アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

TPPの意外な影響

2016年02月29日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
このワードで探すと,出るわ出るわ,となるのが著作権問題。
グローバルスタンダードと日本的なものの違いが色々とある。
今は著作権侵害は本人周辺からの申し出による「親告罪」であるが,TPP以降では誰もが横槍を入れられる「非親告罪」になるらしい。

ところで,問題なのは音楽著作権の保有期間。
ジャン・シベリウスの「フィンランディア」を編曲したりしている私だが,彼は私の生まれた直前に没している。
日本の著作権法では没後50年を経過しているのでフリーにいじられるのだけれど,TPPを批准・法律改正すれば70年になる。

強制的に国の文化をアメリカナイズさせられる。
お金などの面で農工業やらを語られるよりもずっと,日本人らしさの部分で問題のあることかも知れない。
敗戦時に押し付けられたあれこれよりも,日本人としての尊厳が傷つく場面が出てくるのかとも思う。

ネット民の皆さんも,ああだこうだと騒いでいるようだ。

雨漏リニモマケズ

2016年02月20日 | 日常生活
お昼に珍しく亀ケ崎の「さらしな」で食べようとしたが「11:30行列」,で向かいの麺屋酒田に..と以下同文で移動。
今やチェーン店化した船場町の「麺屋酒田inみなと」に行く。
市の施設や漁協関連の駐車場は多いが店舗のPは不明。
あれやこれやで空席あるのを確認。
車はどうにかして?着座。
が,そこにはバケツ然とした黄色いゴミ箱(タイトル写真)が置いてある。
もちろん天井チェック。

開店のために増築したと思しきエリアと,本来の壁の境目の真下に箱は置いてある。
その境目の天井は,長いビニールでふさいであり,元は雨漏り対策なのかもしれない。
が,その時,雨は降っていなかった。
となると..さらに凝視すると,浴場の天井よろしく,ビニール部分の結露みたいのが時々だが落ちてきた。

この店,本店が名を売ってすぐ,あたふたと開いたように思うが,建物の合法性は大丈夫だろうか?
まあ,そんな理屈を考えるのは私くらいで,大体は漁業,港湾,工場関係者が殆どみたいだが。

誰もそんな話は読みたくないと思うので本題(苦笑)
以前から聞いていたが「ラーメン一杯500円」な店である。
レンゲを見ずに食べたら,やたらぶっとい縮れ麺にあっさりスープ。
初めて「ケンちゃん」の本店で経験したような感じ。
が,そのレンゲ,背油らしきもの(ただし小さいサイコロ状)が乗っていて,全量は無理なので半分くらいから,とラーメンに入れてみる。
なるほど「スープの負け,麺の勝ち」だったものが,良い勝負になってきた。

で,私の真の感想はと言えば...
酒田の麺はたぶん日本一,自家製麺率が高い。
ここもそうだと思うし,従来の縮れ麺にしつつ太くしているのは,相応のこだわりだと思う。
けれど,いくら500円はありがたいにせよ,麺が太すぎてスープが麺の芯にまでしみない為,小麦粉本体まで質が問われるので,どうかな?
という感じだった。
昔,この話をした時に「小麦粉まで分かるのか?」と批判されたが,美味しさは分からないでも,その逆は誰でも分かる,ということだ。
本当の,この店の系列の味は,本店で賞味しないとわからないだろうけれど「行列嫌い」な私(たち)には,なかなか無理だろう。
開店直前に行くには良いが,夕食が待てない問題もあるし..

てことで,お約束らしいので,ちゃんと一式を返却口に返してから帰宅しました。

(追記)このお店,イス席に座敷(カッコつけると小上がり)に,立ち食いもあります。

最近,とんとクリエイティブな作業は...

2016年02月20日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
なかなか作曲・編曲・選曲とか,自分らしい作業ができていない。
昨年の合唱フェスティバルの練習やら打ち上げやらで「大人相手」のあれこれに疲れた部分が大きい。
得意の「燃え尽き」と一言で言えるのかも。

合唱練習も,過去に配付した曲の使いまわしと言うと言葉が悪いけれど,そんな感じで練習している。
ただ,その中身について不満はなく,団の皆さんは一生懸命だし,今週の練習なども,曲終わりで満足できるハーモニーも聴けた。

それでも,実行できないことと,考えることすらできないのとは違っていて,構想とかを練ることはある。
昔から一度は行ってみたい「城ヶ島の雨」,今の朝ドラの「朝が来た」のテーマ,それ以上にユーミンの何曲か,これらを無伴奏で編曲したい,なんて思っていることはいる。

と,このネタはグダグダで終了!


