である。記念誌は、各界の人たちの祝辞から20周年の記念事業の経過報告、記念の座談会、会のあゆみ、講演会の模様、さらには市民劇「歴史ロマン・ジョン万次郎物語・豊見城編」、ジョン万カップ少年野球交流大会、土佐清水ジョン万祭り、アメリカのジョン万祭り(フェアヘーブン)の様子まで盛り沢山の内容だ。上の写真の記念講演会には、前高知県知事の橋本大二郎氏の姿も見える。

 Img087  

万次郎を助けたホイットフィールド船長の故郷、マサチューセッツ州フェアヘーブンの「ホイットフィールドー万次郎友好協会」のゲラルド・ルーニー会長や万次郎直系五代目の中浜京さんの祝辞も掲載されている。中浜京さんが、万次郎が滞在した高安家を訪ね、ここで過ごした日々、地元の人たちとの交流などを聞き、「万次郎の帰国の地が、琉球でよかったとつくづく感じております」とのべているのは、興味深い。

Img091  

2010年9月には、ジョン万次郎記念碑が建立された。ここには、記念碑ができたことを知り、すぐ訪ねたことがある。

Img092   

「歴史ロマン・ジョン万次郎物語・豊見城編」の上演は新聞でも大きく報道された。一度、観劇してみたい。沖縄ジョン万会が多彩な活動をしていることが、よくわかる。

Img093  

会の会則では、「国際交流及び青少年の健全育成に寄与する」ことを目的に掲げている。今後とも、会が発展することを期待したい。

 

 沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます)  

沢村さんのブログレキオ・島唄アッチャー 奥さんのブログレキオいくぼー日記


元日の贈り物・・・ジョン万次郎と牧野富太郎、その2

2012-01-30 | 何でも情報ボックス

元日に送られてきたプレゼントの二つ目は、わが郷里の町で発行した「町民カレンダー」である。町がカレンダーを出すなんて、他ではあまり聞かない。新潟にいる同級生が送ってくれた。
 大事なのは、毎月、世界的な植物学者だった牧野富太郎の植物図が使われていることである。

Img094  

牧野博士は、1862年(文久2)4月24日、高知県佐川町の造り酒屋「岸屋」の一人息子として生れた。学歴は小学校中退だが、佐川には名教館(メイコウカン)という優れた私塾があり、そこで学んだ。といってもあとは、独学で植物を研究した。植物分類学を専攻した。「草を褥(シトネ)に木の根を枕 花と恋して90年」と自身が語ったように、土佐をはじめ全国の山野をかけ巡り、採取と標本作成に専念し、新種の発見命名は1000種、学名変更は約500種にのぼるそうだ。東京帝国大学の助手、講師となった。

 Img095  

業績は書きだすと果てしない。「約一世紀の生涯を植物に捧げつづけた牧野富太郎博士は『日本の植物学の父』として敬愛されている」。カレンダーはこう記している。95歳で亡くなったが、死後に文化勲章を受けた。牧野博士の名前は鳴り響いていたのに、なぜ生前に授与しなかったのか、ここにも日本の学歴偏重の歪みがあるのかもしれない。

Img096  

牧野さんの著書『植物一日一題』が手元にあるが、これを読むと、われわれが今でもいわば常識と思っていることを「間違い」と正していることがとても多い。たとえば「ジャガイモは断じて馬鈴薯そのものではない」「キャベツを甘藍(カンラン)だというのは無学な行為」「アジサイは紫陽花ではない」という具合である。

 紫陽花という名の出典は中国の白楽天の詩が元であるが、「アジサイは日本固有産のガクアジサイを親としてそれから出た花で断じて中国の植物ではない」と言う。もう15年ほど前に読んだけれど、牧野さんの研究に裏打ちされたこうした明快な指摘が記憶に刻まれている。 

Img097

 ところで、なぜカレンダーを紹介しようと思ったのかが、本題である。それは牧野さんの書かれた植物画が、とても繊細で美術としても観賞に値すると思うからである。

 カレンダーは、高知県立牧野植物園の協力で制作したものである。表紙とともに13枚の植物画が掲載されている。そのうち5枚をここでアップした。

Img098  

一番上の植物画は、「ガマズミの実」。ガマズミはスイカズラ科で、高知の方言では「ヨージメ」と言う。初夏に花をつけ、実は甘酸っぱく食べられるそうだ。

 2番目は「ワカキノサクラ」1892年に佐川町の旧尾川村で発見したサクラ。播種した翌年から花を咲かせるのでこう命名したそうだ。つまり若い木で花を咲かせるという意味である。このサクラは、子どもの頃から身近にあって知っていた。

