ご存知の方も多いと思いますが、チョット確認しましたので・・・。
昨日のランチの会メンバーで井の頭自然文化園内の 北村西望翁の彫刻園での 数々の彫刻作品を鑑賞している時の出来事?が、二つありました。
一つは、作品説明に、「ブロンズ」と「石膏」と記されていることで、もう一つは、製作年に大正15年と昭和元年とあったことです。
前者は、材質・製法であり詳細は別途に譲りますが、ここで、
後者の大正15年と昭和元年の2種が記されているがどうしてだろう?つまり、作品に大正15年作のものと昭和元年作のものがあることに気が付いたのです
早速、メンバーの知恵者が、「確か、大正15年に何日か昭和元年があったはず・・」ということで、「あぁ、そういうこと・・」で話題は他へと移り変わりました。
一夜明けて、メンバーの一人が、「昨日の何日か昭和があった・・のは、正解」ということで、改めてこのことにこだわり・・もう少しきっちりと調べてみることとしました
大正15年12月25日に大正天皇(第123代天皇)が崩御され(47歳)、
(ネットから借用しました)
即、同日「昭和」に改元された。(ものの本によると、「光文」とスクープされ新聞号外が出て、そのため急きょ取りやめとなり「昭和」になったとか・・)ちなみに、昭和から平成に改元された時は、施行は1日あとであった。
したがって、大正15年は12月25日までで、昭和元年は12月25日から31日までの7日間あるということだ
北村西望翁作の昭和元年作がいくつかあったが、このきわどい7日間に完成した作品であるということになる。
もうちょっと、出来事などを手繰ってみると、浜松高専の高柳健次郎氏が、初めて日本でテレビ受像機(ブラウン管)を開発したのが、この12月25日であった。小さな丸いブラウン管にぼやけているが「イ」の字が映し出された。
文学では、川端康成の「伊豆の踊子」が発表されているし、アーネスト・ヘミングウエーの「日はまた昇る」が発表されている。
ちょうど12月25日に生まれた人は、クレージーキャッツの植木等がいるしかし、かれの戸籍上の誕生日は、昭和2年(1927年)2月25日とされているそうな。 また、若くして他界した俳優の佐田啓二は、12月9日生まれだから、こちらは、大正15年である。もちろんであるが、昭和元年1月1日生まれの人はいない。
今年、大正からちょうど100年であります。
曲は、ルイ・アームストロングの・・・
Louis Armstrong - what a wonderful world
それほど寒さは感じない土曜日。ランチメンバー5人の待ち合わせは
JR吉祥寺。ずいぶん久しぶりに来る街、吉祥寺の土曜日のお昼前、人人人・・
いつもながら活気に満ちた街だ。懐かしい「ハーモニカ横丁」の横を
通り・・目的のお昼処へ。
仲間の一人が、エジプトツアーに行ってきたので、ちょうど政変前だった
から何事もなく観光を十分したそうで、ピラミッドやらを身近に語って
もらいました。 現地ガイドさんが日本語で「シバラク大統領」と言って
笑わせていたとか・・。ヨルダンや死海で浮いてきたことなどの楽しい話が、
ほんのちょっと過ぎただけで、この地域に大きな政変が広がってしまった。
めまぐるしい・・!
井の頭恩賜公園も久しぶりだったが、のどかな雰囲気に包まれて、こちら、
外見は平和そのものでした。
まだ、落葉樹には葉はなく、
「まんさく」には黄色の綺麗な花がついていました。
カモの類がたくさん泳ぐ池をめぐりながら、公園の歌姫「あさみちゆき」が、
この池のほとりでストリートライブをやっていることは、今や有名になって
いる。ちょうど先週に159回目をやったとか・・。
恩賜公園から井の頭自然文化園に足を延ばし、野鳥や小動物、水生動物
など小さな子供たちに交じって、楽しい見学をしました。
さらに、このようなところがあったとは知らなかったのですが、「彫刻園」
に入り、長崎の平和祈念像作者の北村西望氏(明治17年生)が製作した見ごたえ
のある彫刻の数々を鑑賞しました。
平和祈念像原型
天女の舞
静かな、のんびりとした楽しい文化的な土曜の散策でした・・。
音楽は、あさみちゆき から~
あさみちゆき 井の頭線・あれから
もう1曲いかがですか・・?
