蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ハーレーダビッドソン  (bon)

2014-08-30 | 日々雑感、散策、旅行

 この名前、大方の人はご存知でしょう。
その昔、あこがれのオートバイとして衆目を集めました・・。 あの、低い、重めのカラダごと共鳴するような鼓動の
排気音。 しかし、その中に軽い感じのリズムが同居する、気持ちまで高揚するような響き・・。

 ある時、だいぶ昔のことですが、場所がどこだったのかおもいだせませんがで、大きな広場に、このハーレーが
大勢集まっている時がありました。 あの大型の、はち切れそうなハーレーが、集合していたのです。
その光景は、いまだに目に残っています。

 ハーレーは、日本には1912年に初めて輸入されたとありますから、既に100年が経つのですね。

 なぜこのことを思い出したか? 実は、例のH氏からの情報記事に、このハーレーがインドで大成功をおさめた・・
という記事が届けられ、昔に思いを馳せてしまいました。 
記事によると、単に高級バイクで、お高く留まっているのではなく、着実なマーケティングと長期的な経営方針に
基づく成功なんですね。やはり、何事も正道が勝利に結びつく・・のですね。

 ハーレーダビッドソン (ネットより拝借しました。)
         


以下に記事を、ご紹介します。

**************************** 

 Dialogue JUN/AUG 2014号  (p62-67)

  ハーレーダビッドソン、インドでの成功への道  (On the road to success)  By David Woods

 
【要旨】ハーレーダビッドソンが本格的にインドに進出したのは2009年。元々インドでの知名度は高かったが、
そのイメージは必ずしもよいものではなかっ
た。マイナスイメージを覆し、ハーレーがインド市場で確かな地位を
築き上
げていくにはどういった戦略があったのか。
ハーレーダビッドソンの完全子
会社であるハーレーダビッドソン・インデイアを任されているアヌープ・プラカシュへの
インタビューを基に、成功の裏側を探った。

  ------------------------------------------------------------

  ハーレーダビッドソンは、強力なブランドイメージをまとった企業の典型である。アメリカンドリームに生き、
ハーレーにまたがって地平線まで続く
道を走り抜けるジェームズ・ディーンやスティーブ・マックイーンの姿を思
浮かべる人も少なくないだろう。
 ハーレー・ファンは意外なところからも現れた。ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が今年、パリのボンハム
オークションで自身のハーレー
を327,000ドルで売却したのだ。それは、16,000ドルから22,000ドルとされた
予想価格を大幅に超えるものだった。教皇のサイン入りのハーレーの革ジャンも77,485ドルで売却された。

  ハーレーの企業文化は強力で、ブランディングのケーススタディとなりうる。多くのファンがそのロゴのタトゥーを
入れている会社など、ハーレーの
ほかにはなかなか見当たらない。

  ハーレーの前ヨーロッパ担当マネージング・ディレクター、ジョン・ラッセルが語った象徴的な言葉がある。
「ハーレーダビッドソンは、レザーを着
こなして街中でバイクを乗り回し、人々に恐れられるような、43歳の会計士
ハーレーを販売いたします」。これほどまでにハーレーダビットソンが売
らんとするものや、その販売対象は明確だ
ということだ。ハーレーが売るの
はバイクだけではない。イメージ、顧客体験、ライフスタイル――。
いずれ
も、“ブランド”を売るうえで欠かせないものだ。

 

 そんなハーレーが2009年にとんでもない挑戦を開始した。多様な文化を持ち、“アメリカンドリーム”からは
地理的にも文化的にも程遠い、インド半
島への進出を決めたのである。この地域では、ハーレーのブランドイメージ
マイナス方向に作用していて、ハーレーにとっては大きな難関に向き合わ
ざるをえなかった。

  ハーレーダビッドソン・インディアのマネージング・ディレクターとして、インド半島での販売促進を任されたアヌープ・
プラカシュはこう話す。
 「2009年のインドでは、ハーレーダビッドソンの認知度自体は高かったのですが、
その認知のされ方は必ずしも適切なものではありませんでした。アー
ノルド・シュワルツェネッガーが乗るバイク、
ヘルズ・エンジェルス(米国
の暴走族にあたるモーターサイクルギャング)が乗り回すバイク、いい歳して口髭を生やし
タトゥーを入れた白人男性が乗るものなど、誤解を含むイメー
ジが広がっていたのです。公道を乗り回すという当社の
バイクにおける古く
からのコンセプトさえ受け入れられるのが難しい状況でした。私たちは、ハーレーとともにある
ライフスタイルを積極的にアピールするところから始めなければならなかったのです」

  プラカシュは、ハーレーに愛着をもつ人が多いアメリカ中西部で育った。だが、入社するまでハーレーに乗ったことは
一度もなかったという。 そこで、
入社後はハーレーダビッドソンの教習コースで免許を取るところから始めた。 
「自分自身がハーレーライダーになることは、顧客体験を理解するのにとても役立つものでした」

 入社の経緯についてはこう話す。「インド系アメリカ人一世として、いつかはインドに渡り、親戚に会い、両親の
育った町に住みたいと願っていまし
た。そのことを偶然、当時ハーレーに勤めていたビジネススクール時代の旧友に
話したのです。すると彼は、ハーレーにインド進出の計画があると教え
てくれました。その後、彼に(ハーレーの)
アジア・パシフィック・リーダー
シップを紹介してもらい、現在に至ります」

  こうして経験豊かで情熱的なリーダーを得たハーレーダビッドソンは、単にインド半島でバイクを売るだけではなく、
現地でブランドの地位を築くべ
く、挑戦を始めた。

 「今でこそ中国には子会社がありますが、中国進出当初は、営業オフィスのみを置き、輸入や販売については
現地のディーラーを通じて話を進めてい
ました。しかしこのスタイルでは、現地ディーラーは短期的な視点でのみ
ジネスをするきらいがあります。その点、子会社を置けば、ブランドや顧客体験を積極的にコントロールできます。
投資に対し長期的なリターンが得ら
れるのです。インドでは、ビジネスを主体的に動かすとともに、長期的な視点で
ブランディングを行うべく、最初から子会社を置くことになりました」

  ハーレーダビッドソン・インディアがハーレーダビッドソンの完全子会社として事業を開始したのは2009年8月のことだ。
 「インドでビジネスを展開するにあたって二つの壁がありました。一つめは、輸入関税と税金の関係で販売価格が
アメリカの2倍になってしまうハー
レーを、いかにインドの人々の手に届くようにするかという問題。
二つめは、
顧客に対し、いかに期待されている世界レベルの対応をとり、満足してもらうかという問題です。
一般的にインドのディーラーは、私たちが求めるよう
なハイレベルな顧客サービスに慣れていません。
ただ、近年はさまざまな高
級ブランドがインド市場に入ってきたことで、この傾向は改善されつつあります」

  手の届く価格を実現するために、プラカシュは現地での組み立てオペレーションを確立した。インド北部の
ハリヤナ州に工場を建設し、部品を輸入し
て現地で組み立てを行う「コンプリート・ノックダウン」と呼ばれる生産方式を
導入したのだ。部品はアメリカの工場から輸入するが、組み立てをイン
ド国内で行うことで輸入関税を低く抑え、
そのことを一つの要因として小売
価格を下げることに成功した。

  ブランディング戦略についてはこう話す。「インドには、人々が長年、リーバイスやマクドナルドなどアメリカの
ブランドに親しんできたという歴史が
ありました。私たちは広告よりも、ハーレーのあるライフスタイルや文化と
どういうものかを実際に見せられる、地に足のついたイベントを展開する
ほうが良いと判断しました。インドの人々に、
ハーレーダビッドソンと自分
たちの生活とをリンクして考えられるようにしてもらうべきだと考えたのです。また、
2011年に組み立て工場をハリヤナ州に建設したことで、『私たち
はただ製品を輸入して売るためではなく、
(インドの)開発に投資するため
にここにいるのです』と言えるようになりました」

  ハーレーダビッドソンに関するインドの新聞や雑誌の記事を見れば、プラカシュたちがインドでハーレーの
バイクへの愛着を育てるためにどれほど一
生懸命働いたかがわかる。そこには、インドの公道を走るたくさんの
ライダー
グループの写真があり、“シュワルツェネッガーのバイク”のような先入観がすっかり拭い去られていることが
感じられる。

