蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

小松帯刀   (bon)

2012-09-29 | 読書

ずっと以前に、司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んだときになぜか、小松帯刀(たてわき)という人が気にかかっていた。

そうしたらその内、NHK大河ドラマの「篤姫」(2008年)で、結構描かれていたので、またそのことが気になりだした。
その頃相前後して、本屋さんに「竜馬を超えた男 小松帯刀」(原口泉著、平成20年、グラフ社)
があるのを見たので、すぐに買った。 

 早速、読み始めたのですが、何となく期待に反した流れで、引き込まれてゆかないうちに30頁ほどで
中断したまま・・すでに4年が過ぎていました。 2年前のドラマ「龍馬伝」では、あまり描かれていなかったようでした。

 最近、改めて読んでみて、小松帯刀という人が、今の世の中にも必要な人であると思わずにはいられない感じなので、記事にアップしました。 
この本でも言っていますが、結局のところこの人は、薩摩の重鎮として力、組織としての力と経済力を
持ち合わせているが、この時代の封建制度に似合わず、身分の上下を気にしない、藩の秩序を乱さずに
自由な発想が出来、しかも、「無私」のこころに徹した、支援・推進活動をやってのけたというのです。

小松帯刀(満34歳没)
(ウイキペディアより)


下級武士ながら西郷(隆盛)や大久保(利通)  はては、土佐の風来坊的存在の龍馬たちをうまく助けて、
財政面でも大きく支援しながら自らも大局的判断に立ち、薩摩組織を守りながら、
これら自由改革路線をうまく推進させた中心人物という。

 薩長同盟、薩土盟約などは、京都の小松邸で行われているし、慶喜(徳川)の大政奉還に強い影響を与え、
一方では、亀山社中も立ち上げています。

 優れた功績を残しながら、自らを表面に立てず、褒賞も辞退し、ただひたすら惜しみない支援を続ける、
社交的、計画的で優しい性格の小松帯刀は、その名もあまり知られない。

やはり、ある程度エゴを出し、もらうべきはもらい、少しぐらいやりすぎた方が、その名も残る・・ということなんですね。

 最近の政治家などは、エゴと私欲に裏打ちされた?ともいうべき行動に、そのくせ、言葉だけは
抽象的で、巧みな響きを匂わせている。

 時代の先を読み、グローバルな発想と自らの探究心を持った献身的な「無私」な政治家は、もういないのでしょうか?


以下に、ネットから引用した部分を挙げておきます。
 「小松帯刀(こまつ たてわき 1835(天保6)~1870(明治3)年)は,幕末史上なじみのない人物ではあるが,
強い意志と明噺な頭脳を持ち,藩主島津(なりあきら)の側近として,西郷隆盛,大久保利通などを登用・抜擢した。

 下級武士に過ぎなかった西郷隆盛や大久保利通,一介の浪人であった坂本龍馬が幕末に存在感を持つ
活動が出来たのも,薩摩藩家老という地位を持った小松帯刀の支援協力があったからで,
明治政府樹立に向けて,小松帯刀の存在は大きかったというのが,見直されている理由である。」

 「小松帯刀は,鎖国という状況のもとにあって,掟破りとも言える発想で,西洋の技術や文化を積極的に採りいれた。
藩主島津斉彬の意をうけて1861年には長崎で洋水雷、砲術の知識を学ぶとともに,オランダ艦船に
搭乗し軍艦の操縦術を習得。

 家老就任後には,生麦事件に端を発した薩英戦争(1863年)でイギリスと戦火を交え,
その科学技術力の高さを身をもって体験したことから,講和成立後は一転して英国との親交を深め,
留学生を派遣するなどして先進技術の導入に取り組んだ。

 幕末維新期に活躍した,英国の辣腕外交官アーネスト・サトウは,明治維新を裏方として支援した小松帯刀(こまつ・たてわき)について,次のような人物評を残している。

 “小松は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物で,家老の家柄だが,そういう階級の人間に似合わず,政治的な才能があり,態度にすぐれ,それに友情が厚く,そんな点で人々に傑出していた。”」


最後に、著者原口氏の締めくくりとして・・・
「そして、日本のリーダーたちが、帯刀の“無私”の何十分の一かにでもあやかることができたら、日本は世界からもっと尊敬される国になり、政治の腐敗は正され、社会はより“清廉”な、筋の通った力強いものになるでしょう。」



ちょっと違いますが、ピアノ発表会でもお馴染みの・・・







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むくげ   (bon)

2012-09-27 | 花鳥風月
久しぶりに花をアップします。
ベランダはすでに工事がはじまって、今は殺風景なさびしい感じのベランダにもう夏も終わりなのに、
むくげが咲いています。
花たちも、ほとんど整理してしまいましたので、その分水遣りなどもかなり手間が省けて助かっている
感じもしますが・・このように秋風が頬をなでると、なんだか寂しいですね。

