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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

無差別犯罪  (bon)

2023-03-11 | 日々雑感、散策、旅行

       今日、3.11は忘れない、忘れることのできない日ですね。あれから12年の歳月が
       流れてもなお、その傷跡は完全に癒えていないのですね。

 

 WBCを楽しんでいる時に、突然、物騒なお話で恐縮です。
 今月初め、埼玉県戸田市の中学校で、期末試験中に突如男子
高校生が侵入
し監督にあたっていた教官(60)が刺されて重傷を負った事件がありましたが、
犯人の高校生は『誰でもいいから人を殺したいと思った』といったそうです。
これまでもいろいろと記憶に残る痛ましい事件が起こっていますが、「誰で
もよかった」などと言われると、被害者にとってどれほど迷惑なことか、殺人
などに至っては、いたたまれない、やり場のない気持ちになりますが、かと
いって特段深掘りすることなくやり過ごしてきました。
 加害者は、なぜそのような心境に至るのか。正常な判断ではないことは確
かですがどうしてそのようなことが出来るのか‥と思ってしまいます。
 無差別殺人未遂事件なのか? なぜ、中学校なのか? 教官だったのか?

       戸田市の中学校
        (ネット画像より)

『無差別犯罪の多様な背景』について、長谷川博一氏(公認心理師、こころ
ぎふ臨床心理センター代表)の見解が手元の会報に掲載されていました。
 大変難しい内容で、何度か読み直してみましたが、長谷川氏の論点として、
無差別犯罪、拡大自殺などとして事件をカテゴライズされているケースがみ
られるが、これらにはさらに細かな心理的な要素が絡んでいるケースが多く、
犯罪防止の目的からすれば更に分析が必要であると指摘されているのだと理
解しました。

 長谷川氏の論点に入る前に、これら犯罪について、初めて法務省他のネット
ページを繰り にわか勉強しました。

 2013年の法務総合研究所の「無差別殺傷事犯に関する研究」にその目的は
『明確な動機もなく全く面識のない相手の生命を奪う無差別殺傷事件は,被
害者・その遺族にとって到底許し難い犯罪である上,地域社会をも震かんさ
せるものである。・・昨今においては,ときとして相次いで発生することが
あり,社会的な不安要因ともなる。無差別殺傷事犯を可能な限り予防し,こ
れらの事犯を行った者を適切に処遇することは,刑事政策において大きな
意義を有している』とあり、ここで無差別殺傷事件とは「分かりにくい動機
に基づき,それまでに殺意を抱くような対立・敵対関係が全くなかった被害者
に対して,殺意をもって危害を加えた事件」をいうとあります。

 その特徴として次のように述べられています。(ここでは箇条書きとしま
した。)

・年齢層は一般的な殺人事件より低い(65歳以上はいない)
・交友関係,異性関係,家族関係等は劣悪である
・安定した職業になく,低収入にとどまる者が多い。居住状況も不安定な者
 が多い
・何らかの精神障害等,特にパーソナリティ障害の診断を受けた者が多い
・犯行前に問題行動がある者がほとんどであるが,その内容としては自殺企
 図が多い

また、動機としては以下のようにくくられています。
・自己の境遇に対する不満から犯行に及ぶ
・特定の者に対する不満から無関係の第三者に対する犯行に及ぶ
・自殺できないことから死刑を意図したり,自殺への踏ん切りをつけるため
 に犯行に及ぶ
・社会生活への行き詰まりから刑務所へ逃避しようと犯行 に及ぶ
・殺人に対する興味・欲求を満たすため犯行に及ぶ

 これらの動機が複合的である場合も多く、上の2つ、自己の境遇に対する
不満と特定の者に対する不満からというのが多いとありました。

 さらに、『無差別殺傷事犯は全て単独犯であり,共犯者はいない。無差別
殺傷事犯者も何らかの理由によって被害者を選定している者が多く,特に,
女性,子ども,高齢者が弱者だからという理由で選定されている場合が多い。
そのほか,怨恨相手等の投影・代替として選定する場合もある』とあります。

