アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

追悼,昭和60年(1985年)8月12日より39年..そして鶴岡の指揮者K氏の音楽は動く,動く

2014年08月12日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
アムール河の波
Амурские волны
"The Amur waves"


アムール河の波(合唱) "Амурские волны" (The Amur waves)



14th Joint concert...1983/6/19

私も所属した地元合唱団と隣市を代表する合唱団とで長らく続けていたジョイントコンサート。
・S58年(1983年)6月19日(土日に両市で演奏したと記憶)
・あちらの指揮者は当時,まだ新進気鋭だったK氏,合同ステージでこの曲を演奏,私も歌った。
・その団は過去に離合集散があり,パート・バランスも悪かったが,やがて(現在の)全国区になると想像させる音楽性を感じさせられた。
・仙台転勤時以降,長らく指導を得た,後に3度全国制覇するグリーンウッドハーモニーの今井邦男先生(現・全国合唱連盟副理事長)も「K氏の指揮はすごい」と早くから評価しておられた。
・真に合唱を動かす指揮,特に"1:23"のようなロシアン・ワルツを体感させてくれるような音作りが,そこにはあった。

・さて,癖の無いソリストのO氏は,当時,大卒4年目の25,26歳位で,声どおりニュートラルな性格の前途有為な青年だった。個人的にも同年代で団の若手でダブル・カルテットを組んだり,パーティーに行ったりと,仲間として付き合いをさせていただいていた。
・しかし,たかだか2年後の昭和60年(1985年)8月12日月曜日18時56分に発生,500余人もの死者を出し,坂本九氏らが無くなった日航ジャンボ機墜落事件当日にニュースを知ったのと前後して「O氏が海水浴場で,溺れかけた甥子さんらを救おうとして亡くなった」との訃報を受け,放心した。
・私は彼の顔を見るに辛かったが(思い残すことは多々あったろうけれど)傷つきつつも満足げな表情を見て,棺に「あの演奏は素晴らしかった」と記した楽譜を納めさせていただいた。故に,この楽譜の原本は私の許には無い。

・演奏としては指揮者の求めに対して「外声」中心に音楽性がスムーズでない。
・ソロ明けで展開部となる男声"ユニゾン"(2:17)の残念さ(私もその一人)が何とも言えない。
・ソプラノ(2:51から)のグリッサンドの利かせ過ぎには違和感を覚える。

でもやっぱり,K氏は,合唱表現者として,約30年後に全国金賞を得る器だったのだな,と思う。