「神のいどころ」というブログで紹介されていたインドネシア独立戦争と日本軍兵士たちの話を再紹介します。リンクをクリックして、是非ご覧ください。今の歴史教科書にいかに「嘘」や「自虐」が多いか、よく分かると思います。
本来縁もゆかりもないはずの現地の人と一緒になって、独立戦争を戦うなんて、今の日本人からしてみたら信じられませんよね。しかし、戦前の人たちは本当にそういうことをしていたのです。
みなさんに是非とも知っていただきたいのは、日本にとっての「アジア」というのは、生ゴミ入り餃子を売りつけて平気でいる国や、枯れ草に緑のペンキを塗るのを緑化計画と称している変な国ばかりではないということです。インドネシアのように、「正しい」」評価をしてくれる国だってあるのです。
そして、それは、戦後の教育でさんざん悪者扱いされてきた「戦前」生まれの人々の活躍によるところが大きいのです。
別に、靖国神社にお参りしなくてもいいです。そういった人々に感謝する心を忘れず、謙虚に海外の友好国と付き合っていきましょう。
まあ、それはいいです。では、今日は「呼び捨てにされたのは生まれて初めて」の続きを書きます。
本当の優しさというのは、どんなことだろうと考えてみます。
そうなると、どうもいけませんね。我々は「相手のことを考える」とか「時には強く叱ることもある」などと、観念的なことばかり口にしてしまいます。
そこで、私は、相撲の世界で続いてきたある伝統について、お話したいと思います。
入門してからそれほど年月がたっていないからでしょうか、ひょろっとした体型のお相撲さんを、昔から「ソップ力士」と言います。
「ソップ」というのは、「スープ」がなまったものです。
ちゃんこ鍋のスープは、ラーメンか何かのように、鳥ガラから取るそうですね。だから、鳥ガラのように痩せている力士、ということで、「ソップ」という風に呼ぶようになったそうです。
こういった力士たちは、最近までは、なかなか身体を大きくする(有り体に言えば、「太る」)ことができなかったと言います。
なぜなら、ちゃんこ鍋を作って食べるとき、先に箸をつけるのは、先輩力士なのです。肉や野菜の多くは、先輩たちにだいたい平らげられてしまったそうです。そうなると、「ソップ力士」たちは、文字通り「ソップ」だけを食べることになるのです。
そんな不平等な、と言っても仕方がないのです。元関脇・玉海力である河邊幸夫さんも、「相撲の世界は番付が全て」だと言っています。
その河邊さんが、リンク先のサイトでこんなことをおっしゃっています。彼は、下っ端の時代に「ちゃんこ番」という料理係をやらされていた経験があります。
「 ちゃんこ番は4、5日に1回の割合で回ってきました。入門前は
炊事なんてやったことがありませんから、先輩がやっている
のを見て覚えるんです
だいたい1か月もしないうちに包丁を持たされました。
『おい、おまえ、そこの野菜を切っとけ』と言われてね。
でも、見ただけでは覚えられるものではなく、なかなか
うまく切れないわけです。切れないと殴られる。
千切りなんかは、先輩に『これはだれが食うんだ。馬が
食うんじゃないんだ。もっと細かく切れ』とどなられる。
そうこうして不器用な手つきでやっているうちに、不思議な
ことに2、3か月もしてくると、ちゃんと千切りもできるように
なるんです。」
この話を聞いて、「相撲界はとんでもないところだ。新弟子の人権をなんだと思っているんだ。もっと同じ人間として扱うべきだ。料理より練習をやって、合理的に強くなるべきだ」と、思った方、いらっしゃいますか。
はっきり申し上げます。
あなたのような人が沢山いるから、日本の子供たちはおかしくなってしまったのです。お願いですから、考え方を今すぐ変えてください。そうでなくても、今まで自分が信じてきた「個人の尊重」とやらを、疑ってみてください。
それができないと言うなら、どうか一生子育てや、子供を教育する立場になどつかないで頂きたい。(これ、本気で言ってます)
私がとやかく言うより、河邊さんの言葉を引用した方が早いでしょう。
「 当時は、
『強くなるために来たのにこんなことばかりやらされて
悔しい、こんなことをやるために、ここにいるんじゃない』
と思いましたよ。後から考えると、その悔しい思いが、
強さの元になっていくんですね。」
この言葉からもわかるように、「ちゃんこ番」は、若い力士の交感神経を鍛えるための「合理的な」システムなのです。
全力で相手にぶつかる。あっという間に勝負が付く。土俵際でうっちゃられることもある。怪我をすれば番付が落ちる。力士の世界は、塾講師の世界と比べるのがおこがましくなるような、本当に厳しい世界です。
そんな世界で、職業人として食っていくとき、最後の防波堤になるものはなんでしょうか。そうです。ピンチに交感神経を働かせること以外にありません。相手に勝つ、自分に勝つ、それだけを考える状態を作り出すしかないのです。
河邊さんが玉海力として土俵に上がっていた頃、番付が伸びていかない時期があ
りました。夜遊びばかりしていたからです。なかなか、そのクセが抜けない。
そんな折り、親方が急死します。そこから心を入れ替えた玉海力は、稽古に身を入れるようになります。そして、十両、幕内と出生していくことになるわけです。
それが可能だったのは、彼が「ちゃんこ番」を経験したからに他なりません。ちゃんこ番の頃に味わった試練が、いざというとき力を出せるような、強い自律神経を育んだであろうことは、今までの私の話を見ていただければよくわかると思います。
逆に、ちゃんこ番の経験がない、大学出身の力士は、大切なところで怪我をしたり欠場したりということが多いような気がします。
相撲の世界は、良い面があるからこそ、ちゃんこ番という伝統を残しているのです。
しかも、最後に残った「ソップ」というのは、一番栄養が残っている部分でもあるのです。
もちろん、お腹がいっぱいになるような栄養、今時の肥満児がたくさん摂取している「栄養」ではありません。ミネラルやビタミン(後者は熱に弱いものが多く、それほど残ってはいないだろうが・・・)だけが残っているわけです。それが、健康な体と、のちのちの大食に耐えうる強い胃腸を作っているのではないか、と私は密かに思っています。
どうです。
これこそが、「本当の優しさ」ではありませんか?