Sakata Coro a Cappella 十曲コンサート 12.「夜のうた」(佐々木伸尚)

2016年02月16日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
・結成5周年 初めてのチャリティによるコンサート
・開演 平成26年10月13日(月・祝)14時
・場所 チャーチ・オブ・ゴッド 酒田キリスト教会 ニュー・チャペル
・意図あり,逆順でご紹介していきます("十曲コンサート"の割に18曲+アンコ2曲=計20曲)
【映像と音声に微妙なタイム・ラグがあります】

・夜のうた
 詞 坂田寛夫/曲 佐々木伸尚(のぶなお)
・指揮 池田修一

[司会]
 先ほどまでは「遠い地の人」のことでしたが,今度は近いかも知れない人たちを思う歌で,佐々木伸尚(のぶなお)の「夜のうた」です。昭和42年に全日本合唱連盟の創立二十周年記念として作られたことで合唱関係者に広く歌われてきました。
 作詞は「さっちゃん」などで有名な阪田寛夫ですが,彼はその作曲の大中恩の従兄弟(いとこ)にあたります。
 この曲はよく,コンサートの締めと言いましょうか,アンコールなどでも歌われてきました。身近な誰かと言わず,たくさんの人たちが幸せに暮らし,眠られるように願います。


実は,ろくに聴いたことのなかった全国大会の鶴岡南高校音楽部

2016年02月11日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
たまたまの飛び石連休で,あまりやる気がないので,色々と書いている。

同じ庄内地方でも,最上川の北部を中心とした酒田・飽海の当方と,南部の鶴岡・田川,伝統的に港町と城下町,明治維新頃から人口などもどっこいどっこいで,高校もあちらとこちらはライバル高だ。
だが,同じ合唱(音楽部)でも,しばらく競い合い,我々の頃は交流会もあったのだが,最近は向こうの動きが目立ち,こちらはぎりぎり存続している,というところだ。

私も10年ばかり活動を支援・指導していたが,私が関わらなくなってしばらくし,圧倒的に差がついたようだ。
それは,今は活動しなくなったN氏の登場だ。
実は私が高校生で指揮者のとき,鶴岡南高(以下鶴南)の同期の指揮者が,夏休み中で帰省中の早稲田グリー4年の指揮者だったN氏に指導を受けていた。
その後,しばらく見なかったが,私が仙台での活動を終わり休止した頃から,彼は母校の教諭となり後輩を率いて東北大会,さらには全国,そして全国金賞という道を歩んた。
そしてまた,私が合唱に復帰する直前の今から10年ほど前にパタッと辞め,また聴くことなく経過した。

私は最盛期?の演奏を生では聴けなかったため,今までは未賞味だった。
とういことで,たまたま余裕のある(暇な?)今日は,動画で聴いてみた。
良い音楽は大絶賛,じゃない音楽は..な私の感想は...

ラインベルガー×2,ペンデレツキ×1の3年分を聴いたのだが..
指揮者のN氏が理系の脳であること,そして早稲田グリーの大人数を指揮していた人であることが良く理解できる。
というか,そのように聴こえてくる。
たぶん90人や100人は歌っているだろうか,そのスケールを抑えて始まり..と思っていたら「??」という部分で私の脳が止まってしまう。

ザックリした耳で聴けば過ぎてしまうのだろうが,私には全国金賞としては聴き逃せないところがあった。
まず,特に高音部だけれど,所定の長さが歌えてなく,常にポルタメントがかってしまっていることだ(テヌートとして指示すべきところである)
次に,パート練習の問題もあるのだろうけれど,パートのユニゾンができていなくて,声のばらつきが大きい。
以上は,大人数過ぎて自分が隠れてしまう,全体が聴こえない,という環境の中で生徒が歌わせられていて,選曲がコンクール用に困難なア・カペラ曲である,という問題なのかと思う。
もちろん,反響する現地で聴かないと分からない,という話もでてくるのだけど,現実に合っていないものは合っていない。

