笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

暑中お見舞い

2008年08月09日 20時41分47秒 | 日々雑記
ここのところ会ってないな~という同業のお友達に、写真はがきの暑中見舞いを送りました。
文具店であれこれ写真を見比べながら「彼女なら、これ」というものを選んだのですが、気に入ってくれたでしょうか?

私は小学生の頃、お友達への年賀状は裏表全て「手描き」で書いていました。はがきの裏面って結構な面積があって、どんなに文字を大きく書いてもかなりの余白が残ります。私の気持ちとしてその「かなりの余白」につまらなさを感じたわけですね。そこである時期から、まず自分で干支のイラストを描く、そして文字を書く、そして余白に干支スタンプを捺す、という工程で年賀状つくりを始めたのです。(出来はともかく)これがかなり自分的に気に入って、結果年賀状作成は年末の楽しい「マイ行事」になったのでした。

さて、年賀状にイラストを描いている時、私が何を考えていたかというと、相手の顔だとか、遊んだ時のこととか、話した話題など、つまり相手と自分のエピソードを思い出しながら描いていたのです。すると面白いことに、相手によって同じ干支の動物の動きや台詞、しぐさや表情も違ってくる。つまり、子供の稚拙な絵なのに、相手との親密度によって「絵の描き方」に違いが出てくるのです!
小学生時代に私がお友達に出しまくった年賀状は、今から思えば世界中でオンリーワンの年賀状だったんですね。

さて、この「親密度」を大人の言葉に置き換えると、「労力に見合う」といった感じでしょうか。
大人は「親密度」が一定以上になると、「ま、いいか」となるような気がします。「今更改まった仲でもないし」と。で、速攻デコメで、となる(^^;)
これが「超えられない距離がある中で、親密度が高いあるいは高く求めたい」となると、それを「労力」という単位に置き換えるのではないかな~と、うっすらと感じます。そういえば、大好きな先生に出す年賀状は、色をいっぱい入れたり、字をやけに丁寧に書いたり、子供なりに涙ぐましい「労力」かけていましたっけ。
その労力は年明けに先生からもらう「一生懸命年賀状を書いてくれてありがとうね。可愛い絵ね」などという言葉で報われるわけですが。

大人になると、言葉だけのはがき一枚作るのにも「労力」を感じる割合の方が多いですよね。「やれやれ」度とでも言いましょうか。。
その上更に労力が要求される「手書き」が「面倒くさーい!」と敬遠されるのもとてもよく分かります。

これは私の思い込みかもしれませんが、一行一行考えながら文章を手で書いていると、しばらく会っていない相手との距離がだんだん縮んでいく感じもするのです。で、最後の締めの言葉になると、絶対に会おうね!とか、本当に心配しているから! と、なんかもう完全に「感情移入の世界」になっている。(^^;)
なるほど、ここぞという時には「手書きで」という意味がよく理解できます。

暑中お見舞いの文面なんて、ほんの数行ですが、涼しげな絵の中に自分の「熱いキモチ」込めてみるのも、たまにはいいかもしれません(^^)
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