  「はじめてインド市場にやってきたとき、どんな人々が私たちの顧客になってくれるのか、まったく想像できませんでした。
でもいまは、顧客になって
くれるインドの人々がどういった本を読み、休みの日にどこへ出かけるのか、といった
ことも把握しています。ハーレーはインド社会全体に浸透していっ
ているのです。もし私たちがハーレーは高価格の

贅沢品だとして最初から販
売相手を限定していたら、インド進出は失敗に終わっていたでしょう。ラグジュアリーで
あることが私たちのDNAなのではありません。『スペシャルであ
ること』と『手の届きやすさのバランス』が必要なのです」

  インドではこの4年半でハーレーのフェイスブック上のファンの数が130万人に増えた。これはアメリカに次ぐ
世界第2位の人数だ。しかし、この急激
な成長と明るい将来展望の中心にいるプラカシュは、物語はまだ終わりでは
ないと考えている。まだまだインド市場でやるべきことはたくさんある、そう信じているのだ。

 

コメント: ハーレーダビッドソンによるインド進出の勝因は、一つひとつ段階を踏むことにより「手の届きそうな
高級ブランド」という、もっとも需
要を喚起しやすいステータスに達したことにあるのだろう。ハーレーにとって、
富裕層をターゲットに「趣味性の高い高級車」という打ち出し方をする
のが、いちばん手っ取り早い方法だったはず。
しかし彼らは、まず地道にブ
ランドイメージの土壌を踏み固めることからはじめ、コストダウンをはかり、低価格帯の
高級ブランドを投入することで富裕層よりも大きなパイを獲得し
た。企業全体の方針や競争環境にもよるのだろうが、
スピードを重視しター
ゲットに集中するよりも、あえて先を見据えた地道な戦略をとるほうが良い結果を生むことも
あるのだろう。

 Copyright:株式会社情報工場

 

 

 

u-tubeより。 2013.2.24 新東名 清水PA とありました。 (最初の1分ほど、雑音があります。) 

 

 

 

 

 

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貝原益軒  (bon)

2014-08-27 | 日々雑感、散策、旅行

 突然ですが、今日8月27日(旧暦で)は貝原益軒の命日ということだそうです。
この人の名前、そして “養生訓” は殆どの人が知るところであり、私もその一人ですが、さてその、養生訓が
どのようなものであるか・・などは、ついぞ詳しく見ることはありませんでした。
で、命日に因んで、少し紐解いてみたいと思いました。 (ウイキペディアを参照しました、)

 貝原益軒は、江戸時代(1630~1714)の本草学者、儒学者で、福岡の人で、本名を篤信といい、号を損軒と名乗り、
晩年に益軒と称したとあります。

             貝原益軒像
                   (ウイキペディアより)


 著書に、教育書の『養生訓』、『和俗童子訓』、『五常訓』や、本草書、思想書、紀行文などたくさんの著作物が残されています。
この中で、『養生訓』(ようじょうくん)は、健康な生活の暮し方について、実体験に基づいて書かれた書物であり、
長寿を全うするための身体の養生だけでなく、こころの養生も説いているところに特徴があるといいます。彼の著作の中でも
最もよく読まれたものだそうです。
第1巻~第8巻までそのボリュームもすごいですが、割合分かり易く書かれていると思います。
で、その、基本には以下の思想が貫かれているというのです。 すなわち・・

養生の視点からの「三楽」として

 1、道を行い、善を積むことを楽しむ
 2、病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ
 3、長寿を楽しむ。

また、その長寿を全うするための条件として、自分の内外の条件が指摘されていて、その自らの内にある四つの欲を
抑えるため、次のものを我慢せよといっています。

 1、あれこれ食べてみたいという食欲
 2、色欲
 3、むやみに眠りたがる欲
 4、徒らに喋りたがる欲

すごく長いので、以下に3つだけ引用してみました。

第1巻 総論上

(105)

凡(およそ)養生の道は、内慾をこらゆるを以(て)本とす。本をつとむれば、元気つよくして、外邪をおかさず。
内慾をつつしまずして、元気よはければ、外邪にやぶれやすくして、大病となり天命をたもたず。内慾をこらゆるに、
其(の)大なる条目は、飲食をよき程にして過さず。脾胃をやぶり病を発する物をくらはず。色慾をつつしみて精気を
おしみ、時ならずして臥さず。 久しく睡る事をいましめ、久しく安坐せず、時々身をうごかして、気をめぐらすべし。
ことに食後には、必数百歩、歩行すべし。 もし久しく安坐し、又、食後に穏坐し、ひるいね、食気いまだ消化せざるに、
早くふしねぶれば、滞りて病を生じ、久しきをつめば、元気発生せずして、よはくなる。 常に元気をへらす事をおしみて、
言語をすくなくし、七情をよきほどにし、七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ思ひをすくなくすべし。
慾をおさえ、心を平にし、気を和(やわらか)にしてあらくせず、しづかにしてさはがしからず、心はつねに和楽なるべし。
憂ひ苦むべからず。 是皆、内慾をこらえて元気を養ふ道也。 又、風寒暑湿の外邪をふせぎてやぶられず。
此内外の数(あまた)の慎は、養生の大なる条目なり。是をよく慎しみ守るべし。

第2巻 総論下

(210)

一時の慾をこらへずして病を生じ、百年の身をあやまる。愚なるかな。長命をたもちて久しく安楽ならん事を願はゞ、
慾をほしゐまゝにすべからず。 慾をこらゆるは長命の基也。 慾をほしゐまゝにするは短命の基也。恣なると忍ぶとは、
是寿(いのちながき)と夭(いのちみじかき)とのわかるる所也。

第8巻 養老

(804)

老後は、わかき時より月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、
あだに、日をくらすべからず。つねに時日をおしむべし。心しづかに、従容(しょうよう)として余日を楽み、いかりなく、
慾すくなくして、残躯をやしなふべし。老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。老後の一日、千金にあたるべし。
人の子たる者、是を心にかけて思はざるべんけや。

                                       

 

関連は特にありませんが・・
 

 

 

 

 

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アシダンテラとゼフィランサス  (bon)

2014-08-25 | 花鳥風月

朝夕に、ちょっと夏の終わりを感じる頃となりました。 陽は短くなりました。

それでも、日中は、まだまだ苛立たしいくらいの猛暑です。 全国的に集中豪雨が大きな被害をもたらしています。
とくに、広島地方は、死者・行方不明者が多数出ています。報道では、土壌そのものが脆い上に、多量の雨が土石流を
引き起こすのだといっています。テレビの映像で見ると、山際まで住宅があり、危険を感じます。

 このような、時季ですが埼玉の朝霞は雨の大変少ないところで、このところも全く雨がありません。ベランダでは、
毎日水やりに汗しています。 今朝は、どんよりとして時々小雨が降っています。

 

先日、サギソウが咲いて、喜んでいると、
またまた春に植えた球根、アシダンテラゼフィランサスの花が同時に咲きました。グラジオラスなどと一緒に来た球根で、
花を見るまでは、どれがどれやらなかなか見分けがつきにくい感じでしたが、花が咲くとそれぞれに特徴のある美しい
顔をしています。
ゼフィランサスの方は、背丈も短く、ひっそりと地味な感じですが、花は、それに比して大きく感じられ色も妖艶?な感じです。

ネットから、少し詳しい解説を引用しましたので以下に記述します。

 

アシダンテラ  学名:Gladiolus callianthus (=Acidanthera bicolor) 原産地は、エチオピアだそうです。

              アシダンテラ
                  

 

 アシダンセラと発音することもあるそうです。 グラジオラスに似たアヤメ科の球根植物です。エチオピア、タンザニア、
マラウイなどに約20種の原種があるといいます。
日本には1935年頃に、エチオピア産のアシダンテラ・ビカラーA.bicolor Hochst.とその変種のムリエレーというのが、
主に切り花として入ってきたのだとか。 “美しいほうのムリエレーは白色花で内側の3弁の基部に紫黒紅色の鮮やかな
斑紋があり,魅力的である。芳香が午後になると強くなるので,切り花や花壇で愛好される。”  という。
形状や性質はグラジオラス(春植え)と似ていますが、寒さに非常に弱いなど一般のグラジオラスとはやや性質が異なる
ところがあるようです。

 ゼフィランサス 学名:Zephyranthesといい、ヒガンバナ科で、属名は、ギリシャ語Zephyros(西風)と
anthos(花)を組み合わせた名前が語源だそうです。
 