あさみちゆき/鮨屋で...
ICTはもちろん、Information Communication Technology のことですが、広く情報技術がもたらす影響について少しだけ考察してみたのです。
もう20年以上も前のことですが、かのブランデンブルグ門の崩壊につながった底流に衛星テレビ放送があったと当時言われていました。自由で、活気あふれ、楽しい映像は、統制下の人々に少なからず自らの現状に疑問を抱かせ、新しい欲望が増幅されてゆくのは人間の自然な姿であるでしょう。
30数年前、いわゆるケーブルテレビが始まった頃、テレビ放送が進んでいない国の、進んだ国との国境付近にケーブルテレビのアンテナが林立するような感じで並んでいました。当時、カナダもアメリカとの国境付近がそうでしたし、ベルギーなんかもそうでした。単に、テレビチャンネルがもっと欲しい(いわゆるモア・チャネル)現象ですが、このように情報がどんどん共有化され、文化や生活などの様子が伝搬するのです。テレビ放送電波はせいぜい100Km位までしか届きませんから、対して遠くまでその影響は及びにくいのですが、衛星テレビとなるとこれはもう国境などで遮蔽することは難しいのです。もちろん、衛星電波の形(指向性)を変えて、なるべく意図したところに届くようにしますが限界がある。
ところで、インターネットはどうでしょうか? 最近では、ネットで放送も見られますから、電波の届かないところまで、地球の反対側までも届けられるようになりました。
ですから、もう衛星テレビなどの比じゃなくなっているんです。おまけに、メールやfacebookなどのようなソーシアルネットワークでは、大勢の人が情報を交換し、共有し合え、「友達の友達はみな友達」式にあっという間に情報共有範囲が拡大されます。
チュニジアで起こった大規模デモは、たちまちのうちにエジプトに・・リビアへと・・拡大されたのもこれら情報ネットのなせる業であります。もちろんこれらの国では、それまでの圧政下の不満や問題が一気に爆発したと考えられますが、それを短期間に可能にしたのはこのICTなんですね。 最近聞いたラジオで、このような政変は次々と波及しているけれども、すぐお隣の国は、ICTが普及していない(させていない)から、しばらくは政変は起こらないだろう・・といっていましたね。
民主化の歴史を見ると、イギリスは1688年の名誉革命、アメリカ独立が1776年、フランス革命が1789年、日本は明治維新1868年、ロシア革命は1917年、朝鮮はようやく1945年に大韓民国に・・・。民主化は、やはり先進で近代化された望ましい国の姿であると認識してきましたし、たしかにそうであると思います。
民主主義は素晴らしい、確かにそうですが、問題もある。民主主義下の公正な理想的な選挙でも、「清き1票」の地域格差が問題視され憲法問題にまでなっているけれども、それよりも、地域格差以上に問題なのは、有権者の意識・見識、国を思う心のありように大きな格差が内在しているのではないかと思うのです。これは、どうすることもできない基本的な問題です。甘い言葉や一見得をしそうな政策に洗脳されて、水槽に張った水が傾斜をつければどっと片方に移動するような危険をはらんでいるように思えるのです。
そして、これらの事象は、ICTの普及によっていとも簡単に、短時間に世論形成されてしまう危険性があるのではないでしょうか?
どんどん進化して行くICTの光と影をよく考えなければならないと思うのです。
Hayley Westenra - Amazing Grace (Live)
前回よりかなり遅れて別の2鉢がこのところきれいに開花しましたので・・つい。
東京ドームでは、世界らん展が今年も盛大に開催されており、前日にはNHKテレビで紹介されつい見とれてしまいました。「日本大賞」には、16年かけて育てた大株の蘭が受賞しましたが、NHK趣味の園芸でおなじみの江尻先生の作品でした。
前置きが長くなってしまいました。気おくれしてなかなか出られない・・?
