毎日暑い日が続いていますが、そろそろ花火のシーズン到来です。
昨夜の首都圏での豪雨で中止になった葛飾区の花火大会で、先の渋谷で活躍した“DJポリス”が、
絶妙の誘導で混乱が避けられたとか・・。
最近でこそあまり観に行く(花火)こともなくなりましたが、若い頃は、有名どころ(近場)には割と出向いた方かもしれません。
例によって知人の、H氏からネット配信して下さる情報記事に興味のある記事がありましたので、
氏には無断ながらご参考にアップさせていただきました。
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『「動かない」と人は病む』 ‐生活不活発病とは何か
大川 弥生 著 (講談社 2013/05 232p 798円)
1.本人と家族の積極的取り組みを
2.外の世界とのかかわり
3.日常生活の中で
4.障害に生活不活発病が加わることも多い
5.「寝たきりを防ぐ」から 「つくられた歩行不能を防ぐ」時代へ
6.遠隔介護予防のすすめ
7.病気としての生活不活発病の特徴
8.生活不活発病研究の歴史
9.善意の支援が生活不活発病を生む?
10.人が「生きる」ことの構造
【要旨】「運動をしないから体がなまった」とは、我々が日常生活でよく口にする言葉である。
技術の進化によって人々の生活はますます便利になり、今や自宅でパソコンの前に座っているだけで、
世界中の情報が得られ、コミュニケーションをとることができる。
運動不足により肥満などが問題になるが、実はもっと深刻な病の危険性も指摘されている。それが本書のテーマである
「生活不活発病」である。「体がなまった」状態がさらに深刻化し身体や脳の機能が低下していく病気で、
「廃用症候群」とも呼ばれる学術的に認められた疾病だ。とくに高齢者に多くみられるこの病に対処することは、
超高齢化社会に突入する日本社会の重要な課題の一つともいえる。
本書は、まだ一般には馴染みのうすい生活不活発病の原因から治療・予防についてまで、くわしく解説したものである。
著者は現在(独)国立長寿医療研究センター生活機能賦活研究部部長を務める医師で、「生活不活発病」という名称の提唱者でもある。
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あなたご自身やご家族・お友達などについて、「最近体が弱ってきたようだが、年だから仕方ないか……」
「病気した後、いつまでも元気が戻らないけど、年のせいで病気が治りにくいのだろうか……」などと思われる
ことはありませんか?
これが実は「生活不活発病」という病気のため、あるいはふつうの病気に生活不活発病が加わっていたため、
ということが少なくないのです。
生活不活発病とは、その名の通り、「生活が不活発になった」ことが原因となり、あらゆる体や頭のはたらき(機能)が
低下する病気です。この病気は誰にでも起こる可能性がありますが、特に高齢者に起こりやすいものです。また、うっかりしていると「寝たきり」にまでなってしまいかねない、「こわい病気」でもあります。
「生活不活発病」は、アメリカのリハビリテーション専門医であるハーシュバーグ博士が、
はじめディスユース・シンドローム(disuse syndrome)と名づけたもので、日本ではこれを訳して、
学術用語としては廃用症候群と呼ばれてきました。廃用(心身の機能の不使用)という共通の原因から、
さまざまな心身の機能の低下が起こってくるという意味です。しかし廃用症候群という言葉にはいろいろ問題があり、
最近は生活不活発病の方が一般に使われるようになりました。
生活が不活発とは、一日全体を通して、自然にどのような生活動作をどのぐらいしていて、
その結果どのように体や頭を使っているかで決まるものです。
ここで問題となる生活動作とは、たとえば屋外・屋内を歩くことや食事、入浴、洗面、トイレなどの身の回り動作、
家事や仕事など、ふつうは全く意識しないでしている、生活の中で目的や意味を持って行う動作すべてが含まれます。
不活発になるきっかけは、ほぼ次の三つに整理することができます。
(1)社会参加の低下
・「することがない」:転居と家族との同居、災害、また友人が引っ越したり、亡くなった等々の、境遇の変化による状態です。
・遠慮、社会通念による「自己制限」:「年だから動きまわるのはよくない」「災害時に遊ぶなんて」「近親者や友人に
不幸があったのに」などと周囲の目を気にして、やりたいことまでしないことです。
(2)生活動作自体の「やりにくさ」
・病気のため:脳卒中による片まひや、膝の痛み等のために、生活動作自体が「やりにくく」なり、
だから「やらない」という状態です。
・環境の悪化:災害の場合、道や避難所、仮設住宅などの環境が不適切なために、たとえば外を歩くなどの
生活動作が「やりにくい」、だから「やらない」状態です。
(3)生活動作の量的制限
生活動作の量的制限とは、やろうと思えばできるのに、していない状態です。
・病気のあと:その病気自体では「歩きにくい」などの生活動作の症状は出ないのに、
