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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

母校が感謝状を受ける   

2025-05-12 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日(5/11)の日曜日、東京お台場の日本科学未来館、未来ホールにおいて、日本理化学
協会 創立100周年記念式典が文部科学省学術政策局長はじめ200名を超える列席者のもと
挙行され出席して来ました。 式典は全員起立により、開式の辞に続いて国歌斉唱で始まる
厳粛なものでした。式辞、来賓祝辞の後、わが母校と日本理科教育振興協会の 2団体に
感謝状が授与されましたが、母校がこのような光栄に浴したことに関係者一同大きな喜びを
かみしめています。

 日本科学未来館          式典会場 (S氏撮影)
   

         式辞   
          

 

感謝状を受ける母校校長(S氏撮影)     謝辞が述べられる
   

 

      未来ホールは階段式でした
       

 

 感謝状が贈られた理由については式典の中で、百年のあゆみとして披露されました。 
今から100年前の5月に母校、(当時)大阪府立清水谷高等女学校において、同協会の創立
総会すなわち全国から300余名の理化学関係教員による「全国中等学校理化学教員審議会」
(会長:嘉納治五郎:教育者、講道館柔道で知られる)が3日間にわたり開催され、文部省
(当時)諮問への答申案の作成およびその他研究発表が行われたのです。

 この答申を基として、後に理科教育振興法が制定され、今日に至る我が国の理科教育の
進展に繋がる意義深い創立総会であったのです。

                

 100年前(1926年、大正15年)の当時、明治から始まる我が国における理化学教育の
必要性が叫ばれてきつつも戦争や不況からなかなか着手されずに時が過ぎ、そのうち各地の
学校で理科教育についての模索が始まり、とうとうそれが全国的な動きとなり全国的審議会
へと発展したのですね。理化学教育には、「実験」の要素が必須であり、これに対する
指導者のほか器具、機材等が一つの大きな問題であったようです。

 この全国的審議会が大阪のわが母校で行われた経緯については、ひとえに嘉納治五郎
会長の胸の中にあり、今さら問うことは出来ませんが、いくつかの史実からそれが必然で
あったことが推測されるのです。すなわち・・

 ちょうどその頃、大阪で「電気博覧会」が開催されており、審議会の終了後見学の意義が
あること。清水谷高等女学校は、大阪府立第一高等女学校として認可をうけ、そもそも
日本初の女子大学設立用地として定められた「清水谷の地」に、設立された第一高女は、
いわゆるナンバースクールとはせず、開校時には設立地名すなわち「清水谷高女」として
スタートしたのです。
 1901年開校当時から、大阪府立清水谷高女は政府閣僚のほか、関係者ならびに財界
からも渋沢栄一、新渡戸稲造らの講演を得る等、広く脚光を浴びる存在であったこと。
さらには、明治2年には、日本初の理科学専門学校「舎密局(せいみきょく)」が、清水谷の
地に至近距離(大阪城の西側)に設立されていたこと。  など、嘉納会長の胸中には、
当然これらの史実が宿り、中でも日本初の女子大学設立時、「清水谷の地」の決定会議
にも参画されていたのです。
 嘉納会長は、審議会の1年前(大正14年10月)にも、母校で講演されています。

               

 このような経緯から、当時のわが母校において、授業と並行して行われた審議会がその
スタートであったのです。大正15年の審議会議事録にも、閉会の挨拶の中に母校に対する
丁重なる謝辞が記されているのです。

             

 豊洲駅から「ゆりかもめ」で、林立する巨大ビル群の中をテレコムセンターまで乗車
しました。    途中の景色を少しだけですが・・(ゆりかもめ車内から撮影)

 

    豊洲市場            有明付近
  

        東京ビッグサイト
         

 

 

 

 

Giuseppe Verdi, La traviata - Libiam ne’ lieti calici (Harding/ Lombardi/ De Tommaso)

 

 

 

 


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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (samgirly)
2025-05-12 09:20:27
お疲れ様でした!
母校の理科教育との関わりもすごいことですが、卒業された後もずっと母校との繋がりが深いことこそすごいと思います!
OBとしての活動を絶やさず続けてこられたことで、いろいろな歴史も見えてきたのでしょうから、ある意味学校の関係者さんたちから感謝状をいただけそうな案件かと思います(笑)

私は自分の母校とは、通っていた3年間だけで終わっています。
その3年間の記憶すらほとんど残っていません(^^;)
返信する
42才からなんですね。 (bon)
2025-05-12 21:42:02
samgirlyさん、コメントありがとうございます。
私もそうでしたね。42才の時に、同窓会に引き込まれるまでは全く無関心でしたし、
同窓会らしいものには首を突っ込んでいませんでした。クラス会などはあったかも・・?
ところが、42歳に同窓会(東京支部)の、1年だけのお世話役が回ってきたのです。
そのようなシステムになっていたのですね。それが1年で終わらずに、
うち2人だけが、支部組織の中に残されて 16年。それから、支部のトップにされて14年、
合計で30年お世話役を務めることに、結果としてなってしまったのですね。
僅か3年の在籍だった高校に、いつの間にかどっぷりとつかってしまったみたいですね。
返信する
名誉なことですね! (pooky)
2025-05-14 17:32:41
100周年記念式典の出席ご苦労様でした。
Bonさんの母校を思う信念が通じたのですね。
古き時代の母校の存在が如何に大きかったか示されて
校長、会長も喜ばれたことでしょう。
Kさん、Bonさん久しぶりの盛装での出席お疲れさまでした。
返信する
疲れました! (bon)
2025-05-14 21:58:04
pookyさん、コメントありがとうございます。
久し振りのネクタイ姿で、厳粛な式典に参加して疲れてしまいました。
しかし、大変名誉なことでありがたいことと感謝しています。
返信する

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