              ゼフィランサス
                  

 

 メキシコを中心に北米南東部・西インド諸島・中央・南アメリカに35-40種があり、温暖な地域で生育し土中に鱗茎を
形成する多年草です。10-25cm位の草丈で、ひっそりと咲きます。 日本では園芸植物として広く植栽されていて、
江戸末期から明治初期に渡来した、タマスダレサフランモドキは繁殖力が強く耐暑性に優れ、耐寒性もあるため、
人里周辺に野生化したものをよく見かます。花色は白色、桃色、黄色などがあり、種間の交配が比較的容易なことから
両親の血を受け継いだ様々な色合いのものが存在するのですね。

近縁のハブランサス属Habranthus、クーペリア属Cooperiaとともに、多くの種は乾燥の後に雨が降って球根が潤うと
花径をのばし、開花する性質があるため レインリリー と呼ばれたりします。 
“ハブランサスは斜めあるいは横向きに咲くのに対して、ゼフィランサスの花は真上を向いて咲く受咲きである。” 
とあり、確かにそうですね。

 

 おまけのグラジオラスです。 

                    グラジオラス
                      
 

 早め、7~8月上に咲いたグラジオラスは、タープ(日よけ)のお蔭で花が折れて無残にも殆ど花を見ることはできません
でした。 刀のような葉っぱばかりがすくすくと伸び放題でした。
 こちらの写真の方は、最近咲いている別物で、色合いが濃く、中心部の色もやや派手好みになっています。
チョットこってりしていますね。

 甲子園、今日の決勝戦はあるのかな?

 

 

 

 

 

 

 

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サギソウ  (bon)

2014-08-23 | 花鳥風月

 サギソウが咲きました。 3年ぶりに咲きました。

 2009年8月に、昭和記念公園のサギソウ講習会に参加して以来、毎年、同じ(新しく購入しないで)球根で育てて来て、
ある年にはたくさん球根が出来て、おすそ分けするほどでしたが、昨年には、わずか10個ほどしか採れず、しかも、
花が咲かなかった球根でしたから 今年咲くかどうか案じていました。

 それで、1鉢しか作れませんでしたが、無事、2つ花が咲きました。 蕾がまだあるので、もう少し咲くのではないかと
期待しています。
 昨年の置き場所が、夜間も気温が下がらなかったのではないかと思い、今年は、風通しが良いところに遷して、
しかも日中の太陽があまり直接当たらないような場所にしたのでした。
行くところに行けば、サギソウが群生しているところもあるというのに、我がベランダでは、ひっそりと寂しく、しかし、
凛と咲いています。

 今年のサギソウです。 
    

 

 このブログの良いところは、過去の日記がそのまま残るところかもしれません。サギソウについて、
わずかですが過去を振り返って見ますと・・(ブログアップした記事)

 2009.8   昭和記念公園にてサギソウ講習会を受ける。(ブログは未開設でした。)

 2010.3   初めてサギソウの球根を植える。2鉢、30球あまり。 

 2010.9   初めての花が咲く。

 2011.3.2  球根を掘り上げる。

 2011.3.6  球根の植え付け。

 2011.9.5  たくさんの花が咲ました。

 2012.2.17  球根掘り上げ。 この年は花が咲きませんでした。

 2013.2.27  球根を掘り上げる。 この年の9月にも花はありませんでした。

 2014.3.5  球根の植え付け。 これが、今回の花になりました。

 

2011.9.5の記事から、その年の咲いた姿をもう一度ここに載せさせていただきました。

          2011年の姿
               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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サルシッチャ  (bon)

2014-08-21 | 日々雑感、散策、旅行

 イタリア風ソーセージのことです。

昨日は、久しぶりにランチの会がありました。
練馬区内のいろんなところの散策も込みで、西武池袋線の練馬駅をスタートして、小竹町にある “まちのパーラー” でランチ、
その後大泉学園駅近くの “牧野記念庭園” そして、練馬高野台の “長命寺” まで、移動は車でしたが、
暑いさ中の散策も(忘れるほどではないですが)苦にならない満足した一日でした。

“まちのパーラー” は、小竹向原から5分ほどのところにある、住宅街の真ん中の看板もない外観は普通のお店でした。
乙武洋匡さんが経営するという “まちの保育園” に併設された、その中は、ちょっとおしゃれなお店でした。
昨年、テレビ東京 “孤独のグルメ”  で、主人公の 井の頭五郎 がここを訪れ、いくつかのメニューが紹介されていた
とかでご存知の方も多いかもしれませんが、元はパン屋さんのオーナーが、根っからのイタリア好きで始めたとか・・。

         まちのパーラー 正面
               

 それで、まちのパーラー でのランチは、タイトルのサルシッチャをはじめ、ローストポークのサンドウイッチ
ホウレンソウのキッシュ、デザートにキャラメルカプチーノと、ちょっとしゃれてみました。
12時少し前で、既に満席で待っていましたが、私たちの後ろには、5組も並ぶほどの盛況ぶりでした。

 サルシッチャ                       ローストポークのサンドウイッチ
   

 

 ホウレンソウのキッシュ                キャラメルカプチーノ
   

 

 サルシッチャはイタリア語で直訳すると腸詰めという意味だそうですが、ここでは、自家製ソーセージと説明されていて、
大変ジューシーで美味しさ抜群・・、メインのローストポークサンドも恐らく自家製のローストポークで味よく、
パンはフォカッチャで焼き方も独特、ホウレンソウのキッシュもふんわりとした感触で、しかし、どっしりと舌に馴染んで
くる感じ・・どれも大変おいしくおなか一杯。 最後は、ラテアートも年季が感じられる細かな図柄で楽しめました。

 ランチに満足して、目白通りを大泉まで移動。練馬区立牧野記念庭園を訪問しました。

 牧野富太郎博士(1862年~1957年)は、土佐の生まれで、世界的に著名な植物学者ですが、大正15年(1926年)から
死去するまで約30年間この地に住んでいました。 その居宅と庭の跡を昭和33年(1958年)に区立庭園としたのです。
牧野翁は、文化勲章受章、名誉都民・名誉区民などに顕彰されています。 
殆ど全国をまわり植物の採集とその分類など、日本の植物学の基礎を築いた人なんですね。それほど広くない庭園には、
オレンジ色のキツネのカミソリ、紫色のヤブランなどの花が咲いていました。

 牧野記念庭園                      牧野翁と命名した “スエコザサ”
    


 練馬高野台方面に戻って、東高野山といわれている長命寺(ちょうめいじ)を訪問しました。
“当寺院は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明(北条早雲のひ孫にあたる。のちに出家して
慶算阿闍梨になる)によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれている” そうですが、なかなか立派で、
重厚感がある素晴らしいお寺でした。
寛永17年(1640年)に、 奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得たとありました。
この寺院は、和歌山県の高野山奥の院を模して多くの石仏・石塔が作られているところから、東高野山とも称される
ようになり人々から信仰を得るようになったそうです。 境内の脇には、高野山参拝記念の石碑がいくつも並んでいました。 
猛暑日のお昼時、お参りの人の姿はなく、ひたすら蝉しぐれの中を散策するひと時の静寂はまた格別の趣がありました。

 

 長命寺南大門                      境内
   

        

 ランチと散策に満足して、涼しいところで長々とお茶して談笑の内にお別れとなりました。

 この日、東京練馬区のスポット気温は、12時で、35℃、湿度66%、15時で、36℃、61%でした。(goo天気より)

 

 

 

 

 

 

 

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電力料金を下げる法  (bon)

2014-08-18 | 日々雑感、散策、旅行

 毎日、エアコンのお世話になっています。
夜が涼しくなればいいですが、そうではなく熱帯夜が続いたりすると、もうエアコンはフル運転です。 
このおかげで、先日、喉を傷めて、微熱が引かず、抗生剤を5日続けて飲んでようやく回復しました。 
自身はこんな失敗談ですが、原発ストップのこの夏の電力は、本当に大丈夫なのか? 一時の緊迫した電力問題は、
最近では全く報道すらありません。

 電力会社は、電力供給が滞らないための工夫と努力がなされているのだと思いますが、電気料金はどの電力会社も
先ごろ値上げして対策を取っているのですね。

 何となく理解しているつもりでも、はっきりとなかなか分かりずらい電力供給の裏側について、例のH氏から配信された
情報に分かり易い解説と対策がありましたのでご紹介したいと思いました。

