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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

京都賀茂競馬

2025-05-06 | 日々雑感、散策、旅行

 連休中、各地でいろんなお祭りやイベントが賑わっているようです。  能登では
2年振りに勇壮な曳山行事、七尾市の「青柏祭」や秩父でも芝桜(羊山)に合わせた
「秩父屋台囃子」の20連太鼓が鳴り響くなど、緊迫する世界情勢の中でも平和なひと時
が流れています。

 京都、上賀茂神社の競馬(くらべうま)が今年も人気を集めているようです。 
この行事はほとんど記憶に残っていませんので、改めて詳細を振り返ってみました。


 5月の上賀茂神社は忙しく、15日には1500年の歴史を持つといわれる「葵祭」が
ありますが、競馬の発祥ともいわれる「賀茂競馬(くらべうま)」も人気があります。
 5月1日には、賀茂競馬の本番(5月5日)に走る順番を決める行事(足汰式=足ぞろえ
式)が行われます。1頭ずつが馬場を走る「素駆(すがけ)」、2頭が走る兢馳(きょうち)
などの儀式が行われます。今年のそれは早や、youtubeにありましたので 文末の映像に
載せておきました。

 足汰式(5 /1 )では、先ず素駆により出走順を決める「番立(ばんだて)」が行われ、
組み合わせが決められるのです。そして本番さながらに、決まった組み合わせで2頭
ずつで競馳が行われるのです。現在の競馬で見られる「発馬機」ように一斉に並んで
スタートするのではなく、
同時にスタートしますが、2頭の馬は、1馬身ほど離れて
スタートし、ゴール時点で、この差が広がっていれば先行馬の勝ち、縮まっていれば
後方馬の勝ちとなるのですね。

       足汰式
        (京都新聞より)

 そしていよいよ5日が本番。乗尻(のりじり=騎手)は左右の馬に分かれ、左方は
打毬、右方は狛鉾の舞楽装束を着け、社殿にて儀式の後、2頭ずつ競馳が行われるの
です。 この競馬(くらべうま)は、平安時代、1093年(寛治7年)に、天下泰平と
五穀豊穣を祈って宮中で行われていた競馬会を神社に移したことに始まる神事だと
あります。

          賀茂競馬(くらべうま)
           (京都新聞より)

 お話が後先になりましたが、上賀茂神社はその昔、天武天皇六年(677年)に、山背の
国により賀茂神宮が造営されrたことに始まるとあり、平安京遷都以降は歴代の天皇が
行幸・奉幣祈願され、終戦まで伊勢神宮に次いで全国神社の官幣大社の筆頭であった
そうです。

 1994年(平成6年)には、23万坪の境内全域が「古都・京都の文化財」の一つとして
世界文化遺産に登録されています。

       上賀茂神社
        (そうだ京都、行こうより)

 

 ところで、通称、上賀茂神社、下鴨神社といって、同じ「カモ」でも字が違いますが、
正式な名称は、上賀茂神社は賀茂別雷神社(かもわかれいかづちじんじゃ)といい、賀茂
別雷大神を御祭神とする神社で、下鴨神社は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)が正式
名称で、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)がご祭神です。

 どちらの御祭神の名も「賀茂」の字が使われていて、もともと二つの神社があわせて
「賀茂社」と総称されていたのを、いつの頃からか、上賀茂、下鴨と呼ばれるように
なったとか・・。全国に賀茂社の末社は約1000社近くあるそうですが、それらも
「賀茂」「加茂」「鴨」と様々に使われているとあります。

 

 

 

 

京都・上賀茂神社で賀茂競馬「足汰式」(2025年5月1日 京都市北区)"Ashizoroeshiki" ceremony held at Kamigamo Shrine in Kyoto

 

京都・上賀茂神社「賀茂競馬」(2025年5月5日 京都市北区)Kamo Horse Racing at Kamigamo Shrine, a World Heritage Site in Kyoto

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憲法について

2025-05-04 | 日々雑感、散策、旅行

 普段、憲法については殆ど勉強などしないで、新聞などのメディアが耳の傍を通り
過ぎている状態ですが、年に一度、ちょっとばかり身を入れて考えてみる機会にして
います。 といっても、表層をなでる程度でしかないのですが、ネット画像で憲法審査会の
一幕を見るにつけても、様々な意見が飛び交いそれぞれの意見が交わることがないように
思われるのです。

 読売新聞の調査結果(無作為3000人、回答率67%)から、憲法を「改正する方が良い」
は60%、「改正しない方が良い」は36%で、4年連続で改正意見が6割台とあります。 また、
憲法施行から今年78年を迎え、戦後の日本は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重
という原則を守り、今日の社会の安定と発展を実現してきた役割を「評価する」は85%に
および、「評価していない」の14%を大きく上回っています。

       (読売新聞オンラインより)

 しかし長い年月のうちに、現実との乖離があることも事実であり、とくに昨今では、
ロシアのウクライナ侵攻をはじめとして、日本周辺の安全保障環境について、「脅威に
感じている」は88%におよび、「感じていない」は10%にとどまっていました。

               

 憲法改正論で常に問題視される戦争放棄を定めた9条1項を改正する必要は「ない」
が80%で、「ある」は17%とあり、9条2項(戦力不保持など)について改正する必要が
「ある」47%で、「ない」49%と割れています。 
 昨今の周辺脅威を考えれば、ある程度の防衛力を保持する必要があるのでは、との
意見もあり、たとえ日米安保条約が強固であったとしても、日本がそれなりの防衛力を
強化しないと、それでなくてもトランプ政権下ではおぼつかない限りですが、さりとて、
防衛力を増強しても大した守りにはならないのではないかとの見方もあるなど現実解は
どのあたりにあるのか? また9条2項にしても、現行憲法下ですでにミサイルや戦闘機等
が配備されて来ている現状を踏まえれば、捉え方の相違‥かもしれません。

 昨今のデジタル、AIによる新しい課題が続出している問題については、表現の自由や
通信の秘密は尊重されなければならないけれども、現実的に公共の福祉が脅かされている
事態を何とかしなければならない事項ではあります。ただ、これらについてもどこまでを
法律で、どこからを憲法で‥となると、難しい問題ではあります。
 先の兵庫県知事選等でのSNS問題は公職選挙法で対処できる事項かもしれないですが、
データの取り扱い、事業者等への規制など広い範囲となれば法律でとどまらないかも
しれないですね。

                  

 衆参両院で実施されている「憲法審査会」は、発足以来25年が経ち、多くの議論が
交わされてきていますが、先の世論調査で、各政党が憲法に関する議論を「もっと活発に
行うべきだ」は全体で74%を占め、支持政党別に見ても、自民支持層73%、立民支持層
76%、日本維新支持層9割弱、国民支持層82%、無党派層70%で、いずれも活発な議論を
求めています。

 拙速に結論を求めるのではなくても、長期的には憲法改正が望ましいという国民の
意識はあるように見えます。 憲法改正には、衆参両院それぞれの3分の2以上の賛成で
発議し、国民投票で過半数の賛成を得る必要があるわけで、やはりそのハードルは高い
ところにあります。

 国民投票法についての審査会のyoutubeを見ましたが、一瞥した画像だけでも2時間超で、
枝野会長のもと多くの会派の方々の積極的、活発な意見交換が行われ、俄かにはまとめ
きれない印象が強く持たれました。昨今のデジタル、ネット環境を踏まえた国民投票が、
それらに影響を受ける懸念が十分にあり、これをどのように正しい在り方に導くか、
ちょっと考えただけでも大変難しい課題が山積しているように思われます。 つまり、
選挙活動に利用する新聞、放送におけるCMの問題、ネットCMの問題、更にはネットに
おけるアカウントや既存有力サイトに対するあり方、外国からの介入などこれまでほと
んど関係しなかった新しい課題が取り沙汰されていました。