実際にN氏の功績は大きく,山形西高がフェイド・アウトしつつあった頃から,全国に躍進し我が県の合唱を牽引,そして今の鶴岡土曜会の全国行きにバトンタッチさせたのだろうと推測するし,その土曜会に人材を供給していただろうと考えれば,さらにその功績は大,と言えるだろう。

下世話な話はどうでもよいが,国会議員の話は書いてみる

2016年02月11日 | 中高年の主張(そろそろ高年?)
TVで「イクメン・育休アピール」していた宮崎謙介議員が,妻・金子恵美議員の出産直前に浮気していたの何のと言っている。
女性コメンテーターは「最後は女性が可愛そう」などと定型句を語っていて,最初は私も「フムフム」など頷いた。

次は宮崎の経歴,身長・体重(意味なし)学歴・週職歴..そして結婚から離婚暦(バツイチかい!)
ま,ここまでも良いのだが「実は前の奥さんは..」,リビングで「エーーッ!」となる。
元嫁は,当地の衆議院議員1回生にして,加藤紘一元自民党幹事長(加藤の乱で女らしく号泣)の次女,加藤鮎子だった。
たぶんこの人,政治家4代目である。

だんだん自分の気持ちが揺らいでくる。
「最後は女性が」は撤回,幾らなんでも2人ともゲテ男に引っかかるようでは,女側の「見る目も悪い」というものだ。

同期や同時期の国会・県会議員では,西に号泣温泉出張詐欺議員,東はセクハラヤジ議員等々,あげればきりがない。
これらを古い時代には選良と呼んできたが,人としてどうか?という人間を選良と呼ばないのは無論だが,各党とも,もっと人間的にふさわしくお騒がせでない,一発屋で終わらない「政治教育」を施してから世に出してもらいたいものだ。

追記 北朝鮮ではないのだから,3代目とか4代目とか,利権でドロドロした人はお断りだ。
そんなのばかり選ばれたら「何も変えない,変えられない立法府」になってしまうのは目に見えている。
(メリット・デメリットを教えれば,中学生でもワカル)

山形県人のハテナ?「ごしゃぐ」と「ごげる」に関する一考察(笑)

2016年02月11日 | 中高年の主張(そろそろ高年?)
山形県内は大まかに,わが庄内地方のほか,山形周辺の村山地方,米沢周辺の置賜地方,新庄周辺の最上地方にの4地方に分かれる。
たとえばこれは,江戸時代まで置賜は謙信ゆかりの上杉氏,庄内は徳川四天王だった酒井氏の末裔だった。
となれば,文化的には別々の土壌であり,海側のわが庄内(酒田など)と内陸では「国が違った」のである。

さて,ここでTV観ても転勤しても困るのは,バイリンガルでもない私に立ちはだかったのは「巨大な言葉の壁」だった。
外国人に"Please speak slowly."お願いすれば元・英検2級相応?な私でもジェスチャー入れて何とかできたが?山形市ではうまくいかない。
何せ,共通語でない「県庁所在地の言語」は教育されないのだから。
そして,独特の喋りの勢い,特に相手が何語を喋るか,どこの出身かに関係なくまくし立てる感性..負ける..
山形駅のアナウンスが「しゃまがだ~!」となるように「やゆよ」が「しゃしゅしょ」に変化したり,女性がびっくりすると「しゃー」,さらに美しい口から「~だどれ~」という●クザな言葉が発せられるのは大ショック。
(他県から来た男性が県内全体で女性の口から「んだんだ」と出るのはもっとショックらしいが)

で,やっと本題。
昨年だったか,山形から転勤してきた人のいる時に「ごげらっだ」(これは酒田弁であって,同じ庄内でも鶴岡だと促音せず「ごげらいだ」となる)と話したら,クスクス笑われた。庄内らしいと思ったのだろう。
逆に私が山形にいたときは「ごしゃぐ」「ごしゃいだ」「ごしゃがっだズ~」みたいな会話が乱発,意味を理解するが不思議だった。

こういう時「エセ酒田弁研究家?」の私は,語源やらが気になりだす。文献を調べるほど専門でないのはご愛嬌。

まず,山形など内陸の「ごしゃぐ」(場所により「ごせやぐ」なども)
語源と言われる「ごせをやく」(後世を焼く,の訛りらしい)は仏教者にとり「後世=来世(後生)の安楽を怒りにまかせ焼き払う」行為らしい。
内陸で使われるものは,怒りをぶつけることと,それを叱りたしなめることの両面の意味があるように感じる。