 シェールガスについては、このブログにもmakの記事などに紹介されていますのでご参考にしてください。

   本文に入る前に、ご参考まで・・・。(大部分のピンクがLNG、その上の紫が原子力です。)
       (環境エネルギー政策研究所より) 

 

********************************

2014年7月29日号 p80-82

「電気料金を下げる新手法  LNGはスポットで買う」 岩間 剛一(和光大学経済経営学部教授)

 

【要旨】現状では、日本国内の電力供給の大部分は火力発電によるものだ。火力発電に使用されているのは、
そのほとんどが液化天然ガス(LNG)で、96%
を輸入に頼っている。その輸入において、「高値づかみ」が問題視されている。
電気料金の高騰や貿易赤字の拡大につながるからだ。しかし、実は必要
に応じてその都度購入するスポット契約での
LNG価格は世界中で下落傾向にあ
る。安く買えるにもかかわらず、日本が高く買わざるをえないのは、
安定供
給を見込んで、決められた価格での長期契約を結んでいるから。本記事は、そうしたLNGをめぐる海外と日本の
現況をリポートし、日本が安定供給の“神
話”を捨ててスポット購入の比率を上げるべきと提言している。

  ------------------------------------------------------------

  液化天然ガス(LNG)のスポット価格が下落している。LNGを海外から購入する場合、10~20年という長期間、
決められた価格で買う長期契約と、必要
な量をその都度市場から調達するスポット契約の主に二つの調達方式がある。
そのスポット価格がいま急落しているのだ。2014年2月に100万BTU(英熱量単位)当たり20.5ドルという過去最高値を
付けたが、7月は逆に同11ドルと
ほぼ半値にまで暴落した。需要減退と供給増が同時に起こっているからだ。

  しかし、日本の電力会社が輸入するLNGの8割は15~20年超の原油価格連動の長期契約。このためスポット市場での
安さを享受できない。もし電力会社
が調達するLNGの大半をスポット価格で調達できれば、電気料金を大幅に下げられる
だけでなく、国全体で年間7兆円に達するLNGの輸入金額を大きく抑え、
貿易赤字を減らすことができる。

  LNGのスポット価格が低落している一つの要因は、欧州諸国における3年連続の天然ガス消費量の減少が挙げられる。
欧州の電力会社は太陽光など再生
可能エネルギーの一定量の購入が政府に義務づけられている上に、景気低迷による
電力需要減退もあり、発電事業の採算性が悪化。このため、欧州の電
力会社は燃料価格が天然ガスより割安の
石炭火力発電所の操業率を引き上げ
ている。この結果、欧州諸国で天然ガスの需要が低迷しているのだ。

  アジアでも需要減退が起きている。日本に次ぐLNG輸入国である韓国で、停止していた原子力発電所の再稼働が始まり、
今夏のLNGのスポット購入意欲が
鈍化。中国も景気減速でLNGの積極的なスポット買いが減少している。

  一方の供給面では、この5月にパプアニューギニアの日本向けLNG輸出が予想より早く始まっている。さらに
ナイジェリア、アルジェリア、エジプトな
ど欧州向け販売を見込んでいたアフリカ諸国のLNGも行き場を失い、
売り先を
求めている。

  他方、日本は天然ガスの96%を海外からの輸入に依存し、すべてがLNGである。その7割は発電用の燃料として
利用される。原発の稼働が14年7月時点
でゼロであることから、LNG火力発電をフル稼働させてこの夏を乗り切ろうと
している。そのため、日本のLNG輸入量は急速に増加し、LNG価格は100万BTU当たり9ドルから同18ドルへと上昇した。
これと相まってLNGの輸入額は、東
日本大震災前の3兆円から7兆円超へと拡大している。

  資源エネルギー小国である日本は、LNGの安定供給を金科玉条として、15~20年を超える長期契約としている。
しかも、契約条項は原油価格連動となっ
ている。

 原油価格連動の長期契約としている理由の一つは、1970年代の石油ショックで、石油火力から天然ガス火力発電に
転換した歴史がある。当時はLNG市場
価格というものが存在しなかった。そのために原油価格を指標としたのである。

  もう一つは、LNGの安定供給という観点から、LNGプロジェクトの経済性を維持するために、原油価格連動が
妥当とされたのである。LNGプロジェクトは、
上流ガス田の開発から液化プラントの建設、専用タンカーの建造、
受け入れ
設備に至るまで、兆円単位の資金が必要だ。この巨額の資金調達を確実にするためにも原油価格連動の
長期契約が必要だったわけだ。

  確かに、石油代替としての天然ガスの安定供給、LNGプロジェクトの安定的な推進から、原油価格連動は、
原油価格が低位安定していた時代には意味が
あった。熱量換算で比較しても、原油価格と天然ガスの価格は、
21世紀初頭
にはほぼ等しかった。しかし、現在は原油価格が天然ガス価格(北米価格)と比較して5倍に拡大し、
LNG価格と原油価格をリンクさせる意味が事実上失
われている。

  この背景には、(1)輸送用燃料や石油化学原料として利用される石油と、発電用燃料が主となる天然ガスの用途が
完全に異なっていること、(2)す
でに3年を超えて原油価格1バレル=100ドル超時代が続いていること、
(3)
米国におけるシェールガス革命により、北米の天然ガス価格が下落したこと、などがある。

 一方で、イラク情勢など政情不安が常態化する中東情勢から、今後も原油価格が大きく下落する可能性は低い。
当然、原油価格連動方式を取る日本の
輸入LNG価格も上昇しており、14年8月時点で日本のLNG購入価格は
100万BTU
当たり20ドルを突破した。

  これに対して、LNGスポット取引は、LNG輸出国と日本との個別交渉とLNGそのものの需給関係で決まり、
原油価格の高騰はまったく関係ない。

  米国のシェールガスを原料とした複数のLNG輸出プロジェクトがこれから操業を迎える。豪州のイクシスLNG、
ロシアのウラジオストクLNGなど、日本へ
のLNG輸出計画も目白押しの状況だ。17年以降には米国とカナダから、
日本が
消費するLNGの3分の1に相当する年間2500万トンのシェールガス由来のLNGが日本に入ってくる。

 これまでの「長期契約+原油価格連動=LNGの安定供給」という固定観念は、LNGの高値づかみにつながるだけである。

  中国はこの5月、ロシアや石油メジャーの英BPとの間で、欧州諸国並みとなる同10ドル前後の価格で天然ガスや
LNGの購入契約を締結している。ロシア
との契約交渉は実に10年越しで、18年から30年間にわたり、日本の
長期契約
の4割以上安い価格で購入する。つまりスポットでなく長期契約でも交渉しだいで安く買えるのだ。もはや、
割高なLNGを買っているのは日本だけだ。

  LNGは、今後も余剰感がある。長期契約からスポット取引への転換を行っても、安定供給を損なう可能性は極めて低い。
 確かに、LNGのスポット取引は、常にLNGの売り手を世界中で探し回り、個別の契約交渉を行うという手間がかかる。
その点では、15年の長期契約を行っ
ておけば、毎月LNG輸出国との交渉に時間を割く苦労は省けるだろう。しかし、
日本の電力企業は、20世紀の遺物ともいえる、「長期契約=LNGの安定供給」という神話に安住すべきではなく、
企業と消費者の利益と国富の流出を縮小
するために、今すぐにでも割安なLNGのスポット取引の割合を引き上げるべきである。  (週刊エコノミスト購入リンク http://www.weekly-economist.com/

 コメント: 日本の「LNG高値づかみ」は、単に(LNGに頼らざるを得ないことで)足元を見られているのではなく、
電力企業の取引が柔軟性を欠いてい
るということなのだろうか。スポット取引によって安定供給が損なわれるというリスクと、
高値づかみによって経済に悪影響を及ぼすリスクがあるなら
ば、両リスクを十分に吟味すべき。そのうえで長期と
スポットの比率を考え、
リスクを分散するのは当然のことだろう。我々としては、米国のシェール革命などによる
安定供給も見込めるLNGについて、単純に「高いからダメ」と判
断するのではなく、「なぜ高くなっているのか」という背景を
しっかり認識
しておく必要があろう。

Copyright:株式会社情報工場

 