 昨年も拙ブログに憲法関連記事をアップしていましたが、「緊急事態条項」などに
ついてもさらに議論を深めてほしいところです。

 

 

 

HAUSER & Caroline Campbell - Quizás, Quizás, Quizás (Live in Italy)

 

 

 

 

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令和の時代に

2025-05-02 | 日々雑感、散策、旅行

 元号が、平成から令和になって、7年目となりました。平成31年(2019年)4月30日を
もって終了し、翌日5月1日午前0時、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の規定に
基づいて、第125代天皇は退位し上皇となられ、第一皇男子徳仁親王が第126代天皇に
即位されたのです。 「平成」から「令和」に改元されました。
 「令和」の典拠は、はじめて日本の古典(国書)万葉集から選定され、当時いろいろな
うんちくが取り沙汰されていました。

 当時の模様が、拙ブログ「令和スタート」(2019.5.2)にありましたので、以下にコピぺ
しました。

  *****

  昨日、5月1日から『令和時代』がスタートしました。 一昨日から、テレビなどは、
殆どの時間、天皇退位、新天皇の即位を中心とした関連報道番組で埋められていました。

          (ネット画像より)

 4月30日深夜から5月1日午前0時に亘る、新時代の変わる瞬間を祝うイベントが全国
各地で開かれて 大勢の若者たちで賑わっている様子が紹介されたりして、“あぁ、
日本中が新時代を歓迎しているんだ!”などと改めて、思い入った次第でした。
 婚姻届を提出するため、役所は深夜早朝から業務を開始していたり、令和の初日早朝
に合同結婚式を挙げる複数のカップルなども報道されたり、「令和」ゆかりの地、福岡・
大宰府からの中継も行われたり・・平成・令和一色の感じでした。

       各地のイベント例
         

 202年ぶりの退位ということですが、政府は今回の退位に関する一連の形式・儀式には
かなり工夫が凝らされていたそうです。
 それは主に、憲法第1章 天皇の第2条『皇位は、世襲のものであつて、国会の議決
した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。』  また、第4条、『天皇は、
この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。』との
部分であり、退位が天皇の意志で行われたり、譲位ではないことのために、皇室典範
特例法(政府が定めた)による退位であることとされ、先の『高齢による体力的な観点
からの退位』に関するビデオメッセージは、天皇の意志ではなく、『お気持ち』であり、
政府は、そのお気持ちを慮った手続きをとったこととしているのです。
  神器についても、天皇から直接皇太子に引き継ぐのではなく、一旦、定位置に戻し、
新天皇は、それを改めて定位置から受ける形をとることによって、譲位ニュアンスになら
ない配慮があったとのことだそうです。

 光格天皇の場合とはこの点が大きく異なるとあり、その背景にはいろいろな検討が行わ
れたと推測されるのでした。  そのため、退位、即位が、2日にわたり、同じ宮殿
「松の間」での儀式が行われることとなったのでした。

 憲法違反の問題を回避し、種々の事案が混乱なく行われるとの検討による一連の日程
など、ひとまず無事平穏の中で滞りなく執り行われたことは、関係者一同ホッとされてい
たことでしょう。

 報道を眺めながら、日本の古来からの伝統儀式の一端を垣間見ることが出来、改めて
その歴史に触れたような気がしました。

  *****

 文末のyoutube動画も当時のものを貼り付けましたが、大変な賑わいだったのですね。

 令和になってからの主な出来事を、基準なく選んで下記に挙げました。令和ですから
まだ記憶にも新しいものばかりですが、それでも改めて振り返って(日本だけ)みると、
それぞれの瞬間が過去のものとして想い出されてくるのですね。

・2019年 7月京アニ放火事件。日本でラグビーワールドカップ開催。消費税10%に。
・2020年 新型コロナのパンデミック。内閣総理大臣 安倍晋三→菅義偉に。
・2021年 東京オリンピックが1年遅れで開催。内閣総理大臣 菅義偉→岸田文雄に。
・2022年 成年年齢が20歳から18歳に。7月安倍晋三銃撃事件。
・2023年 こども家庭庁発足。新型コロナ感染症2類→5類に。5月広島サミット。
     GDP世界4位に。
・2024年 能登半島地震。大谷翔平50-50達成。日本被団協がノーベル平和賞。
・2025年 大船渡森林火災。トランプ関税さわぎ。大阪・関西万博。

 そして、気候変動の影響で、夏の酷暑のほか、大雨や土砂災害、台風による被害が
大きかったことが記録されています。
 今年もこれからの時季を迎えます。トランプ政権は、関税混乱の他、地球温暖化にも
悪影響を及ぼしています。

 

 

 

 

一青窈 - ハナミズキ

 

 

 

 

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不思議な日本語(60)

2025-04-30 | 日々雑感、散策、旅行

 気温が高く、暑かったり、そうでなかったり不安定な4月も早や最終日となり、明日
からは5月です。新しい人生のステップを踏み出した若者の皆さんには、ようやく緊張を
休める踊り場となる大型連休が来ます。ここで一息ついて、いよいよ本格的なスタートを
切るのですね。

 昔には、5月病などと言われた時代もあったようですが、最近ではそれほどの人は
少なくなったのではないか、サバサバとドライに構えているのではないでしょうか?

                 

 さて、勝手に始まったこの「不思議な日本語」も今回で丁度60回目となります。
いつ始めたのか? を探がして見ましたら、5年前の2020.5.27がその第1回目でした。
大体月一に記事投稿していますから、今回の60回は、まぁ、真面目にやってきたという
ことなんですね。

 折角のキリバンなので、なにか・・と思いながら、アイデアも浮かばなくて、あまり
面白くもありませんが、数字を含んだ言葉を拾ってみました。    以下に並べてみますが、
もっとあると思います。まぁ、思いつくままに流してみました。

 

先ずは一から順に・・

・『一』 「一日千秋」「一心同体」「一事が万事」「一刀両断」があり、 「一蓮托生」は
仏教の言葉で、死後はみな同じ蓮華の上に生まれ変わる‥ ということから、仲間と
運命を共にすること、または深い愛情で結ばれる意となります。 「一部始終」では、
一部と始めから終わりが一緒にありますから、『一部なのか始めから終わりまで全部
なのか?』と言いたくなりますが、実はこの「一部」というのは、そもそも「書物の
一冊」を指す言葉だそうで、「一部始終」は「書物の一冊の最初から最後まで」という
意なんですね。そこから、物事の詳しいいきさつを指すようになったのだそうです。

            (ac-illust.comより)

‣『二』 「二進も三進も」これ、にっちもさっちも・・なんですね。   「二束三文」は、
江戸時代に金剛草履という丈夫な草履を二足でわずか三文という安い値段で売られて
いたことから非常に安価で売ること、または値段が非常に安い意を表す言葉ですね。
  「二つ返事」 はい、はい と2回返事をすることが由来だそうで、快く承諾する、
気安く承諾する意ですね。 「二兎追うものは一兎も得ず」。  「二番煎じ」は、一度煎じた
茶葉を再び煎じる行為をいい、それが転じて、過去のものを真似たり、ヒット商品に
便乗したりして、新鮮味のない、つまらないものを指しています。

 

 ・『三』 「三日坊主」は、かつて、食うに困った人がお寺に入って生活したり、また、
修行を積んで仏教への理解を深めるため出家する人がいましたが、厳しい修行や質素な
生活に耐えられず、三日経つと出家を諦めて還俗してしまう人がいたのですね。「三日」は、
実際に3日間という意味ではなく、非常に短い期間つまり、すぐにやめてしまうことを
表す比喩として用いられているのですね。

 「三々五々」は、唐の詩人李白の漢詩『採蓮曲』の一節「三三五五垂楊に映ず」が
由来だそうです。これは、楊の木の影に三人五人がちらほらと見え隠れしている様子を
表し、そこから、数人ずつがひとかたまりになっている様子を指すようになったとあり
ます。数人ずつがバラバラに解散したり、集まってきたり・・。 「三人寄れば」一人
二人ではよい知恵が浮かばない場合でも三人集まれば文殊(菩薩)のような素晴らしい
知恵が授かる・・一人二人より多くで考えた方が良い‥というのですね。しかし、大勢で
やるとかえって発散してまとまらなくなる恐れもありますから要注意です。 「三行半
江戸時代の離縁状が三行半で書かれたのだそうです。
 「三面記事」こちらは明治時代の新聞(4ページもの)からで、社会面や雑多な記事・
事故などは 3ページ目にかかれていた。 「三りんぼう」暦の上で凶日とされている日
です。もともと江戸時代に「三輪宝」は、天、地、人の三つの中心に宝が位置することを
意味して吉日とされていたが、誰かが「よし」を「あし」と書き違えたことから、逆の
意味で解釈されるようになったという説があるそうです。本当?