「病気の時は安静」という「通念」にしばられて、必要もないのに生活動作を自分で制限してしまうことです。
・介護や支援のありかた:車いすに乗ったために歩かなくなってしまったり、「代わりにしてあげる」ような
「補完的な」介護や支援によって生活動作を自分ですることが減ったりします。
・季節の影響:夏は暑く、冬は寒いため外に出ることが少なくなります。
生活不活発病は、本人や身近な人なら、毎日の生活の中で、すぐに気がつくことができます。
しかし、生活不活発病は、病気だと気づかれないことが多いのです。生活動作の不自由さを「年のせいだ」などと
思ってしまい、病気だとは思わず、病院にも行かず、人に相談もしないので、解決が遅れたり対策がなされないまま、
という危険もあります。
また残念ながら現状では、医療や介護の専門家にも、生活不活発病についての正確な知識がまだ常識とまではなっておらず、
気づくのが遅れがちです。それは、患者さんの生活に重きをおいて考えたり、また指導したり一緒に工夫する
専門家が少ないこととも関係しています。
人が「生きる」ことは、次のような構造を持っています。
(1)「社会参加」「生活動作」「心身機能」の三つのレベルからなる
(2)これらは「社会参加」をトップにした三層の「積み重ね構造」をなしていて、これら三つのレベルは互いに影響している
社会参加は、さまざまな生活動作から成り立っています。いいかえれば「『社会参加』の具体像は『生活動作』」なのです。
そしてさらに、これらの「生活動作」は、それぞれさまざまな「心身機能」から成り立っています。
歩く、階段の上り下り、重いものを運ぶ、本のページをめくるなどの動作をするたびに、体や頭のさまざまな機能を使います。
このように考えてくると、三つのレベルは、「目的と手段と要素」の関係として捉えることができないでしょうか。
まず「社会参加」と「生活動作」との関係は、「社会参加」は生きることの目的であり「生活動作」はそのための手段といえます。
一方、生活動作と心身機能は「手段と要素」の関係にあたります。ある一つの生活動作、たとえば屋外を歩くという
手段のために、多数の「要素」となる「心身機能」を組み合わせてはたらかせているのです。
生活不活発病は「上から下への因果関係」で起こってきています。
すなわち、(1)「社会参加の制約」が、(2)「生活動作の低下」を起こし、(3)「心身機能の低下」を起こす、という順序です。
予防・改善でも、同様に「上から下へ」の因果関係が大事です。(1)社会参加が活発になればなるほど、
(2)多くの生活動作を回数多く行うようになり、(3)自然に体や頭(心身機能)を使う機会が増えるのです。
この「上から下へ」は、ふつうの病気の起こり方とは逆です。
通常の病気では、(1)まず、病気のために「心身機能」が低下する。(2)それによって「生活動作」の不自由が生じ、
(3)「社会参加」の制約が生じます。また治療・改善についても、ふつうの病気では、まずは薬や手術などで
心身機能をよくします。それによって生活動作がよくなれば、社会参加がよくなると考えていきます。
これも「下から上へ」です。
病気は「下から上へ」起こるものだということに、多くの人が「呪縛」されてしまっているとすらいえます。
生活不活発病を理解し、効果的にそれを防ぎ、生きがいのある生活(豊かな社会参加の状態)を築くためには、
この「誤った常識」から脱却し、「呪縛」から自由になる必要があります。
ただし、生活不活発病について「下から上へ」の因果関係を考える必要がない、と言っているのではありません。
ふつうの病気と生活不活発病の両方を同時に持っている人も多いのですから、病気による心身機能の問題を治すことも
十分に行う必要があります。要するに従来の「下から上へ」だけでなく「上から下へ」のものの見方・はたらきかけ方の
両方を身につけ柔軟に適切に使い分けることが大事なのです。それは生活不活発病の予防・改善だけでなく、
患者・利用者中心の医療・介護・福祉の発展にもつながることと思います。
コメント: 生活不活発病における「上から下へ」という考え方は「ホーリズム(全体論)」に近いものとはいえないだろうか。
単純にいえば「木を見て森を見ず」を避けるということ。本書によれば、人の生活習慣、人生観、人間関係などの
「全体」を見なければ生活不活発病の治療・予防はできない、ということだからだ。そしてこの生活不活発病への対処法、
たとえば因果関係を逆さにして考えてみるアプローチなどは、医学以外のさまざまな問題解決にも応用できるのではないか。
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具体的には本の中に記述されているのでしょうけど、ここで指摘されているように確かに“動く”ことが
少なくなっていることは事実です。
組織に参画している場合には、仕事とかその他のことで、義務的に、連続して動かざるを得ない環境にありました。
が、それらから離脱した環境では、結構“動く”ことはあっても、“連続”して動いている・・ということがどうしても
少なくなりメタボ?に近づき、老化を促進しているという反省はあります。