早いもので、ブログを開いてから1年になる。近所にあってよく世話になっているパソコン教室で講座があったので、思いついて受講したのがきっかけだった。受講するとすぐ自分のブログの形ができたので、ではやってみようかと考えた。その第1号を再録してみよう。
―「ブログ?何それ?」と特に関心を持たずに来たが、今ではもう常識のようになってしまっている。中国の友人達がとても面白がって観ていたと言う「鬼嫁日記」も、あるブログを基にして作られたとも聞いた。では自分でもやってみようかと思い、別にバスに乗り遅れまいと言うことではなく始めることにした。
8年前に40年連れ添った糟糠の妻を亡くし、淋しい思いをしていた頃、ふとしたことから昔の教え子に誘われて中国を訪れて以来病みつきになってしまい、今では毎年2、3回は出かけている。現在はまあまあ健康だし、ストレスもなく、毎月教え子達と食事をし、中国の若い友人達とは毎日のようにパソコンでチャットし、新しい友人、知人も増えて心豊かに過ごしている。これからはブログの楽しみも出来た。これも亡き妻からの贈り物だと考えて感謝しながら、充実した余生を送っていこうと思っている。―
こういうことだったが、最初のうちは写真は1枚しか入れられなかった。しばらくして複数枚を挿入できる方法をパソコン教室で教えてもらった。しかしそれ以上の画像の処理、加工の仕方などは知らないし、学ぼうともしないで、ごく平凡な構成のまま現在に至っている。
写真第1号。「稲の花が咲き始めた」
始めた時には自分の慰み程度のつもりだったが、親しい卒業生や知人に知らせたりしたので、訪問者はだんだん増え、中にはどうして見つけたのか、まったく知らない人からもコメントが入るようになった。今年出した年賀状にURLを書くとまた訪問者が増え、それをきっかけにかつての知人と旧交を温めることができたりして、なかなか良いものだと思うようになった。
何よりもいいと思うようになったのは、ブログ友がしだいに増えたことだ。初めは興味半分に他のブログを探してみたがどうもしっくりしない。私が「ペンネーム」にしている「中国迷爺爺」の「中国迷」で検索してみるとあるにはあったが、若い人達なのか、何やら馴れ馴れしい独特の語り口のコメントが並んでいて、これは年寄りにはついていけないと思い、入るのは止めた。しかし思いがけなく未知の方からのコメントがあったのがきっかけで、そのブログを訪れたりしているうちにしだいに「ブログ友」が増えてきた。やはり波長が合うのか、今続いているブログ友は皆熟年世代の人達だ。北海道のSさん、静岡のAさん、隣の市のGさん、近所のBさん、Kさん、最近知った岩手のZさんなど、それぞれ個性的なブログだ。他にも楽しみながら見て時折コメントを入れるブログがあるが、写真中心のものが多いようだ。上記の静岡のAさんや宮城のMさん、同じ市の住人のHさんの写真は目を見張るような見事なもので毎回溜息をついて見ている。北海道のSさんのものは文章と写真がよくマッチしているし、人柄がよく表れていて楽しい。BさんやGさんはさりげなく過不足なく日常のことや思いを書いているのが良い。
私は写真はあまり上手くないので、文章に挿入する程度だし、文章の熟達者ではないから大したものは書けないが、それでも訪問者がいると思うといい加減なことは書けない。それなりに下調べしたり、出来上がれば推敲もする。教師時代の教材研究、準備のようだ。時には長ったらしいものになることもあるが、自分の考えを整理する機会にもなっているから老化防止には役立っているかも知れない。
不愉快なのは、時折何ともいかがわしいコメントやトラック・バックが入ることだ。まじめなコメントの中にこのような素性の分らない薄汚いものが混じって入ると、ゲス野郎と罵りながら消去するが、まじめなブログ友までが汚されたような気さえする。インタネットだから仕方がないのだろうが、世間には品性の低い惨めで哀れな輩がいるものだと思う。
こんなことが時折あっても、良いブログ友にも恵まれて、この1年は楽しかった。出した回数は267回、写真は1232枚になった。継続は力なりと言うと格好は良いが、まあ、塵も積もれば山となるの類だろう。これからも、毎日書かなければという強迫観念にとらわれるとかのブログ依存症にはならないように注意しながら続けていこうと思う。
ほとんどが会ったこともないブログ友の方達のご健康とご健闘をお祈りします。これからもどうかよろしく。