 全くローカルな話ですが、私の住む集合住宅の管理費等の見直し、削減対策をチームで先ごろ検討することに
なりましたが、その中に、共用部分の電気料金(エレベータ、ポンプモーター、共用部照明などの電気料金)負担を
下げる項目がありました。
照明部分は、LED化することによる電気料金削減効果が認められますが、動力部分については、“電子ブレーカ” 導入に
よる料金削減を結論付けました。
電子ブレーカを設置することにより、電力会社との契約電力量が低く設定でき、その分料金削減につながるのです。
なぜ、電力量が低く契約できるのかといえば、これまでの契約では、動力部分、つまり、エレベータ、ポンプ、自動ドアなど
の所用電力をそれらが同時に起こる場合を想定して、すべての電力を合算した電力量での契約だったのですが、
しかし、これらがすべて同時に起こる確率はそれほど高くないため、合算した電力量の7~8割で契約する。
この低い電力量で契約することで料金削減が出来るのです。
で、この低い電力量で契約して、かりにこれらが同時に起こって、契約電力量を一時的にオーバしても、即ブレークしないように一定時間(短い)オーバフローを許すように設計されているのが “電子ブレーカ” なんですね。
電力量を削減する方法ではありませんが、料金削減の方法でした。

 

 

 

 

 

 

 

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日原鍾乳洞  (bon)

2014-08-16 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日、孫と一緒に行ってきました。

ここは東京都ですが、奥多摩のまだ奥で、雲取山(2017.09m)への道筋にもあたる・・・
そんなところに鍾乳洞があるんですね。

 私は40年ほど前にも一度来たことがありましたが、殆ど忘れていて、鍾乳洞内部も寒いくらいの温度で、
曲がりくねった洞窟の中は、やはり神秘的でした。

 付近の山々         
          

                


 お盆の時期なので、普段の土・日と同じように、鍾乳洞の近くまでは、バスは行かず、混雑を避けて少し手前の
バス停まででした。 なので、片道25分ほど更に歩くことになりました。
そのまま、洞窟入りをしましたから、帰りのバス停まで連続2時間くらい歩きづめ・・みたいな感じで、少々疲れました。 
 洞窟近辺に食堂らしきものが一件ありましたが、殆どお店らしいものはなく、鍾乳洞オンリーというところでした。 
200mほどのところに、渓流釣り場の案内がありましたが、そこがどのようになっているか、獲れたての川魚の塩焼き?
などあるのかないのか・・まあ、そんなことを思いながら、そのまま帰路バスのお世話になりました。

鍾乳洞入口(冷気が噴出していました)        内部
    


 早朝のJR中央線では、高尾方面にザック姿の人達がたくさんいましたし、青梅線では、少し大きめのザックの
山姿の人達が、もう一杯でした。 かなりの人達は、御岳駅で下車されました。 ここから登山なんですね。 
終点の奥多摩駅までも、まだ山姿の人達が残っていましたが、この人たちの大半は、日原方面バスに乗車し、
途中、川乗橋付近で大半が下車しました。近くの山に登山されるのでしょう。
鍾乳洞を目指す人と達もそれなりの人数でした。

 この日本、まだまだみんな元気です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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つ花(つばな)  (bon)

2014-08-14 | 日々雑感、散策、旅行

夢の話です。

『寒い季節に、花が二つに折れた形状・・“>”・・“つ” から、つばな というのです。

これは西洋では、大変良いこととして珍重されるというのだそうです。 昔、ある時、事故で野ざらしに逢った時、
この “つばな” がヒトの大事な血管を覆う役割をして一命を取り留めたという逸話から、この花は良いことであるという
扱いを受けてきたのです。 英語で○○?
という。  日本では、特段そのような意味合いは全くないばかりか、
どちらかといえば、花が折れていない方が良い・・くらいな感じでいましたが、習慣の違いで事の受け取り方に大きな差が
あるものだと思いました。』

 ここまでが夢で、はっきりとこの流れが分かっていて、目覚めてすぐにメモっておきました。

 

 なぜ、このような全く関係のない、しかも他愛ない夢を見るのか理解できないでいます。
先のスーパームーンを見るために、早起きしたことから、このところ、ちょくちょく早朝に目が覚めています。
とくに仕事や用事があるわけでもないので、いつでも眠ることができるという安心感も手伝って、そんな状況にあります。
それで、昨日も、早く目が覚めましたが、上述した内容が夢に出て来たのです。

 こんなこと、どこかで見たことも、読んだこともありませんが、なぜに夢で見たのでしょうか? 
 

 先日、テレビで30年前の日航機墜落事故の番組を見たせいかもしれません。
ちょうどこの日、1985年8月12日は、月曜日でしたが、休暇を取っていたのか、私は金沢の宿舎にいて、
早めの夕飯を食べている時に、この事故のニュースに遭遇したのでした。 食事を済ませて、もっぱらこのニュースに
かじりついていたのを記憶しています。 今回のテレビでは、事実を基に映像(ドラマ仕立て)化していて、その間の
機内の状況を再現し、墜落までの約30分、コックピット内の模様や客室内の壮絶なシーンと解説が流れていました。
生存者がわずかに4名とのことでしたが、この事故でよくも生存できたものと改めてその奇跡を思わざるを得ないのでした。
520名の死亡者の中には、仕事で何度か打ち合わせをした、某メーカの技術部長もおられました。

 この事故の印象が強かったのと、わずかの奇跡的な生存・・そんなことが、この夢の引き金になったのかもしれません。 
夢というのは、実に勝手なものだと日頃からわかっていますが、こんな取るに足りない、どちらかというと捨て置くはずの
“折れた花” が、命をつなぐことがある・・自然の働きには人知の及ばないことがある・・そんなことが言いたかったのかもしれません。

 

 ネットで、“つばな” を見ますと、“イネ科の多年草、チガヤの花” とありました。

                   チガヤ/ツバナ
                     

 

また、“ チガヤ(茅萱)/ツバナ(茅花)とも書き、まだ葉鞘に包まれた若い花穂は「ツバナ」といい、ほのかな甘味が
あるので、昔の子供たちはよく摘んで生で食べたものです。 だから、「チガヤ」というより「ツバナ」と呼んだほうが
わかり易いかもしれません。”

 夢に出て来た ツバナ は全く架空のものでした~。

 

 

 

 

 

 

 

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君が代  (bon)

2014-08-12 | 日々雑感、散策、旅行

 今日、8月12日は、君が代 が制定された日なんですね。

日本の国家 “君が代” が制定されたのは、明治26年8月12日だそうです。

これまで、各種の式典や、スポーツ関連で聞くことがありますが、卒業式とかでの斉唱に反対する教諭がいたりして
時々問題が起こったりします。 

 この記事は、簡単に書き終えると思っていましたら、さにあらず、結構難しい問題を含んでいたりして、
正しく表現しようとするとかなり厄介であることが分かりました。
なので、かなり端折った形で、大体のところどうだったのか・・程度に納めさせていただきました。

 

 もともと日本には、国歌(national  anthem)という概念がなく、またその必要性もあまり感じられなかったそうでした。
ところが、日本が開国した幕末の時点では、外交儀礼上欠かせないものとなっていたのです。
そのような時代に “国歌” 的な位置づけとして、1876年(明治9年)に海軍楽長が “君が代” 楽譜を上申する必要がありました。
つまり、国歌の必要性は先ず何よりも外交儀礼の場において軍楽隊が演奏するためのものから始まるのです。
 

 歌詞の出典は古今和歌集巻七賀歌巻頭歌に、読人しらずとしてある、“わが君は、千代に八千代にさざれ石の・・” の
歌を改作し、“我が君” を “君が代” と直したものであるという。

 明治4年、横浜駐屯の英国軍楽隊長ウイリアム・フェントンが、国家の制定を日本政府に建議した。とあり、
時の砲兵隊長大山巌(後の陸軍元帥)が一任され、先の古今和歌集から改作したものをフェントンに渡し、
作曲を依頼したとあります。 しかし、この曲は、あまりにも難しく馴染めないので、明治8年海軍軍楽隊長の発議に基づき、
明治13年、宮内庁 林廣守 の選定したものが良いということとなった。しかし、これも、ちょっと雅楽的であったために、
たまたま招聘していたドイツ人のフランッ・エッケルに洋学式の伴奏を付けてもらったのが今のものなんだそうですね。

 譜面の表紙(1880年、クルト・ネット―作)    横浜妙香寺境内の記念碑    (いずれも、ウイキペディアより)
                     

 

