神様のブログ(スマホで見てはいけません!必ずパソコンで表示して下さい)

善悪中毒について無知な人は、このブログを読むと99%の確率で心の健康を害します。まず下記リンク先サイトを一読して下さい↓

どんな真実を語っても信じてもらえない日

2010年04月01日 13時28分46秒 | ふつうの日記
今日は「エイプリルフール」という日らしくて 「嘘をついても良い日」なんだとか・・・(汗)
はぁ?って感じだよね・・・エイプリルフール以外の日は ほとんど誰も 嘘をついてないとでも言うのかな?
普段から みんな嘘ばかり言ってるというか 特に日本のような国だと「ウソも方便」とかいう言葉もあるようだし 「お世辞」とか「社交辞令」とか「営業トーク」とか「フェイント」などなど そんな言葉に置き換えられて 正当化された嘘が言える(出来る) 嘘つき中毒患者でなければ 社会適応が難しいような仕組みの世の中になってるでしょ?
例えば ビックカメラの店員が 客に商品の説明をする時に 「この商品は ヤマダ電機のほうが安い値段を付けてますので ヤマダ電機で買ったほうが得ですよ!」とか 「インターネットで 価格.comとか 楽天市場とか調べたら もっと安い店がありますよ!」とか いくら その情報が真実である事を知っていたとしても それを言ったほうが客のためになると思ったとしても 決して言わないでしょ?
それなのに 営業上の建前では 「お客様の立場を考えて お客様のために!」とか言ってるんだよね・・・(苦笑)
裏では ずっと「どういう言葉を掛ければ この客は商品を買いたい!と言い出すのだろうか?」という事ばかり考えてそうな気がするけど。
他にも テレビで グルメのリポーターなんかも 「この料理はマズイです!」とか 本当に思っていたとしても 決して正直には言わないでしょ?
まあ 例を挙げてたら キリが無いんだけど もし 上記のような事を 正直に言う事ができる 嘘をつかない勇敢でマトモな人間の場合は 逆に周囲から非難されて 仲間はずれにされて 世の中から排除される傾向があるんだよね・・・悲しい事に。
・・・で 今の世の中が なんで こんな仕組みになってるのか?って事を考えてみたけど 「嘘をつく」という行為は 薬物乱用と似たようなものなんだろうなっていう事。
自分では悪い事をしてしまったと思っているのに その事実を他人に知られたくない! 非難されたくない! という苦しい現実から逃れるために嘘をつく。
そして 嘘をつく事によって 自分の潔白が証明されるような経験を繰り返すと その時々の「偽りの幸福感」が忘れられなくなって また苦しい現実が訪れると その苦しみから逃れるために嘘をつく・・・また嘘をつく・・・嘘をつく・・・の無限ループで まるで シンナー中毒者みたいに 嘘をつきまくるようになって そのうち「嘘をつく」という事が「当たり前」になってきて 平気で嘘をつくようになってしまい 嘘をつく事に対する罪悪感も無くなってきて 気づいた時には 嘘をつかずに生活できなくなっている。
そんな風に 子供の頃から洗脳されながら育った人間が多すぎて 今の社会は そんな嘘つき中毒患者団体で構成されて正当化されたような社会になってるから こういうのは きっと変な薬?(麻薬とか)をやってる仲間同士で その中の1人が「やっぱり麻薬なんて吸うヤツはバカだ!」と言ったところで それが いくら正論であっても 周りから非難されるのは見えていて 仲間はずれにされて 周囲の全員が敵になってしまうので そんな状況で戦い続けられる人なんてのは 映画やドラマのヒーローみたいに 相当の体力・気力・運がなければ無理っぽい気がするから ほとんどの場合は また仲間に加わって麻薬中毒になって仲間に認めてもらう・・・みたいな それと同じような現象が 今の嘘つき中毒患者団体で構成された社会でも起こってるんだろうね。
つまり この今の社会の中で うまく適応したいと思うなら 自分も嘘つき中毒患者にならなければならないって事なのかもね・・・悲しい事に。
たぶん こういう事には すでに気づいてる人たちって多いのかもね・・・
こんな状況じゃ 日本での自殺者が 毎年3万人を超えてるっていう話も ぜんぜん不思議じゃない気もするよ。