         (ac-illust.comより)

 ・『四』 「四面楚歌」秦の始皇帝亡き後、項羽と劉邦はともに秦を亡ぼすが、楚軍
率いる項羽、漢軍率いる劉邦の2大英雄はついに戦いをまみえることとなり、激しい
戦はそのうち漢軍が優勢となる。項羽は、四方を漢軍に囲まれ、漢軍兵士たちが歌う
楚の歌に取り囲まれてしまうのです。「史記」項羽本紀の故事から、敵に囲まれて孤立し、
助けがないことの意ですね。 「四方八方」。  「四六時中」江戸時代は一日を12刻に
分け、12を2×6として、一日中のことは「二六時中」といわれていたところ、明治に
なって24時間制が導入されたため、四六時中(4×6=24)となったと・・。なぁ~んだ!

 ・『五』 「五里霧中」後漢の頃、道術によって5里四方にわたる霧を起こしたという
故事に由来するとありますが、5里に意味があるわけではないでしょうね。 「五十歩百歩」。

         (いらすとやより)

 ・『六』 六の付く言葉は、思い出せなかったので、ネットでカンニングをしました。
六波羅蜜」が出てきました。仏教におけるこの世でおこなう6つの修業、つまり
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧・・ですがどれも難しそうですね。 ついでですが、
波羅というのは、仏教の戒律の中で最も重い罪を言うとあります。六波羅は京都の地名で、
六波羅探題などがあります。

 

 ・『七』 「七転び八起き」七回も失敗しても八回目で成功する‥との意味で、何回
失敗しても失敗を恐れるな・・の意味ですね。七とか八はごろ合わせみたいな感じです
かね。 「七不思議」いろんな地域に7つの不思議がある‥というのですが、7は、特別な
数字のようで七草、七福神、ラッキーセブンなど・・まぁ、たくさんある?というくらい
の意味でしょうか。  「七つの子」これもたくさんの意で、たくさんの子供たちが親
ガラスを待ちわびている‥そういう情景を歌っているようです。

         (noteより)

 ・『八』 「八つ当たり」八は、方角では、全方位を意味していて、手あたり次第、誰かれ
なく‥などの意味に使われているようです。「八方美人」「八方ふさがり」もそうですね。
なぜ八なのでしょうか? 東西南北の4つとその間の北東、南東、南西、西北の4つで
八方。 

 

 ・『九』 「九分九厘」殆どの意ですね。次の「十中八九」とどのような違いがあるので
しょうか? 一般的には同じ意味に使われるようですが、字面から計算すると、九分
九厘は99.9%、十中八九は80~90%ですから、九分九厘の方が確率的には高いですね。 
九死に一生」は、九分通り助からない命が奇跡的に助かるとの意ですが、上手いこと
言いますね。 

 

 ・『十』 「十人十色」これに似た言葉として、「各人各様」、「百人百様」、「三者三様」
などがありますね。 「十中八九」。 「十把ひとからげ」いろいろのものをひとまとめに
して扱う意で、十はいろいろ・・ですね。 「十手」10本の手に匹敵する働きをする
ところから・・。

         (LINE NEWSより)

 

 ・『その他いろいろ』 「三十六計」中国の古代兵法には36の計略があり、そのたくさん
ある計略の中でも「三十六計逃げるに如(し)かず(が勝ち)」で、逃げることがいちばん
よい策であるという意味。転じて、あれこれ面倒なことが起こった場合には、後日を
期して逃げるのがもっとも適切な処置であることをいっているのですね。 「五十歩百歩」。
百戦錬磨」。 「千載一遇」。 「千変万化」。 「万感の思い」。 「万事休す」。  

百万ドルの夜景」百万ドルは1億円超ですから、それは素晴らしい夜景なんですね。
日本三大夜景は、函館山(北海道函館市)、摩耶山(兵庫県神戸市)、稲佐山(長崎県
長崎市)とあり、私はすべて経験していますが、稲佐山の時だけは、お昼時でしたので、
残念ながら夜景は見損ねています。
 「億万長者」要するにお金持ちのことですね。一般的に10億ドル(約1500億円、トラ
ンプ変動あり)以上の資産を持つ人のことを指すとあります。世界には3000人以上の
億万長者がいるそうです。

 話が大きくなったところでお後がよろしいようで・・。 

 

 

 

ブラザーズ・フォア 「七つの水仙」 The Brothers Four - Seven Daffodils

 

 

 

 

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アコースティック・スプリングコンサート

2025-04-28 | 日々雑感、散策、旅行

 やや肌寒いどんよりとした曇り空の土曜日(4/26)のお昼過ぎ、掲題のライブコンサート
に出かけてきました。JR中央線、国立(くにたち)駅前にある旧国立駅舎広間で無料の
コンサートでした。

 先の拙ブログ「戦友との飲み会」でご一緒する、その昔職場を共にした仲間の一人、
Oさんが出演するからです。 Oさんは私よりもずっと若く、毎年の「戦友との・・」の
幹事役を引き受けてくれています。 今年も幹事役を果たされながら、ご本人は丁度
その日が、娘さんの晴れの結婚式と重なったため、飲み会の方は当然欠席されました。
結婚式はなんと、石垣島のビーチで行われたとのこと、さぞかしエメラルド色した海を
背にビーチは賑わい甘い香りに包まれたことでしょう。

 

 そんな彼は、以前から自作の曲やカバー曲をギターの弾き語りでやっていると聞いて
いました。ここ2~3年は、あちらこちらの喫茶店風ライブハウスで演奏されていて、
今回は初めてのストリート風(街路ではなく、駅舎風広間ですが)のライブだったそう
です。

 前置きばかりが長くなりましたが、先ずはこんな風でした。

     Oさんのライブコンサート(旧国立駅舎にて)       
          

 

 この広間は、駅舎の中を再現していて、入り口は、改札口がありドアはありませんし、
広間の中には木製のイスが作り込まれ、ステージの後ろは、切符の出札場所らしい造り
となっていました。

       改札口を入るとそこが広間(左奥がステージ)
        

 

 アコースティックサウンド愛好会が主催されていて、音響設備はバッチリとされて
いますがその他の飾り物などはなく、唯々出演者との間近なトークとライブ演奏がすべて
でした。演奏曲が終わると、客席から大きな拍手が起き、広間は既に一体感に満たされ
ているのでした。

 Oさんは、すべてオリジナル曲 4曲の演奏でした。

1、『カレンダー』 
2、『君のいない街に春が来る』 
3、『転んだらブルース』 
4、『夏ミカン』

 それぞれに想い出があるのでしょう。それに曲を付けて自演する・・その楽しさは、
本人が一番であることは勿論ですが、このような場でライブ演奏により聞き手にも伝える
喜びがうまれ、次第にそのことが生きる意義の一つとして体幹に埋め込まれてくるので
しょう。

   どの曲も素晴らしい演奏でした。 Oさん、ありがとう!
        