遅くまで頑張っているむくげです。



すすきがすこし穂を出し始めて来ています。まだ写真にはちょっと早い気がしますので、今年3度目くらいに咲く
つるバラの一輪をアップしてみました。
ばら一輪・・




このベランダの工事は、今年いっぱい続きますので、秋植えの球根などをどうするか?思案していましたが、
フット「そうだ!」前の市民農園に球根を植えて、春に芽が出たところを鉢に上げればいい・・・!
畑の決まりで、草花、球根類、花木などの植え付けは禁止なんですが、土の下に埋まっている
状態では外見にはわからないので・・やってみます。

あれだけ暑かった夏はどこへ行ってしまったのか・・? しかも、急に涼しくなり、朝などは
肌寒ささえ感じます。
今の室内気圧は、1024hPa(ヘクトパスカル)、気温24℃、湿度66% です。







もう1曲、9/27 84歳で亡くなった・・

Hi Andy
I was moved with your songs in my youth. I wish you will sing Moon River with Audrey in heaven. I pray your soul rest in peace. Good-by Mak







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豪雨の中の虹  (bon)

2012-09-25 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

先日(9月)の、蓼科農園での初日の出来事でした。
夕方、4時くらいだったか、突然スコールの様な雨が来た。

あまりにも突然だったので、道具などを急いで片付けたが、もうみんな水に浸かったようにずぶ濡れ状態。 
そんな状態なので、作業は上がることにしたが、これじゃ風呂にも行けない・・。
しかたなく、しずくを垂らしながら車の中に入り、このまま帰ることにした。

ちょっと走ったところで、前方に大きな虹が出ていた。
雨はすごいが、南前方には確かに虹だ・・。
 
車をちょっと路肩に止めて、写真に収めようとしたが、カメラはトランクだから取り出せない。
とっさに、ケイタイのカメラでやってみることにした。

ワイパーをかけたまま・・・、そうしないと雨粒で何も見えない・・。ワイパーの間隙でシャッター。
撮った写真を確認するが、うまく映っているかどうか皆目見えない・・。ま、いっか・・。


 このケイタイ写真、すっかり忘れてしまって、先日ブログアップした蓼科農園「カボチャまつり」の
スライドショーにも入れていない。
あまり、というか殆どわからないような写真ですが、ここにアップさせていただきました。


同じものを2枚です。ワイパーのすぐ後と、振り切りのあたりとの差で、雨粒の量が分かってもらえますか・・?

道の先のところ・・・


雨つぶがすごい・・





Over the rainbowが、あれれ・・・?







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演歌の職人 船村徹  (mak)

2012-09-24 | 音楽、Romantics Stream

9月22日産経新聞(Ctrl+クリック)に演歌作曲家の大御所船村徹(80歳)の記事が出ていた。
別れの一本杉に始まり、みだれ髪に至るの作曲活動から選んだ自作の曲を自ら歌うアルバム「希代の名歌手」発表した。
東洋音楽学校(現東京音楽大学)時の友人高野公男が「焼け野原で働く大衆のための音楽を作れ」と言い出して、二人でキャバレーや米軍キャンプ専用のバンドで働きながら、貧乏な生活から生え上がり、昭和30年春日八郎のデビュー作「別れの一本杉」を作り、大ヒットした。高野公男はそのことを知らずに結核でなくなった。昭和36年村田英雄による王将を発売。戦後初のミリオンセラーとなる。これまでに出した曲は4500曲に登る。日本作曲協会理事長。
今なお現役にこだわり、作曲活動を続けている。

戦後焼け野原から高度成長期に至る日本人の心の支え、どこかで一度は耳にしたことがある数々名曲をお聞きください。


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気圧計   (bon)

2012-09-23 | 日々雑感、散策、旅行

暑さ寒さも彼岸まで・・・ 本当にその通り、あの暑かった夏はどこに行ったのか・・!

涼しい、夜などは肌寒ささえ感じるようになりました。 
さらに、畑のために、長い日照りを心配した恵みの雨が、このところ続いて降って、おまけにかなりの豪雨?
みたいな降り方があり、もうそろそろ“いいんじゃない・・?”といいたくなっています。勝手なもんですね。

 こんな感じで、何となく気象に俄かに関心が寄り、もう20年も前に謝礼でいただいた温湿度計を
本箱から引き出して、机の上に持ってきました。
 で、気圧、温度、湿度に関してちょっと記事を書いてみました。

 かなり前にいただきものの気圧計です。



現在(9月23日18時)の室内の

気圧:1011 hPa(ヘクトパスカル)、
気温:25℃、
湿度:80% です。

これを頻繁に見ていると、気圧、温度、湿度とも変化していることが目で見て実感しています。


気圧とは、ここでは大気圧のことですが、空気密度の重さのことをいい、海面上で面積1cm2あたり約1kg
(水銀柱で約76cm、水の場合約10mに相当)の圧力を大気圧または単に気圧というのです。
これを標準気圧(1気圧)としているので、1気圧=760mm(水銀柱)= 101325 パスカル(Pa)≒1013(hPa)  

気圧は、高度や太陽熱などによって、地域的にも変化しやすく厳密な定義は難しいですが、
日常的にはだいたいこのようにみてOKです。 

ちょっと前まで、気圧の単位は、ミリバールとよんでいましたよね。
1992年に国際単位系(SI)に統一されてヘクトパスカルというようになった。 

その理由は、明確に記述されたものは見当たらなかったのですが、想像すると、バールという
圧力の単位がありこれが約1気圧に等しいので、1b(バール)=1.01325b=1013.25mb(ミリバール)。
圧力の単位ではなく大気圧の単位として、ちょうど、1mb=1hPaとなるので、単位だけ変更したのだそうです。


