「雨が降らなければ 虹は見られない。」
止まない雨はない。
自分で言うのも何だけど、年齢の割には小さい頃から今まで、普通の人よりは苦労をしたかと思います。
「占い」や、「神様」とかも、昔は全く信じていなかったけど、最近はほんとに居るんじゃないかな~っという風に考えています。
でないとつじつまが合わない位、最近は身の周りで運命的な出逢いや、出来事、自分や周りの人間にも良い事が次々と、自然と起こっており、また不運だったと思う出来事さえも、今改めて考えてみれば、それは非常に「良かった事」なんだという風に解釈できます。
というように、そういったようなものが本当にあるのかどうかはわかりませんが、今まででは考えられなかった位に「運気」というものが上昇しています。
「その人にとって乗り越えられない試練は訪れない」と言いますが、ほんとそうなんだと思います。
「ピンチはチャンスでもある」のと同時に、「ボクシングも人生も全く同じ」ものですね。
「悩み」や「ピンチ」も大きければ大きい程、それを「乗り越えた時」に、その人自身を、その分「大きく飛躍」させてくれます。
それを何度も繰り返し、悩んだ時や、ピンチが訪れた時にこそ「わくわく」できたり、それさえも「楽しむ」というところまでの、「心の余裕」ができている時にこそ、「人は自然と強くなっている」ものだと思います。
「探究心」
これが無ければボクシングを楽しむ事は不可能かもしれません。
単なる「運動」をやっているに過ぎないといえます。
逆に言えば「探究心」さえあれば、ボクシングをどこまででも楽しめます。
書店に置いてある、ボクシングの本なども読んでみたりすると、今更そんなのも読むんですか~と言われたりもしますが、ちょっとわかりだしたかなと思ったら、また基本に立ち返ってみたり、こういう考え方もあるのかと参考にしたり、ほんと永遠に「完成しないもの」を「完成に近づくように追求していく」のかといった感覚です。
ゲームや、パズル、おもちゃだったら、「完成」してしまった時点で飽きてしまいますが、
ボクシングなんてものは「誰が相手でも1発も貰わずに自分だけが当てる」なんて事は現実問題として不可能な訳で、ボクシングに於ける「完成」なんてものは実はなく、いかにパンチを打たれずに打つか、自分としては、その終わりのないもの、決して完成する事はないものをいかに「完成」になるように「近付けていく」、「追求していく」のかといった感覚です。
イチロー選手は大記録を達成した時に言いました。
『小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています』
物事をより良くしようと思えば、こういう「積み重ね」こそが一番大事な事だと思います。
また、ひょっとしたら、ずっと「子供に帰ったような」気持ちで、「頭」と「体」を使って遊んでいるのではないかと思います。
そう考えてみると、大人になって社会の常識、空間にどっぷり浸かるよりも、なんか「子供の頃」の懐かしい、「自由」に遊べた感覚の方が、ものすごく楽しかったりします。
けどこれが人間本来持っている一番「自然」な事なのではないでしょうか。
そういう意味では、この空間は社会の枠や、常識とは「逆」にいってるかもしれませんが、それが自分にも、みなさんにとってもいいのだと思っています。
「楽しむ」事、「遊び心」を忘れずに、これからもみなさん共に、一緒にボクシングをやっていきましょう。
なんか長い事ボクシングの録画DVD観てなかったけど、今朝早起きしたので、ちょいと前のボクシングも面白いな~て観ていました。
試合中継前に、選手の生活とか、ドキュメンタリーの映像が今と比べて長いんですよね
その選手のリングに上がるまでの「生い立ち」や置かれた「環境」、「精神」が映し出され、そして試合が始まってもそれがやっぱり「闘い方」だったり、「身体」だったり、「スタイル」だったり、その人の持つ臆病さや、勇気、決断力、大切にしているもの、守るもの、背負っているものといったその人間の持つ「本質」がそのまま出るんですよね。
どちらかというと試合自体よりも、そんなリングに上がるまでの映像の方が好きでした。
そんな見方をしてた自分は、最近は試合自体がすぐに始まったりするのがちょっと寂しい感じがします。
まぁ知ろうと思えば他でドキュメンタリーを組んでいますけど。
ボクシング自体の「技術」として観てもいいけど、その人の歩んできた「人生」として観たら、すごく面白いんですよね。
そういう目線で観ると、それぞれに何か感ずるもの、「感動」できるものがあったりします。
試合に「挑む」その時々によっても違いますしね。
辰吉選手は自分の試合を『作品』とずっと言っていました。
いい「作品」を創りたい。
