週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

親鸞聖人750回大遠忌・参拝旅行③

2011-06-23 00:03:11 | 近況報告

法要が終わると、新境内地に立てられた仮設の建物内で昼食タイム。

その名も『安穏弁当』です。

  

お味はまぁ…普通のお弁当だったようです。

昼食後、神奈川組は各お寺が選んだ観光地ルートへと移動するので、ここで解散。
最乗寺は本山を13時30分に出発し、名神道・東海北陸道を通り、一路飛騨高山へ。
バスで4時間ほどの行程です。
同じルートを選ばれたのは、宝光寺さんと善然寺さんの2カ寺でした。

  
山を越え、たどり着いたのは飛騨高山温泉・ひだホテルプラザです。
夕食は大広間の宴会会場。

  
ステージでは、最乗寺の世話人さんが熱唱です。
こうして、2日目の夜は更けていきました。


親鸞聖人750回大遠忌法要・参拝旅行②

2011-06-22 02:01:03 | 近況報告

団参旅行2日目。
いよいよ、本山の750回大遠忌法要に参拝です。

ここでいきなり余談ですが、神奈川組は総勢750名ほどの参加者だったので、一つの宿泊施設には収まりきれません。
なので、お寺単位でいくつかの宿泊施設に分散しなくてはならず、押さえた宿の中から住職方が希望を出し、コンピューターの抽選で宿が決定。
最乗寺は本山のお隣にあって、一番近い宿泊施設の京都東急ホテルを第一志望にし、抽選の結果、見事当選(過去の住職の引きを考えると、本当に珍しいことなのです)
おかげで、当日の朝は比較的ゆっくりとした出発時間になりました。

さて、東急ホテルを朝の8時に出発。
本山の様子はというと、現在はこんな状況になっています。

 

なんだか工事中のようにも見えますが、白く覆われた部分は参拝用の特設会場です。
期間中は1日に午前と午後の2回、法要が営まれ、それぞれの法要に数千人の参拝者が集ります。
当然すべてが本堂内に入ることはできません。
そこで、より多くの方が参拝できるように設けられたのが、本堂と一体化した特設会場です。
(実際のところ、本堂内の席より、屋外の特設会場の席のほうが数倍あります)

  

  
…お気づきでしょうか?
組内の抽選の結果、最乗寺は本堂内の席を頂戴することができました。(これまた大変珍しいことが重なりました)
住職が座った席から前を見ると…。

 
モニターも用意されていますが、肉眼で法要の様子を拝見することができます。

  

内陣のお荘厳もよく見えます。
手前の仏華も素晴らしいですが、その奥の厨子の中におられる親鸞聖人の木像を拝謁できる距離に座れたことは、何よりのご勝縁でした。

法要中は撮影禁止のため、写真はここまで。
ご門主さまのお言葉は、震災の被災者を慮った温かなものであり、この法要がすべての悲しみに寄り添うものとなるようにという強い思いがひしひしと感じられたと聞きました。
音楽法要も、多くの参拝者が事前に練習していたようで、幻想的な音楽と共に響き渡る経文の歌声に、一緒に唱えながらもウットリだったそうで。
会場の一体感を味わえた皆さんが、本当に羨ましいです。


親鸞聖人750回大遠忌法要・参拝旅行①

2011-06-21 01:21:24 | 近況報告

お待たせしました。
6月14日~16日の日程で出発した親鸞聖人750回大遠忌法要への参拝旅行。
神奈川組最乗寺参拝団の行程を、写真と共に紹介します。

 
6月14日は、新横浜駅に7時50分に集合。
誰一人遅れることなく、時間よりも早く全員が揃われました。

そして、この集合時間前集合(笑)は、これから始まる旅行中の全ての集合で行われたというから驚きです。
旅慣れた方が多かったのでしょう。
おかげさまで大人数の移動でありながら、滞ることなくスムーズに進み、次の行程へ移るときも最乗寺が常に一番に動けたと、住職が喜んでいました。


11時前に京都駅到着、最初の目的地は比叡山延暦寺です。

  

  
登って、登って、登って、大講堂に到着…お疲れ様でした。

東塔にある大講堂は、昭和39年に山麓坂本の讃仏堂を移築したものだそうです。
本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗祖の木像が安置され、下陣には釈尊を始め聖徳太子や桓武天皇など、仏教にゆかりのある方々の肖像画が掛かっています。

さて、ここ延暦寺にゆかりのある親鸞聖人の木像に、「そば喰い木像」と呼ばれるものがあります。

それはまだ親鸞聖人が延暦寺で修行していた頃のこと。
薬師如来の夢告にしたがって、京都の六角堂へ100日の間、参詣を続けました。
そしてそのとき、聖人は自刻の木像を身代わりに残していきました。
しかし、夜になると抜け出す聖人を怪しく思った他の僧侶たちの間で、「範宴(聖人の修行時代の名前)は女性のもとに通っているのではないか」という噂が立ち始めます。

そんなある夜、師である高僧から、蕎麦の振る舞いをするから皆を集めるように声が掛かります。
当然、現れることのない聖人を他の僧侶たちが糾弾しようとすると、どこからともなく聖人が現れて、蕎麦の振る舞いを受けました。
翌朝帰ってきた聖人に僧侶たちは驚き、聖人がいたはず場所を見ると、木像が鎮座していたのです。