ついでに、単位についての余談を・・・
子どもの頃、こんな歌がありました~
 
キロキロ(k=1000)とヘクト(h=100)出かけたメートル(m)が、弟子(d=1/10)に負われてセンチ(cm=1/100)ミリミリ(mm=1/1000)

意味はありませんが、未だに覚えているのです。


次に、温度について・・いまさら何を言う? と思われますが、温度とは何か?を今一度確認しておきます。

 分子の運動が停止する温度・・これを絶対0度(0K:ケルビン)と決めた。
この熱力学温度(K:ケルビンで表した)から、273.15 を減じたものが、現在使っているセルシウス度(℃)である。
もっと分かり易い定義として、1気圧下における水の凝固点を 0℃ 、沸点を 100℃ として
その間を100等分した。これならわかる。

℃は、水の沸点と融点の間に100の目盛があることから、もともとの名称は "centigrade"(「百分度」の意)であった。
我々もそう習ってきた。
 しかし1948年の第9回国際度量衡総会にて、名称が正式にセルシウスへと変更になり正しくは
セルシウスという名称だとか。ただし、centigradeも通じるとか。


 最後に湿度について・・・えッ、まだあるの・・?  もうちょっとですから・・

我々がふだん言っている湿度とは、相対湿度のことであり、「相対湿度とは、飽和水蒸気圧に対する
水蒸気圧の分圧と定義されており、パーセントで表示する。」

つまり、ある気温の時、その混合空気に含まれる水蒸気圧が、その気温での飽和水蒸気圧の何パーセントであるか?
ということです。しかし、この定義より、重量絶対湿度という方をもっぱら用いているようです。
すなわち、「水蒸気を含む空気を湿潤空気といい、湿り空気から水蒸気を除いた空気を乾燥空気という。
乾燥空気の重量 [kg]と、湿潤空気中に含まれる水蒸気の重量 [kg]との比を重量絶対湿度という。」


あぁ、疲れた~。

この数日の雨が秋を運んできてくれたようだ。Julie Londonも喜んでいる。(mak)










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116年ぶりの 秋分の日   (bon)

2012-09-22 | 日々雑感、散策、旅行
どういうこと・・?

今日22日は、なんと明治29年(1896)以来116年ぶりの秋分の日なんだそうです。

秋分の日は長らく9月23日でした。 33年前、昭和54年(1979)には、9月24日で23日ではなかったそうですが、
22日となるのは116年ぶり。

国立天文台のHPから、この辺りの理屈を調べてみました。

「地球は1年かけて太陽の周りをまわっている(図1).地球の自転軸は地球の運動面に対して垂直ではないから,
北極側が太陽を向く時期と逆を向く時期が存在することになる.北半球においては前者が夏で後者が冬,
その中間は春や秋となり,地球が軌道上のどこにいるかによって季節は定まる.



この軌道上の位置をより細分化したものが二十四節気であり,とくに先の4点はそれぞれ
夏至,冬至,春分,秋分と呼ばれている.」・・これまでの復習です。


ここで、1年=365日ではなく、真の1年=1太陽年≒365.2422日=365日+6時間弱なのである.
つまり、1年は365日より6時間弱長いということなんですね。

「この,6時間弱という端数のために秋分点通過時刻は年々遅くなっていく(図2).


といっても,4年経つとその累計はほぼ1日になるから,4年おきに1日増やす,つまり閏年を作ることで
だいたい元の状態に戻すことができる.
このように,季節と日付が大きくずれていかないようにすることが閏年を設ける理由であり,
このような暦をユリウス暦1という.ユリウス暦の1年の長さは平均365.25日になる.」



「このとき日付がどうなるか,少し具体的な時刻を使って考えてみよう.はじめに秋分点を通過する
時刻が10時だとすると(表1の例1),通過時刻が遅くなる過程で秋分の日の日付も変わることがわかる.


だが,2時だとすると(例2),日付は変わらない.
秋分の日はこれまで長い間,例2のような状態にあったわけである.」


ところで、1年の端数の4倍は、0.2422 × 4 = 0.9688 だから,4年たつとほぼ1日増えてしまうので、
通過点に合わせるため1日引き算して調節する。しかし、1日を引いてしまうと
 1 - 0.9688 = 0.0312日 ≒ 45分だけ補正(引き)しすぎることになる。
このため,4年後の通過時刻は逆に約45分ずつ早くなっていく。 
平成24年の秋分の日が22日のように早くなるのもこれがその原因である.


過剰な補正量は400年で3日に達するから,その分だけ閏年を減らすほうが長期的なずれは少なくて済む.
そこまで考慮して定められた暦が現在も使われているグレゴリオ暦であり,この場合の1年の長さは平均365.2425日となる.




 余談ですが、ネット“こよみのページ”から以下を参考にしました。

 春分の日や秋分の日は、お彼岸、秋彼岸といってお墓参りに行く習慣がありますが、
これとの関連はどのように考えられているか・・?