ほんと自分の人生に於ける「作品」なんですよね。試合自体がその人の人生であり、アートな感覚なんですよね。
長らくプロボクシングの試合自体観に行けてなかったのですが、4/8のトリプルタイトルマッチは地元神戸で開催される事になったので、不思議なご縁で行かせて頂く事になりました。これもまた運命なのかなと。久々の生観戦なのでちょっと楽しみです。
今日話してたら、併せてジム生の方や、ご家族の方も行かれるようで、ほんとみなさんここに来られてボクシングが好きになって頂けてよかったな~、嬉しいな~と思います。
この空間は、各個人が「ボクシング」を「自由」な形で「楽しむ」事をして頂きたいと思っています。
自分自身の目的により、やりたいスタイルでボクシングをやって頂き、ああしないといけない、こうしないといけないと型に嵌めるような事はしません。
ですが、自由と「何でもやっていい」事とはまた「別」です。
ルールというよりも、ほんと最低限の事としてですが、ボクシングとしてやっている時間はサンドバッグを「蹴らない」ようにお願いします。
大多数の人がボクシングを楽しむ空間として使って頂いているので、わざわざこんな事まで言いたいのではなく、言う事自体が非常に心苦しくて嫌なのですが、言わざるを得ない感もありますので宜しくお願い致します。
一部入会案内、時間に変更があります。詳しくはホームページをご確認下さい→KSBC
会員専用ページ、内容と共にパスワードを変更しています。
(スパーリング予定、動画、設置DVD等の記載)
パスワードはメール頂くか、ご本人より直接お尋ね下さい。
日曜日の16:50~17:00、コーチングの時間を作ります。
より上手くなりたい方や、教えて欲しい事などがあればサポートしますので、こちらもメール頂くか、ご本人より直接お尋ね下さい。
最近、家族で仲良く来られる方もほんとうに多いです
家族が仲良くできる事、想っていた事が「形」になるって本当に素晴らしい事で、こちらとしても嬉しい限りです
昨日は、奥さんが、「旦那がボクシングもっと早くにやっておけばよかった~っ」と、今まで見た事も無い位に家で悔しがっていたそうです。
ほんと、それ位ボクシングと「出逢った」事で、何か得られた物があったり、楽しんで貰えてるんだと思うと、それが何より一番嬉しい事です
けど、ボクシングは何歳になっても、「自分ができる」と思えばできるスポーツです。
自分自身も「もっと早くに出逢っていれば」、と思う事もありますし、途中離れる運命や、その他色々ありましたが、結局また違う形でボクシングと出逢えてるので、これも運命だなと思い、これでよかったのだと今は思っています
ほんと、自分がこれだけ想い続けていられるのは今までやったスポーツの中でも、それ以外の事でもボクシングだけです。
ボクシングが好きでいる周りの人間も、それだけ熱意のある人も居て、こんなシンプルな競技で、それだけの何か人間にとって不思議な「魅力」があるんだと思っています。
ボクシングが好きでいて、ボクシングが好きな人に囲まれて、なんて自分は幸せなんだろうと思います
また、色んな人と出逢えるのもこの仕事の魅力です。
今日も「一期一会」の素敵な出逢いがありました。
残念ながらうちは夕方以降の時間はやっていないので、ここでは出来なかったのですが、ボクシングすごい楽しいです、ボクシング絶対します、すぐしたいですと終わった時には眼を輝かせて言ってました。
これも人との出逢いであり、ボクシングとの出逢いです。
「誰」と出逢うかで、「何」と出逢うかで「人生」は変わります。
全ての出逢いに感謝
今日はここでボクシングと出逢った方で、仕事の都合で、次から大阪のジムに通うことになった方が居ましたが、またこちらのジムにもたまに来てくれるそうです。
またいつでもお待ちしてます~
自分が言う「楽しむ」というのは「楽」を求める事では決してない。
ボクシングというスポーツを「楽しむ」にあたっては
「しんどい」、とか「辛い」という事に自分自身から「向かっていく」感覚がないととても「楽しめない」
もし、「楽をしたい」と本気で思うのであれば、ボクシングにはとても向いていないと思う。
人間「楽」を求めるようになっている。事実、「楽」を求めた人間は、この空間を去っていく。
「しんどい」事と、「楽な」事があれば、「しんどい事を選択」する方が、自分を高めるのは間違いない。
そしてそれを乗り越えた時にのみ、乗り越えた人こそのみ、「成長」という喜びをきっと感じる事ができる。
人間、草や木や花、ペット、子供などといった身の周りの「成長」を見るのが楽しいのと同様に、「自分自身の成長」こそが実は一番楽しいものではないだろうか。
それでももし、「楽を求めてしまう」、「自分自身の成長は楽しめない」というのであれば、やはりボクシングも、この空間も向いていない。