写真の撮り方で、色合いの加減がかなり違ってきます。自然光、蛍光灯の光、カメラのストロボ・・自然光が断然よろしい。
お話代って・・・このところ、ちょっとしたきっかけがあり、「酵母」にかかわっております。それで、今日はかなり長時間、パソコンに取り組んで、ネットサーチしたり、検索結果のヒット具合など調べていました。酵母って、よく知っているつもりでも、じゃ・・なに?と改めて問われると・・はて? 具体的に説明しづらいんですね。ビール酵母とかパン酵母とか言いますね。あの酵母です。これが、糖質を分解してアルコールと炭酸ガスを作るんですね。血糖値問題、ダイエット対策などに効果があるという・・・。いずれ、機会がありましたらもっと詳しく解説したいと思います。乞うご期待・・・。
蘭の話なので、らん・・の音楽と行きたいところですが、らんは、らんでも
藤沢嵐子 の ママ恋人がほしいの・・。
Tango - Mama, Yo Quiero Un Novio - RANKO FUJISAWA
しかし、ここで取り上げたのは、全くシリアスなものではなく、ある会社の入社15年目の技術系男子100名の、入社15年祝賀会の余興の一つとして公表されたアンケート結果を、一つの参考として取り上げてみました。 な~んだ!
この祝賀会は今から30年前に行われました。30年前の社会は・・福田赳夫首相から、年末の総裁選の結果、大平正芳第1次内閣が発足しています。かの植村直己氏が単独北極点到達の偉業を達成・・日本レコード大賞には、ピンクレディーのUFOが・・また、事件では、過激派が成田空港管制塔を破壊したために開港が延期された・・などが象徴的です。
この時、15年を迎えた男子ビジネスマン100人の素顔は・・・
出生地
東京 23%、静岡 8%、大阪 7%、
兵庫・愛知・北海道・広島・岐阜が 各4% その他地域が 34% さらに外国(中国など)が9%・・ たまたまでしょうが静岡が2位となっています。
続き柄 は、
長男が圧倒的に多いですね。
次に趣味・・(3つまで複数回答)
で、だいたいばらけていますね。麻雀は懐かしい・・
嗜好(1つだけ)
一割くらい飲まない人がいます。当時ウイスキーがまだまだ根強い人気があったのですね。
たばこ(喫煙本数)
すわない が53%もあり、立派なグループですね。しかし、喫煙者の中では結構その本数がかなりである。おそらくこの人たちの現在は皆さんキットすっておられないのでは・・?
好みの女性タレント
1位栗原小巻9人、2位十朱幸代6人、3位竹下恵子6人、4位八千草薫5人・・・女性タ レントはこの他36人も上がっていました。無難な方を選んでいます・・懐かしい名前ですね。好みは、分散しています。
ところで、女性に魅力を感じるポイントは(複数回答)
1位バスト35%、顔29%、ヒップ21%、足18%、全体のバランス12%、
ウエスト9%、髪8%、と続いて・・以下幅広く分散しています。
・・・なるほど、時代が変わってもみんな同じ傾向・・
自身の体重は入社時と比べて
5k増えた13%、7k増えたと10k増えたが各9%で、逆に体重が減った人は わずか10%で、全体的に増加した人が圧倒的に多く中には15~6kも増えた人がいる。
入社後に取得したライセンス
自動車が圧倒的で89%、後は博士号5%、英検2%、その他・・
子供の数は
男の子100人、女の子が91人でほぼバランス・・。
子供に習わせているものは、男女含めて
ピアノ50%、水泳20%、書道13%、その他バレエ、剣道、絵画など・・何も習わせていない人も50%いました。
そのほか目ずらしい記録としては、
ゴルフ3.5ラウンド(途中雷で中止しなければ4.5ラウンド達成できた?)、