 3番目は「ヒメキリンソウ」。四国固有の多年草である。キリンソウによく似ていて、小さいことからこう呼ばれているとのこと。

 4番目は「コオロギラン」。1889年に越知町の横倉山で発見された。和名は、円形で淡い紫色の唇弁が、コオロギの羽に似ていることによると言う。

 5番目は「ジョウロウホトトギス」。これも1887年に横倉山で発見された。和名は、花の美しさを上臈(ジョウロウ=宮中に仕える女官)の上品さにたとえたものだと言う。

 ここに上げた植物画は膨大な植物画のごくごく一部にすぎない。でも、今年一年、このカレンダーを掲げて、植物画を眺めたい。

 

 沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます)  

沢村さんのブログレキオ・島唄アッチャー 奥さんのブログレキオいくぼー日記


仁淀川・四国カルストジオパーク 推進協議会ニュース 第7号

2010-12-20 | 何でも情報ボックス

仁淀川・四国カルストジオパーク推進協議会ニュース 第7号

 

仁淀川町の銅鉱山と空海弘法大師

仁淀川町には日本でも最古に属する銅鉱脈が存在します。名野川(長坂)鉱山、樫山鉱山、長者鉱山、安居鉱山などはどれもキースラーガー(Kieslager)銅鉱床で、近代まで銅を生産していました。
決してビールの名前ではないですよ。これはドイツ語で層状含銅硫化鉄鉱鉱床と訳されています。別名「別子型鉱床」と言われており、別子銅山は住友財閥の大躍進の基礎となった鉱山で、二代目吉左衛門友芳が1691年(元禄4年)に開発した愛媛県の別子銅山です。
大川村にあった白滝鉱山もこの別子銅山と同じ鉱山種類です。このように中央構造線に沿って銅鉱脈や水銀鉱脈が多く存在します。
安居銅山は「池川年代記」によれば1714年土佐藩の許可の下、銅採掘が始まっており、1817年(文化15年)、この銅山には全国13の国から来た730人の銅鉱夫が働いており、遠くは奥州(岩手県)、下総(千葉県)等からも人夫として出稼ぎに来ていました。この安居銅山は太平洋戦争中まで操業しているのです。安居渓谷の河原では今でも黒くて、重い、この銅鉱床の精錬滓(カナハダ)が拾えるので、是非見つけて下さい。
 
                   kuukai1.jpg
                 空海が右手に持っているのが「独鈷」
 
2008年中国陝西省西安訪問したとき、空海弘法大師が留学した「青龍寺」を訪ねました。その時そのお寺の職員の方と話をした時、職員の方が「空海はここで真言密教の勉強だけをしていたのではない、幅広い科学的な知識も身につけていた、特に彼が頑張っていた勉強は、錬金術、鉱物探査技術、その為の植物分類学等です」と言うことを聞きました。
 
古来より金鉱脈や銀鉱脈等の鉱物資源があるところにはその鉱物が好きな特別な植物が繁茂している事は良く知られていることです。
 
空海は当時の最先端科学を唐の都長安で勉強していたわけですね。「今も昔も宗教を行っていくのはお金がかかるなあ」と感じたことでした。
 
空海は日本に帰国してから、真言密教の修験の場として「四国八十八カ所」を開いた訳ですが、単に四国の野山を駆けめぐっていた訳ではないようです。やはりそこは、長安で学んだ最先端科学を駆使して、何かを探していたのではないでしょうか?

