では昨日の続きです。
電車を乗り継いで向かった先は、例の如く築地本願寺。
東京青年僧侶協議会(東青僧)の総会に出席してきました。
しかし目的は総会ではなく、その後の記念講演。
テーマは【「いま私達にできること」~過去の東青僧災害支援から学ぶ~】でした。
4名の講師によるパネル・ディスカッションで、そのうちの1名が神奈川組蓮向寺のご住職、もう1名が過去に記事にした旧友でした。
東青僧は今回の東日本大震災に対し、東京教区教務所と連携しながら、発生当初より災害支援に取り組み、水などの物資の調達を始め、物資の運搬に奔走していました。
時に本山とのシガラミに苦心しながら、それでも自らの睡眠時間や休みを削って走り回っていた築地の別院職員さんたちと共に、自分たちにできることを必死に模索し、微力であっても未曾有の災害に遭われた方々のお力になりたいという衝動が、私を含め多くの会員を動かしました。
支援の形はボランティアとして現地へ赴き、復旧・復興のための作業に従事するという活動を継続しながら、現在は事務局長である旧友が中心となり、築地別院の食事処「紫水」の料理長のご協力のもと、福島県田村市で原発事故によって避難を余儀なくされた方々への炊き出しなども行っています。
このような災害時への対応が東青僧独自の取り組みによって行えるようになったのは、「ボランティア元年」と言われる阪神淡路大震災のときに奔走された諸先輩方の活動が根幹にあります。
そして、そのとき中心となったのが、蓮向寺のご住職でした。
阪神淡路大震災は、戦後初の未曾有の震災だったこともあり、行政が一切機能しなかったとのこと。
いろいろな団体や個人での支援者が被災地へ入ったことで、自治的なボランティアセンターが立ち上げられたそうです。
東青僧は浄土真宗の北海道青年僧侶協議会(北青協)が立ち上げた「六甲庵」というセンターに参加する形で、支援を始めました。
2年半の活動で、30回の神戸入り、そのうち10回は仮設住宅への慰問だったそうです。
正直なところ、諸宗派に比べ、本願寺派の初動はかなり遅れたものでした。
そのことを被災者から避難されたことも…。
しかし、活動に参加していた僧侶から発せられた「現地に最後に入ったのならば、最後に出たのは真宗だったと言われる活動をしよう」という言葉が、若い僧侶たちを突き動かしました。
そして、被災者のために建設された仮設団地の抽選に、支援していた仮設住宅の最後の一人が当たるまで活動を続けたとのことでした。
…長くなったので、続きは次回に。