当クラブOBで、昨年末までに1年間ほど練習されており、その後に仙台に行かれたO夫妻ですが、安否は確認できている状態です。
依然として避難生活であるとの事ですが、無事生きておられるようです。
被災者当人と仲の良い会員さんのお声掛けで、今すぐという訳にはいかないかもしれませんが、有志を募って直接物資などを送ろうとしています。
今現在、保育園で共同生活をしており、子供達に食べ物を供給できないという過酷な状況で必死に踏ん張っておられるようです。
このブログを見て、もし当時、一緒に練習されていた方や、ご存知の方、その他ご賛同頂ける方などが居ましたら、ご一報下さい。
先日新しいミットを購入しました。
こちらは前のミットのように力を入れて打つというよりは、よりスピードを意識した、コンビネーション、タイミングを意識したミット打ちができます。
逆に力を100%で入れると新しいミットの方では痛める可能性もあるので注意して下さい。
もちろん打ってて痛い時や、痛めた時等はクッション性の高い方を使用しますので言って下さい。
ある程度の力の伝え方、体力がついた人には、上手く力を抜かせる為、コンビネーション習得、スピード強化の為にも新しい方を使っていこうと思います。
PS:さらにも一個買いました。使い分けていきます。
どこのお店に行っても心なしか人は少ない。
慎む事は必要なのかもしれない。しかし何をするにも「不謹慎」という言葉が地雷になり、また探りながら、様子を見ながらしか動けない雰囲気にもなっている。
食べる事、飲む事、笑う事などが本当に不謹慎なのか?
それはそれで前を向く活力にもなるだろうし、全ての人間が下を向いていては、ただでさえ冷え込んでいる経済も今後さらに落ち込むことになり、今後、立て直すことは不可能、崩壊するしかなくなるかもしれない。
デマのメールを作って流したり、この後に及んでまで、義援金をかたって詐欺をするなんてのは間違いなく「不謹慎」である。
解釈の仕方は色々あるけど、このブログを見て、なるほど上手く伝えようとしているなと思う→「不謹慎」とは何か。
慎むことは必要である。
しかし労働する事、経済を動かすことも必要である。
何でもかんでも不謹慎の壁に阻まれたままだとそれもままならない。
下を向いたまま、マイナス方向への停滞では全てが動けない、働けない。この国が終わってしまう。
落ち込んでばかりもいられず、全体を見据えながら前を向いていく勇気と、本当の強さというものが必要なのだと思う。
これから時間が過ぎていくのと同時に自分達は生きていかなければいけないのだから。
「何があったとしても命を奪われずにすんだのなら、その出来事は人をより強くするだけだ」デイヴ ペルザー