庄内の「ごげられる」「ごげる」(鶴岡ではごげらいる?)
なかなか語源が見つからなかったが「(お)語気上げられる」というものが見つかった。
そして,西では転訛した「ごっきゃげる」という「上の者に叱られる」意味の方言を見つけた。
ただ,比べてもそれほど似つかない。
基本に返り「語気上げられる」を読み抽出すると確かに「ごげられる」になる。
そして意味も「叱られる」(ごげる,は叱る)である。

ただ,これだけでは説明が弱い気がした。
「それなら酒田では,怒るのことはどう言うのか?」となる。
実は酒田も山形と同源の「ごしゃげる」は使う。
怒りが内面にふつふつと溜まり,最後はマグマのように噴出する,そんな強い意味で自動詞として使う。
強さの分,他動詞でない分,山形のように回数は使わない。

ただ,女性がこの状態になったとき,怖ぇ~よ!「キーーッ!」っなる。
我が家でも,たまたま姪の家族が来た時に限って「女ゴジラ」みたいになられたことがあり,リビングは大変,二度と姪たちは来ていないのだ。
それでも酒田の女は,あまり翌日には持ち越さないけれど(クワバラクワバラ)

全国に行くためには行くなりの環境と努力

2016年02月10日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
前にも書いたが,私は仙台に5年いた。
仙台市地下鉄が開業した月に赴任し,べにばな国体の時に庄内に戻った。
最初は「合唱サークル」レヴェルだった男声合唱団は,色々な経緯でグリーン・ウッド・ハーモニーや六月の歌声など全国でも名だたる団体の指揮者である今井邦男氏を常任指揮者に迎え,相前後して私が副指揮者(兼トレーナー)となり,日々のパート練習で実力を蓄え,ビルの1階でロビー・コンサート,上階には自前ホールで演奏会と,恵まれた状態で少しずつ上を目指していく。
コンクールにも出場していたが,しばらくは「東北大会万年銀賞」との声も聞かれてた。

そして私が5年目というか仙台で最後の夏から秋,主催行事で東北7年の県庁所在地で,各地の女声合唱団とジョイントコンサート。
しばらく譜めくりをしてくれたSさんから「東北大会は本当に良かった」と言われ,福島県庁に勝ち,おかげさまで第44回全日本合唱コンクール全国大会(岡山)に出場,けれど東北をピークに桜は散った。

その後,中十年は全国に行けなかったようだ。
たまたま福島県庁が不出場の年も,たまたま「じゃない団体」に足をすくわれ,銀賞にとどまっていた。
やがてまた春は来た,ただその時は,またしても福島県庁が不出場,今回は全国の切符を手にする。
そして第55回全日本合唱コンクール全国大会(滋賀)は,団体初の「全国銀賞」となった。
一応,東北では銀賞とかのオマケでなく「金賞・代表」だった。

この勢いで,翌年は福島県庁とのガチ勝負となったようだった。
出ても聴いてもいない私が分析はできないのだが,審査員には福島好き仙台嫌い?な鈴木輝昭氏がいるものの,一方では合唱界では御大の皆川達夫氏もいて,何とか勝ち抜けたようだ。
そして初めての連続出場となった第56回全日本合唱コンクール全国大会(三重)では,連続銀賞となった。
ちなみに同年のコンクール東北支部大会(秋田)は,こっちが順位で1,1,2,2,1,あっちが2,2,1,1,2である。

十年おいて全国となった団体も,私はもう少し近ければ「遠隔地団員」という名称どおり参加出来たろうが,残業だらけ,単身赴任続きでは無理だった。
赴任した当地の合唱団に顔を出したこともあったが,続かなかった。

ということで酒混でフォーレを歌ったりしたくらいで中十年以上も空けて,ボロボロになって「やっぱり合唱」と復活したわけである。
そして団体も,また全国に進めなくなったようだったが,あの大震災で活動休止というか縮小,今はコンクールにも出ていないし,私は実情も知らず,というか知ろうともしない。

...何か途中から内容がずれてしまった(苦笑)

