週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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人はみな、救われるべきもの

2011-06-18 02:28:20 | 仏教小話

先日NHK総合で放送された『歴史秘話ヒストリア』。
テーマは「人はみな、救われるべきもの~法然と親鸞 探求の道~」でした。

ご存知のとおり、今年は親鸞聖人七五〇回忌にあたります。
そして同時に、法然上人八百回忌にあたる年でもあります。

法然上人と親鸞聖人の年の差は40歳。
お2人が接せられた期間はたったの6年。
そして親鸞聖人は師である法然上人の亡き後、50年もの間お念仏の道を歩まれました。

分かっていたことではありますが、改めて数字に書き表すと、孤独な求道に光を差し込んで下さった法然上人との6年の歳月と、流罪によって師から引き離されるまま、二度と逢うことの適わなかった親鸞聖人の悲しみが、ひしひしと伝わってくる思いがしてきます。


不安と絶望が蔓延していた時代、法然と親鸞は、自分は救われないと思い込んでいた人々の心に希望を与えました。
法然は、それまでの常識をひっくり返し、身分や財力に関わらず、救いの対象として「人はみな平等であるのだ」という画期的な考え方を広めました。
そして親鸞は、法然の思想を受け継いだうえで「人間一人一人が己の抱える矛盾や苦悩とどう向き合っていくのか」を身をもって考え続けました。
どんな人にも価値があることを見出し、どう生きるべきか考えるきっかけを作ったこの師弟2人は、日本人の意識を変えていったのです。


以上は番組内でのエピローグのナレーションの一部です。

修行や寄進によって徳が積まれ、その積まれた徳が高ければ高いほど、極楽浄土に往生できると信じられていた時代のこと。
誰にでも称えることのできる念仏は、言うなれば程度の低い修行方法でした。

しかし、すべての人を救いたいというのが阿弥陀仏のもともとの願い、つまり本願であるならば、「阿弥陀仏にすべてをおまかせします」という意味の「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることこそが、極楽浄土へ往生することのできる行いである。
そして、それはすべての人を救うために極楽浄土をおつくりになられた阿弥陀仏自身が選ばれた行いなのだ。

中国の高僧・善導大師の記した言葉から法然上人は、阿弥陀仏の前では身分など関係なく、僧侶も貴族も武士も庶民も、誰もが等しく愚かで至らぬ凡夫であり、誰もが等しく救われるべき存在として、念仏さえ称えれば誰もが極楽浄土に往生できるという「専修念仏」を広めていかれました。
それは念仏の価値観を180度ひっくり返した教えでした。

そして、仏の道を阻む己の中の消し去れない煩悩に苦しんでいた親鸞聖人は、都の一角にあった法然上人の庵を訪ね、「煩悩を消し去れないからといって仏の道に外れるものではない」という言葉に言い尽くせないほどの感銘を受け、法然上人の門下へと入られたのです。

…というのが前半部分。
この後から親鸞聖人のお話になるのですが…お通夜の後で、気が疲れて寝てしまいました。
本当にゴメンなさい。

さてさて、そもそも法然上人と親鸞聖人は、比叡山延暦寺の修行僧でした。
比叡山は京の都の北東にあり、日本の天台宗の開祖・最澄によって都の鬼門にあたるこの場所に建立された寺院です。

その比叡山延暦寺が、今回の団体参拝旅行の最初の訪問場所でした。
というわけで、次回からはそちらのお話へと移っていこうと思います。

ちなみに、『歴史秘話ヒストリア』の「法然と親鸞」の回は、6月22日(水)16:05~16:48に再放送されるようなので、団参に参加されていたり、寝てしまったり(笑)で見逃してしまった方はどうぞご覧下さいませ。
私も絶対に見ますっ!