けど、自分はそれでいいと思っている。
その分、「頑張ろうとする人間」、「向かっていく人間」に力を注げるから。
ボクシングをわかってもらおうとしても、いったいどれだけの人に、本当の意味でボクシングをわかってもらえるのかはわからない。
思い返せば、「運命」に導かれるように、ボクシングの面白さを「伝えたい」と思って始めた事だけど、伝わらない苦悩というものは確かに存在する。
つい先日、友人の言葉に気付かされる事もあったが、「100%」を求めてはいけないのかもしれない。
けど、物事に於いて「100%に近ずこうとする努力」はやはり必要だと思う。
その結果として、80%になろうが、60%になろうが、何%になろうが、それは全て「結果」でしかない訳であって。
もし、「試合をしなければ頑張れない」というのであれば、ここに居る人間には、そんなものはいい訳だと思っている。
もし、「お金」の為、自分をよく見せたいという己の「欲」の部分や「飾り」であるならば、そんなものはきっとない方がいい。
お金など、必要ではあるが「重要」ではない。
余分なものを、できる限り「排除」した、「削ぎ落とした」形でやっていきたいと自分は思う。
それこそが自分の求める「形」である。
「試合」とは文字にすると『試』し『合』いと書く。
試合をしてみたいという者も居たが、一体何を試したいのだろう。と思った事がある。
常に「結果」が求められる世の中だけど、ボクシングは「減量」して、「練習」して、リングに上がるまでの「過程」こそが一番尊いものであり、また、そこにこそ意味があると考えている。
「ストイック」でないときっとできないスポーツである。
相手に勝つ前にまず、自分自身に勝たなければいけない。
ここに来る人たちは「結果至上主義」の社会、世の中の風潮に疲れ果てて、来ている人もきっと多いと思う。
だからこそ、この空間だけは「過程」こそを大事にしたいと思っている。
もちろん「結果」も大事ではあるが、「過程」があってこその「結果」であり、順位としては「どう挑んだか」の「過程」の方こそが重要である。
そして、この空間には自分自身を「試す」環境はいくらでもある。
例えプロと試合をしたとしても負けないレベルまで自分自身を高める事も可能である。
もしかしたらそんなもの、世間一般で言われる「ボクシング」ではないと言われる事もあるかもしれないが、それこそが自分の求めるボクシングの形であり、この空間こそでもある。
深く考えてみたら、もしかしたらボクシングではないのかもしれない。
一般的なジムのように、試合をする訳でもないし、自分自身が実戦練習の相手もしたり、何か掴んで欲しいな、動きも取り入れて欲しいなと思ったりする。
しかし自分はそれがいいと思っている。また、それこそが自分流だと思う。
この空間に来てくださっている方だけには、本来人間の持つ「卑しい」部分、お金、飾り、欲を捨てた、そういう枠を超えたところで、「自分自身」をより高めるために、「自分自身」と向き合い、それぞれが何かを掴んで頂きたい。
ボクシングを通じてそれが伝わって頂ければと切に願います。
つい先日、自分はスポーツよりどちらかというと武道という感覚でやっていますと、言ってられる方がいらっしゃいましたがなるほどな~、そういう捉え方もあるのかと。深くは考えた事なかったけど、自分の中で改めて考えてみたら、やはり「両方」を意味するのかなと思いました。
(武道-Wikipedia)
読んでみると、色々解釈の違いはあるようだけど、自分の中では、上記で書いてある中の、
が「全てそう」であるという考えです。
ただ「イメージ」としては、スポーツは今風で、気軽な、軽い感じ。(いい意味でも悪い意味でもとれる)
武道は古風な重い、固い感じ(いい意味でも悪い意味でもとれる)というのがあります。
自分としては「バランス」を重視するので、どちらでもあり、どちらでもないのかなと。
どちらかへの偏り、「過ぎ」るのではなく、ちょうど「中間位」の感覚です。
面白かったのが、先日あるご縁で、9つの性格テストというものをやってみて、どんな結果だろな~と楽しみにしてたら、全て1点違いの、どうともとれる結果が出て、あ、そうか、なるほどな~なんて思いました。
ボクシングスタイルもボクサーファイター、というかファイタータイプもボクサータイプも好きだし。
オーソドックスも、サウスポースタイルも均等にやりたくなるし。
サッカー日本代表の、本田圭祐選手はバランスを意識して「時計を両手に付ける」という感覚もわかります。
また、「ネーミング的」にスポーツとしているのは、気軽な感じで、型に嵌らない、自由なスタイルであっても、技術を高めて欲しいという意味があります。
