遺伝子を疑うことはない。
朝、鏡に映る自分の顔を見るたび、そう思う。
それがいいのか悪いのか。
似ていると言われて、素直に喜べない自分がいる限り、化粧が念入りになるのは止められない。
平日は教員、土日は僧侶になるその背中を見て育った。
休む間もなく働き続けて家族を養い、それでも家族を顧みることを忘れなかったあの頃。
一人奮闘しながら多くの人と関わる中で感じ続け、目を逸らすことのできなかった人間の心の闇。
「食欲と同じで、人は差別をすることで何かが満たされる」
教員を辞めてから17年、年中無休で僧侶となった今も、あの時と同じ人間の心の闇と向き合っている。
あんまり無理はしないでと、その背中に言いたいときもある。
だが、反対に無理はするなと言われるのが分かっているから。
あきれるほど自分本位な人間がいるように。
あきれるほど自分のことを後回しにする人間がいてもいい。
そういう人の傍で大きくなれたことを幸せに思う。
気がつけば、もうすぐ父の日。
だが、今年も特に何もする予定はないと、堂々書けてしまえることが恥ずかしい。
もっとも本人も、母の日同様、父の日なんて忘れているだろう…いや、忘れててくれ。
「ありがとう」などと一言では言い尽くせないほど感謝している。
けれど、そのたった一言を言えるほど、私が素直に育たなかったのが敗因。
今度、意味もなくミスドのドーナッツでも買ってこよう。
それだけで喜んでくれる素直な人柄が、本当にうらやましい。
そこらへんの遺伝子に関しては、疑いの余地はかなり残っているのだが…。
鏡に映る顔を見れば、その疑いもまた、不本意ながらすぐ否定するのだろう。
だから、不本意だけど、この顔は私の誇りなんだ。