 仏教で、涅槃の世界を、「西方浄土」と呼ぶことがあるとおり、阿弥陀仏の極楽浄土は「西」にある
とされていることに由来しています。太陽が真西に沈む春分の日、秋分の日は夕日が極楽浄土への
道しるべとなると考えられたのだという。
 この日、沈む太陽が示す極楽浄土への道を「白道(びゃくどう)」といい、仏の示してくれた
この白道を信じて進めば必ず極楽浄土に至ると言う信仰が生まれたという。


余談を更に続けると・・、
 お彼岸に必ず出てくる「ぼた餅とおはぎ」・・甘いものに目がない小生には、どちらも 大好物ですが、どう違うのか?

 ぼた餅は「牡丹餅」、おはぎは「御萩」。牡丹の花は春に咲きますので、春は牡丹餅といい、
萩の花の咲く秋は御萩餅(あるいは、萩の餅)と言うそうです。

 さらに、ぼた餅はこし餡で、おはぎは粒餡で作るのだそうです。

 粒餡かこし餡かについては、秋の小豆は収穫したてで皮が柔らかいので皮ごと粒餡とし、
収穫から日が経って皮が固くなる春には、皮を取り去ってこし餡としたとも言われます。

あぁ、そうなんだ・・・!




澄み切ったフォレスタで・・・






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abc予想   (bon)

2012-09-20 | 日々雑感、散策、旅行

まだだれも証明していない「abc予想」と呼ばれる数学の難問について、日本の大学教授が
その証明に成功した可能性があるという。

これはすごいことなのだそうです。

ネット時事通信から引用しますと・・
 “未解明の数学の難問「ABC予想」を京都大数理解析研究所の望月新一教授(43)が解決した可能性があると、
英科学誌ネイチャーが19日までに報じた。
同教授は8月末、インターネット上に約500ページの論文を発表した。

 ネイチャーによると、abc予想は二つの異なる整数AとBを足してCになるとき、それぞれの素因数に成り立つ
関係を示した理論で、1985年、欧州の2人の数学者が個別に提唱した。
解明に約350年かかった「フェルマーの最終定理」も、この理論を使えば容易に解けるという。

 望月教授は19歳で米プリンストン大を卒業し、京都大助手などを経て2002年から現職。
同教授は、同研究所などを通じ「取材には応じない」としている。”

また、“膨大な論文なので、正誤の判定には何年もかかるだろう。”ともいわれている。


 で、何がすごいのか? まずもって、何をしようとしているのか? 
例によって、暇と興味が手伝って、ネットを盛んにブラウズして、「どんなことを言っているのか?」、
「何がそんなにすごいのか?」 の糸口だけでもつかめないか・・と期待したが、とうとう諦めました。

 もちろん日本語で説明されている・・参考になると思われる記事を何度も読んでみたが、なるほど漢字は読めるし、
文脈もつかめるが、肝心の何を言っているのかの“意味”がつかめないのだ。
まるでアラビア語を見ているみたいだ。

結局、何に役立つのか、なぜすごいのか・・・が全く分からずに、このブログを書く始末となりました。 

申し訳ありません。どなたか分かり易くご教授お願いします。トホホ・・・






菅原洋一は昭和40年[知りたくない」ので大ブレイクした。参考記事:産経新聞

菅原洋一メドレーの2曲目が和製I really don't want...





abc conjecture(望月新一の論文
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お熊甲祭り   (bon)

2012-09-18 | 日々雑感、散策、旅行

私のルーツ? 能登中島(現:七尾市中島町)に伝わる奇祭お熊甲祭(おくまかぶとまつり)は、
毎年9月20日に行われる事から二十日祭とも呼ばれています。

その起源は朝鮮にあるそうで,熊甲神社の祭神は朝鮮半島からの渡来神といわれています。

お熊甲祭は能登の他の地域の祭りに見られる「キリコ」では無く,全国的にも珍しい枠旗(わくばた)での祭りです。




先頭で案内役を務める神様「猿田彦」は天狗のように赤い顔で高い鼻が特徴で太鼓に合わせて独特な振りで踊ります。



町内の各集落に鎮座する19の末社からくり出した神輿は、猿田彦の先導で、太鼓,神輿,そして
高さ20メートルばかりの深紅の大枠旗やお道具を従え、「イヤサカサー」の掛け声と鉦・太鼓の音も賑やかに、
本社に参入します。

各町から次々と、すべての行列が熊甲神社に入宮した後,700m離れたお旅所に向います。
20m以上の枠旗を地上すれすれまで傾けたまま移動したりする、お熊甲祭で一番の見所の
「島田くずし」が行われ、お祭りは最高潮になります。



沿道の民家それぞれは、玄関は開け放たれたままで、誰でも自由に入り座敷でお茶などの振る舞いを受けられます。
私もかって、お邪魔したことがありますが、どこの誰かも知らず、ただ勝手に上り込んでお茶など飲んで失礼する・・
今どき珍しく開放的なお祭りです。