 慌てて、手持ちのデジカメを取り出して、動画撮影してみました。もちろん手持ちで
ブレていますし、おまけにデジカメのサインがバッテリー切れを点滅させて、ハラハラ
焦りながら‥何とか最後までたどり着くという有様でした。
 そんな動画を失礼ながら文末に掲載させていただきました。もとより、普通のデジカメで
にわか撮りのため十分にお伝え出来ませんが雰囲気だけでも・・。

 

 素晴らしい演奏を聞き終えて、Oさんの次の人は女性でウクレレ演奏でした。
彼女のステージを聞き終えて会場を後にしました。

 旧駅舎と現在の高架駅をバックに、全景を収めました。

       

 

 

 

 Oさんのステージ『君のいない街に春が来る』 (手持ちデジカメ動画です。)
アコースティック・スプリングコンサートから


 

 

 

コメント (2)
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仮面

2025-04-26 | 日々雑感、散策、旅行

 仮面は、英語でmask、仏語ではmasqueで、「マスク」でありますが、野球の主審や
捕手、剣道、フェンシングで顔にかぶるのはマスクで仮面ではないですね。口や鼻を
隠す、コロナでお馴染み、習慣的にすらなっている衛生目的のものもマスクで仮面では
ないですね。

 ウイキペディアによれば、日本で仮面が確認されている最古のものは、縄文時代
(5000年以上前)の土面などや弥生時代の木製の仮面があるそうですが、いずれも神、
精霊、動物(実在架空を問わず)等に人格が宿ると信じられ、古くから宗教的儀式、
儀礼あるいはそれにおける舞踏、さらには演劇等で用いられてきました。このような
場合に装着するのはマスクではなく仮面と言われています。

       縄文時代のお面
        (ウイキペディアより)

 このような仮面舞踏(儀礼)は、アフリカや南洋諸島等で古くから民族的な儀式と
して行われてきています。日本でも「なまはげ」など種々ありますね、

 なぜ、「仮面」のテーマを選んだかといえば、少し前に手元に届いた会報記事に
「仮面という装置の力」(吉田憲司氏、国立民族学博物館長)と題して、著者ご本人が
アフリカ、ザンビア東部の村に住み、仮面の調査をする傍ら村の正式メンバーとして
儀式に参加され、仮面舞踏の意義などを発表されていたからです。

 村の儀式でつける仮面には2種類あり、躍り手の頭部に装着する覆面や木製仮面と
踊り手がその中にすっぽりと入る被り物(動物が多い)がある。覆面や仮面は死者の
霊の化身とされ動物の被り物は森からやって来た(つまり、村の外から)野生動物を
表しているとあります。最近の被り物にはヘリコプターもあるそうです。 外から
やって来たもの・・。

        アフリカ・ニャウ地方の仮面(例)
         (哲のphoto boxより)

 このような行為は、遠く隔たった地域でもよく似た習慣や制度・信念が認められる
がこれら相互に交流があったとは考えにくいのです。つまり人間の中にある根源的な
ものの探求に繋がるのではないかと思われる。『地域と時代を問わず、仮面に共通した
特性として、特に注目されるのは、それがいずれも、人間の知識や力の及ばぬ領域、
すなわち「異界」の存在を表現したものである。』と述べられています。
 異界といえば、ギリシャの祭典での仮面や現代のカーニバルでの仮面まで、日本で
いえば、能・狂言や民族行事の中の仮面から現代の、月光仮面やウルトラマンに至る
まで『仮面は常に、「異界」から一時的やって来て、人々と交わって去って行く存在を
可視化するために用いられてきた。』と。

 さらに仮面にはこれらの可視化のほかにもう一つの力というか意義があるようですね。
仮面という装置を装着した踊り手は、霊が依り憑きその霊になりきるともいわれるの
です。 しかし、芸能化した仮面や子供たちが好んで被る仮面(お面)にはこのような
霊の依り付きなどの宗教的な意義は見いだせないですから、仮面には、このような2面が
あるといえます。とはいえ、ウルトラマン仮面をかぶった子どもは、ウルトラマンに
「なりきれる」のですね。

              

 仮面にはこのようにいろいろな「力」があるのですね。中世ヨーロッパでの仮面
舞踏会(マスカレード)では、宗教的な意味ではなく、顔を隠すという目的が強く、
このような状態で身分や素性を問わず男女が交遊出来たなどの意味合いも大きいと
思われるのです。 たしかに、舞踏会でなくても、仮面をかぶるとそれまでの自分とは
違った自分になったような気がする・・のは、ある意味自分というものの一部、特に
潜在意識みたいなものを、顔を隠すことで顕在化させる力?を持った装置なのかも
しれません。

 また、いわゆる変装マスクというのもあります。仮装大会などでのものや、タイガー
マスク、フランケンシュタインなど、さらには政治家などの頭・顔部分の被り物なども
ありますね。

 30年ほど前に、ニューオリンズの街で求めたお面で今も飾っています。
        

 

 

 

アフリカではなくタイの動画ですが・・

チェンカーン Mask Festival 2022①

 

 

 

 

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穀雨    ⁻

2025-04-22 | 日々雑感、散策、旅行

 この20日から5月4日までは、二十四節気の「穀雨」なんですね。 ネットを見ます
と『初夏直前の豊かな春』とあります。 丁度ゴールデンウイークと呼ばれるこの時期、
一年の中でも最高のシーズンで大型連休があります。 郊外に出れば、あちらこちらに
鯉のぼりが明るい空に泳いでいることでしょう。

 都心の真ん中、日比谷公園の今頃は、一面チューリップの色とりどりが優しい春風に
揺らいでいますが、今年のyoutube画像では、一面のネモフィラとのコラボした晴れ
やかな海を演出しています。 

      今年の日比谷公園(4/15)
       (同youtubeより)

 

 60年ほど前のこの時期、入社してまだ学生気分が抜け切れていない、そんな若者に、
公園の花の鮮やかな姿は 沸き立つエネルギーを与えているようにすら感じたもの
です。 
 ネモフィラといえば、これも随分以前の話ですが、園芸友の会のバスツアーで
「国立ひたち海浜公園」を訪れた折、広い丘一面に植えられたネモフィラの素晴らしい
景観が想い出されます。今年の同公園の動画から拝借しました。

      ひたち海浜公園ネモフィラの丘(4/20のyoutube)
       (ANNニュースより)

 

「穀雨」は、「春雨が降って百穀(ひゃっこく)を潤す」と言われ、いろいろな穀物、
更には植物全般にとって潤いの雨に生育が促進される季節を表しているのですね。
穀雨の次の節気は「立夏」ですから、もうすぐ夏が近づいている‥そんな時期ですが、
昨今の春は短く、すでに「夏日」が顔を出してきています。

 花でいえば、藤の花が咲き始めています。 藤といえば、あしかがフラワーパークの
大藤が有名ですが、樹齢160年ともいわれ、600畳敷の藤棚一面に紫色の藤が垂れ下がる
姿はそれは見事ですね。いつだったか、訪れた時もそうでしたが、今年も多くの 人々を
呼んでいるようです。 私たちが行った時の帰りにシャクナゲの丘のようなところにも
寄りましたね。

        藤の花
        (ウエザーニュースより)

 

 この藤は、日本固有種だそうですから、日本を代表する花と言える・・とあります。
そして、春から夏へとふたつの季節にまたがって咲くので、「二季草(ふたきぐさ)」と
いう異名もあるそうです。

 このあたりの記事は、ウエザーニュースのページから拝借していますが、もう一つ
「お茶」が取り上げられています。
♬夏もち~かづく 八~十八夜・・  で、立春から数えて88日目は、5月1日なん
ですね。お茶の木の若葉がキラキラとお日様に輝く丘の緑は、生気に溢れるパノラマ
を呈しています。

