ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

海猫街

2006年10月30日 01時23分23秒 | 雑記
今日は友人に誘われて、劇団桟敷童子『海猫街』を観に行きました。もともと演劇を観る機会はほとんどなく、もちろんこの劇団の公演は初めてです。

劇団のサイトを見た印象は、
ごめん俺、こういうの苦手。
ウザいかも。
だったので、まったく期待していなかったし、正直かったるいなぁと思って出かけました。
だってさ、サジキドウジって読み方からして怪しいですもん。

ちょっといいですか?
素晴らしいっす!!!
板垣桃子さん、素敵です❦
魂のこもった演技とでも言えばいいのでしょうか、それとセットにも迫力があり、圧倒されっ放しでした。
ヤバいですよこれ。あと2,3回は観たいかも。
軽薄なヤツで、ホントすいません。

で、アホっぽいまま終わってもいいのですが、思ったこと、感じたことを少しだけ書いとこうかなと。書いたところでアホに変わりはありませんが。内容にも触れますので、観る予定がある人は、この先は読まない方がいいかもしれません。

舞台は日露戦争後の海辺の廃れた街で、海賊の末裔が住む嶽崎集落と、海女たちの景浦集落があり、景浦の人たちはいつも嶽崎から虐げられて生活していました。そこに玄海憂鯨社の連中がやってきて、海底の石炭を狙って近代化の名のもとに海を奪おうとします。石炭の価値を知らない集落の連中は、ただ自分たちの街と海を守りたいがために、「和解」して戦おうとするのですが…

善悪の二元論だけで解釈できるような単純な話ではありませんでした。誰が正しくて誰が間違っているかなんて問題じゃない。第三者から見て何も悪くないイサナが、すべては自分のせいだと自分を責めているのですから。それに、嶽崎集落の連中は、蔑んだかと思えば海の守り神として称えたり、ラストシーンを除いては一度だってイサナのことを人間扱いしていないのです。それにくらべて、憂鯨社の会長の方がいくらか人間らしかった場面も描かれていましたしね。

前近代と近代の相克の物語であるのは事実ですが、そう簡潔にまとめるつもりもありません。ロシアという共通の敵を前にすれば、登場人物はみんな同志のはずだった。でも、やはりわかり合えなかった、共生はできなかった。そして最後には何もなくなってしまった悲しい結末。

現代社会へのアンチテーゼなんて、あまりに不粋で、口が裂けても言えません。自覚がないだけで、自分たちだって富の収奪に加担しているのだから。チョコレートなんて見たことがないという幼い少女がカカオ豆を穫っていると知っても、チョコレートを食べるのはやめられませんし、近代的な生活からは抜けられません。

とまあ、つまらないことを書き連ねてしまいくらい、物語を強烈に喉元に突きつけられたような感触が残っているのは確かです。
いや、小説にしてもいけるレベルだと、素人の僕なんかは思いましたね。公演を観た人の記憶にしか残らないのは、あまりに勿体ないと思うから。それが舞台の醍醐味なのかもしれませんが。
関係ないけど、松尾スズキが芥川賞にノミネートされたのも、これで納得しました。