 この“君が代” は、その時の天長節で初めて演奏され、その後もいろんな場で演奏されることとなり、
1893年(明治26年)8月12日には文部省が “君が代” 等を収めた「祝日大祭日歌詞竝樂譜」を官報に告示
(制定)しました。  作詞:古歌、 作曲:林廣守として掲載されました。

また、1903年(明治36年)にドイツで行われた“世界国歌コンクール” で、“君が代” は一等を受賞したとありました。

その後、更に1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定されました。



 

 

 

 

 

 

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異常気象  (bon)

2014-08-11 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日の日曜日は、テレビでは1日中台風のニュース、各地の状況を伝えていました。

 台風11号は、高知県に上陸し、瀬戸内海を渡って赤穂あたりに再上陸し兵庫県を縦断し日本海に出て温帯低気圧になった。
それまでにも、四国、九州他では大雨が続いていて、これに追い打ちをかける形で大変な被害が出ました。
三重県や滋賀県、さらには茨城県など広い範囲に被害を及ぼしました。 
各地の伝統行事や、夏休みで、遠出の計画があったり、お盆の帰省予定の人々も多い時期の台風に戸惑ったことでしょう。

 それにしても、各地で豪雨が続き大きな被害を出し、豪雨だけではなく豪雪や雹、突風、竜巻などの被害も続出しています。 
昔は、30㎜/hなどの雨は、めったに降らず、30㎜などといえばそれこそ豪雨とみなされていたという記憶があります。
それが最近では、50~60㎜/hが良く起こり、時には100㎜あるいはそれを超える豪雨が記録されています。

 夏の暑さもそうです。かって、34℃などといえばかなりの暑さで、ひと夏に数える程度だったような記憶ですが、
こちらの方も、最近では36~7℃が続出したり、つい先日も39℃を超えたところもありました。
確実に気温は上昇しているように感じます。

 地球温暖化がこれらの異常気象を起こしているか? 異常気象は増えているか? といえば、必ずしもそうは言いきれない
のだそうです。 藤部文昭氏(気象庁気象研究部長)によれば、“それは、イエスであり、ノーである” というのです。
 

 “降水量に関する長期変動を見てみますと、全体の傾向はこの100年で、100㎜/h以上の大雨日数は約25%増加し、
日降水量の年最大値も7.8%増加していて、大雨は増える傾向にあるといえる。 しかし、一方、この100年で10㎜/h以上の
降水日数は7.4%減少していて、1㎜以上の降水日数は、14.5%減少していることから、雨の降らない日が増加している
ともいえる” と。

 気象庁のHPから、1981~2010年の平均値に対する偏差を示したグラフを紹介しますと、

   日本の年平均気温偏差        世界の年平均気温偏差
   

 

図のように、日本では、1.4℃/100年、世界では、0.69℃/100年 の割合で高くなっていることが分かります。
更に、日本に限ってみれば、1月と7,8月の気温偏差をみると、

 日本の1月の年平均気温偏差          日本の7,8月の年平均気温偏差
   
  

 図から、冬(1月)の偏差は、あまり変化が無く水平な感じですが、7,8月のそれはやや右肩上がり、つまり気温が上昇
していることを意味しています。

 

一方、降水量について同様の偏差グラフを見てみますと、

  日本の平均降水量編差           世界の平均降水量偏差
   

 

でどちらも、この100年余りの偏差の傾向は水平に近いと思われます。つまり、降水量が年々増加しているということは言えない。

 

 また、台風が日本本土へ上陸した数のデータでは、

           日本本土への台風上陸数
             

 

であり、2004年の10個が飛びぬけて多いですが、その他はそれほどの変化は見られません。
1951年から気象庁では、このような統計を取り始めたのですが、もっと昔の台風を見てみますと、

 室戸台風   1934年  最大瞬間風速 60m/s  死者 2702名

 枕崎台風   1945年    〃    62.7m/s  〃 2473

 ジェーン台風   1950年    〃    50m/s   〃  398

 伊勢湾台風  1959年    〃    75m/s   〃 4697

 

 で、このような強い台風は、ここ50年以上日本に来ていないのですね。

また、竜巻などの統計は、これまでの認定数として数値化しているため、新しい観測機器の整備や、通信設備の拡充など
によってその数値の単純比較はできないとしています。 たしかに、これまでも起こっていたけれども、局地的で、
全体として取り上げられなかった可能性が高いということなんでしょうね。
 

 1988年に、国連気候変動に関する政府間パネル(Intergovermental Panel on Climate Change、IPCC)の
組織が設立されました。 人為起源による気候変化、影響、適応及び緩和方策に関し、科学的、技術的、社会経済学的な
見地から包括的な評価を行うことを目的として活動していますが、昨年、第5次評価報告書が発表されました。
その結論のようやくを以下に引用します。

主な結論

地球温暖化の原因
 ・人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な要因であった可能性が極めて高い(可能性95%以上)
 ・大気中の二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素は、過去80万年間で前例のない水準まで増加している

現状(観測事実)
 ・温暖化については「疑う余地がない」
 ・1880~2012年において、世界平均地上気温は0.85℃上昇
 ・最近30年の各10年間の世界平均地上気温は、1850年以降のどの10年間よりも高温。
 ・海洋は人為起源の二酸化炭素の約30%を吸収して、海洋酸性化を引き起こしている。
 ・1992~2005年において、3000m以深の海洋深層においても水温が上昇している可能性が高い。

将来予測
 ・今世紀末までの世界平均地上気温の変化予測は0.3~4.8℃である可能性が高い
 ・今世紀末までの世界平均海面水位の上昇予測は0.26~0.82mである可能性が高い
 ・CO2の総累積排出量と世界平均地上気温の変化は比例関係にある。
 ・最終的に気温が何度上昇するかは累積排出量の幅に関係する。
 ・これからの数十年でより多くの排出を行えば、その後はより多くの排出削減が必要となる。

 今後の日本の気象変化について、藤部部長(前出)によれば、今世紀末には、前世紀末と比較して、
“年平均気温は、全国的に約3℃上昇する。真夏日(最高気温30℃以上)は、約20日増加する。猛暑日(最高気温
35度以上)は、約10日増加する。降水量200㎜以上の日数は、約30%増加し、50㎜以上の降水もほぼ倍増する。
雨が降らない日数(1㎜以下)も5~10日増加する。” だそうです。

 

 異常気象の原因が、地球温暖化であるとは必ずしも結論付けられないにしても、少なくとも地球温暖化は異常気象となる
確率を増加させていることは間違いないので、もっと真剣に、産業推進の立場も分かるけれども、地球温暖化防止対策を
着実に進めて行かないと結局はツケが回ってくることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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スーパームーン  (bon)

2014-08-09 | 日々雑感、散策、旅行

明日、日曜日の夜、大きく輝く満月スーパームーンを見る事ができるそうです。正確には、2014.8.11(月曜日)午前2:44~3.09に最も大きく見えるのです。 
月が地球を回っている軌道は少し楕円のために、月が地球に最も近づくタイミングと満月が重なることで
このような現象が起きるのだそうです。 
今年初め(2014.1.17)のこのブログで、今年最少の満月と題した記事をアップしましたが、今年1/16には、
月が地球から最も遠いところにあってその時が満月であったのですね。 

 このスーパームーンは、およそ1年に1回のペースで見られますが、年に数回観測できる年もあるとか。
また、特に最接近して近地点から前後1時間以内に満月を迎えることを“エクストリーム・スーパームーン
(Extreme Supermoon)といい、今年のがそれに該当しますが、およそ18年に1度の割合で観測できるそうです。
(1950年以降では、1955年、1974年、1992年、2011年、2014年が該当するのだとか。) 

 ちょうど折悪しく、台風11号が九州地方に接近して、10日には上陸の可能性もあるとか言っていますから、
このスーパームーンを見ることができるかどうか、気になるところですが、もし見えるとすれば、通常の16%大きく、
30%明るい月を見ることができるのだそうです。 

         満月の比較
               (国立天文台HPより)
 

台風の影響で、既に、四国地方では相当な雨量が降っていて、
どうぞこれ以上、さらに追い打ちの雨が降らないことを祈るばかりです。

 今年は、スーパームーンが7月12日,8月10日,9月9日の3回見ることができるのだそうです。
明日のが最も大きいそうですが、もし見損ねた場合は9月9日を楽しみにしましょう。