お熊甲祭は国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

また、能登中島には、仲代達也が主宰する「無名塾」があり、市営の提携劇場「能登演劇堂」があるが、
私の菩提寺のほんのすぐ近くにあります。


2010年のお祭りの様子がu-tubeにありました。







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TPPと種の話 (mak)

2012-09-17 | 科学・生物
8月10日に放送されたTBSラジオデイキャッチャーズボイス「野菜の種も外国支配?迫るTPPと日本農家の未来」と題した宮台真司氏の解説を話題として取り上げました。ここをCtrlキー押しながらクリックして別タブで開きPodcastをお聞きください。
その上で、下記を読んでから再度、Podcastを聞くと宮台氏の解説せんとするところがよく理解できます。

宮台氏の話しぶりは、言葉たくみで流暢なしゃべりが魅力的ですが、英語や短縮語も次々とはさみ込むので、聞く方もついて行くのが大変です。そのスピードについていけず分かったようで理解できていないことが多い。その点Podcastでは何度も聴き直すことができ、ぼけた頭には重宝できます。この話に出てくる難解な言葉を、ネットを駆使して調べた結果を下記しておきます。

First filial:第一代雑種
Lohas的:life styles of health and sustainability
Lohasて何?:Lohas
traceble:跡を尋ねることができる。
slow foods : スローフードWikepedea

野口種苗研究所:ホームページ

ネット(videonews.com)より引用:
埼玉県飯能の山間にちょっと変ったタネ屋がある。野口種苗研究所という立派な名前がついているが、その実は畳10畳ほどの店内に所狭しとタネが置かれただけの小さなタネ屋だ。看板の手塚漫画のキャラクターが異彩を放つ以外は一見ただのタネ屋に見えるが、実はここで売られているタネは普通のタネではない。
 今世界のタネ市場はその大半が多国籍企業の資本下にある大手種苗会社によって支配されていて、世界のトップ3が全世界のタネの5割を支配するまでにグローバル化が進んでいる。そして、大手種苗会社が販売するタネはほぼ100%「F1(一代雑種)」と呼ばれる、農家が独自にタネを採ることができない品種に限られている。
 野口タネ店はこうした流れの中で、それぞれの国、それぞれの地域が歴史とともに育んできた野菜や穀物のタネが次々と失われていく事態に抗うために、F1ではなく、固定種や在来種と呼ばれる地域の伝統的な作物のタネばかりを売る、おそらく日本で唯一の在来種専門のタネ店なのだ。
 言うまでもなくF1と在来種には大きな違いがある。F1は採種が難しく、農家が種苗会社からタネを毎年買うことを前提としているのに対し、在来種は繰り返し採種が可能なため、地域地域に根付いた在来種特有の形質が、農家の手によって独自に引き継がれていく点にある。今市場を席巻しているF1種は、そもそもタネが採れない種だったり、採れたとしても農家にとって不都合な形質が出てしまい、商売にならないものがほとんどなのだ。
 確かにF1は遺伝子配列が限りなく均一に近いため、生産性が高い上に色や形が均一で収穫もほぼ同時期に集中して行うことができるなど、均一の規格が求められる今日の流通制度の下では利点が多い。しかも、その一代に限るが、農家にとって都合のいい形質を確実に得ることができる。
 また、F1はタネを毎年種苗会社から購入しなければならないことが農家にとってはディメリットとなるが、元々タネのコストは農業全体の中では微々たるものだという。そのため農家にとってF1種子は明らかにメリットの多い存在となっている。言うまでもなく種苗会社にとっても、毎年農家に種を売ることができるというメリットがある。1970年代頃までは必ずといっていいほど独自に種を採っていた農家が一気にF1にシフトした背景には、農家にとっても種苗会社にとっても双方にメリットがあるF1の特徴があった。
 一方、在来種は農家が味や風味などの形質を維持してきたが、F1と比べると遺伝子配列に大きな個体差があるため、色や形、大きさが不揃いになったり、成長の速度にもばらつきが出るなど、農家にとっては扱い難い面があることは事実だろう。
 しかし、毎年独自にタネを採れる在来種と異なり、農家にとってF1への依存は種苗会社への依存を意味する。本来であれば土と水と太陽さえあれば、何にも頼らずに独立して食物を作ることができるはずの農業が、多国籍企業や大手種苗会社に頼らなければ何も作ることができない工業型農業に変質してしまうことになる。そして、その過程で、それぞれの国や地域が、歴史とともに育んできた独自の食文化や食との関係もまた、変質を迫られることになる。多国籍企業や大手種苗会社が、世界のぞれぞれの地域の伝統に対応したタネを開発してくれることなど、元々あり得ないからだ。
 F1種によってモノカルチャー化した作物は、特定の病気に対して耐性を持つよう育種されている場合が多い一方で、予期せぬ病気や急激な気候の変動に対して、均質化された作物が一網打尽の被害を受け全滅してしまいかねないリスクも負っている。遺伝子にばらつきがある在来種であれば、たまたま病気や温度変化に対する耐性が強い株がその中に含まれている可能性があり、それが全滅を防ぐ上で重要となる。平時には扱いにくい原因となる在来種の特徴が、有事には逆に利点となる可能性があるのだ。
 しかし、仮に誰かがF1への過度の依存のリスクを認識し、ぜひ在来種を残すことに貢献したと考えたとしても、消費者としてできることはほとんど何もない。そもそも今日市場で売られている野菜は、オーガニックを含めほぼ100%F1種だ。無農薬だの非遺伝子組み換えだのを選択することは可能でも、在来種を市場で買い求めることは、ほぼ不可能な状態にある。
 野口種苗研究所の野口勲代表は、今この瞬間にも在来種が日々この世から姿を消しているという。F1に席巻された今日の農業市場では、在来種のタネの生産はメリットが小さいからだ。「在来種を残していくためには、皆さんにぞれぞれの方法で在来種を育てていただくしかない。どこかに一つでも在来種の遺伝子が残っていれば、いざというときでも何とかなる」と家庭菜園やベランダ飼育も含めた在来種栽培を提唱する。ことタネに関する限り、われわれ消費者はさほど自覚のないまま、大変重要な橋を既に渡ってしまったのかもしれない。