 何となく犯人像が浮かんできますが、会報記事の長谷川氏によると、無差
別犯罪というカテゴリーは公式には存在せず、この語はメディアなどによって
つくられたものだとあります。これに対して、『通り魔事件』というのは、
犯罪白書で『人の自由に通行できる場所において、確たる動機がなく、通り
すがりに不特定の者に対し、凶器を使用するなどして殺傷等の危害をを加え
る事件』と定義されているそうです。したがって、2021年に起きた『京王線
刺傷事件』は、発生場所が電車内で「人が自由に出入りできる場所」でない
ので『通り魔事件』ではないのです。

         (ネット画像より)

 2001年に大阪府池田市の小学校で起きた無差別犯罪(で処理されている)は、
その動機から、必ずしも無差別ではない側面がみられるというのです。つまり、
犯人は自分の人生がうまく行かないことを世の中の理不尽さ、特に学歴と貧富
の格差にあると思い悩み、エリート層に対する強い嫉妬心が肥大化したとみ
られると指摘し、エリートの子息が通う学校を選びその子供たちを襲うこと
で復讐を試みたと分析されています。誰でもいいのではなく、またどの子供
でも良いわけではなかったのです。

 2005年の『自殺サイト連続殺人事件』では、25歳の女性、14歳の男子中学生、
21歳の男子大学生の3人の命が奪われた事件は、①人が窒息する瞬間、②白い
スクールソックスを履いている人 の二つの条件が自身の性的満足が得られ
る目的から起こったのですが、自殺サイトで自殺志願者を探し連絡を取り合っ
ていたので、自殺志願者殺人事件とされています。しかし、この2つの条件が
整えば、誰でもよかった訳で、被害者との関係性は無差別でありますが無差別
犯罪とはされていないと指摘されています。

 

 無差別犯罪に似た問題は、『拡大自殺』の用語にも当てはまるというのです。
『拡大自殺』とは、自殺願望を抱いた人が一人で死ぬのは嫌だ、自殺するの
は怖いなどの理由から、他人を道連れにする現象をいうとあります。

 2019年の京都アニメーション放火事件では、大勢の若者が犠牲になった事件
で、拡大自殺のカテゴリーで処理されているが、確かに本人も重傷を負い、
祖父、父、妹が自殺していることから自殺願望が連想されるとしても、現実
には放火直後に逃走し、捕えられている状況から、少なくともその場で自殺
する意思はなかったのではないかと指摘されています。

         京都アニメーション
         (ネット画像より)

 また、2021年の大阪北新地のビル放火事件も拡大自殺とされているが、こ
れについては犯人(61歳)も亡くなっていますから一切の供述は残されてい
ませんが、自身も通っていた心療内科での事件で、自殺するとしてもなぜク
リニックなのかの疑問が残されたままなんですね。

 また、無理心中を拡大自殺に含めるのも疑問だと指摘されています。無理
心中には利他的側面が含まれるというのです。自分が自殺しようとしたとき、
残される子や親、配偶者などが不憫に思いう場合や、自分は死にたいと思わ
ないが、身近な人が病気などでひどく苦しんでいるのを見かねて『楽にさせ
てあげたい』として命を止めて責任をとって後を追うケースがあるのですね。

             

 長谷川氏は、刑事裁判の心理鑑定や加害者の更生にも深く携わっている方で、
多くの殺人事件に関してカウンセリングの実践を通じて、そのような事態が
生じる原因やプロセスに同じものはなく、最近の『無差別犯罪』や『拡大自殺』
などと命名したとして、これらの分析がどれほどの防止効果が得られるか疑
問を呈しておられるのです。

 犯罪心理にはいろいろと複雑な内容があるのでしょうが、やはりその直前
の心理がどうであったのか、そしてそれらの心理状態が普段のどのような状態
で惹起されるのか、難しい微妙な事柄が潜んでいるのでしょうね。これらを
防止する手段、方法論はあるのでしょうか?

 

 

-旅愁-  西崎みどり

 

 

 

 

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