「ソップ」で育った若者が、引きこもりになるでしょうか。「自分のやりたいことが見つからない」と、ニート(NEET、Not in Employment,Education,or Trainingの略。くわしくはこちらをご覧ください)状態に陥ったりするでしょうか。絶対にありません。苦しい状況に陥ったら、きっと彼らの交感神経はフル稼働して、最後の最後まで戦い抜くことができるはずでしょう。
若者は、いつも腹を空かせながら、大人の作り上げた規範に挑戦していくべきなのです。全ての若者がそうなるはずだ、とは言いませんが、そういう若者が多ければ多いほど、社会は活力を増す。私はそう信じています。
是非とも、お子さんをお持ちの親御さんや、私のような立場の方に申し上げたい。その時は嫌な顔をされたとしても、本当に意味のある厳しさ、本当の優しさは、大人になったときに必ず報われる、と。
子供に対する誠実な気持ちは、必ず伝わります。たとえ、それが自分の命がついえたあとであってもです。 河邊さんの親方が、本当に理不尽な仕打ちばかりする(あるいは、させる)人だったら、親方の死後、玉海力が心を入れ替えたでしょうか?
ひとりでも多くの大人、親御さんに、「ソップ」の持つ本当の優しさを理解してほしい、私はそう思っています。
本来縁もゆかりもないはずの現地の人と一緒になって、独立戦争を戦うなんて、今の日本人からしてみたら信じられませんよね。しかし、戦前の人たちは本当にそういうことをしていたのです。
みなさんに是非とも知っていただきたいのは、日本にとっての「アジア」というのは、生ゴミ入り餃子を売りつけて平気でいる国や、枯れ草に緑のペンキを塗るのを緑化計画と称している変な国ばかりではないということです。インドネシアのように、「正しい」」評価をしてくれる国だってあるのです。
そして、それは、戦後の教育でさんざん悪者扱いされてきた「戦前」生まれの人々の活躍によるところが大きいのです。
別に、靖国神社にお参りしなくてもいいです。そういった人々に感謝する心を忘れず、謙虚に海外の友好国と付き合っていきましょう。
まあ、それはいいです。では、今日は「呼び捨てにされたのは生まれて初めて」の続きを書きます。
本当の優しさというのは、どんなことだろうと考えてみます。
そうなると、どうもいけませんね。我々は「相手のことを考える」とか「時には強く叱ることもある」などと、観念的なことばかり口にしてしまいます。
そこで、私は、相撲の世界で続いてきたある伝統について、お話したいと思います。
入門してからそれほど年月がたっていないからでしょうか、ひょろっとした体型のお相撲さんを、昔から「ソップ力士」と言います。
「ソップ」というのは、「スープ」がなまったものです。
ちゃんこ鍋のスープは、ラーメンか何かのように、鳥ガラから取るそうですね。だから、鳥ガラのように痩せている力士、ということで、「ソップ」という風に呼ぶようになったそうです。
こういった力士たちは、最近までは、なかなか身体を大きくする(有り体に言えば、「太る」)ことができなかったと言います。
なぜなら、ちゃんこ鍋を作って食べるとき、先に箸をつけるのは、先輩力士なのです。肉や野菜の多くは、先輩たちにだいたい平らげられてしまったそうです。そうなると、「ソップ力士」たちは、文字通り「ソップ」だけを食べることになるのです。
そんな不平等な、と言っても仕方がないのです。元関脇・玉海力である河邊幸夫さんも、「相撲の世界は番付が全て」だと言っています。
その河邊さんが、リンク先のサイトでこんなことをおっしゃっています。彼は、下っ端の時代に「ちゃんこ番」という料理係をやらされていた経験があります。
「 ちゃんこ番は4、5日に1回の割合で回ってきました。入門前は
炊事なんてやったことがありませんから、先輩がやっている
のを見て覚えるんです
だいたい1か月もしないうちに包丁を持たされました。
『おい、おまえ、そこの野菜を切っとけ』と言われてね。
でも、見ただけでは覚えられるものではなく、なかなか
うまく切れないわけです。切れないと殴られる。
千切りなんかは、先輩に『これはだれが食うんだ。馬が
食うんじゃないんだ。もっと細かく切れ』とどなられる。
そうこうして不器用な手つきでやっているうちに、不思議な
ことに2、3か月もしてくると、ちゃんと千切りもできるように
