アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

家から100m?小牧川水門で排水ポンプ車がフル稼働中

2018年08月31日 | 日常生活

夕方になり「避難準備」は解除。
ホッとしていたのもつかの間,支流の小牧川(ほとんど貯水池)の水門あたりでゴーゴーと音がする。
君子危うきに..チョイ近づいてみると,堤防の上に人と車両がぞろぞろ。

市役所に聞くと,小牧川にたまった水を閉じた水門の上からポンプ車で排水しているのだという。
確かに,この川は起点がすぐそこ,って感じで雨水くらいしか流れない,のでポンプ車ふぜいで何とかなるのだ。

理屈は良く分かるので,ホッとした。
が,今月は洪水の話でおなかいっぱい、勘弁してくれ!て感じだ。

西郷どんを観返して気づく「ソテツ」(蘇鉄)のこと。

2018年08月30日 | 野菜と草花の時間
島の奉行から島民に「食い物を作らず砂糖を作れ。食い物は海の魚を食えばいい」というような無理な指示があった。
また,西郷や大久保に,大事な食べ物として「ソテツの粥(かゆ)」が供されていた。

二度目で思い出したのは,生家にあったソテツの存在だ。
父はそれを「ソテツだ」と教えてくれた。
一本の細長い常緑低木,写真で見るソテツに似ていた,少なくともソテツ科の木だと思う。
↓写真はイメージです(笑)
ソテツ
ソテツを知らない人でも,親戚筋として,フェニックスやヤシノキを思い出すことができるだろう。

ソテツに物事の真実が隠されているとは思わず,この島(奄美大島)の回のシナリオには頷いた。
島民たちは,薩摩藩の懐を担う砂糖の生産が少なければ法外な仕打ちを受け,ろくに旨いものも食えない。
そうしたことはシナリオ上のことではなく,近世のことでもあることから証拠もあるようだ。

一方,我が家にあったソテツなるものが正しい意味でどの種類かは知らないが,形状からして亜熱帯以南のものであることは間違いない。
ソテツは自生では九州以南,手植えでも関東以南とされ,雪の降る北国の路地でマイナス気温や吹雪に耐えられるかは疑問だ。

それはそれとして,生家にソテツを植えてくれ,私が他の家から果実を盗んだりしないようにと様々な果樹を植えてくれた父や祖父にはこの齢になっても感謝するところだ。

キュウリ豊作対策その2浅漬け

2018年08月28日 | 野菜と草花の時間

単純に浅漬けにした。
「素」を切らしていたので、塩、少量の水、だしの素混合、昆布を入れてモミモミ。
味見したら、まだ青臭かったので、少し様子を見ることに、、

さて浅漬けになぜ水?
味付けだけだと水は不要だが、キュウリから水が出すぎる。
いわば浸透圧の関係で水は必要のようだ。

酒田移転より四百年超、由緒正しい?実家の店じまい(その2)

2018年08月28日 | 日常生活

実家の店じまいは、地元の古物商に見てもらう。
金になるものは少ないが、引き取ってもらえれば解体屋の代金は少し下がる(と期待(笑))

時代の古いものはハイエース一台分も引き取っていったが、特記事項が一つ。
古い三畳間にあった箪笥(たんす)だ。

求める間もなく、古物商は「この家は新潟からきたのか」と問うた。
右の黒い箪笥は酒田の、左の赤いのは新潟(越後)の古い箪笥だという。

予て思っていた「実家の先祖は上杉景勝の時代、戦国の世に新潟から来た」という言い伝えの謎が解けたのだった。

酒田移転より四百年超、由緒正しい?実家の店じまい(その1)

2018年08月28日 | 日常生活
我が家は私で三代目(J Soul Brothersではなく(苦笑))だが、実家はかなり歴史が古いようだ。
苗字が歴史を表す部分があり、、

時は戦国、越後の上杉景勝は秀吉より我が庄内を拝領し、直江兼続配下の人々が大挙して入領してきたそうだ。
そこに商家だった実家のご先祖もいて、酒田湊の、後の本町に定着したようだ(言い伝え)
逆に越後時代までの系譜は調べたが分からず、ということであったらしい。

墓石は元治元年建立(明治の前の慶應の、さらに前)となっている。
しかし明治時代に夜逃げ状態?で土地を離れ、婿の実家から肩入れしてもらって元の土地に戻ったという。

時代は昭和の終わり、実家には二人の娘がいたが、いずれも嫁となり、長女は我が家に来たため、実家の系譜は途絶えることとなったのである。

今般、歴史を紡いできた実家は取り壊すこととなり、名実ともに終焉を迎えることとなったのだ。