四国霊場と鉱物分布の関係

 
kuukai2.jpg                                 ● 八十八番番札所寺院
                                                                                                                                ■ 別格寺院
                                                                                                                                ▲     銅山・水銀山
 
 
  中央構造線及三波川帯、秩父帯の周囲にはこのように多くの銅山や水銀鉱脈が走っており、四国八十八カ所霊場と合致します。
 
一説によると、空海弘法大師が持っていたト「錫杖」はピッケルで「独鈷」(どっこ、この絵で空海が手に持っている金属の仏具)はハンマーとして用いていたと言われています。奈良の高野山は中央構造線の真上に存在し、その下には水銀の大鉱脈があると言われています。高野山開山にあたり、空海を導いたのが「丹生都比売」です。
 
「丹生」とは「辰砂」即ち「水銀」の事です。紀伊半島は丹生(水銀)の名が付く所が多いのです。中央構造線はフォッサマグナから来ており、金、水銀、銅などの鉱脈とは深い関係にあります。
 
仁淀川町での武田勝頼伝説などを思うに、武田家所領の金鉱山はフォッサマグナと重なっており、武田家は古来より様々な鉱物資源を探査し、その資金源にしてきました。
 
話は飛躍しますが、もし武田勝頼がこの土佐の山奥に移り住んできたと言うことであれば、武田家の所領である甲斐と同じように中央構造線付近に存在する鉱物資源を求めてきたと考えても面白いですね。
 
昔より修験者は金、水銀、銅などを求めて中央構造線一体(吉野熊野、石鎚山、剣山等)を駆けめぐっていたようです。見方を変えれば、修験者は「鉱山師」の顔も持っていたのではないか?銅価格が高騰する時代、再度この眠れるお宝を見直しても良いのでは?  
 

沢村さんの沖縄通信・・・佐川町出身・黒岩恒さんの顕彰碑を見ました

2010-12-07 | 何でも情報ボックス
その後おかわりありませんか。12月となっても沖縄はまだ扇風機が欠かせません。明日からは少し気温も下がりそうです。名護方面に一泊でドライブしたので、黒岩恒の碑をやっと見つけました。僕もブログに書く予定ですが、先に高知の人にもお知らせしたいと思い、拙文と写真を送ります。                                     
                                                    沢村
 
黒岩恒さんの顕彰碑を見ました
 
 「知られざる高知人」として以前、紹介した黒岩恒さんの顕彰碑が名護市内で建立されているのを、見てきました。
 
黒岩さんは、佐川町立野の生まれで、明治25年(1892)沖縄師範学校教諭として赴任し、明治35年に国頭(くにがみ)郡各間切組合立農学校の創立にあたり、初代農学校長に迎え入れられました。「間切」というのは、現在の町村にあたる単位です。
 
博物学者だった黒岩さんは、沖縄に28年間いた間に、沖縄の動植物から地質、民俗など広く関心を持ち調べて、たくさんの新種を発見したことで知られます。「クロイワ」と名のつく動植物は、数十種類もあるそうです。
 
最近、話題の尖閣諸島を調査し、尖閣諸島を命名したことでも知られ、尖閣諸島問題がクローズアップされるにつけ、命名者の黒岩さんも新たな注目を集めているようです。
 
 
sawa073.jpg
                    黒岩恒先生顕彰碑
 
 この顕彰碑は、名護市大中の県立北部病院の駐車場の敷地内にあります。黒岩さんが初代校長を務めたこの農学校は、日本三大農学校の一つとしてその名声を博し、幾多の有為な人材を輩出したと言われます。黒岩さんは教え子たちにとても慕われていたようです。
 
顕彰碑は、昭和43年(1968)に「黒岩恒先生顕彰会」が建立したものです。碑文では「沖縄在住二十八年、其の間十有三年間の農学校長としての功績が最も顕著であり、文部省から選奨の栄誉に浴し、またそのすぐれた薫陶を与えた教え子四百余名を農民指導者として社会に送り出し、自からその最高指導者となり、農産物、有用植物、家畜等優良品種の導入増殖普及に努力、原始的であった沖縄の農法を科学的近代農法へ改革する基礎を創始した」と記しています。
 
 
    sawa076.jpg
                漢詩が刻印された顕彰碑の裏面
 
 碑の裏面には、明治40年(1907)、昆虫植物採集の帰途、名護市(当時は町)許田(きょだ)付近で詠んだ漢詩を刻んでいます。漢詩は、風光明美な名護湾と付近の風景を称賛した内容です。
 