ホールインワン、天和、ツキノワグマに出会う、年賀ハガキ1等など・・・
30年前の平均的ビジネスマン像でしょうか・・?しかし、やはり時代が移っていることも歴然としていますね。
今回の曲は、当時のレコード大賞から・・
ピンクレディー Pink Lady "UFO"
「生活の中の日中関係」と題する丸川知雄教授の記事の中から興味を引いた部分の一部です。
まず、食品について・・・。 日本が農水産物を最も多く輸入している相手は、アメリカで中国はその半分くらいだそうですが、スーパでもうなぎやシイタケ、落花生など中国産が目立っているのは、アメリカから輸入している主なものは、トウモロコシは飼料であり、大豆は食用油になり、小麦は大部分がパンやうどんになるのであまり目立っていないというのです。
(ネットから)
たけのこ、緑豆などは中国から89%も輸入しているが、緑豆を見かけないのは、もっぱら「もやし」の原料になっていて、日本の工場で発芽させるから、そのもやしは100%国産として売られているのだそうです。
(ネットから借用)
うなぎ・・も中国と台湾に大きく依存しており、「かば焼き」まで加工されて中国から輸入されている。(ネットから)
つまり中国産・・ですが、実はウナギの出身地は日本で、日本の川で育ったシラスというウナギの稚魚を、中国の養殖池で育て かば焼きにする・・。日本生まれの中国育ち・・。もっと言うと、マリアナ諸島で生まれたのが、日本の川に来ているという・・。大阪の淀川にも今でもシラスうなぎ漁の名残があります。
大阪淀川
(ネットから・・向こうの鉄橋はJR神戸線)
衣服では、日本の中国産への依存度は服の枚数で85%、金額で72%であるという。下着なら点数で88%、金額で78%だそうです。しかし、日本で仮に1万円する服があるとすると、そのうち3,600円は日本の小売業者が、さらに日本の卸売業者が1,500円を取り、さらに、生地やボタン、糸などの材料を引くと、中国の工場が手にするお金はせいぜい1,900円なんだそうです。また、「日本製」と書かれた服は、実は日本の外国人研修・技能実習制度で働いている中国人が縫っているという。日本の衣服の工場で働く人のうち2/3が技能実習生で、ほとんどが中国人なんだそうです。日本製となっていても中国製とほぼ変わりないということ・・?
電機製品も、どんどん中国に生産が集中しており、ipod、DS(ニンテンドー)、PS(ソニー)などは中国で組み立てられている。NEC製の携帯FOMAのある機種は設計も中国だそうです。
産地詐称が時に問題となったりしていますが、今後、国を超えてさらなる融合(混合?)が進んでくればそれこそどこがどうだか皆目見当がつかないことになりそうですね。
音楽は純日本製で・・・。昭和24年 藤山一郎、奈良光枝
青い山脈
もう1曲・・坊がつる讃歌 芹 洋子
およそ20日後の様子です。ちょっと背丈が低いようですが
元気そのものの感じがいい表情だと思いましたので・・・。
先日(15日)のドカ雪では、花が重たそうにうなだれてしまっていました。
ついで・・ということでもありませんが、ねこやなぎ の
アップを添えてみました。
この花は、少々乱暴に扱っても全く平気です・・。
Enrique Iglesias & Luciano Pavarotti - Cielito Lindo
ちょうど一年前の今頃でした。
案内をもらったので、JR千駄ヶ谷駅近くの国立能楽堂に行きました。
「企画公演」で、女性能楽師による「半蔀(はしとみ)」、「黒塚」を観劇しました。
国立能楽堂
「黒塚」のシテを務めるのが、高校9期後輩のKさんでしたので、是非・・ということで本当に珍しい能楽鑑賞となりました。
