アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

8月6日って何の日?というテレビのコーナー

2014年08月08日 | 蓄積された過去群
我が家系にとって,プライベート以外に重要な日がいくつもある。

3月10日 我が家が前年まで暮らしていた東京が丸焼けとなった大空襲
8月15日 言うまでもなく同じ昭和20年の終戦
10月29日 過去に何度もあったうち最近・昭和51年の酒田大火

そして,転勤で第二の住居を置いていた仙台を含め,東北の大半を飲み込んだ大震災の3月11日

もちろん,国としては沢山の「日」がある。
TVのニュースというか帯番組で「8月6日が何の日だか知っていますか?」と路上で訊いていた。
標本数(訊いた数の分母)を知らないが,少年(少女)らは「えー?わからない」「知りません」と率直に答えていた。
たぶん東京でのことだろうから仕方ないかな?とも思った。

愕然とさせられたのは少年らではなく,中学生くらいの子を連れた30代くらいの女性だった。
やはり「8月6日が何の日だか知っていますか?」と問われ,ヘラヘラして
「ハム(86)の日ですか?」などと言う。

気の毒なのは,連れられた子供だな,と瞬時に感じてしまった。
父に似て右寄りの私は,8月になれば広島と長崎に落とされた原爆のことに思いをはせること,終戦の日の正午にはNHKを視聴すること(基本的に起立)
そんなことは当たり前にやってきたし,子供たちにも教えてきた。
その子供たちが「起立」するかは別として,教えるべきは教えることが必要なはずだ。

「戦争も原発も反対」と叫ぶ人間が多い割には,家庭でも学校でも,教育が堕落してきているのだな,と実感させられた。
戦時中の軍部による「鬼畜米英」レヴェルで,今も「反日」を唱えさせて政権を保っている国もどうかとは思うが..

追伸 ということで広島と長崎の皆様,わが国の民というのは,この程度の薄っぺらな知識しか持たなくなりました。
申し訳ございません。

「人間」と,「忘れる」ことや「切羽詰る」こととの必要不可分な関係?今日の練習から..

2014年08月08日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
10月にコンサートを控え,今月1回目の練習をした。
無伴奏で2曲半?ピアノ伴奏つきで1曲,きちんと音取りすべき曲があった。
せっかくピアニストの「福女さん」が来てくれていたので,オルバーン作曲,ミサ曲第6番の"Gloria"をやる..が,乗ってくれない。
特にソプラノが「核なし・か弱い」素人軍団なので,散々だ。
一昨年,合唱フェスティバルで「大体出来」,デーニシュ・サボーの合唱セミナーでかなり良し,な曲だったのに,見る(聴く?)影もなし。

かなり昔,会社のトップが「人間とは,良くも悪くも忘れるもの,逆に忘れることで嫌なことから前に進める,ということを覚えてほしい」という趣旨のことを言っていたのを思い出す。
でも,一昨年の曲だぜ一昨年の!(苦笑)

また「悪びれず」(とまで言うと失礼か)に「あはは失礼」などと言われ「切羽詰る」という語句が頭をよぎった。良く言えばこちらも「切羽詰まれば人間はがんばれる」とも置き換えられる。
私の責任団体でない遊佐で歌っていた頃も,定演前週で「ベースは私だけ」とか平気であったので,フツーの団体は仕方ないとも思う。

けれど,たかが百円であろうとも,お金をいただくコンサートならば「ギリギリ間に合いました」的な演奏ではよろしくないと思っているので「日程を延期しようか?」と持ちかけてみる。
すると,夏休みで渡露中の大学生Bass君の次に若いAltoの彼女が「嫌です!」と返してくれる。
このクイック・リスポンスを逃す手はなく,今月末に練習日を追加させてもらうこととした。

ともかく,前回のソプラノより大変なのは確かです。
以下,一昨年の一回目の演奏です。

Sakata Coro a cappella(合唱)Mass No.6 "Gloria"(Gyorgy Orban)