なるんです。」
この話を聞いて、「相撲界はとんでもないところだ。新弟子の人権をなんだと思っているんだ。もっと同じ人間として扱うべきだ。料理より練習をやって、合理的に強くなるべきだ」と、思った方、いらっしゃいますか。
はっきり申し上げます。
あなたのような人が沢山いるから、日本の子供たちはおかしくなってしまったのです。お願いですから、考え方を今すぐ変えてください。そうでなくても、今まで自分が信じてきた「個人の尊重」とやらを、疑ってみてください。
それができないと言うなら、どうか一生子育てや、子供を教育する立場になどつかないで頂きたい。(これ、本気で言ってます)
私がとやかく言うより、河邊さんの言葉を引用した方が早いでしょう。
「 当時は、
『強くなるために来たのにこんなことばかりやらされて
悔しい、こんなことをやるために、ここにいるんじゃない』
と思いましたよ。後から考えると、その悔しい思いが、
強さの元になっていくんですね。」
この言葉からもわかるように、「ちゃんこ番」は、若い力士の交感神経を鍛えるための「合理的な」システムなのです。
全力で相手にぶつかる。あっという間に勝負が付く。土俵際でうっちゃられることもある。怪我をすれば番付が落ちる。力士の世界は、塾講師の世界と比べるのがおこがましくなるような、本当に厳しい世界です。
そんな世界で、職業人として食っていくとき、最後の防波堤になるものはなんでしょうか。そうです。ピンチに交感神経を働かせること以外にありません。相手に勝つ、自分に勝つ、それだけを考える状態を作り出すしかないのです。
河邊さんが玉海力として土俵に上がっていた頃、番付が伸びていかない時期があ
りました。夜遊びばかりしていたからです。なかなか、そのクセが抜けない。
そんな折り、親方が急死します。そこから心を入れ替えた玉海力は、稽古に身を入れるようになります。そして、十両、幕内と出生していくことになるわけです。
それが可能だったのは、彼が「ちゃんこ番」を経験したからに他なりません。ちゃんこ番の頃に味わった試練が、いざというとき力を出せるような、強い自律神経を育んだであろうことは、今までの私の話を見ていただければよくわかると思います。
逆に、ちゃんこ番の経験がない、大学出身の力士は、大切なところで怪我をしたり欠場したりということが多いような気がします。
相撲の世界は、良い面があるからこそ、ちゃんこ番という伝統を残しているのです。
しかも、最後に残った「ソップ」というのは、一番栄養が残っている部分でもあるのです。
もちろん、お腹がいっぱいになるような栄養、今時の肥満児がたくさん摂取している「栄養」ではありません。ミネラルやビタミン(後者は熱に弱いものが多く、それほど残ってはいないだろうが・・・)だけが残っているわけです。それが、健康な体と、のちのちの大食に耐えうる強い胃腸を作っているのではないか、と私は密かに思っています。
どうです。
これこそが、「本当の優しさ」ではありませんか?
「ソップ」で育った若者が、引きこもりになるでしょうか。「自分のやりたいことが見つからない」と、ニート(NEET、Not in Employment,Education,or Trainingの略。くわしくはこちらをご覧ください)状態に陥ったりするでしょうか。絶対にありません。苦しい状況に陥ったら、きっと彼らの交感神経はフル稼働して、最後の最後まで戦い抜くことができるはずでしょう。
若者は、いつも腹を空かせながら、大人の作り上げた規範に挑戦していくべきなのです。全ての若者がそうなるはずだ、とは言いませんが、そういう若者が多ければ多いほど、社会は活力を増す。私はそう信じています。
是非とも、お子さんをお持ちの親御さんや、私のような立場の方に申し上げたい。その時は嫌な顔をされたとしても、本当に意味のある厳しさ、本当の優しさは、大人になったときに必ず報われる、と。
子供に対する誠実な気持ちは、必ず伝わります。たとえ、それが自分の命がついえたあとであってもです。 河邊さんの親方が、本当に理不尽な仕打ちばかりする(あるいは、させる)人だったら、親方の死後、玉海力が心を入れ替えたでしょうか?
ひとりでも多くの大人、親御さんに、「ソップ」の持つ本当の優しさを理解してほしい、私はそう思っています。