女性能楽師 Kさんは、宝生流女性能楽師の牽引役の一人として現在活躍中の方ですが2004年に女性能楽師として初めて重要無形文化財総合指定保持者の一人に認定されておられます。わが高校同窓生OB・OGには実業、学術、スポーツ、芸能など各界で活躍されている方々がおられますが、能楽師がおられたとは初めて知ることとなりました。
黒塚の映像ではありませんが、雰囲気を・・ネットから借用しました。
能楽といえば、その昔、まだ子供の頃大阪上町筋、上本町1丁目あたりに大槻能楽堂というのがあって、内容もよくわからないはずなのに何度か見に行ったことを覚えています。ゆっくりとしたしぐさや、大皮の音に驚いたり、狂言の面白さは感じていましたね。
それで、「黒塚」というのは、陸奥・安達が原の鬼女伝説を基にした物語で、山伏一行が日が暮れたので野原の一軒家に宿を乞い、そこでの出来事を演じています。夜の寒さに薪をしてもてなそうと老女は山に薪を採りに行こうとするが、「留守中に決して閨(寝所)をのぞかないように」と念を押して出かける。しかし、山伏の従者の一人が、何としても閨を覗いてみたくてしょうがなく、とうとう覗いてしまった。なんと・・!そこには積み上げられた死骸の山があった! 孤独な老女の優しい姿は一転、鬼女に変身する・・見せ場へと移る・・・。
内部全景・・ネットから借用しました。国立能楽堂ではありません。
席は脇正面に取りましたが、前座席の背のところに、液晶画面が設置されており、やや光を落した画面に謡曲・セリフに合わせた言葉が映し出される仕掛けになっていました。このような仕掛けは、今回初めてでしたが大変わかりやすく、内容理解に大いに役立ちそれだけ舞台に溶け込むことができ感動しました。
そういえば、国立文楽劇場では、舞台の左右の袖に大きな縦長の画面がありそこにセリフが出るので、文楽もわかりやすかった記憶があります。
こういった日本伝統芸能の世界にもITがうまい具合に溶け込んでいるのですね。
曲は、能楽とは関係ありませんが・・懐かしいところで・・・。
Dinah Shore - Blue Canary 【720P】 青いカナリア
もう1曲、好きな曲を~
Patti Page - Mockin' Bird Hill 【720P】 モッキン・バード・ヒル
透き通るような青空・・! RINちゃんの車で一路目指して出発。
約1時間、目的の 東京都あきる野市 秋川渓谷瀬音の湯 に到着。
玄関でパチリ。
早速レストランで腹ごしらえ・・。話題は、先日のロアラブッシュでの新年会から、今年計画している「10期会」について・・。いつものように話題はすぐに盛り上がり、この結論を、推進している「幹事会」にプッシュすることとなった。
待望のお湯は、Ph10.1 のアルカリ泉で、湯船の中では肌がつるつる滑る感じ。少し温まって、露天風呂へ・・。そんなに高くない山間の温泉、目の前には杉木立が緩やかな風にそよいでいる。花をつけて先の方は赤みを帯びているが、まだ花粉は飛んでいない。さんさんと降る陽ざしはじっとしていると熱いくらい。湯につかりながら首だけ出している頬には風がさわやか・・。あぁ、何と平和なことでしょうか・・。
お風呂の部分の写真はありません。
しっかり温まった身体は、内からポカポカとしてオーバコートは着けないで、秋川渓谷に急な坂道を下りました。
河原には、まだ雪が残っているのに・・写真ポーズなどする余裕がありました。
遠くには、シラサギがじっとしている・・。
週末やシーズンはかなり混んでいるそうですが、今回、のんびりと都会を離れて,チョットだけ自然の中に身を置く贅沢をさせていただきました ありがとう・・!
静かなこの曲はいかが・・?