 
 
sawa079.jpg
   黒岩さんが初代校長を務めた国頭農学校跡の碑、左隣りに見えるのは黒岩恒先生顕彰碑
 
 黒岩さんの顕彰碑の左隣りには、この漢詩を別の碑として建立してあり、右隣には、初代校長を務めた「国頭郡各間切島組合立甲種国頭農学校跡」の碑が、一昨年(2008年)に同窓会によって建立されたばかりです。
 
 
 

沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます) 

沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒  追記
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その4
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その3
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その2
沖縄通信・・・知られざる高知人・黒岩恒 その1

情報がてんこもり  高知ファンクラブへ


仁淀川・四国カルストジオパーク 推進協議会ニュース 第5号

2010-09-10 | 何でも情報ボックス
仁淀川・四国カルストジオパーク 推進協議会ニュース 第5号


日高村のドウダンツツジ(錦ツツジ)

ニュースレター3号で日高村の蛇紋岩の事を話しました。蛇紋岩は暗緑色から黄緑色の岩石であり、ヘビの皮の模様をイメージさせる模様があります。

蛇紋石とはどのようなものなのか?蛇紋石はMg(Si2O5(OH)4の化学組成を持つ超塩基性鉱物です。したがって、蛇紋岩はマグネシウムを多量に含む岩石と言うことになります。

蛇紋岩は鉱物資源で有効なだけではありません。その大きな特徴は植生です。蛇紋岩帯は周囲の通常の岩石地域に発達しているものに比べ、その地域特有の固有種が生育するなど、特別な植生が発達します。

これは植物に造詣の深くない一般の方たちでも容易にその植生の違いを見て取れます。


低地の蛇紋岩地帯では、貧弱なマツ林となったり、ツツジ類が有占する低木群落になることが多いです。

このような植生は、過剰なマグネシウムの存在が、植物の水分吸収能力を低下させるという説でうまく説明でます。


ドウダンツツジ日本最大規模の自生地

この蛇紋岩が多く分布発達しているのが、日高村の妹背地区から本村地区にかけての錦山周辺です。

従ってこの地域には他の地域とは全く異なる植生が見られるようになっています。その蛇紋岩帯が広く分布している日高村錦山地区は日本でも最大規模を誇るドウダンツツジの自生地です。



ドウダンツツジ 春白い花が咲く

蛇紋岩は私達の地域では良く見かける鉱物です。佐川町青去地区は恐らく蛇紋岩が良く露出している場所が見られるので、「青い」「ザレ」がある土地という意味で「青去」と呼ばれるようになったとも考えられます。

蛇紋岩はその見かけが暗緑色から黄緑色の岩石であるので、「青」、そして土佐では蛇紋岩を「破砕しやすい」(はそい)と言う意味で「ザレ石」と呼んでいました。鳥形山石灰鉱山でも石灰石層に混ざって蛇紋岩の貫入が見られます。


土佐では錦ツツジと呼ぶ


日高村の錦山公園は日本最大規模のドウダンツツジ自生地です。

では何故この山が「錦山」と呼ばれるようになったか?それは土佐では古来よりドウダンツツジを「錦ツツジ」と呼んでいたからなのです。 

ドウダンツツジは春、白いかわいらしい花を咲かせます。

しかし、秋になるとその緑の葉が「もみじ」のように紅葉するのです。



秋の紅葉したドウダンツツジ この葉の紅葉が「錦ツツジ」と呼ばれる所以

日高村錦山は秋になると山一面「錦」で覆われたので「錦山」となった


「錦ツツジ」、我々土佐人は何と素晴らしい名前を付けて呼んでいたことでしょう。

ドウダンツツジを願わくば、昔のように「錦ツツジ」と呼びたいものです。



ご案内

第1回ジオパークツアー佐川サイト・・・その4  文部科学省指定史跡「不動が岩屋洞窟」ほか

次回、第2回 仁淀川・四国カルストジオパーク説明会(モニターツアー)は、11月7日(日)日高村内ジオサイトを予定しています。(詳細が決まり次第お知らせさせていただきます) 

(8月27日、横倉山自然の森博物館で開催された、第6回仁淀川流域"宇宙桜の会"では、10月3日越知町で第2回ツアーを予定していましたが、都合により変更させていただきました。)