こうして、この木像は「そば喰いの木像」「身代わりの木像」と呼ばれるようになり、現在は延暦寺の東塔にある大乗院に安置されているということです。


ということで、延暦寺を後にした一行は京都市内に戻り、龍谷ミュージアムを見学、1日目の宿である京都東急ホテルへと移動しました。


井上雄彦画 『親鸞』

2011-06-19 02:30:11 | 近況報告

ネットで購入した品物がついに到着。

東本願寺は親鸞聖人七五十回御遠忌を記念して、漫画家・井上雄彦氏に「激動の生涯を送った親鸞聖人の生き様」をテーマに屏風絵の制作を依頼しました。
井上雄彦氏は、『スラムダンク』をはじめ、『バガボンド』『リアル』など数多くの大人気コミックを生み出した漫画家です。

本来ならば、関連グッズは制作せず、屏風絵を東本願寺のみで拝観できるというだけのものでしたが、3月に起こった「東北関東大震災」によって対応を変更。
被災者支援のために関連グッズを制作し、収益金をすべて義捐金として赤十字に寄付すると発表。
そしてその一環として、2012年3月31日の大遠忌法要が終了するまで、委託による通信販売も開始されました。

義捐金となるということで、自腹で数点を購入。

     

     

上(左隻)・親鸞聖人お一人のお姿。
下(右隻)・民衆と共に川をお渡りになられているお姿。

実際の大きさはというと…。

       携帯と比較すると、このくらい。

ミニチュア屏風です。
しかし、小さいながらも筆の勢いや静けさなど、躍動感が伝わってくる作品です。

一緒にポスター(縦30cm×横100cm以上の大きさ)も購入しましたので、こちらは額に入れて本堂に飾れたらいいなぁと画策しています。

井上雄彦氏がこの屏風絵を描くにあたって、どのように対峙したのかは、「同朋新聞 マンガ家 井上雄彦 親鸞を描く(PDF)」に公開されているので、こちらをご覧下さい。


…団参の記事を書くとか言って、また横道にそれてしまいました(汗)
次こそは団参をっ。


人はみな、救われるべきもの

2011-06-18 02:28:20 | 仏教小話

先日NHK総合で放送された『歴史秘話ヒストリア』。
テーマは「人はみな、救われるべきもの~法然と親鸞 探求の道~」でした。

ご存知のとおり、今年は親鸞聖人七五〇回忌にあたります。
そして同時に、法然上人八百回忌にあたる年でもあります。

法然上人と親鸞聖人の年の差は40歳。
お2人が接せられた期間はたったの6年。
そして親鸞聖人は師である法然上人の亡き後、50年もの間お念仏の道を歩まれました。

分かっていたことではありますが、改めて数字に書き表すと、孤独な求道に光を差し込んで下さった法然上人との6年の歳月と、流罪によって師から引き離されるまま、二度と逢うことの適わなかった親鸞聖人の悲しみが、ひしひしと伝わってくる思いがしてきます。


不安と絶望が蔓延していた時代、法然と親鸞は、自分は救われないと思い込んでいた人々の心に希望を与えました。
法然は、それまでの常識をひっくり返し、身分や財力に関わらず、救いの対象として「人はみな平等であるのだ」という画期的な考え方を広めました。
そして親鸞は、法然の思想を受け継いだうえで「人間一人一人が己の抱える矛盾や苦悩とどう向き合っていくのか」を身をもって考え続けました。
どんな人にも価値があることを見出し、どう生きるべきか考えるきっかけを作ったこの師弟2人は、日本人の意識を変えていったのです。


以上は番組内でのエピローグのナレーションの一部です。

修行や寄進によって徳が積まれ、その積まれた徳が高ければ高いほど、極楽浄土に往生できると信じられていた時代のこと。
誰にでも称えることのできる念仏は、言うなれば程度の低い修行方法でした。

しかし、すべての人を救いたいというのが阿弥陀仏のもともとの願い、つまり本願であるならば、「阿弥陀仏にすべてをおまかせします」という意味の「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることこそが、極楽浄土へ往生することのできる行いである。
そして、それはすべての人を救うために極楽浄土をおつくりになられた阿弥陀仏自身が選ばれた行いなのだ。

中国の高僧・善導大師の記した言葉から法然上人は、阿弥陀仏の前では身分など関係なく、僧侶も貴族も武士も庶民も、誰もが等しく愚かで至らぬ凡夫であり、誰もが等しく救われるべき存在として、念仏さえ称えれば誰もが極楽浄土に往生できるという「専修念仏」を広めていかれました。
それは念仏の価値観を180度ひっくり返した教えでした。

そして、仏の道を阻む己の中の消し去れない煩悩に苦しんでいた親鸞聖人は、都の一角にあった法然上人の庵を訪ね、「煩悩を消し去れないからといって仏の道に外れるものではない」という言葉に言い尽くせないほどの感銘を受け、法然上人の門下へと入られたのです。

…というのが前半部分。
この後から親鸞聖人のお話になるのですが…お通夜の後で、気が疲れて寝てしまいました。
本当にゴメンなさい。

さてさて、そもそも法然上人と親鸞聖人は、比叡山延暦寺の修行僧でした。
比叡山は京の都の北東にあり、日本の天台宗の開祖・最澄によって都の鬼門にあたるこの場所に建立された寺院です。

その比叡山延暦寺が、今回の団体参拝旅行の最初の訪問場所でした。
というわけで、次回からはそちらのお話へと移っていこうと思います。

ちなみに、『歴史秘話ヒストリア』の「法然と親鸞」の回は、6月22日(水)16:05~16:48に再放送されるようなので、団参に参加されていたり、寝てしまったり(笑)で見逃してしまった方はどうぞご覧下さいませ。
私も絶対に見ますっ!