 

        お茶の木
        (ウエザーニュースより)

 

 例年より長く楽しめた今年のさくらも、いよいよ若葉に取り替わり、緑の季節へと
舞台が変わる頃、このところ関東も良いお天気で、戸外で動いていると汗ばむ気温と
なっています。あの猛暑が来るまでの短い期間のお楽しみです。
 花たちは、このほかツツジ、ボタン、ヤマブキ、シバザクラ・・と盛りを迎えて
います。

 我が家(集合住宅)は、2/10から大規模種修繕工事期間で、来週あたりからよう
やく足場の解体が始まるようで、長く感じたジャングルのような薄暗いトンネンル
からもうすぐ抜け出せるようです。 植木たちも、しばらく我慢していました。
もうあと10日ほどで・・。

 

 

 

茶摘 懐かしい歌 唱歌

 

 

 

 

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戦友との飲み会 ‘25  -

2025-04-20 | 日々雑感、散策、旅行

 はや夏日の到来を受けて、気温変化に追随できぬまま一昨日(4/18)は、1年振りの
飲み会に行ってきました。戦友との・・ですが、もとより戦後生まれの人達(私を除い
て)の集まりですから、戦友とはこれ如何に・・ですが、35年ほど前の職場を共にした
皆さんの活動ぶりがまさしく戦場のような混とんとした中での営業活動に創意と技術を
結集した真剣勝負に挑んでいた頃の仲間なんですね。
   戦争のように、相手を攻撃するようなことはありませんが、ただ初めて経験する競争
社会の場に出て、百戦錬磨の先輩企業にもまれて営業活動を展開するそんな職場を、
やや大げさに表現したのです。

 この飲み会も随分続いていますが、皆さん高齢化してきたということで、幹事の計らい
で今回は、17時半の開始でした。未だ日中のように感じながら会場ののれんをくぐり
ました。

 途中に見える大型クレーンが活躍している場所は、当時会社のあったところで、
現在再開発中です。
          
             右のビルは、東京電力本社ビルです。

 

  会場(お店の)周辺はまだこれから・・みたいな様子でした。
  
    (銀座 コリドー街)         (その並びのお店で・・)

 

 しかし、今回の話題は、いわゆる当時の想い出話は殆ど出ませんで、たまに関連する
話題でちょこっと飛び移る程度で、もっぱら現状のトランプ関税についての大臣交渉の
ホットな話題などについて意見が広がっていました。
 当時に関連した話題としては、大規模受注後のシステム構築から維持管理まで、当該
お客様サイドの人脈がその後も脈々と続いていて、皆さん既にリタイヤされ新天地で
ご活躍・・など、その後のつながりの深さが披露されたりしました。これらの話題は、
当然当時もそれなりに脚光を浴びていた案件でもあり、懐かしさひとしおに感じるの
でした。

               

 当時、この分野にシステムインテグレーション(SI)なる用語が導入されていました
が、いわゆる、それぞれの企業が抱える、あるいは変革を目指した総合的な課題解決・
目標実現を目指した、情報通信システムの構築を図る‥ということなんですが、企業
それぞれの実態、課題の抽出は区々ですから、それらをどの様に取り上げて最適解を
求めるか・・そこにポイントがありました。もちろん経営的な面から捉えることになり
ますから、それらの資料や社内報に至るまで幅広い視点からこれらの問題解決を図る
必要がありました。

 

 このような職場は、ひな形がなく、常に新しい取り組みの連続でありましたが、一つの
方向性を見出し、それらを提案書にしたためプレゼンに至るプロセスが最大の苦心で
あり最大の喜びとなるのでした。そんな熱い思いを胸に秘めた今や高齢者の仲間入り
した面々の楽しい飲み会なんですね。

                

 今回は、都合がつかなかった人が多く、集まりは少人数で少し寂しい感じはありました
が、和歌山や札幌からの参加があり、ひと際盛り上がり途中写真を撮るのも忘れてしまい
ました。

      最後に、お店の出口手前で・・
        

 

 早い時刻に始めたので、終了してもまだ宵の口で、外に出ると若い人たちがいっぱい
たむろしています。 皆さんこれからという人たちであたりは混雑していました。
   この界隈を、今頃の時間帯に帰路に向かう‥なんてことは、当時は考えもつかないこと
でした。

 

 

 

東京の花売り娘 懐かしい歌 歌謡曲

 

 

 

 

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意見交換会

2025-04-18 | 日々雑感、散策、旅行

 会社OB /OGで構成するサークルがいくつかあります。 テニスやゴルフ、健康体操
サークル、さらに絵画、囲碁、音楽演奏、尺八、俳句、など他にもあります。
 私が所属しているのは、園芸友の会というサークルで園芸に興味がある、家庭菜園
などを楽しむ人たちもOKで園芸についての専門的な話題ばかりでなくそれにまつわる
いろんな話題を持ち寄りサロン風に大体2か月ごとに集まりをもって楽しんでいます。

 そんな、サークルの幹事たちと、総合的な運営事務局の皆さんとの意見交換会が
一昨日(4/15)品川にある事務局の会議室で行われました。

  事務局のあるビル         その反対側品川駅方面を望む
 

 議題は、①各サークルの状況や提案事項など ②運営事務局が提供する総合ホーム
ページのリニューアルについて の2件でした。 各サークルの状況では、共通した
悩みが浮き彫りされましたが、どのサークルも高齢化し、若い新規会員の入会が極端に
少なくなってきている・・ということで、わが園芸友の会サークルも事情は同じなん
ですね。 

 もっと若い現役の頃からサークル参加が出来るとそうでもないのでしょうが、この
会はOB/OGで構成されていますからどうしても会社を卒業してからの入会となるの
ですね。

 若い頃から趣味として、ある程度の経験も積んで来たので、会社を卒業した後は、
更に広い場で研鑽したい‥というような人たちならばよいのでしょうが、卒業して
初めて、これらのサークルに入会するとなると、どこか見えないハードルみたいな
レベルが障壁となって、卒業してからまた再び新人扱いとなるのもどうか・・などの
ためらいが入会を阻んでいると思われるのですね。

 これらのサークル活動は、定期的に発行される総合冊子『会報』にも掲載され、
広く読まれてもいるのですが、やはり会報記事ともなると、それなりに恰好を整え
ますから、このハードルはさらに高く持ち上げられた形になるのかもしれませんね。

 

 園芸友の会サークルは、従来実施していた教室での例会は、コロナ以降の実施は
控えていて、代わりにオンライン例会に切り替えて、年6回の例会のうち4回はオン
ラインによる「サイバー例会」と 2回のリアル例会(植物園などを見学)を原則と
して実施しています。 オンラインでは写真や資料などは、画面で共有できますし、
何といってもわざわざ教室に出かけなくても自宅から参加できる‥というのが最大の
メリットです。そして、この形式では、場所の制約がなく、遠隔地からも、あるいは
移動中でも参加でき、タイミングが合えばリアルの屋外例会への参加も可能です。

 

 今年3月の例会で北海道の会員から「世界らん展2025」模様の発表がありましたが、
これに関連して、事務局から嬉しい提案がありました。 洋ランについての楽しいお話
を、園芸友の会会員だけでなく、すべての卒業生を対象とした事務局が実施するセミ
ナー(オンライン)でも実施したいとの要請がありました。早速、講師に連絡を取っ
た次第です。

 

 2点目の、ホームページリニューアルについては、セキュリティを強化することと、
画面を見やすくする・・などの視点から、一部機能についてデモがあり一同了解した
ところです。

 席上、新しい機能として、OB/OGの「同期の集い」みたいなカテゴリーを新設して
はどうかと提案があり、事務局の検討事項となりました。 さらに、各サークルの報告
記事に対して、閲覧者が自由に当該サークルあて質問・コメントなどが返信できる機能
の付与についての提案がありましたが、当面、当該記事の末尾あたりにメールアドレス
の掲載により対処することとなりました。

             ベランダのハナミズキ(実生)
          

 園芸友の会サークルが発足してすでに半世紀が過ぎる経緯を辿って今日を迎えます
が、当初の活動を振り返ってみると、初期のやや専門的な活動中心の頃から、徐々に
文化や芸術、更には生活との関連などより広いかかわりの中の園芸、更には自然環境
などへの話題を取り混ぜたサロン風にそれぞれの意見交換、発表の場として存在して
きているように思えます。 これからも継続して行きたいと思っています。

 

 

 

Edelweiss. The Sound of Music. (Sonrisas y Lágrimas).