 また、このブログにも何度か取り上げましたが、ちょうど夏休みには、ペルセウス座流星群が最も盛んなんですね。
(ブログは、2012.8.10 ペルセウス座流星群。8/12がピークで月の出が遅く好条件。
ブログ2011.8.12では、月明かりで見えなかった。)
 

国立天文台HP から引用させてもらいますと、 “ペルセウス座流星群は毎年8月12日・13日頃を中心に
活動する流星群です。”  で、 “ペルセウス座流星群は、とても観察しやすい流星群です。毎年、ほぼ確実に、
たくさんの流星が出現することが理由のひとつで、1月の「しぶんぎ座流星群」、12月の「ふたご座流星群」と並んで
「三大流星群」と呼ばれています。”  しかし、“今年(2014年)のペルセウス座流星群は、あまり条件がよくありません。
満月に近い月が長い時間空にあるためです。月はたいへん明るいため、それよりずっと光の弱い天体である
流星を見えづらくします。”  とありますので、これは残念かもしれません。 
スーパームーンに乾杯しましょう。


  11日2:45~3:00は厚い雲の中でしたが、4:00頃南南西約30度にスーパームーンが見えました。
   



 

 

 

 

 

 

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天地明察  (bon)

2014-08-07 | 日々雑感、散策、旅行

 江戸時代前期の囲碁棋士であり天文歴学者である主人公 “渋川春海” が改暦を成し遂げるに至る苦労や、
様々な人物相関、時代背景、戦略など数理的な内容を題材にしながら面白く描かれた小説です。 
天地明察(冲方丁著、角川文庫上下)。  一昨年、映画にもなったのでご存知の方も多いかもしれません。
映画(滝田洋二郎監督、出演岡田准一、宮崎あおい他)

 先のブログ記事に、“伊能忠敬”を取り上げたおり、かなり以前に同じ職場にいた懐かしい友人から、
そのコメントとして、この小説が紹介され、伊能図(江戸後期)よりも前に改暦という大事業を成されたことを知りました。
旅行などがあったりして、なかなか読めませんでしたが、このほど、一気に読み終えました。

   天元の局 (1670.11.29 安井算哲先番対本因坊道策、244手完 白9目勝ち)
                (天元を北極星に見立てた)(ウイキペディアより)

 

 将軍の前で囲碁打ちをする棋士が数学が得意で大変興味を抱き、和算を成した “関孝和” などとも問題を
やり合う場面などもありますが、この囲碁棋士 “安井纂哲(渋川春海)” が、数術を活かして天体測量
(北極星や他の惑星の観測、日食、月食の観測) を通じて、この時代に使用されていた暦 “宣明暦”
(唐から伝わり800年経過)がずれることを発見し、
一旦は、中国で明察である “授時歴” を押すが、
月食をわずかに誤り敗北してしまい、この原因が、中国と日本での経度のわずかのずれによることを突き止め、
再度、新しい日本人の手による貞享暦(ここでは、大和歴)を作成し、改暦の成功に至る様々な要因の分析と
回避戦略など政治的側面を踏まえた、壮大な視点から面白く展開されていました。
伊能忠敬が50歳を過ぎてから弟子入りする高橋至時江戸天文方の初代天文方に任ぜられたのでした。

 日本における暦は、渋川春海による“貞享暦”(1685年)から宝歴歴、寛政歴を経て天保歴(1844~1870年)
となり、1873年(明治6年)現在のグレゴリオ暦となるのです。

 文中に、数学問題、囲碁の話、特に天元一着や、伊能図作成で測量に使用された、大象限儀や子午線儀、
一尺鎖など、が既に使用されていたことなども面白く拝見しました。

 映画も見損ねていますので、久しぶりにツタヤにいってみようかな。

 

 

 

 

 

 

 

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クロコスミア  (bon)

2014-08-04 | 花鳥風月

 毎日、猛暑日が続きエアコンはフル回転です。

 真夏の花、グラジオラスを今年は少し多めに植えてみたのですが、ようやくつぼみが付き、花が少しずつ
咲きだした時に、暑さ しのぎのタープが、突風に紐が切れたりして、草花の上にかぶさる形で垂れたために、
背の高いグラジオラスのそのつぼみがみんな折れてしまい、花を見るまでに至りませんでした。

 春、4/2に植えた球根、コロコスミア にようやく一筋の花が咲いてきました。
クロコスミアなる名前は、あまり知らなかったのですが、別名モントブレチアという・・とあり、こちらの名前は
知っていて、何だ同じ花なんだ。さらに、ヒメヒオウギズイセンともいうのだそうです。 
ついでに調べてみましたら、“ヒメトウショウブ属(姫唐菖蒲属、学名: Crocosmia)は、アヤメ科の1属である。”
とありました。属名のクロコスミアはギリシア語で “サフランの香り” という意味で、乾燥させた花をお湯に浸すと
サフランのような香りがする(らしい)ことに由来するといっています。

 クロコスミア(ベランダ)                ネット(趣味の園芸HPより)
  

 

 原産は、南アフリカといい、園芸で広く普及し栽培されているのは、オーレア種〔C. aurea〕と
ポッツィー種〔C. pottsii〕が掛け合わさった雑種、クロコスミーフローラ〔C. × crocosmiiflora〕と、
それを元とした園芸品種群です。 一般にこの園芸品種群を指してモントブレチアと呼ぶことが多いのだそうです。 
この、クロコスミアは、繁殖力が強く、植えっぱなしでもいいらしいので来年はもっと元気よく増えているかもしれません。

 今頃のベランダは、先のグラジオラスがそんな具合ですが、百日草が伸び伸びと育っています。 クローズアップしてみます。

 百日草 黄                      ピンク
   

 

おまけとして、レモンが4個緑緑した球を付けています。 みかんは、これも深緑の球が8個出来ています。
どちらも、ピンポン玉くらいの大きさです。 

 レモン                          みかん
   

 

 

 

 

 

 

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腐る経済  (bon)

2014-08-02 | 日々雑感、散策、旅行

 先日のH氏からの情報配信で、掲題の一見奇妙なタイトルの記事に目が止まりました。
“腐る経済” とは、自然界が皆そうであるように、最後は腐って土に還る・・という生態系を保ち、
すべてのバランスが
とれているということを指している。 これに反して、例えば、農薬や添加物などの科学技術が “腐らない” あるいは
腐りにくい食べ物を作っている。これが自然の摂理に反しているといっていて、これが昂じると自然界のバランスが
どこか崩れて、後遺症が残ってしまうのではないか・・というのです。
“腐らない経済” の最たるものが “お金” であるという。 お金は、腐るどころか投資や金融によって 
“増える” 性質を持っている。 社会や産業がうまく回ってい行くためには、お金(金融、投資)が必須であることは
言うまでもありませんが、ここでは、この “利潤” を追求するあまり、自然破壊や公害、さらには食品添加物、
遺伝子組み換え・・などの弊害を生んでしまうと警鐘を鳴らしているのです。
利潤より、循環と醗酵の理念に基づいた活動を展開して持続可能な社会形成に向けた取り組みをされているのです。

                     ベランダのカサブランカです。(記事と関係ありません。)
                            

 以下に、記事をご紹介します。

*************************

 『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』  (渡邉 格 著 講談社 2013/09 230p 1,680円)

  1.腐らない経済

  2.腐る経済

 【要旨】岡山県真庭市勝山、岡山駅から電車で2時間以上かかる中国山地の中腹に「タルマーニー」という
パン屋がある。看板メニューは、天然麹菌で
仕込んだ「酒種」でつくる「和食パン」。1個350円という高価格ながら
評判
を呼び、地域経済の発展にも貢献しているという。 しかし、その商品以上にこの「田舎のパン屋」が
ユニークなのは、経営理念が「利潤を出さない」こ
とである点だ。 本書の著者、渡邉格さんは同店の創業者だが、
2008年の開店
時に父親から薦められて読んだカール・マルクスの『資本論』をもとに、店のコンセプトに辿り着く。
本書では、そのコンセプトや、パン屋開店からそ
の後のいきさつについて述べるとともに、現代の資本主義経済が
「腐らない
経済」であり、自然の摂理に反していると指摘し、「タルマーニー」で実践している独自の理論「腐る経済」に
ついて詳説している。