追憶のテーマ The way we were
♫ 友~と 語らん 鈴懸~のみち 通い慣れ~たる 学び~舎の街~♫
たまに、友人とランチをしておしゃべりを楽しむことがあり・・今日は池袋界隈の
待ち合わせで、少し時間も早めだったので、何気なく歩いていたら立教大学近くに
来ました。折角だから、キャンパスに入ったら、立派な赤レンガの本館があり、
すぐ横の掲示板には、学科別の合格発表があり、合格者の受験番号が書かれていました。
この本館のすぐ左側に合格発表が・・
確か、この大学内に、あの灰田勝彦の「鈴懸の径」のモデルとなったところがあった
と思いだし、それなら・・と案内板に従って行ってみました。
鈴懸の径です。時期が時期なので、葉っぱも落ちて、これが・・! という感じでしたが、
秋には、鈴懸の実が・・ 落ちた実をネットから・・
すぐ横には
立派な記念歌碑がありました。 いい雰囲気でした。
少しキャンパスを歩いてゆくと、ウイリアムス記念館?の中にキャフェテリアがあると案内されていたので・・いわゆる学食ですが・・そこで若い学生に交じって、気持ちだけ昔に戻ってランチをしました。コロッケカレーと野菜サラダで580円でした。
昭和17年に灰田勝彦が歌った懐かしい曲を、おなじみのクラリネットで・・・
鈴木章治Shoji Suzuki - 鈴懸の径(SUZUKAKE NO MICHI)すずかけのみち
ひと月以上雨もなくカラカラ天気でしたが、立春を過ぎたあたりから
曇り空・・細かな氷雨がちらちらありまして、昨夜から降ったのです。
夜10時頃、恐らくアンテナに積もった雪の仕業?だと思うのですが、
テレビBSの映像に雑音がかなり入りました。ピークでは、映像がほとんど
消えてしまうほど・・でしたね。
今朝の雪の状態です。
見張り役?のたぬ公
紅梅にも・・
サギソウの鉢にも山盛り・・・。
「雪」の文字を調べてみましたら、普通の「ゆき」の他に、すすぐ、そそぐ
などの意味があり、汚れを去って綺麗にする 清める などがあります。
永田町にもおそらく降ったと思われますが・・さてこの程度じゃ大した
効果がないかもしれない・・?
ゆき 以外の意味で使われている言葉を拾ってみると・・雪辱、雪恥、など
のほか 雪隠、雪駄などもあり、さらには 雪姑(セキレイの別名)や
雪客(サギの別名)などがありました。
雪崩(なだれ)、吹雪(ふぶき)などは自然現象を的確に表現しているが
読み方は難しい。
そろそろ雪崩のシーズン、くれぐれもご注意あらんことを!
G線上のアリア
昨夜のテレビで音楽番組を見ていました。
二人の若い女性歌手が、さだまさし の「案山子」をハモッて歌っていました。
これまでも何度か聞いたメロディーがやさしい歌でしたが、テレビにでる
歌詞をじっくりとみているとなかなかいい歌でした
この歌の出だしにフッと・・昔、聞いたことのあるメロディーが重なり・・
あれは、なんだったかなぁ~ と思いだそうと、少し口ずさんでいると・・
アッ、かなり昔に聞いた「バイアコンディオス」であると想い出した
バイアコンディオスとはどういう意味だったか?はっきりしなかったので、
ネットを見てみました。
Vaya con Dios で、スペイン語。神とともに行ってください・・、ごきげんよう
などという意味だとか・・。あ、そうだったか・・と思いながら、別の
ブログに、バイアコンディオスに関した記事があるのに気が付いて、そのブログ
を開いてみました。
ブログ名は「しじゅうから交響楽談」管理者は大阪府の人。 2009.3月にアップされた記事から、一部を引用してみます。
それぞれの国にいろんな「サヨナラ」がありますね。英語のグッドバイは Good-bye Good-by 「よいことのそばにあれ!」「「よいことと一緒に!」という意味?
スペインでは、別れのあいさつに、「 Vaya Vds.con dios!」 というのがあります。「 バイア コン ディオス!」という名曲もありますが、意味は<神とともに行きなさい!>です。
去っていく人は Quede Vds.con dios! <神とともに残れ!>といいます。ということは、Good-byeは元々は「God-bye」ではななかったのか?。調べてみるとやっぱり、「 God be wy you 」だったようです。
「 wy 」は、現在のwithの古い形で意味は「神があなたと共にいますように」と言う、別れ際に相手の幸せを祈る言葉だったようです。時を経て短縮化され「God buy ye」となり「God bu'ye」になっていき最終的に「God bye」になった。
「さようなら」は五つのひらがな。ハワイのアロハ、ヒンディ語のナマステー、みんなやさしいことばですね。
伊 アリィヴェデルチ Arrivederci
独 アウフヴィーダーゼーエン Auf viedersehen
仏 オルヴォワール Au revoir
西 アディオス Adiós バイヤ ウステ コン ディオス Vya Vd con dios!
