蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ミュンヒナー・クライス  (bon)

2023-03-13 | 日々雑感、散策、旅行

    WBCは、Bプール全勝で1次通過を果たしました。このところ久し振りに野球をしっかり見ました。
    いろんな国と対戦しますが、キチっとルールがあってプレイする中でドラマが起きる・・スポーツは
    やはり素晴らしいですね。 
やけにフォアボールが多かったような気がしています。

 

 先の拙記事「チェスターの想い出」にちょこっと言っていましたが、ロンドン
経由でミュンヘンに行くのが本来の目的だったのです。 ミュンヘンで何をする
のかといえば、ミュンヒナー・クライス(ミュンヘン・グループ)が主催する
第1回国際シンポジウムに出席して、日本で試行しているシステムを紹介(発表)
するためなんです。 
 ま、ローカルな話でまことに恐縮ですが、次世代のコミュニケーションシス
テムを目指して、当時台頭しつつある広帯域(映像などを扱う)サービスは、
単に先端技術の開発のみならず、経済、社会における変革を予期する内容であり、
今これに世界で取り組む潮流にある・・。 として、第1回のシンポジウムが
ミュンヘンで開催されたのです。

 ミュンヒナー・クライスは、ドイツ・ババリア地方の中心ミュンヘンに拠点
を置く、ミュンヘン科学アカデミー他の支援により 1974年に設立された組織
(ミュンヒナー・クライス)で、その 2年後に第1回シンポジュウムが開催さ
れたのですが、この当時最先端で試行している広帯域(映像などを含む)シス
テム・サービスの紹介、評価などをテーマとした30件の発表が行われたのです。

 独10件、米7、日4、仏2、カナダ2、英、伊、ベルギー、スイス、オランダ各
1件のそれぞれ先端技術・サービスを扱った発表でした。 殆どが、ケーブル
テレビ関係で、当時ケーブルテレビで双方向サービス(受信側からも要求などの
信号が送れる)が台頭していた頃で、受信側からの この上りの信号による技術
的な問題点やこれを軽減する技術、さらには、上り信号による新しいサービス
への展開およびそれの与える功罪など、社会、経済に与えるインパクト等の発表
がなされていたのです。今から思えば、まるで遠い昔の話のようですが、当時
はこのような先端を突き進む現状の把握と見通しを得たかったのでしょうね。

        シンポジジウム記録
  

 

 日本からの4件は、「日本における映像情報システムの現状」、「奈良県
生駒で実験中の光ファイバーを使用した映像情報システム」、「東京多摩地域
で同軸ケーブルによるシステム」、そして私の発表は、「電話回線と家庭用
テレビを使った映像による情報検索と教育サービス」でした。
 昨今のインターネット、スマホ世界から見れば、はるか遠い隔世のイメージ
がしますね。しかし、当時は、世界中で新しいシステム・サービスを模索して
いたのです。

 ミュンヘン(ドイツ)の戦略は、さすがと思うところがありました。 実は、
このシンポシウムへの参加は、ドイツ側の招待によるものでした。 日本から
ミュンヘンへのラウンドトリップ航空チケットだけでも、当時80万円もするの
にです。 私は、会社の技術部門のトップM氏がドイツ側の責任者、W・カイザー、
E・ヴィッテ両教授とは面識があり、M氏の名代でしたから、会社業務で出張扱い
とするとされ、ドイツ側からの招待は受けなかったのです。

 ドイツとしては、世界の先端技術・サービスの開発状況や問題点を一挙に手に
することが出来るのですから、旅費や滞在費を支払ってもはるかに効率的で経
済的であるのですね。

               

 このミュンヒナー・クライスはその後、日本―ドイツ2国間による相互交流
「日独情報シンポジウム」を2年おきに日独相互の地で開催されるようになっ
たのです。 技術的な内容ばかりでなく、社会、経済や政策に関するこれらの
課題や問題について論じる場として発展していったのでした。

 1983年にミュンヘンで開催された「日独情報シンポ」では、日本代表には電気
通信協会専務理事がなられ、複数人の団体で参加しました。会場はミュンヘン
工科大学で、その時の私の発表は、今のインターネットのような情報検索サー
ビスの試行システムを東京と結んでリアルタイムのサービス展示とともにこの
システム・サービスの概要を発表をしたのです。
 機材の輸送や東京(銀座センター)と回線を接続するという厄介な問題をク
リアする手続きはありましたが、会場でのリアルなサービス展示は迫力があり
好感されました。

       シンポ会場(ミュンヘン工科大学内)
             

 

 シンポジウムの終わった後、日本からの一行は、E・ヴィッテ教授の自宅を
訪問したり、ミュンヘンからさらに南下した天文台の見学やチロル近くの「シュ
リア・ゼ―(シュリア湖)」にある村の祭りを見学したり、夜には村長主催の
パーティーまで催されたのには驚きました。村の祭りも、民族衣装に着飾った
いでたちも素晴らしかったです。 大変な歓待を受けました。

       シュリアゼーで
         

   

 このような観光旅行では体験できないような楽しい貴重な経験をさて頂いた
のです。 
 で、この続きがまだあるのです。今度は日本で起こるのですが、これについ
ては、後日記事アップする予定です。(続く)

 

 

 

碧空 (あおぞら) マランド楽団  Blauer Himmel  Malando Orchestra

 

 

 

 

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