仕事柄、人の死というものによく立ち会う。実際その場に立ち会うわけじゃなく、俺の場合はたいてい事後報告だけど、最近立て続けに訃報を頂いた。
俺は父方母方、両方の祖父が亡くなっている。母方の祖父には、とても可愛がってもらっていたようだが、まだとても幼い頃だったし、一緒に暮らしていたわけじゃなかったので、「悲しい」という感情がよくわからなかった。お葬式の時に、祖父と一緒に暮らしていた従兄が号泣しているのを見て、とても「腹減ったからあそこのおにぎり食べてもいい?」とはさすがに言いだせず、ただただ、「悲しまなきゃ」という焦りと後ろめたさ、そして空腹感を感じていた事は覚えている。
父方の祖父が亡くなったのは、忘れもしない高校受験が終わった頃だ。肺がんで入院していた祖父は、とても固い人間で、俺が進学校に合格した事をとても喜んでくれた。父方の実家で「クン」という柴犬を飼っており、祖父がなくなるちょっと前に、祖父が一時退院した際、祖父が「クンは、クンを呼んでくれ」と言って、何とか祖父とクンを引き合わせたらしい。俺はその場にいなかったので詳しい事は知らないが、祖父が亡くなった後、どういうわけか、クンもいなくなったというのは、嘘のようで本当の話だ。
その祖父の葬式の時も、「死んじゃったのかぁ」というポカーンという思いだけで、特に涙も出ず食欲が無くなる事もなかった。その、父方の祖父の死の時に、俺は「自分はもしかして、人の死を悲しめない人間なんじゃないか。悲しいという感情が無いんじゃないか」と、わりと真剣に悩んだのを覚えている。
言ってしまえば、今回は生徒が亡くなったわけだが、今回で3人目だ。1人は実際に俺が受け持っていた生徒ではないが、一緒に話したりもしていた。もう2人は俺が受け持っていた生徒である。だけど、1度も特に泣きはしなかった。ただただポカーン…という感じ。本日も訃報を受けたのだが、それは、こんな事を言うと、亡くなった生徒に申し訳ないかもしれないが、ある程度覚悟していた。覚悟はしていたが、実際報告を受けると、「うん」とは思えど、まだ信じられないと言うか、ひょいと顔出すんじゃないかとか、安い表現だけど、そんな思いもある。だけどそんな事は絶対に無いと言う思いもまたあって、ただただポカーンとしか出来ない。別に涙を流す事だけが弔いじゃねえだろ、とも乱暴だけど思う。そりゃ親族なり付き合いの深い人らは涙を流すだろうが、俺くらいの付き合いなら、それなりの弔い方があるんじゃないかと。なにそれ?と言われると、わからないけど、ただただポカーンとする事もそうかもしれないし、もっといろいろ話しとけば良かったなぁ…とか、あんな事言ってて面白いやつだったなぁ…とか、勉強しなきゃ!!って言ってたけど、天国でも勉強してんのかなぁ…とか、そんな事を考えるだけでも、俺なりの弔いなんじゃなかろうかと…思うがわからない。次第にその生徒らの記憶は薄れていくだろうけど消えはしないと思うんだよね。薄れていくのは仕方ない事だし、薄れた分だけ自分の中の何かが濃くなれば良いよね、とかも思ったり。出会いってのは本当に大切で、出会いによって自分は育てられているんだと改めて思うよね。なんて言う考えも、自分のエゴなのかなぁ…とか思ったりもする自分もいるのね。亡くなった人に対して悪い事を言ったら人として最悪だし、良い事を言ったらキレイ事みたいだし、なんだろう。いなくなった。無に帰した。はい、それだけ。って事なのかなぁ。それも悲しい気もするけどね。「死」って何なんだろうね。
俺は父方母方、両方の祖父が亡くなっている。母方の祖父には、とても可愛がってもらっていたようだが、まだとても幼い頃だったし、一緒に暮らしていたわけじゃなかったので、「悲しい」という感情がよくわからなかった。お葬式の時に、祖父と一緒に暮らしていた従兄が号泣しているのを見て、とても「腹減ったからあそこのおにぎり食べてもいい?」とはさすがに言いだせず、ただただ、「悲しまなきゃ」という焦りと後ろめたさ、そして空腹感を感じていた事は覚えている。
父方の祖父が亡くなったのは、忘れもしない高校受験が終わった頃だ。肺がんで入院していた祖父は、とても固い人間で、俺が進学校に合格した事をとても喜んでくれた。父方の実家で「クン」という柴犬を飼っており、祖父がなくなるちょっと前に、祖父が一時退院した際、祖父が「クンは、クンを呼んでくれ」と言って、何とか祖父とクンを引き合わせたらしい。俺はその場にいなかったので詳しい事は知らないが、祖父が亡くなった後、どういうわけか、クンもいなくなったというのは、嘘のようで本当の話だ。
その祖父の葬式の時も、「死んじゃったのかぁ」というポカーンという思いだけで、特に涙も出ず食欲が無くなる事もなかった。その、父方の祖父の死の時に、俺は「自分はもしかして、人の死を悲しめない人間なんじゃないか。悲しいという感情が無いんじゃないか」と、わりと真剣に悩んだのを覚えている。
言ってしまえば、今回は生徒が亡くなったわけだが、今回で3人目だ。1人は実際に俺が受け持っていた生徒ではないが、一緒に話したりもしていた。もう2人は俺が受け持っていた生徒である。だけど、1度も特に泣きはしなかった。ただただポカーン…という感じ。本日も訃報を受けたのだが、それは、こんな事を言うと、亡くなった生徒に申し訳ないかもしれないが、ある程度覚悟していた。覚悟はしていたが、実際報告を受けると、「うん」とは思えど、まだ信じられないと言うか、ひょいと顔出すんじゃないかとか、安い表現だけど、そんな思いもある。だけどそんな事は絶対に無いと言う思いもまたあって、ただただポカーンとしか出来ない。別に涙を流す事だけが弔いじゃねえだろ、とも乱暴だけど思う。そりゃ親族なり付き合いの深い人らは涙を流すだろうが、俺くらいの付き合いなら、それなりの弔い方があるんじゃないかと。なにそれ?と言われると、わからないけど、ただただポカーンとする事もそうかもしれないし、もっといろいろ話しとけば良かったなぁ…とか、あんな事言ってて面白いやつだったなぁ…とか、勉強しなきゃ!!って言ってたけど、天国でも勉強してんのかなぁ…とか、そんな事を考えるだけでも、俺なりの弔いなんじゃなかろうかと…思うがわからない。次第にその生徒らの記憶は薄れていくだろうけど消えはしないと思うんだよね。薄れていくのは仕方ない事だし、薄れた分だけ自分の中の何かが濃くなれば良いよね、とかも思ったり。出会いってのは本当に大切で、出会いによって自分は育てられているんだと改めて思うよね。なんて言う考えも、自分のエゴなのかなぁ…とか思ったりもする自分もいるのね。亡くなった人に対して悪い事を言ったら人として最悪だし、良い事を言ったらキレイ事みたいだし、なんだろう。いなくなった。無に帰した。はい、それだけ。って事なのかなぁ。それも悲しい気もするけどね。「死」って何なんだろうね。