このポドキャストをきいいてから考えてみると、 
 この頃は、冬に夏野菜が食べられる、旬がなくなったのかと思うぐらい。
それに、ピーマン、キューリ、トマト、人参どれもこれも野菜の青臭い臭がなくなり少なくなり、全く野菜が粒ぞろいでかっこが良いだけで自己主張をしなくなっている。
まるで、人も国も田舎も都会も政治家も世代ギャップもどれもこれも皆同じ、野菜までも同じかと思うと味気ない世の中になったものである。



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板混  (bon)

2012-09-15 | 日々雑感、散策、旅行

板混・・いたこん。 今日、土曜日の午後は、板橋区混声合唱団の定期演奏会に行って来ました。 

この合唱団には、友人(パートは、バス)が所属していて、これまでにも何度か聴きに行きましたが、
今日も大変すばらしいステージでした。

 曲目は、第1ステージは、ビバルディの「グロリア」。
ビバルディは「四季」で有名ですが、こちらのは合唱曲として1715年に作曲されたというものですが、
なかなかどうして現代でも十分感動的な旋律です。特に、アルトの独唱とコーラスが織りなす
総合的ハーモニーは素晴らしかったですね。

第2ステージは、ブッシュ孝子が30歳を迎える前に亡くなる短い人生を、闘病生活の中で書き記した詩に
萩原英彦が曲をつけた「白い木馬」という組曲で、初めて聞くものでしたが、美しく愛に満ちた調べが印象的でした。

       (ネットより)


最後のステージは、お馴染みの日本抒情歌曲集よりと題して、合唱団の音楽監督兼指揮者の
外山浩爾氏と学生時代同期の今年1月、80歳で他界された「林 光」氏が編曲した、よく知られた曲、
6曲が演奏されました。
荒城の月、椰子の実、浜辺の歌、お菓子と娘、叱られて、鉾をおさめての6曲でしたが、
およそ100人に及ぶ混声が奏でるコーラスは、みんなよく知っている歌ですが改めてその響きに感動した次第です。


 我が住まいの大規模修繕工事がいよいよ着工し、廃材などの処理に追われる毎日でしたが、
今日ばかりはのんびりと別世界に身を置いた一日でした。



u-tubeから、出だしのところをご紹介しておきます。(板混ではありません。)


御裾わけで楽しませていただきました。(mak)






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鷺草が乱舞しています! pooky

2012-09-12 | 花鳥風月
鷺草が咲き誇っています!
bonさんから頂いた球根を2月に植付け、昨年花を咲かせることのできなかったので、
今年は何としても咲かせるぞ・・・と気合を入れて手入れをしてきました。
その甲斐あって・・・

見事に花を付けあたかも鷺が乱舞しているようです!

4つの蕾を持って花が重たそうでしたが、次から次と咲いてくれました!

鷺草が風に揺れて飛んでいるようです!

角度を変えて見てみると色々な情景が醸し出されます!




夜の鷺草は又別の情景を見せてくれました!
鷺が飛んでいるようです




花の咲くのが遅いですが、花が次々と咲き長く楽しませてくれています。
またお茶花としても喜ばれ重宝しています!
bonさん有難うございました。
来年はもっともっと咲かせたいですね!


 
アンネン・ポルカ他癒しのクラシックメドレー








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TBSラジオ デイキャチーPodcast  (mak)

2012-09-11 | ブログ、インターネットの扱い方
暇な時に、TBSラジオの番組デイキャを聞いております。
まず、ここをクリックして、聞いてみてください。もひとつ紹介します。ここをクリックしてみたください。

既に知っておられる方は、今”更何を”とおっしゃるかしれませんが、この番組「デイキャッチ」(右をクリック)は「聞く夕刊」というコンセプトで1995年4月から始まったTBSラジオのニュース情報番組で、時事問題、社会問題、国際問題、スポーツ、芸能などなど最新の話題を取り上げ、毎日15:30-17:00 週日放送しております。この番組のデイキャッチャーズボイスは曜日ごとに担当解説者が変わり、それぞれ話題ニュースに独特の解説をします。新聞やTVの解説とはひと味もふた味も違った意見が聞けるので、参考になります。
特に、金曜の担当である宮台真司さんの立板の水の如き流暢滑らかな語り口には圧倒され、タブーな問題にも思いもつかない異論を提供してくれます。

