近頃の世の中はどうなっているのだろうかと思うような、想像もしていなかった陰惨な事件が起こる。
インタネットの「闇サイト」で知り合った、互いの素性も知らない男が3人、通りすがりの若い女性を無理やりに車の中に引きずり込み、顔に粘着テープを巻きつけ窒息死させ、さらにハンマーで頭などをめった打ちにして金を奪い、遺体を他県の山林に捨てたという凶悪極まりない事件が起こった。翌日には交際している男性と食事の約束をしていたという被害者の女性の、文字通り通り魔に襲われて殺害された恐怖は如何ばかりであっただろうと思い、「金を奪う目的で力の弱い女性を狙った。誰でもよかった」、「死刑になるのが怖かったから自首した」と言う犯人の言葉を読んで激しい怒りがこみ上げて、まことに単純だと思われるかも知れないが、思わず「こんな奴らは死刑にしてしまえ」と罵ってしまった。
私はここで死刑の是非についての論争に加わる気持ちはないが、凶悪な犯罪には厳罰をもって臨むべきだと考えていることは言いたい。無慈悲な動機で人の命を奪ったことに対しては、自分の命で罪を贖うべきだと考えるから、基本的には死刑は否定しない。最近は被害者が1人の場合には極刑とはならないのが「慣例」になっているようだが、人の命の重さを数で量ることには納得できない。加害者の人権や情状酌量を云々する前に、被害者にとっては掛け替えのないたった1つの生命が、その人の人権と共に「情状酌量」の余地もなく無残に奪われたことを考えるべきだと思う。多くの殺人事件の被害者の家族が加害者に極刑をと望むのは、至極当然の感情だろう。それを小ざかしく批判したり、あげつらうことなどどうしてできよう。被害者の女性の母親の報道機関向けのコメントを読んだが、「何の落ち度も、関係もない娘に対し、あれほど異常な行為を行った人間の存在を、私は認めることは出来ません。絶対に、絶対に、許しません」とある。胸がふさがる思いがした。
この3人が利用したのは、これまでにもいくつかの事件で悪用されたことで有名とかの「闇の職業安定所」というサイトらしいが、これ以外にも闇サイトは無数にあるということだ。このような暗い反社会的なサイトが多いと言うことは、今回の事件の犯人達のように利用したくなる者も少なからずいるということだろう。まさに日本の社会の奥に潜む異常な病理現象だ。
ネット犯罪に詳しいというある大学院教授のコメントを見たが、「犯罪につながるかもしれない情報を提供したから、という理由で闇サイトを規制するのは、表現の自由の観点からみて難しい」として、「今回のような事件を防ぐには、ネットの危険性について地道に議論を重ね、利用者全体のモラルを少しずつ高めていくしかないだろう」と結論している。
「表現の自由」・・・か。まことにもっともなこと、大切なことであることはよく承知するが、何かしらもやもやする。そうすると今回の事件の被害者は、表現の自由の尊重の犠牲者ということなのか。仮にこれを機会に「地道に議論を重ね」ていくようになったとしても、「利用者全体のモラル」はいったいいつになれば高まるのか。その間にも同じような犠牲者が出るかも知れないと考えると、たまらない思いになる。
感情的になってはいけないとたしなめられるかも知れない。そう、私はこのような忌まわしい、人間性のかけらもない凶悪犯罪には感情的になる。だから近く実施されるという裁判員になる資格はないと思っている。死刑判決を回避した裁判官のように「凶悪極まりない犯罪だが、それでもなお死刑を科すことには躊躇せざるを得ない」などとは私には言えない。
インタネットの「闇サイト」で知り合った、互いの素性も知らない男が3人、通りすがりの若い女性を無理やりに車の中に引きずり込み、顔に粘着テープを巻きつけ窒息死させ、さらにハンマーで頭などをめった打ちにして金を奪い、遺体を他県の山林に捨てたという凶悪極まりない事件が起こった。翌日には交際している男性と食事の約束をしていたという被害者の女性の、文字通り通り魔に襲われて殺害された恐怖は如何ばかりであっただろうと思い、「金を奪う目的で力の弱い女性を狙った。誰でもよかった」、「死刑になるのが怖かったから自首した」と言う犯人の言葉を読んで激しい怒りがこみ上げて、まことに単純だと思われるかも知れないが、思わず「こんな奴らは死刑にしてしまえ」と罵ってしまった。
私はここで死刑の是非についての論争に加わる気持ちはないが、凶悪な犯罪には厳罰をもって臨むべきだと考えていることは言いたい。無慈悲な動機で人の命を奪ったことに対しては、自分の命で罪を贖うべきだと考えるから、基本的には死刑は否定しない。最近は被害者が1人の場合には極刑とはならないのが「慣例」になっているようだが、人の命の重さを数で量ることには納得できない。加害者の人権や情状酌量を云々する前に、被害者にとっては掛け替えのないたった1つの生命が、その人の人権と共に「情状酌量」の余地もなく無残に奪われたことを考えるべきだと思う。多くの殺人事件の被害者の家族が加害者に極刑をと望むのは、至極当然の感情だろう。それを小ざかしく批判したり、あげつらうことなどどうしてできよう。被害者の女性の母親の報道機関向けのコメントを読んだが、「何の落ち度も、関係もない娘に対し、あれほど異常な行為を行った人間の存在を、私は認めることは出来ません。絶対に、絶対に、許しません」とある。胸がふさがる思いがした。
この3人が利用したのは、これまでにもいくつかの事件で悪用されたことで有名とかの「闇の職業安定所」というサイトらしいが、これ以外にも闇サイトは無数にあるということだ。このような暗い反社会的なサイトが多いと言うことは、今回の事件の犯人達のように利用したくなる者も少なからずいるということだろう。まさに日本の社会の奥に潜む異常な病理現象だ。
ネット犯罪に詳しいというある大学院教授のコメントを見たが、「犯罪につながるかもしれない情報を提供したから、という理由で闇サイトを規制するのは、表現の自由の観点からみて難しい」として、「今回のような事件を防ぐには、ネットの危険性について地道に議論を重ね、利用者全体のモラルを少しずつ高めていくしかないだろう」と結論している。
「表現の自由」・・・か。まことにもっともなこと、大切なことであることはよく承知するが、何かしらもやもやする。そうすると今回の事件の被害者は、表現の自由の尊重の犠牲者ということなのか。仮にこれを機会に「地道に議論を重ね」ていくようになったとしても、「利用者全体のモラル」はいったいいつになれば高まるのか。その間にも同じような犠牲者が出るかも知れないと考えると、たまらない思いになる。
感情的になってはいけないとたしなめられるかも知れない。そう、私はこのような忌まわしい、人間性のかけらもない凶悪犯罪には感情的になる。だから近く実施されるという裁判員になる資格はないと思っている。死刑判決を回避した裁判官のように「凶悪極まりない犯罪だが、それでもなお死刑を科すことには躊躇せざるを得ない」などとは私には言えない。