ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

英語の前に建国神話を教えるべし

2006年04月23日 23時28分32秒 | 雑記
母と電話で話をした。
大阪の図書館で思いもかけない蔵書がみつかったので、東京に閲覧しに行く必要がなくなったなどという話をしているうちに、話題は宗教へ。

「『ダ・ヴィンチ・コード』なんか読むと、キリスト教ってスケールが大きいから、必然的にストーリーが面白くなるよね」と僕が言ったところ、

「うん、そうやねぇ。日本語と読み比べる時間がなかったから英語で読んだけど、500ページくらいでさっと読めて面白かったな。特にマグダラのマリアあたりは」とのこと。やっぱり変わった人だわ。

「日本では古事記や日本書紀の内容を知っている人なんてごく一部だから、あんなテーマはできにくいね」という感想をぶつけてみたところ、ヨーロッパとアメリカにも、その違いがあるということを聞いた。
歴史のないアメリカに対して、ヨーロッパではたとえば「城」や「廃虚」といった言葉から思い浮かべる共通のイメージがあるのだとか。
それを「リテラル・コンなんとか」(笑)っていうらしいよ。

歴史のある国なのに、もったいない話である。
たかが神話だが、されど神話、である。
結局、GHQによる国家神道の解体によって、日本人の共通意識が根絶やしにされたということか。

では仮に、小学校のカリキュラムに建国神話が含まれていたとして、その根底にメスを入れる、『ダ・ヴィンチ・コード』のような作品が現れたとしよう。
きっと右翼に「てめえ、ぶっ殺すぞ!」と脅されるだろうし、そんな問題作を、大手の出版社が派手に売り出すことはないだろう。
結局日本では、神話をテーマにした問題作が大ヒットすることは、当面はなさそうだ。

とまあ、他愛のない話ではあったが、以前からギリシャ神話への関心が高まっていたのは、つまり「リテラル・コンなんとか」への願望だったのだということが理解できたし、久しぶりに手塚治虫の『火の鳥』を読みたいなと思ったり、それなりに有意義ではあった。

結論:
流行りものに手を染めたくない人にも、『ダ・ヴィンチ・コード』はおすすめです。