 

 

 

 

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38ウエブ April ’25    -

2025-04-16 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(4/14、月)の夜は、入社同期の月一の定例オンライン談話会がありました。
入社同期といっても、すでに退職してからかなり年月が経っていますから、皆さんそれ
ぞれによいお年頃になっています。
 先月は、どういうわけかこのオンライン接続がうまく行かずに参加できませんでした。
わずか1回抜けただけで、何やら久しぶりの感じがしました。  しかし、話題はその
時々の臨機応変? とでもいえばスマートですが、つまりは話題があちらこちらに飛ん
だり、何かのイベントがあればそれが話題の中心‥みたいな感じですから、久しぶり
でもどうってことは無いのです。
 おそらく、オンライン参加してパソコン画面に写された皆さんの老齢化した顔を
前にして何かを話す‥そのことですでに目的は達せられているのかもしれません。

        一昨日のメンバー
        

 

 話題は、やはりトランプ関税について、それぞれの受け止め方や感想が飛び交う中、
この戦術が本当に米国のためになるのかどうか? 株価の世界的な暴落と共に米国債の
下落等に対処?して、早々と90日間の関税引き上げ中止を発表するなど、動揺が見ら
れた。この後どの様に展開するか注目して行きたい。 米国債が売られたというが、
どこの国が売ったのか? ひそかに日本が売ったのでは? などの発言が出たりして、
話しは混乱してしまいました。  ただ、これを言った御仁の弁がユニークだった。
「そのうち、いずれ近いうちに南海トラフによる大地震が想定されているが、この被害
の大きさは、かの東日本大震災の何倍にもあたり、そのための防災・復旧費用として
貯蓄するため。」‥とまことしやかなストーリーが添えられたのでした。一同、驚きを
隠しきれない様子でしたが、混乱時にはともすればこのような話が出るものではある
のでしょう。

        米国債保有国(昨年12月)
       (豊トラスティ証券より)

 

 メンバーには、囲碁の達者な人が何人かいますが、近く、日中友好囲碁大会が実施
予定で、その時に必要な人を探しているという。必要な人というのは、大会で囲碁の
解説・ルールの説明が出来る人を探している。で、メンバーを名指しでその可否を尋ね
た。というよりも半ば強制的な感じでありましたが、まさしく当人を置いて他に適当な
人物がいるとも思えない状況でした。 本人は、日程などを確かめた上で、即承諾を
しました。
 この彼は、現役時代、中国で勤務され仕事をこなした経験を持ち、昔から囲碁に造詣が
深く現在も囲碁クラブで活躍している御仁なのです。

          (ネット画像より)

 詐欺電話の迷惑に閉口している御仁のお話で、このところやたらと、固定電話、携帯
電話、パソコンに迷惑、というか詐欺まがいの情報が寄せられ困っているが、皆さんの
ところではどうか? 自分だけが集中的に狙われているのではないか?の確認も含めた
発言でした。多くの他の人からも同じような迷惑を被っている・・との返答に一つは、
自分にだけではないとの安心感が得られたようですが、本質的な困惑は解決されない
ままとなりました。

 

 このような話題が次々と変わりながら進む中、時として話題の中に関連する同期の
名前が出たりすると、しばらくそちらの話に乗り移り、彼の現役時代の話に花が咲い
たり、寄り道も多いですが、それぞれが、その時々の体験談として思い起こされるの
でした。

              

 談話会では、特段の命題が与えられ議論するわけでもなく、何かの結論を得るため
でもなく、今回のような人選は特別なことでありましたが、それでも月一の談話会は、
高齢者にとってある種の刺激となって、また励みとなり、気の置けない井戸端となって
いるのでしょう。

 

 

 

Dalida - Le temps des fleurs (Official Lyric Video)

 

 

 

 

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ウエブサロン(33) 

2025-04-14 | 日々雑感、散策、旅行

 大阪・関西万博が開幕した昨日(4/13)、関東は少し小雨がぱらつき、再び寒さが
戻った感じの日曜日、午後2時少し前から、オンライン談話会「ウエブサロン」があり
ました。

 この会は、高校同級のかって、蓼科農園で汗した仲間、「蓼科浪漫倶楽部」のメンバー
で構成した月一のおしゃべり・情報交流会です。コロナ後に始まったこのオンライン
談話会も 33回を数え、各自のイベント報告や体調など近況話題を交換する「お元気
ですかコール」のような意味合いも含まれた集まりですが、今回メインとなった話題は、
来月予定されている「日本理化学協会設立100周年記念式典」が中心となりました。  
 なぜかといえば、この記念式典で、わが母校が感謝状をいただくことになったから
なんです。

       今回のメンバー(関東×4、関西×3)
       

 

 時は遡り、大正15年5月に、講道館柔道で有名な教育者 嘉納治五郎会長のもと、全国
から中等学校(現在の高等学校)教職員300余名が集まり、理化学教育振興に関する
文部省諮問事項に対する答申案が作成された第1回協議会(創立総会)がわが母校
(当時高等女学校)にて開催されたのです。これにより、我が国の理科教育のスタート
が切られたことに由来して、今回、100周年を記念して、母校に感謝状が授与される
こととなったのです。

         母校
         (母校HPより)

 これまで、このウエブサロンで、2021年より「母校をもっと魅力ある学校としたい」
のテーマでプロジェクト的に検討推進してきた中で取り上げていた事案の一つ「歴史を
再認識する」で詳細を検討してきた成果‥と認めながら、改めてみんなの活動の想い出
として話題が飛び交ったのでした。いずれにしても、光栄なことであり一同歓びあった
のでした。

 この事実は、私達が生まれる以前のことでありますが、大正末期における理科教育
環境の実態、そしてそれに対する当時の教育界の取り組みなどの歴史を知ることとなり、
そのスタートポイントにわが母校が関わっていたということなんです。来月の記念式典
で、日本理化学協会様から母校校長に感謝状が贈られ、同窓会からも出席することと
なったのです。

              

 他の話題として、もちろん大阪・関西万博についてのお話がありましたが、桜の時期
でもあり、大阪城や近隣の名所に訪れたお話があり、多くの人出で賑わっていた、外国
人も半分くらい見かけた・・そんなうららかな春陽の話題のほか、明日から信州高遠の
桜を見にゆく計画も出たり楽しみが続きそうです。

          高遠の桜
          (ウエザーニュースより)


 すい臓がんが消えた、奇跡の持ち主は、その後もいたって元気でいるようですが、
検査で肺に影が見られるようだとのことで、PETによる精密検査結果は異状なしでホッ
とした‥報告がありました。すい臓がんでは先輩にあたるメンバーから、彼も同じよう
に検査で肺が疑われたが、PETで異常なしとなったことが報告されました。どちらも
安全サイドに検査が行われているようだと思われたのですね。

 

 最後にここでも、トランプ大統領の話題が出ました。一人の男の発言に世界中が振り
回されている昨今、今後の世界経済がどのようになるか、少なくとも混乱の渦を巻き
散らすこととなることは必至で、関税戦争は誰も勝者になりえないわけで、この事態に
憂いを抱くばかりでした。

 