最後の「技術を高める」というのが重要で、これなくしては「単なるエクササイズ」になってしまい、ランニングマシンや、バイクを漕いでいるのと同じであまり面白くはないでしょう。
そんな大半の人、現在のジム生で割と長くやっている方でもそうですが、「練習の為の練習」になっている事がほとんどです。
ボクシングは空手や、エアロビ、ダンス、などの「型」ができればいい、「型」を競うものとは違います。
フォームができただけで「満足」してはいけません。
ある程度の基本フォームが身に付いたら、上手くなりたいなら「実戦を想定した練習」が大事です。
これに「気付く」人、と「気付かない」人では技術面に「大きな差」が出てしまいます。
ほんとに上手くなりたい人は、その辺の「意識」を変えないと、それ以上の「進歩はありません」
ここは特に大事なのでもう一度言います。
ほんとに上手くなりたい人、技術を高めようという人は、
「練習の為の練習」ではなくて、
「実戦の為の練習」をしなければいけません。
単にエクササイズのみが目的で、上手くなりたくない人は別ですが。
けどどうせやるなら人間、上手くなりたいとやっぱり思うはずだし、けど、ほとんどの方が「気付かない」のでいっそこの際ブログに記載する事にしました。
やはりこちらとしては「スポーツ」である以上、「技術を高める事」を目標にして頂きたいものです。
(※ここでいうスポーツは、スポーツクラブのスポーツとは違います)
ボクシングは拳2つだけを扱う、「シンプル」なスポーツです。
「シンプル」であればある程、「奥が深い」ものです。
深さを「何㎝掘れるか」は「自分次第」です。
「数㎝しか掘れない人」もいれば、「ものすごく深いところまで掘れる人」も居て、それは人様々です。
どうせやるなら「上手く」なる事を目指しましょう。
でないとボクシングの「本当の楽しさ」はきっとわかりません。
「去る者追わず、来るもの拒まず」「求めよ、さらば与えられん」
求めない人には与える事ができませんし、求める人にこそ与える事ができます。
「心・技・体」
まずは「自分を高めよう」、「技術を高めよう」とする「気持ち」が一番大事です。
その上で「体」を作り、またその上で「技術」を積み上げて下さい。
また、「人間力」なくして「技術的進歩」はありません。
しかし、逆もまた然りで、「技術的進歩がある」という事は「人間的成長」を遂げていると言えます。
高めようとする人にはそれだけの環境があります。
こちらはサポートはできます。
けどそうするかどうかは結局のところ、体を扱う「自分の意思」でしかありません。
この空間で上手くなるか、上手くならないかは全て「自分次第」です。
こないだ接骨院で腰の本と同時に、首はまったく痛くないけど姿勢の事も書いてあったのでと、「首」の本も同時に借してくれてた。
実はついこないだジム生の人と話していたので何気にすごいタイムリー。
早く読まないと~って若干焦りながら、今朝何故か早起きできたので読んでおりました
びっくりしたのが意外と「縄跳び」が首にもいい事。
「つま先」重心が首にいい事。
「運動」の大切さ。
「筋肉維持」の大切さ。
が書いてあった
そら肩コリにはならんわなぁ~。
ボクシングして肩コリが治るとは頻繁に聞くけど、確実によい感じです☆
自分で買うことはない本だけに、渡してくれた接骨院の先生の方にこれも運命なのかな~と思いました
感謝
「体の痛みの9割は首で治せる!」三井弘
ここんとこ最近、体重が平常時よりも2~3kgは軽い日々が続いており、そろそろ俺も潮時なのかな・・・(-∀-)
なんて思ってたのですが、一昨日は焼き肉ともつ鍋とビールたらふくご馳走になり・・(プラス甘いお酒
)
昨日はお好み焼、焼きそば、トンペイ焼きをご馳走になり・・(プラス甘いお酒
)
最近はお風呂上がりにアイスをダブル(2つ)がマイブーム・・・。
とけっこうなボリュームを食べたのでウエイトもすっかり回復しました
やっぱ食うべきやね~
食べないダイエットは個人的にはおすすめしません。
何を食べるかにもよりますが。
食べた以上に動くことが一番シンプルかつ健康的デスね
維持しようと思えば食べた分と同じだけ動けばずっと維持できますしね。
落とすことに比べたら、維持する事はずっと簡単なので、自分の事でいえば昔から体重もほとんど変わる事ないです。
最近は何故かちょっと落ちすぎていました、、ま自分の体なので理由はもちろんわかっていますが
それはそうと最近はいい事も悪い事も、これはすべて運命なのかなぁ~という事が身の周りでビシビシ起こってる気がします。
出逢う人の縁も、起こる事も全てがタイミング的にもドンピシャで、なかなか面白い感じなので、なんとなく今の流れに逆らわずにした方がいいんだろな~という感じです。