宮台真司さんは、2年前に亡くなった在野の才人と言われる小室直樹社会経済政治学者の愛弟子で、流石小室博士の薫陶を受けただけあり、思いもつかない自由闊達な意見を提供してくれます。この番組でも追悼小室直樹
(ここをクリック)と題して、小室博士のことを述べておりますので、参考までに転載しておきます。

各開設者の話は、TBSラジオデイキャッチのホームページの解説者の写真のしたにあるポドキャストをクリックすることで過去の解説アーカイブから選んで聞くことが出来ます。お試し下さい。


TBSのデイキャッチはituneのStoreのPodcastにものっておりますので、それからも聞くことが可能です。
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「山のけむり」   (bon)

2012-09-11 | 日々雑感、散策、旅行

 ふっと、何の関連もなく、ただふっと「山のけむり」の歌が頭をよぎりました。 
一番の歌詞は、それとなく覚えていましたが、この「山のけむり」というのは、どうゆうことか?  

 なんとなくわかっているつもりでしたが、はっきりと知りたくなってきました。
いつものように、ネットブラウズしてみました。

 この山は、そんなに高い山ではなくどこか長閑な田園地帯を歩いている時に、山の方から煙が出ている・・
そんなのんびりとした風景の中の心の安らぎか・・?  なんて、想像していましたが、
そんな平面的なものではないのですね。

やはり、こころ深く思いを寄せる、淡い恋心を歌ったのですね。
山も、もっと高い山・・   そうですね、純情な山男のこころの歌だと思います。

 私も、毎年山に行きますが、グループ登山なので、めちゃ楽しい(苦しい場面もありますが)登山ですが、
この歌は、おそらく独行で、しばらく山に入り縦走でもしてきた山男かもしれません。
山に入って、一人なら自分を十分に見つめ、雑念が払われ自分自身に正直で、清らかな心をよみがえらせ、
そこに行きずりの心に止まる女性と出くわし、ただそれだけで離れてしまう。
そして、今また思い出の中にくっきりと存在する・・そんなロマンなんでしょうか?


 歌は好きですが、このように歌詞を一つ一つ噛みしめることはほとんどありませんので、
なぜか分かりませんが、しかし、いいもんですね。

 この歌は、1952年(昭和27年)、NHKラジオ歌謡で伊藤久男さんが歌った曲です。

作曲:八洲秀章、作詞:大倉芳郎

①山の煙の ほのぼのと
 たゆとう森よ あの道よ
 幾年(イクトセ)消えて 流れ行く
 想い出の ああ 夢の一筋
 遠く静かに 揺れている
   
   ②谷の真清水 汲み合うて
    ほほえみ交わし 摘んだ花
    山鳩の声 聞きながら
    行きずりの ああ 君とともに
    下りた峠の はろけさよ

       ③山の煙の たそがれに
        別れた人の うしろ影
        あと振り返り 手を振れば
        薄れ行く ああ 淡い夕日が
        染めた茜(アカネ)の なつかしく


この曲を拝借しました。







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鼻肉の争い・・?   (bon)

2012-09-09 | 日々雑感、散策、旅行

大阪天王寺動物園の2頭のアジア象の話です。
昨日のネットニュース、産経新聞に掲題の見出しがあり、懐かしい天王寺動物園・・が目に止まりました。

それで、あの天王寺動物園のHPを開いて、アジアゾウの項などちょっと見てみました。

問題は、下記の2頭のメス象のことなんですね。ネット記事からご紹介させていただきます。

●春子 ♀ 1950年4月14日に2歳で入園(現在推定64歳)
●ラニー博子 ♀ 1970年5月5日に1歳で入園(現在推定43歳)

で、この2頭の雌ゾウによる約15年にわたり繰り広げられてきた壮絶な“覇権争い”が、ここにきてようやく
決着した・・というのです。
担当の飼育員は「古参のゾウの老化が進み、若いゾウにリーダーの座を譲ったのではないか」といっているそうです。

(ネットから拝借しました。)

もともと、野生のゾウは、メスが年功序列で群れのリーダーになるのが通例だそうですが、
博子の来園時、すでに春子は別のゾウ1頭を従えてリーダーとして君臨していた。

 生後6カ月ほどで来園した博子は当初、エサをとられたり、鼻で押されたりするなど、春子から
ひどい扱いを受けていたという。 ここにも「いじめ」があった。


 だが、平成に入って体格もほぼ同等となり、少しずつ反撃態勢に入った。
にらみつけたり、後ろをつけ回したりするなど嫌がらせを続け、春子が従えてきた別のゾウが
10年ほど前に死んで2頭だけになると、争いはさらに激しくなった。

 動物園によると、一緒の場所に出すことはないけれど、檻越しに体をぶつけたり、ときには鼻をつかみあって
20㎝ぐらい裂けて血が出たこともあり、また、ふんを投げ合ったりするなど覇権争いはエスカレートしていったそうです。