 熱の入った談話が16時過ぎまで続き、同期会の開催を来年秋ごろに実施するよう
計画してはどうか?の提案があり、そして 次回のウエブサロン日程を決めてお開きと
なりました。
 次回のサロンは、5月25日(日)14時から‥と約束し、お開きとなりました。

 お疲れさまでした。

 

 

 

 

Proud Mary - Grupo Talía

 

 

 

 

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信玄公祭り

2025-04-12 | 日々雑感、散策、旅行

 ♬ 甲斐の山々~陽に映えて~・・♬ よく知られる武田信玄は、4月12日(旧暦)が
命日だそうです。戦国時代の武将で、甲斐源氏の第19代当主、武田氏の第16代当主を
務め、軍略の天才とも呼ばれ、あの数次にわたる戦「川中島の戦い」はことに有名です
ね。

    武田信玄は、通称 太郎とよばれ、姓名は源晴信(みなもとのはるのぶ)といい、信玄は
出家後の法名とあります。 信玄はグレゴリオ歴でいえば、1521.12.1~1573.5.13で
わずか53歳で病死しているのですね。 死の間際に言った言葉が『困ったときには、越後の
謙信を頼るように』と言い残したと「甲陽軍鑑」に記されているそうです。

        (山梨観光公式ページより)

    で、掲題の「信玄公祭り」は、武田信玄の命日の前週の金曜日から日曜日まで開催
される武田二十四将を模した時代行列であり、「甲州軍団出陣」がその目玉と言われて
いるそうです。私は訪れたことはありませんので、もっぱらネット情報による理解です
が、文末のyoutube 映像にもありますが、信玄公にトップスターを充てるなど相当大掛か
りな行列のようです。

 このお祭りは1970年に観光誘致を目的にその第1回が開催されたそうです。 第25回
あたりから信玄公に俳優を登場させたり、大河ドラマ「風林火山」の頃からは山本勘助
にも俳優を充てるなど規模は次第に拡大されてきているように思われます。 しかし、
今年4月のこの時期に行われたのは 6年振りとあり、コロナ時期の中止はやむを得ない
ことですが、これまでは秋開催(9~10月)であったりしています。

       信玄公祭り
        (ANNnewsCHより)

 さらに、信玄公の命日(4/12)には、武田神社例祭に合わせた「武田二十四将騎馬
行列」がこれも盛大に行われています。この祭りは、ネットによれば『信玄公祭りの
イベントのひとつで、武田神社を出発して市内をパレードする行列です』とあり、こち
らは、甲府市のHPに紹介されています。別のネット記事によれば、そもそもの始まりは、
1947年に信玄公に因んだ騎馬行列が始まりのようで、それが1966年に「甲府信玄祭り」
となり、1970年に「信玄公祭り」に改称され第1回としているとのことだと・・。

 まあ、どうでもよいことですが、なにやら日程が接近していて、ともに武者行列で
市内を練り歩く同じようなイベントが重なっているような感じがします。
 「信玄公祭り」は、これまでも外国からの要人を招いているそうですが、最近ではインド
やベトナムからの参加も加わり、今や外交の一端を演じ、県特産品などの紹介にも余念が
ないそうです。

 武田信玄公は今や観光資源として大いに活躍しているのですね。

 

 

 

武者行列いざ出陣、甲府 信玄公祭り6年ぶり春開催

 

 

 

 

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高尾山へ下見に・・

2025-04-10 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(4/8)の高尾山は、朝から良いお天気で風もなく、少し歩くと暑いくらいの
気持ちの良い春の日和でした。 急斜面を駆け上るケーブルカーの窓から、淡い新緑の
紅葉がまぶしいくらいで、その向こうにはヤマザクラがまだ盛りに咲いています。
時々、窓のすぐ近くを通り過ぎる、満開のミツバツツジが、その淡いピンク色を一面
に広げて歓迎してくれているようでした。 火曜日の10時過ぎでしたが、結構な人出は
ありました。

  高尾山薬王院有喜寺本堂       仁王門
 

 

 来月下旬に計画している、園芸友の会「屋外例会」の下見に行ってきました。会の
メンバーは高齢者が多く、これまでの屋外例会では、平地の植物園や公園を選定して
いましたが、今回初めて「山」を候補としましたが、もちろん山頂までは計画には
入れていないのです。
 目的は、久しぶりに「山気分」を味わうことと、ケーブルカー駅から5分くらいの
ところにある「野草園(サル園と併設)」で、山野草の数々を楽しみ、最大のエポック
として、今から1200年前に開山された高尾山薬王院有喜寺の本坊で精進料理を皆で
楽しむこととしています。 今回、その予約を済ませてきました。

    薬王院本坊         その横の有喜閣(奥) (サクラがキレイ)
  

 昨日の下見では、参道途中の路端で、小さく咲いているスミレやウラシマソウなど
を見つけました。これまでブロガーさんらの記事から「そうなんだ!」と思っていた
いくつかの実物を観察することが出来ました。

 ウラシマソウ           ヤマルリソウ、スミレたち
 

         

 また、薬王院付近からの眺望は、一面が霞んでいて、冬には肉眼で見えていた横浜
ランドマークタワーなどは何も見えませんでした。 そして、本堂から太鼓と共に
賑やかに聞こえる御護摩行の読経が聞こえ、さらには、境内でたまたま僧侶の皆さん
の「お練り」に出くわしたりしました。 緋色の大きな傘にかざされた貫主様らしい
お方は、紫の法衣に大きな袈裟をかけた大変体格の良い方でした。

      貫主様はじめご一行のお練り
        

 

 高尾山は、私は、これまでもう20回近く上っています。毎年、お正月に初詣を兼ね
て、1月4、5日あたりに、高校同期生何人かで薬王院にお参りし、頂上から霊峰富士を
臨み、さらにそこから一丁平方面に足を延ばして、「シモバシラ」を観察するのが
コースでした。 温暖化によって、お正月ころでもシモバシラの出来不出来があり、
不発に終わることもありました。 この行事も、コロナで途絶えてしまい、その後
みんなそれなりの年齢になり沙汰止みとなってしまいました。

 今回の下見で出くわした、スミレたちやウラシマソウなどは、お正月時期では体験
できなかった出会いでもありました。
 そんな想い出深い高尾山に来月、園芸友の会の例会が実現する計画、そして初めて
入る本坊での精進料理に今からワクワクしています。

 

 

 

《春の歌 - メンデルスゾーン》Mendelssohn - Song without words, Op. 62 No. 6 "Spring Song"
クラシックピアノ- CANACANA

 

 

 

 

 

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ルイ14世の食卓

2025-04-08 | 日々雑感、散策、旅行

 突然ですが、ルイ14世の食卓について、手元にある会報記事に惹かれ、なるほど‥
と感心したり、そんな風な意味合いを持っていたのか‥など、知らない世界の一部を
垣間見たような想像世界に入ってしまいました。十分にお伝えできるかわかりません
が、その一端をご紹介したいと思いました。 その前に・・

 あのルイ14世について一言振り返りますと、17世紀後半~18世紀初頭のブルボン朝
第3代、フランス絶対王政全盛期の国王ですが、1643年 僅か5歳で即位し、72年もの
長期にわたってその座にあったのですね。1682年にはヴェルサイユ宮殿を完成させ、
貴族たちを宮殿内またはその周辺に住まわせ、宮殿内には多い時には廷臣のほか官吏、
外国使節、請願者ら1万人もの人々がいたという。
 ルイ14世はこの宮廷での序列や礼儀作法を厳格に定めて貴族たちに従わせるととも
に、地方の領地から切り離すことによって、貴族達を強く統制することに成功したと
あります。

         ルイ14世
        (noteより)