HN:仁淀川

仁淀川・四国カルストジオパーク に関する情報

佐川地質館(佐川町)  の記事

仁淀川流域"宇宙桜の会" に関する記事

HN:仁淀川 さんの記事

仁淀川ファンクラブ

第5回 仁淀川流域"宇宙桜の会" を開催しました(その2)

2010-08-26 | 何でも情報ボックス
遅くなりましたが、第5回 仁淀川流域"宇宙桜の会" の報告をさせていただきます。

7月30日(金)14時~16時、越知町の横倉山自然の森博物館をお借りして

第5回 仁淀川流域"宇宙桜の会"を開催しました。

第5回 仁淀川流域"宇宙桜の会" を開催しました(その1)




歴史・史跡・ミステリーをキーワード の分野では、

越知町平家会、理事・事務局長の澤田さんから取り組みの報告がありました。

仁淀川町の「武田勝頼土佐の会」と越知町の「越知平家会」は、共同して仁淀川流域における歴史伝説を生かし、「国道33号線歴史ミステリーゾーン」を観光資源として再発見し、町内外に売り出し集客アップを図ることを目指しています。

さらに、勝頼の史跡周辺の観光街歩きや、横倉山周辺の観光トレッキングのツアー客の案内の出来るガイドを養成するための、観光ガイド養成研修会を開くための講師報酬支援を「高知県観光振興部おもてなし課」に申請し、採択されました。

観光ガイド研修計画は、

第1回 7月21日講師 岡林照壽・武田勝頼土佐の会会長

第2回 7月24日講師 澤田泰彦・越知平家会理事

がすでに実施され、

第3回 10月 9日13:00~17:00 

       講師 近澤真弓・城西館コンセルジュ(仁淀川町基幹集落センター)

第4回 10月23日13:00~17:00 

       講師 近澤真弓・城西館コンセルジュ(横倉山自然の森博物館 図書室)

が予定されています。



また10月3日には、越知町の宮ノ前公園で開催される「コスモス祭」で、

新屋まりコンサート」も予定されています。

越知平家まつり に関する記事



親子で体験型の川に親しむ分野では、

によど自然素材等活用研究会の隅田さんから、

8月29日に仁淀川町の池川地区・宮崎の河原で、小学生対象20組40人予定で、アユ釣体験など

を予定していることが報告されました。

9月には、越知町の黒瀬で、カヌーを使った"川に親しむ"取り組みを

仁淀高校から高知大学に進んだ学生と一緒に・・・の予定も出されました。



今回も羽迫さんから、

"水と子ども達を結びつける"取り組みの一つとして、レイチェル・カーソンのセンス・オブ・ワンダーの取り組みが、こともたちの新鮮な発見や気づきを促して、感性を高めながら子ども達をとりこにしていく話をしていただきました。

この取り組みの森版、アジロ山 "森のようちえん"は、8月29日(日)9:30~高知市福祉交流プラザで開催される「2010高知ボランティア・フェスティバル」でも展示・報告されることになっています。



エアーポケットみたいな仁淀川・・・

観光にかかわっている市川さんからは、

仁淀川は水のきれいな川としても知られており、有名な地質・ジオパークや牧野博士の出身地としての有名な植物や場所があり、歴史・史跡ミステリーなど、観光資源と言う点から見ても仁淀川流域は "宝の山" だと思うが・・・なぜ観光客が他の流域から比べるとこんなに少ないのか・・・エアーポケットみたいな仁淀川・・・と言う話がありました。  

つづいて、NPO市民会議の四ノ宮さんからは、

活動が見える情報発信が進んでいないのが原因ではないか・・・四万十川流域の情報発信はしっかり動いているように思う・・・仁淀川流域も原石を磨きながら、情報発信を強化することがたいせつでは・・・

受け入れ体制など、インフラ的な面もすすめながら・・・と、市川さんや四ノ宮さんからアドバイスをいただきました。



情報発信の取り組みでは、

仁淀川町の県企画員・西森さんからは、

仁淀川町で「NPOとさはちきんねっと」の主催で、慶応大学と連携した、情報技術を用いるなどして町内の観光資源の整理や表現の工夫、コンテンツづくりなどを学んでいく・・・40人が参加。