おとなしそうに見えるゾウもこのような一面があるのですね。

 ところが、半年ほど前から次第に争いが少なくなり、今では週に1回あるかどうか。闘争が沈静化したことについて、
飼育担当主任の西田俊広さんは「春子の目が見えにくくなっていることや、老化が大きな原因」と指摘し、
「悔しいながらも、リーダーの座を博子に譲ったのではないか」としている。

ネット記事では、「橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」が国政進出を目指すなど、日本のリーダー争いに
注目が集まる中、動物の世界では一足早くニューリーダーが誕生した格好だ。」と言及している。


ゾウについて、もうちょっと言いますと、

 ゾウの寿命は60歳程度とされ、春子は人間でいうと超高齢のおばあちゃんということになります。
また食べ物では、フルーツや甘いものが好きのようで、リンゴ、バナナ、サトウキビ、ジャガイモ、サツマイモ、
干し草、青草など、1日1頭で上記すべて合わせて80㎏ぐらい食べるそうです。
フンは毎日50~60㎏ぐらい。月に1回の採血のときには、黒砂糖のカタマリをあげるんだそうです。

「天王寺動物園」(大阪市天王寺区)は、1915年に、日本で3番目に開園した動物園だそうです。
2015年には100周年記念行事が計画されているとか・・。

イゾウです。


開園の頃の天王寺動物園
(ネット百周年行事より拝借。)














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蓼科浪漫倶楽部 かぼちゃ祭り  (bon)

2012-09-06 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

蓼科農園での作業は、8月はお休みしましたので、7月の「七夕まつり」から、ほぼ2か月ぶりの
9月2日から始まりました。

 夏の日射しは植物にとっての最盛期でありますから、それはもう雑草だらけ・・といいますか、
一面ぼうぼうの身の丈ほどの雑草に覆われていました。
毎年のことでもありあらかじめ覚悟はしていたものの、実態を目の前にするとただただ呆然とするばかりでした。

              

 7月の七夕まつりは、10人も集まり大盛況でしたが、今回、この状況を前にしてわずか3人という
寂しい作業となり、それぞれにずっしりと肩に重いものを感じながら取り組みを始めたのでした。 
われらの、強力エンジンを誇る方々が欠席となったからでした。特にお一人は、直前まで参加されると勝手に思い込んで
いただけに、その反動は大きく「ぼうぼうの草」を目前に、一瞬何やら敗北感に似た心境に陥った次第です。


 初日、優先順位を決めて黙々と作業を進めるうち、夕方近く「今日の作業は、もう少し・・」というところで、
“ザーッと”大粒の雨が来て、はやはや片付けるうち、まるで水に浸かったようなずぶ濡れ状態となり、
いつもの温泉にも行けず直帰後のシャワーとなりました。

不在となったわれらの強力エンジンが、如何にパワフルで頼もしいかを改めて思い知らされたのでした。


 例のジャガイモは、誰かに掘りつくされていて落胆するとともに憤りを感じずにはおられませんでした。
ぼうぼうの雑草に埋まった畑の奥まった畝(5畝)がその被害に遭ったのでした。いまさら仕方なく、
気を取り直して作業を進め、さといも、サツマイモはその姿をようやく見ることができるまでになりました。

雑草を刈り進んだところ


きれいになったサツマイモ


 かぼちゃは、たくさんできていました。しかし、草刈り機で刈り取る際、かぼちゃのお行儀の悪さも手伝って、
四方八方に延びた蔓にできた「かぼちゃ」は、注意をしていても「切られ与三」の運命になったものもありました。 
スイカもできていて、やや小ぶりでしたが、パンパンに重く大変甘い(糖度計で測定すると11度)に仕上がっていました。

収穫~


スイカとタカノツメ
     

    
 2日目の夕方、作業を終えて“今日は温泉へ・・”と車を走らせていたところに、
「いま、諏訪SAにいる・・」と大阪から駆けつけてくれた仲間からのケイタイがはいった。

思いがけない“サプライズ”に、心が沸き立つ思いを抑えながら、温泉を急きょ取りやめてK邸へUターン。 
やや、消沈気味の小さな輪は、一気に華やいだ空気になったのは勿論ですが、作業処理能力も一気に3割アップの
大いなる戦力増となりました。まさに、天の恵み?を感じたのでした。

 その夜は、ピーマン、かぼちゃ、タカノツメ、なすび、ジャガイモ、たまねぎ、ズッキーニ、ニンニク・・
全部自家製野菜に特製牛肉のバーベキューの贅沢に満足しながら楽しい話題に花が咲きいつもの
活気に満ちた浪漫倶楽部に戻りました。


 コスモス揺れる畑はまだ暑いですが、空には早や秋を思わせる雲がたなびき、近くには一面の「そばの花」が
風になびいていました。八ヶ岳の稜線が美しいシルエットとなり、アキアカネが飛び交う長閑な空間に、
汗をしながらも充実した楽しいひと時でした。
コスモスとともに・・


一面のそばの花


 きれいに草が刈られ、これからの約2ヶ月のあいだ作物が充実して、一年の集大成である10月の「収穫祭」で
大勢のみんなの笑顔に会えることを期待しつつ今回のご報告とします。

今回の成果・・




スライドショー 














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