ケデ ウステ コン ディオス Qude Vds. con dios!
・・・もう少し記事は続いています。
で、紹介したい曲は、これです・・・
Vaya con Dios
テレビでやっていた、きっかけになった曲もどうぞ・・・。
案山子[さだまさし]デビュー30周年記念特別仕様盤
あまり綺麗じゃないかもしれませんが・・。もう10数年我が家にいます。
あの豪華なカトレアは、育てるのに温度管理とか難しいようですが、ミニカトレアの方は寒さにも強く特に温室などはありませんから、冬場は室内に取り入れているだけ・・。
色合いも、赤の派手派手だとまだ見栄えがするかも・・。これは、清楚で上品と言っておきましょう。駄温鉢に水コケでやっています。手間いらず~。
もうちょっと、近寄ってみますと・・・
マイルス・デイビスのこの曲をど~ぞ!
Miles Davis - My Funny Valentine
フィッツジェラルドでは、どうですか・・・ゆっくりお楽しみください。
Ella Fitzgerald - My Funny Valentine
と思われるかもしれませんが、本箱の中に、少し表紙が変色した岩波新書が目にとまったからです。1960年1月に駸々堂にて求む・・のサインがあり、ふと懐かしい当時が思い出されページの中へ誘われてしまいました。駸々堂といえば、当時、長堀通りの心斎橋北詰めにありました。
1959年9月初版(関英夫著、エレクトロニクスの話~ラジオから電子計算機まで~定価¥100)と記されているから、今から52年前のことである。
書き出しを引用すると「世はまさにエレクトロニクス時代だといわれる。まったく、ここ数年のエレクトロニクスの発達には目を見張るものがある。真空管に代わってトランジスターが現れ、ラジオに代わってテレビジョンが急速に普及する。また、レーダ産業に続いて電子計算機産業が世界を風靡する。 家庭には・・・(略)。これが物質文明の極致というものだろうか? いや、そうではない。これは、明日に迫っているエレクトロニクス文化の前夜祭にすぎないのだ。」で始まっている。
本書の中で、50年後の世界(つまり今日)について、要約するとざっと次のように述べられている。
「ラジオ屋でもガーガーとスピーカーを鳴らすことはない。トランジスターラジオは腕時計くらいの寸法。ポケットから時々手帳のようなものを出して見ているのはテレビ放送、平べったい半導体上に写るテレビ。自宅には壁掛けの大型色彩テレビがある。電話機のそばまで行かないと話ができないなどということはない。道を歩いている途中でも自分に電話が来ている信号が聞こえ最寄りの電話から連絡できる(ポケベルのこと)・・。国際電話も2分以内で相手が出る。外国語も交換局の中で日本語に翻訳してくれる。家々の屋根には海苔干場のように無数に並べられた太陽電池・・・(略)。このころのカメラは、絞りも露出もピントも全部自動だから、狙ってシャッターを切るだけの手間だ。おまけに、電子写真になっているから、撮影してもすぐ像が見られる。病院に行っても・・・」と。
あれから50年が過ぎた今、ポケベルの実用化等については、はるかにその先を行ってしまったけれど・・・著者である関博士の先見は実に見事としか言いようがない。コンピュータの発達、ネットワークの進展により、この文明の速度はあまりに早く、人類が電気を自由に操れるようになってから、わずか200年余りで今日のような時代に変身してしまった。
いったい、エレクトロニクスの起源はいつ頃であるか? やはりその源は、静電気でありすでに古代ギリシャ時代に琥珀を摩擦すると軽い物質を引き付けるという謎めいた現象として経験的に知られていた。1600年にようやく、電気・磁気の問題が整理され今日の電気磁気学の先駆的役割を果たしたといっても、まだこれらを自由に使うことはできなかった。1600年といえば関ヶ原の戦いで家康が勝利を収めた年である。