  ------------------------------------------------------------

 ●おカネは自然の摂理に反し「腐らない」

  自然界のあらゆるものは、時間とともに姿を変え、いずれは土に還る。それが「腐る」ということだ。
その変化の仕方には、大きくふたつある。「発
酵」と「腐敗」。それを引き起こすのが「菌」の働きだ。素材が
人間の生命
を育む力を備えている場合、「菌」は素材を、人間を喜ばせるパンやワインやビールのような食べものへ
と変える。これを「発酵」と言う。一方で、生
命を育む力をもたない食材は、食べないほうがいいよと人間に
知らせるため
に、無残な姿へと変える。これを、「腐敗」と言う。

  けれども、イーストのように人工的に培養された菌は、本来「腐敗」して土へと還るべきものをも、無理やり
食べものへと変えてしまう。添加物や農
薬といった食品加工の技術革新も、同じような作用を引き起こしている。
間とともに変化することを拒み、自然の摂理に反して「腐らない」食べものを生みだしていく。

  そしてもうひとつ。時間による変化の摂理から外れたものがある。それが、おカネだ。
おカネは、時間が経っても土へと還らない。いわば、永遠に「腐
らない」。それどころか、投資によって得られる
「利潤」や、おカネの貸し
借り(金融)による利子によって、どこまでも増えていく性質さえある。
 「利潤」を追求する力が大きくなれば、犠牲にされるものも大きくなる。資源開発のために環境を破壊したり、
廃棄物や排ガスを垂れ流して公害を生
みだしたり、安全性が完全には証明されていない農薬や化学肥料、
食品添加
物、遺伝子組み換え作物を使ったりもする。
 その事態に、火に油を注ぐものでしかないと思えるのが、おカネの大増発だ。財政政策と金融政策でおカネを
ばら撒き、垂れ流し、世のなかにおカネ
をあふれさせている。

 ●「菌」の声に耳を傾け、ほんとうのことをするパンづくり
 僕ら「田舎のパン屋」が目指すべきことはシンプルだ。食と職の豊かさや喜びを守り、高めていくこと、
そのために、非効率であっても手間と人手を
かけて丁寧にパンをつくり、「利潤」と訣別すること。それが、
「腐らない」
おカネが生みだす資本主義経済の矛盾を乗り越える道だと、僕は考えた。そのビジョンに向かって、
パンの製造や店の経営の現場でひとつずつかたちに
していくなかで、僕らは「菌」と巡りあった。純粋培養された
イーストでは
ない、人類が昔からつきあってきた「天然菌」だ。

  自然界では、「菌」の営みによってあらゆるものが土へと還り、「循環」のなかで生きとし生けるもののバランスが
保たれている。ときおり環境に変
化が起こり、バランスが失われたときも、「循環」のなかで自己修復の作用が働いて、
バランスが取り戻される。
 この自然の摂理を、経済活動に当てはめてみるとどうなるだろうか。生を全うする根底に「腐る」ことがある
のだとすると、「腐る経済」は、僕らひ
とりひとりの暮らしを、穏やかで喜びに満ちたものへと変え、人生を輝かせ
くれるのではなかろうか。人間も地域も、「腐る経済」によって、内なる
力を発揮し、本来の生の滋味を満喫
できるようになるのではないだろうか。

  僕らが目指すパンづくりとは、「腐らない経済」の真逆、小さくてもほんとうのことをするパンづくりだ。
できるだけ地場の素材を使い、環境にも人
間にも地域にも意味のある素材を選ぶ。イーストも添加物も使わずに、
手間
暇かけてイチから天然酵母をおこして丁寧にパンをつくる。真っ当な“食”に正当な価格をつけて、
それを求めている人にちゃんと届ける。つくり手が
熟練の技をもって尊敬されるようになる。そのためにも
つくり手がきちんと
休み、人間らしく暮らせるようにする。

  これらはみな、日々の小さな小さな試行錯誤を積みあげてできてきたものだ。今もなお、毎日が試行錯誤の
連続だ。たとえば、昨日まで元気よく膨ら
んでいたパンが、ある日を境に突然膨らまなくなることもある。
そういうと
きは、「菌」の声に注意深く耳を傾ける。こうしてパンのつくり方や、メニューや、経営のあり方を変えていく。
 自然はつねに、気候や時間とともに循環しながら平衡を保っている。変わることをやめるということは、
僕らが「菌」との対話を忘れてしまっている
ということだ。

  「天然菌」は、無数で多様な「菌」たちとの競争・共生のなかで生きている。その環境を生き抜こうとするから、
「菌」の生きる力が強くなる。それ
に対して「純粋培養菌」は言うなれば温室育ちだ。何もしなくてものうのう
生きていくことができる分だけ、個体としての生命力は弱い。
 「菌」の多様性があるかどうかも、「天然菌」と「純粋培養菌」の大きな違いだ。たとえば、酵母に糖分を分解して
ほしいと思っても、「天然菌」の
場合は、酵母以外の多種多様な菌が混入する。「天然菌」でつくるパンの、
多様で奥深い香りや食味は、多様な「菌」たちの生命活動から生まれるものなのだ。

 ●生産者とお客さんをつなぐ「ハブ」になる
 2008年2月、田んぼや果樹園が広がる辺鄙な場所で古民家を借りて「田舎のパン屋」を始めた。
僕らのパンづくりにとっては、「田舎」はかけがえのない意味をもっている。何より、「天然菌」がすくすくと生きて
いける環境は、僕らにとって、
かけがえのない宝だ。水や空気が汚れ、いたるところに化学物質があふれる都会
では、環境の変化に敏感な天然の菌は、伸びやかに生きていくことがで
きない。
 もちろん、不便さを受け入れる必要はあるが、そんな「田舎」にもIT革命の光は十分に届いている。
インターネットやソーシャルメディアの発展のお
かげで、「田舎」にいながらにして、情報収集や情報発信も
思いのまま。そ
れに交通インフラや配送サービスが発達したおかげで、勝山から東京までなら翌日にはパンを
届けることができる。

  パン屋のいいところは、生産者とお客さんをつなぐ「ハブ」になれること。自然のなかで作物を育ててくれる
生産者には、敬意と感謝の思いを込めて正
当な対価を支払い、その素材を、僕らが丹誠込めて加工して
パンをつくり、
お客さんに正当な価格で販売する。そのために、僕らの店では原材料は、できるだけ近くから
仕入れるようにしている。パンを媒介にして地域内で農産
物を「循環」させる。「地産地消」で、地域の「食」と
環境と経済をまとめ
て豊かにしていく。

  「田舎」に暮らして5年あまり、「まちづくり」や「地域活性化」の名のもとで、「腐る経済」と正反対のことが
行われている現実を何度も目にして
きた。地域の「外」から引っ張ってきた補助金で、打ちあげ花火のような
ちおこしイベントをやってみたり、地域の「外」から原材料を調達して、地域の特産品をつくったりする。
これでは地域には何も残らない。結局、「外」
から肥料をつぎこんで、促成栽培で地域を無理やり大きくしようと
しても、
地域が豊かになることはない。むしろ、肥料を投入すればするほど、地域は痩せ細っていく。
 土壌が痩せると、作物が自分の力で育つことができなくなり、肥料が欠かせなくなる。それと同じで、
地域が痩せると、地域の経済を自分たちの力で
育てることができなくなる。

 だから僕らは、地域通貨のようなパンをつくることを目指す。つくって売れば売るほど、地域の経済が活性化し、
地域で暮らす人が豊かになり、地域
の自然と環境が生態系の豊かさと多様性を取り戻していくパン。
僕らは、地
域通貨の発想を発展させ、「利潤」ではなく、「循環」と「発酵」に焦点を当てた、「腐る経済」に挑んでいるのだ。

 コメント: 著者が実践している「腐る経済」は、国際貢献や海外事業においても応用できる考え方だろう。
現地の人や国全体と、日本人や日本、いず
れかの側に利益が偏ることなく、誰もが幸せになるためには、
本書で示され
ている「循環」「発酵」などの発想やシステムが欠かせないのではないか。
若干大袈裟かもしれないが、この「腐る経済」は、資本主義、社会主義などを超えた、「持続可能な社会」を
めざす21世紀社会にフィットする、新たな
イデオロギーになる可能性を秘めている。このようなユニークな「挑戦」が、
いろいろな「田舎」から飛び出してくるようになれば、世界はベストな方向に向かっていくのかもしれない。

 ※文中の小見出しは書籍からの引用ではなく、情報工場が独自に作成しております。
Copyright:株式会社情報工場

 

 

 

 

 

 

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