 そのような中で、王権の確からしさを人々に認識させるために、食事という行為を
大いに利用したというのです。現在のフランスの高級料理の骨格を形作ったのだそう
です。
 手元の会報記事『ルイ14世の食卓 如何にして権力を表現するか』(橋本周子氏、
関西学院大学国際学部准教授)からその模様のいくつかをここに取り上げてみました。
この記事は、日本経済新聞2024年7月17日の記事にも掲載されているようです。

 

 食卓は、ある意味「舞台」としての意味合いを持ち、「フランス式サービス」と
呼ばれる形式で料理が運ばれてくるのです。一人ずつの分量が銘々に出されるのでは
なく、複数の料理が一度に食卓に出される給仕方法であった。会食者たちは、これら
を楽しんだら、料理は一度にすべて引き下げられ、また別の料理一式が運ばれてくる。
まさしく舞台の幕が上がったり下がたりするごとに、舞台上の様相はがらりと変わる
演劇風の展開のよう。普通3幕ほどあるようです。舞台には観客が付きものですが、
食事会に呼ばれたが食卓(席)につけない客が食卓の周りに大勢取り囲んでいるの
です。

      食事風景
      (youtubeより)

 会食者の人数によって料理の数は異なるものの現代の感覚からすれば多すぎる量が
食卓を埋め尽くし、大皿料理をメインとして左右対称に規則正しく並べられる。食卓を
取り囲む会食者たちが付く座席の配置も定められている。メインとなる料理に最も
多くアクセスできるところに最高位の者(主催者自身)が座りそれに近いほどより
優遇される者が座る。会食者の序列が一目瞭然にわかるのです。 つまりこのよう
な舞台構成により、主の中心性を強調するのです。

 これは、当時の階級社会にあって、その社会的ヒエラルキー(階層、身分)を可視化
するための方策の一つで、給仕方法に則った壮観な食事会が宮廷という公式の場に
おいて重要なイベントとなり、その中心をなす主の権威を周囲に認識させ、さらに
その強化を図るという効果が発揮されているのです。

 このような給仕方法では、暖かい料理もすっかり冷めてしまい、料理も味よりも
見た目を重視する傾向にあったそうです。余談ながら、ルイ14世は大食漢であった
そうです。

 

 施政者が食事を権力表現の機会とすること自体は多くの国で見られるところですが、
ルイ14世の頃のそれは、高度に儀礼化されていて、なかでも祭日や外国からの要人を
招いた場合などに開かれる『grand couvert (大膳式)』は宮廷生活においてその
役割は大きい。

        大膳式
         (youtubeより)

 会食者たちが舞台に上がりそれぞれがどの席についているかを互いに見ることで、
まさにその瞬間の宮廷のヒエラルキーが認識させられるのです。 そして、周りには
大勢の観客たちがそれらを見守っているのです。 大膳式は最早食事会というより
むしろ儀式なんですね。

 

 このような儀式(食事)は、食卓用具や燭台、テーブルクロスなど食事に必要な
ものが、各々を担当する家臣たちによって恭しく運ばれ、列をなして宮廷内を移動
して行くのですね。食事の場所は、当時、食堂のイメージはなく王や王妃への謁見の
ための待機場所である「控えの間」であったそうです。 ルイ14世は、この部屋で
王家のメンバーと共に日々、臣下や物見高い人々の視線のもとに食事をとる習慣で
あったのです。

 

 ネフ(nef)という船の形をした金銀細工で出来た食器の一種があるのですが、広く
ヨーロッパの宮廷の食事で見られるそうで、通常、スプーンやナイフそれに貴重だった
コショウやナツメグなどのスパイス入れですが、ネフは次第に王権を象徴するための
贅沢な装飾品へと変えていったそうです。 形式を重んじるヴェルサイユにおいて、
ルイ14世はネフに入れているのは、食器やスパイスではなく、湿らせた布「おしぼり」
だったのです。
 現在でも、ヴェルサイユ宮殿の「豊穣の間」の扉の上に飾られているそうです。

 昔、ヴェルサイユ宮殿を訪問した時には、鏡の間や煌びやかな数々に見とれて、
ネフ(おしぼり入れ)などにはトンと気が付かなかったですね。

        ヴェルサイユ宮殿
       (youtubeより)

 ルイ14世は、在位中ずっとヴェルサイユでのお大掛かりな公開の食事を好んでいた
わけではなかったようで、このような儀礼に縛られた宮廷生活からの息抜きの場と
してマルリーというもう一つの宮殿もあったようです。ここでは、食事もより親密な
間柄の者たちだけで、もちろんネフ抜きで過ごしたようです。王も、気の置けない
人たちと安心できる空間で楽しみたかったようです。

 

 

 

【衝撃】ヴェルサイユ宮殿の不思議な食事とは?

 

 

 

 

コメント (2)
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醍醐寺桜会

2025-04-06 | 日々雑感、散策、旅行

 今頃は桜尽くしの京都市伏見区の醍醐寺は、3/15~4/15の期間、『清瀧権現桜会
(さくらえ)』として特別法要と様々な特別拝観が開催されているとあります。
そして、4 月の第2 日曜日は恒例の「豊太閤花見行列」が開催され境内は大変賑わって
いるようです。

      国宝五重塔とさくら
       (醍醐寺HPより)

 

 醍醐寺は、開創 1150 年(昨年)を迎える古刹で、平安時代より花の醍醐と言われ
た桜の名所です。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な
境内を擁する真言宗醍醐派の総本山とあります。
 醍醐寺の奥にある登山口の女人堂からさらに小1時間ほど険しい山道を登ると、
醍醐寺発祥の地である上醍醐に行きます。ここ上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)は、
西国三十三所の第11番札所で、准胝観世音菩薩がお祀りされています。

 私は、かって1980年頃、勤務が大阪でしたので、もっぱら土日を利用して2年がかり
で西国三十三か所(番外を含めて36か所)巡りをした時、この上醍醐の登りが当時
でもかなりきつかった記憶があります。 この時は、桜の時期ではなかったので、
冒頭のような催しはありませんでしたが、何しろ広いのと、国宝、重文などの宝物が
たくさんあることで知られていました。また、上醍醐には、開創以来湧き続けると
いう「醍醐水」があり、冷たいこの水を飲んだ時の醍醐味は格別でした。

 醍醐寺には、国宝75,537点、重要文化財430点が国の指定を受けており1994年(平成
6年)に、「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されたのですね。

         豊太閤花見行列
        (醍醐寺HPより)

 サクラの話題に戻りますと、1598年の春、豊臣秀吉はこの寺に花見に際して畿内
から700 本の桜を植えさせ、更に寺院と庭園を造って盛大な宴を開いたそうです。
息子・秀頼や正室・北政所、側室の淀、三の丸など女房衆 1300人余りが参加したと
いわれていて、この故事にならって、今も毎年4月第2日曜日に「豊太閤花見行列」
が開催されているのだそうです。

 境内に、京都府で一番古いソメイヨシノ(樹齢 120 年以上)とされている木が
あるそうですが、2018 年の台風で、大きな枝は折れ、根こそぎ倒れてしまったそう
です。しかし、翌年には、数本の枝に花をつけ今は元のような大木に満開の花をつけ
る「ど根性さくら」があるそうです。

      ド根性桜(上:2019年、下:2025年)
        (醍醐寺HPより)

 醍醐寺のHPを見ていますと、お休み処のほかに、シャレたフレンチ・カフェ
「フレンチカフェ ル・クロ スゥ ル スリジェ ~桜の樹の下で~」があるのだそう
です。若い人たちやインバウンドの旅行者にも受けているのかもしれません。
 今はお寺も変わってきたのですね。

       花見しながら・・ ル・クロ スゥ ル スリジェ
        (醍醐寺HPより)

 

 

 

醍醐の花見 京都醍醐寺2025年4月

 

昨年のイベントです~

醍醐寺 Day 1: 桜を堪能 / Day 2 : 豊太閤花見行列 特別観覧席で見学

 

 

 

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