この取り組みを計4回、9月にはシンポジュームを開く予定の話がありました。



「仁淀川ファンクラブ」では、このほど「仁淀川流域の情報」として、情報を分野別に集めて、分かりやすくする取り組みを始めました。

また、市町村別のブログの左サイドバーに、「仁淀川流域の情報」を出しています。

仁淀川町  越知町  佐川町   日高村   土佐市   いの町   高知市春野町

まだまだ情報は少ないです。仁淀川流域の情報発信に貢献したいと思っていますが、

市町村に派遣された県の企画員の皆さんや市町村の職員、そして情報発信の出来る地域の人達と連携しながら、仁淀川流域の様々な情報を、

役場や団体・個人のホームページやブログで、

またいつでも発行してもらえる専用ID・パスワードで、自由に情報発信出来る「高知ファンクラブ」に投稿して、「仁淀川ファンクラブ」や該当の市町村ファンクラブのブログにも載せて、情報発信・検索エンジン対応を図って行けたら・・・と思っています。



次回、第6回 仁淀川流域"宇宙桜の会" は、

8月27日(金)14時~16時、越知町の横倉山自然の森博物館をお借りして開催する事にしています。



仁淀川流域の活性化を応援する取り組みに関心のある方、力を貸していただける方の参加を期待しています。

お問い合わせは、「高知ファンクラブ」運営事務局までお願いします。




第1回 仁淀川・四国カルストジオパーク説明会・佐川町内ジオサイト見学ツアー 

9月5日(日)10時~15時 (10時に佐川地質館へ集合)

参加受付・申し込みは、佐川地質館 

住所:〒789-1200 高知県高岡郡佐川町甲360番地

TEL : 0889-(22)-5500 Fax :0889-(22)-5511

マップ

参加費:入館料の300円

 1 ジオパーク構想の説明(意義、趣旨、目指すもの)  1時間   

 2 佐川地質館の見学                     1時間

 3 佐川町内のジオサイト 地質館見学後車にて現地を見学  昼食を挟んで 2時間(15時終了)

    
どなたでも参加できます。良い機会ですので誘い合って第1回ツアーに参加されませんか。

今回は佐川地質館主催で、「仁淀川・四国カルストジオパーク」や仁淀川流域"宇宙桜の会" などが共催するイベント・学習会を企画提案していただく事にしています。

申し込み受付や集合場所を佐川地質館として、地質館内での説明を聞いた後、2~3箇所のフィールドを案内してもらって、"世界に誇れる地質遺産"に対する理解を深めるツアー企画です。


HN:仁淀川

仁淀川流域"宇宙桜の会" に関する記事

HN:仁淀川 さんの記事

仁淀川ファンクラブ

第4回 仁淀川流域"宇宙桜の会" を開催しました(その2)

2010-07-01 | 何でも情報ボックス
6月25日、仁淀川町の中央公民館をお借りして、第4回 仁淀川流域"宇宙桜の会" を開催しました。

これまでの3回の会議を踏まえて、仁淀川流域を活性化させるための具体的なアクションを起こそうと言うねらいで、会議が進められました。



仁淀川町の大野教育長から、宇宙を旅してきて植えられた"宇宙桜・ヒョウタンザクラ"のその後の生長状況や、有人宇宙システムKK・プロデューサー長谷川様が苗を見に来られたことなどの報告がありました。

その中で日本さくらの会では、ワシントンに桜を送って100年になる事を記念して、米国からの要請を受けて桜の種を送る取組みをしている事の報告もありました。





仁淀川流域"宇宙桜の会"では、佐川町と仁淀川町の子ども達が関わって桜の種を集めて、素晴らし体験と思い出を作ったことを大切にしながら、

明日25日、仁淀川流域 "宇宙桜の会" 開催されます


流域の子どもたちが自分達の住んでいる仁淀川地域を誇りに思える取り組みをしていく事を話し合いました。

前回に続いて参加していただいた羽迫さんからは、会場に展示された高知市神田の「アジロ山自然の森」で繰り広げられる"森のようちえん"の話をしていただきました。



アジロ自然の森 に関する記事

森のようちえん




羽迫さんからは、仁淀川流域に"川のようちえん"を作って、家族連れで仁淀川を楽しめる場所を作っては・・・との提案がありました。



仁淀川の活用を図っている「仁淀川お宝探偵団」の城下さんからは、"川ガキ"を作りたいと・・・2ヶ月に1回ぐらいで、水生生物を探しながら子ども達と川に親しんでいる事が報告されました。