関ヶ原の合戦(ネットより)
その後、むしろ光学・力学・真空などの技術が盛んに論じられ、おなじみのガリレイやニュートンら活躍する時代となる。18世紀に入って、フランクリンの雷実験や1775年には、静電気がいよいよ動電気へと移行する重要な発明の中心人物としてイタリア人ボルタ(電圧の単位をボルトという)らが活躍した。アメリカの独立宣言が行われた頃(1776年)である。
(ネットより)
18世紀~19世紀は、各地で産業革命が盛んに起こり鉄道の普及とともに電信が急速に発達した。
その100年後の1876年(明治9年)には、アレキサンダー・グラハム・ベルによって電話機が発明された。(これもネットから借用)
2~3年後には、日本でも電話機が開発されたが当時、西南戦争もありこれまで進めてきた電信による情報伝達を優先することとして電話はその後10数年間凍結された。
20世紀は、技術分野の大いなる発展を遂げることとなるが中でも、1951年のウイリアム・ショックレーによるトランジスターの発明によりそれまでより、より早く広く深い文明の進展を見ることとなった。ショックレーのトランジスターの開発・製造拠点は、カリフォルニアにシリコンバレーの出発点を築いた。
トランジスターの発明を原動力としてコンピュータを軸に、その後わずかの期間にエレクトロニクス技術は広い分野で大きく開花することとなる。古くから人類の夢であった様々なことが多くの人々の発明・考案により、また戦争や国家施策、産業効率化等を契機として文明の進展とともに次々と実現されてきたのである。社会の進展につれて、より一層の企業活動の効率化、個人生活の向上に向けて、さらに複合化・高度化されるに至るが、この傾向は今後も留まるところを知らない様相を呈している。これらは、単に技術・機能面ばかりでなく、もはやインターネット、モバイル端末、さらにその発展形は人々の生活様式を変え、コミュニティーさらには文化まで創成しつつあるといえる。
この当時の歌
アカシアの雨がやむとき 西田佐知子
もう1曲 グレゴリーペックらのナバロンの要塞
The guns of Navarone(1961) - Theme Song
園まり 夢は夜開く
14~5人の小さなサークルですが、持ち回りで発表したりしていつも楽しい雰囲気です。昨年、蓼科の畑にも参加した方々も多く、今日も時々蓼科の話が出たりしましたので、よほど蓼科の畑の印象が強かったのではないかと思います。これも、蓼科浪漫倶楽部の面々が醸し出す楽しい雰囲気がいつまでも良い印象として残っているのだと思います。浪漫倶楽部の一人としてうれしい思いです。
で、昨年参加した最年長のNさん(昭和2年生まれ)が、趣味でいろいろとやっておられるそうですが、蓼科の皆さんへ・・ということで、「手作りの箸置き」をわざわざ持参してくださいました。小さなものですが、写真のようなものです。
その気持ちがうれしくなりましたので、早はやブログにアップしました。
2月の中旬にもなれば、世の園芸人はウキウキ、そわそわするそうです。
宿根草の植え替え、土の再生、消毒、園芸店にはいろんな草花苗や花木、ジャガイモの種イモ・・・。もうジッとしておれない~! 蓼科はまだもう少し先ですね。
瓢箪型箸置きをプレゼントしていただいた長山さんは、ご自分のお庭に3メーターも掘って、ワインセラーを造られたお話をされていたかただと、覚えております。いろいろと玄人肌で製作されて、人生を楽しんでおられるのですね。(mak)
以前、朝ドラのテーマでよくききました。
春よ、来い(歌詞付き)
てっぱんの主題歌 葉加瀬太郎
マジシアンの動画を見つけました。