じゃあ「なんで人は嘘をつくのか?」という事を もうちょっと考えてみたけど 上記のように「苦しい現実から逃れるための薬物乱用と変わらない!」と言ったら 聞こえが悪いけど 「自分が周囲から非難される事から 自分を守るための防衛手段」という風にも考えられそうというか つまり「嘘をつく」という行動について良く言えば それだけ「どんな手段を使ってでも もっと生きていたい!」という生命力の表れなのかも・・・。
つまり まったく嘘をつかず 何か悪い事をしても それをカンタンに「自分がやりました!」と認めているようでは すぐに周囲から責められて そのうち仲間はずれになる可能性が高いので バカ正直に全く嘘をつかず 自らを守ろうとしないのは ある意味では 素っ裸で街中を歩いているようなもので もっと言えば 自殺とか自傷行為みたいな感じに近いのかも知れないね。
そんな風に考えたら 全く嘘をつかないという事は 逆に愚かな行為であるとも考えられそうな気がする・・・(汗)

・・・だったら そもそも「なんで嘘をつかなければ この今の社会では周囲から非難されるのか?」という風に考えてみると どんな事をしたとしても 誰からも怒られないならば わざわざ嘘をつく必要はないよね?
ならば「誰が何をしても怒ったり非難したりしない社会にすれば嘘は無くなる!」という風にも考えられるけど それが真実だったとしても たとえば泥棒が「人の物を盗みました!」と言っても それを誰からも非難されたり怒られたりしない社会ならば その泥棒は ますます人の物を盗むようになって そういう泥棒が世の中に増えてきたら 嘘が無くなったとしても 盗み合いの争いが増えてしまって 最終的には争いがエスカレートしてしまって 戦争にまで発展してしまう。
だから 戦争になるのを避けるために 悪い事をした人には注意をしたり 避難したり責めたりするんだろうけど それがエスカレートして行くと ちょっとでも悪い事だと判断されたら すぐにボコボコに責められて怒鳴られるような状況になってるのが 今の社会なのかな?
そして そういう社会の中に適応して生きていくには 「ウソも方便」という言葉で正当化された嘘をつく必要性が出てくるようになるけど その時には 社会適応できていても 大半の人間は 嘘つき中毒患者になってしまっているんだろうな・・・。
で こういう真実が多くの人にバレないようにするために こんな「エイプリルフール」などという日を作る事によって あたかも「この日だけ嘘をついても良い!」かのような習慣を存在させる事によって 普段は ほとんど誰も嘘をついていないかのように錯覚させる効果を狙ったのが 「エイプリルフール」なのかも知れんね。
こういう事を良く考えずに 「今日は嘘をついても良い日なんだ~♪」みたいに 世間に合わせて調子に乗って 自分まで嘘をつく事ほど愚かな事はない!
というか 「嘘をついても良い日」なんて事をするから 逆に副作用というか 「どんな真実を語っても信じてもらえない日」になってる場合も かなり多いんじゃないかな?という気もするよ・・・。
例えば オリンピックに出られるくらいのエリート水泳選手が プールとかで本当に溺れていて 「苦しい!助けて!!」と言っているのに 「あの選手はエイプリルフールだから溺れているフリをしているんだな(笑)」みたいに周囲から思われてしまって 助けるのが遅れてしまって 1分でも助けるのが速かったら命が助かっていたのが 助からない命になってしまった・・・なんて事になったら どうするの?
エイプリルフール=「人間関係をダメにする日」だね・・・こんな日が存在するから 世の中がオカシクなるんだよ。