第33回仁淀川ガサガサ探偵団

ライフジャケットを着用した"カッパの川流れ"なども計画されており、また8月22日には、仁淀川国際水切り大会も計画されているなど、取り組みが進んでいます。



によど自然素材等活研究会の井上代表より、8月末には、仁淀川交流会議も予定されていることが報告され、

によど自然素材等活研究会の井上代表を中心に、「仁淀川お宝探偵団」の城下さんや仁淀川流域に"川のようちえん"を作るという提案をしていただいた羽迫さんとも連絡を取り合って、

次回の会に、流域に1箇所 "川のようちえん"を作れそうな場所を提案していただく事にしました。

「アジロ山自然の森」の取り組みに学びながら、そして多くの方たちの協力をお願いしながら、子ども達や家族が安心して豊かな仁淀川の自然を楽しめる場所づくりや、遊びを通して沢山の"川ガキ"が育っていく事に期待をこめて取り組んでいく事を話し合いました。



次回、第5回 仁淀川流域"宇宙桜の会" は、

7月30日(金)14時~16時、越知町の横倉山自然の森博物館をお借りして開催する事にしています。



仁淀川流域の活性化を応援する取り組みに関心のある方、力を貸していただける方の参加を期待しています。

お問い合わせは、「高知ファンクラブ」運営事務局までお願いします。



HN:仁淀川

仁淀川流域"宇宙桜の会" に関する記事

HN:仁淀川 さんの記事

仁淀川ファンクラブ

宇宙桜を一つのキーワードに、仁淀川流域の活性化を探る検討会開催!3

2010-03-20 | 何でも情報ボックス
2回目の仁淀川流域の活性化を探る検討会を

4月2日(金)14:00~16:00、佐川町役場2階小会議室に変更させていただきました!



2月17日、佐川町の桜座をお借りして、"宇宙桜を一つのキーワードに、仁淀川流域の活性化を探る検討会"を開催しました。

宇宙桜を一つのキーワードに、仁淀川流域の活性化を探る検討会開催!2
宇宙桜を一つのキーワードに、仁淀川流域の活性化を探る検討会開催!

この会は、"高知を元気にする"取組みを進めている「高知ファンクラブ」(代表・鈴木朝夫 元高知工科大学副学長)と「高知ファンクラブ」の中の仁淀川流域の地域版、「仁淀川ファンクラブ」(代表・石川妙子 いの町、水生昆虫の専門家)の呼びかけで、

佐川町(ワカキノ桜)や仁淀川町(ヒョウタン桜)の行政関係の方をはじめ、県の地域支援企画員や流域の「仁淀川ファンクラブ」関係者などの方々にお集まりいただきました。

会の終わりに、二回目を3月29日に開催する事を決めておりましたが、その後の参加者の都合で

4月2日(金)14:00~16:00、佐川町役場2階小会議室をお借りして開催する事になりました。よろしくお願いします。



地域支援企画員(仁淀川町駐在)の西森様よりメールと画像をいただきましたので、ご紹介します。





仁淀川町のひょうたん桜(つぼみ)の画像です。
ぜひ、見ごろが近いので、どうぞ。ただし、添付のひょうたん桜のツボミの画像は同町大崎地区なので、標高の高い有名なひょうたん桜(仁淀川町桜地区)はもうちょっと満開までかかるかも。またお知らせします。写真はいかようにもご使用ください!

役場のHPで情報わかります!↓
仁淀川町役場のHP
http://www.town.niyodogawa.kochi.jp/



満開の時期?に合わせた、武田勝頼ミステリーツアーも予定されています。(3月27、28日)
歴史、伝説、ミステリー、レキジョの方にはぜひ、お誘いくださいませ。まだまだ定員には余裕があるので。
かつよりくん弁当&かつよりくんセンベイその他グッズでお待ちしています。
(添付ファイル参照)

武田勝頼土佐の会
http://katsuyoritosa.web.fc2.com/



HN:仁淀川

宇宙桜 に関する記事
HN:仁淀川 さんの記事