帰ってきた丸メガネ

2016年02月08日 | 日常生活
自分に似合っているかどうかという尺度ではなく,どうしてもこの眼鏡が欲しいと初めて思ったから作った。
かつてなく金額もかかったが,構造的な問題から,あっという間に壊れてしまった。
否,構造の前に「眼鏡をかけたまま寝る」「寝癖が悪く,眼鏡を下敷きに寝る」「眼鏡を外していたとしても,背泳ぎの状態で眼鏡を叩き潰す」そんな悪癖のある(たぶん悪ガキなままの)私だから,ファッションでなく,沢山の眼鏡を作っては潰してきた。
新庄の会社では,当直の時に真っ暗な場所で眼鏡ごと柱に激突した。

ちなみに現在の度数,ま,遠近中心ですがな..の眼鏡は,遠近,中近,中近,近,と4つもあるのだが,近はパソコンや業務などで等距離の場合に限定されるので,なかなか使えず,中近の「丸じゃない方」(楕円に近い逆三角)で鼈甲柄のモノクロなのを常用にしていたけれど,本心はサイズも小さいけれど「中近の丸眼鏡」を使いたくていた。

この「丸」は,例によって「掛けたまま寝て,そのままつぶしてフレームを『ありえない角度』にしてしまった」もので,眼鏡屋もお手上げ・苦笑い状態で「折れると思います」とのこと。
そんなことを2,3度やり取りして諦められず,仕方ないから一昨日,自分でラジオペンチを取り,ふきんで眼鏡を包んで上下・左右の歪みを補正する(力ずく)

眼鏡屋の言い分も分からなくもないが,理系の私から言わせると,いくらヒン曲がったフレームでも,本物ならまだ金属疲労していない場合は,それほど簡単には折れるものではない。
概ね形を戻したところでまたも眼鏡屋へ行く。
いつもと同じやり取りの末,今回は私が原型近くに戻したことを(勝ち誇って)説明し「折っても壊しても良し」と確認して調整してもらう。
無料で調整させるには今までで最長の時間を費やす。
そして,フレームの付け根というかヒンジ(蝶番)について「ここだけは折れるので直せません」とのこと。
心では正直「自分の腕の無さを言うのだからお気の毒なものだな」と思いつつ,もっとガッチリ修正していた私は「無料で調整してくれたから仕方ないか」などと従前どおり店を去る。

実は仕上がりとして,やはり中近のややお洒落な「丸じゃない方」が見えやすく,丸の方は年齢なりに見えづらく思う。
けれど,どうしても服装にすら洒落っ気のない私なりに,体の一部としてこの丸メガネが愛おしい。

丸メガネと言えばジョン・レノン,実は彼の名のつくフレームを買おうと思っていたが,とりあえずやめた。
彼の姿とは程遠いが,自分なりに考えて。
かなり高かったのと,かなり拘ったのもあるけれど,はじめてファッション性で「オシャレ野郎」(誰似?)の長男から「どこから買ったの?」などと言われ,珍しく真似されたという,心地よさもあったものだから。
そして,遥か昔の祖父の遺影も思い出して。

今年も酒田まつりに、やって来る!

2016年02月03日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
来る5月20日(だいたい16時らしい)2年ぶりでディズニーのパレードが,わが「酒田まつり」にやって来る。
しかも,スタート地点は会社の目の前から橋を越えたあたりだし,会社近くに借りている駐車場にいれば「車中でも見えそう」なロケーションだ。

今回はディズニー・シーのメモリアル・イベントのようだが,2年前は「ランド」だった気がする。しかも夏には希望ホールでショーもやった。
向こうは大きなプレゼントをしながらも集客を図るというビジネスなのだろうが,どっこい(たぶん)一生行かない人間にとっては,そこそこ物見遊山なイベントだ。

元々の酒田山王祭りは,四百年来の山車の行列に,笛や太鼓で鳴らす祭りだったが,今は黒と赤の大獅子を引き,子供たちを獅子の大口にくわえさせる「ぱっくん」なども加わり,とってもにぎやかさを増している。

県内で見ても,ディズニーが入り込む雰囲気もありつつ,ホールも充実しているので,先方もリサーチしていたのだろう。
て話は前も書いたかな?(苦笑)

前回はチョロッと観ただけだったが,今回もチョロッと観るのだろう。

追伸 前回は「口コミ」で伝わり,土壇場になり市の広報に掲載された。
名前どおりの役所仕事に怒り「もっと早くに告知すれば,親戚知人,あるいはネット等で話が広まり,来訪も増えるだろうに」などと申し立てた。
今回は,3ヶ月以上も前に広報されたのは,ほんの少しの前進だろう(受動態に変化ないだろうが)