週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

音楽法要の補足説明

2011-06-26 01:39:49 | 近況報告

今回参拝した本山での法要の一番の特徴は、音楽をメインにした法要でした。

この音楽法要では、始まりと終わりに、親鸞聖人がお弟子に宛てられたお手紙(ご消息)をご門主が拝読されます。

始まりに読まれたご消息。

  弥陀の本願と まふすは 名号をとなへんものをは
  極楽へ むかへんと ちかはせ たまひたるを
  ふかく信じて とはふるか めでたき ことにて候なり

終わりに読まれたご消息。

  この身は いまは としきはまりて さふらへは
  さためて さきたちて 往生し 候はんすれは
  浄土にて かならす かならす まちまいらせ そふらふへし

この二つのご消息は、もともと1通のお手紙の中にある一文で、ご消息集でいうと26通目の有阿弥陀仏というお弟子に宛てられたお手紙になります。

実際にお聞きになられた方でも、意味までは分からない方のほうが多かったことでしょう。
ここで、このお手紙1通分の現代語訳を載せておきますので、思い返してお読み下さい。


おたずねになりました 念仏往生に関しての疑義について、ご返事。

念仏を申して 浄土に往生すると信じる人は、浄土の外れである辺地にしか往生することができない、といって避難されるというのは、まったく理解できないことであります。

その理由は 弥陀如来の本願というのは、仏の名号を称えるものを極楽に迎えいれようとお誓いなさったのであって、それを深く信じて、その名号を称えるのが殊勝なのであるからです。

信心があるといっても、名号を称えないのであればその甲斐がありません。
またひたすらに名号を称えるといっても、信心が浅ければ浄土に往生するのは困難であります。

要するに、名号を称えても他力の本願を信じないのであるならば、辺地に往生することになるでありましょう。

本願他力のはたらきを深く信じる人びとが、どうして辺地などへ往生するでありましょうか。

このあたりの事情をよくよくお心得になって、お念仏なさってください。

この私は、いまはすっかり年をとってしまい、きっとあなたに先立って往生するでしょうから、浄土であなたのおいでを必ずまっております。

七月十三日
有阿弥陀仏へ ご返事


この現代語訳は、霊山勝海師著『聖典セミナー 親鸞聖人御消息』より引用させていただきました。