徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

50年後の修学旅行ー2017・3月京都編ー

2017-03-20 08:13:19 | 京都旅行から
このところ、2年程、10月、3月と
夫と一緒に京都への修学旅行を楽しんでいる。

秋の紅葉前、春の桜の前という時期。
本当は紅葉や桜の盛りに行きたいという思いも強い。
でも、でも、あの人出のことを考えると二の足を踏む。

燃えるような紅葉や、満開の桜、
そして桜吹雪は想像の世界で堪能する・・。

ということで、今年も桜の前のこの時期、
エッサカホイと「のぞみ」に乗って出かけた。
約2時間半の行程。

そう、50年前は修学旅行列車で、
帰りは夜行だった。
当時は新幹線ができたばかり。
まだ普通の中学生や、高校生が使えるものではなかった。
約10時間かけて日常から非日常に入ったわけだが、
今は2時間半で切り替えなくてはならない。
ここでも時代が変わったと思う。

ところで、
50年後の修学旅行と称して定期観光バスに乗った初回。
3泊4日で行ったのだが、そのうちの2日をバスでの観光。
何故かというと・・・、
この時期の「特別拝観」が見られるからという理由。

その結果。
疲れた・・・、そして一日に廻るお寺などの数が多すぎて、
頭の中で混乱が・・・。
宿に戻っても、パンフレットを見ないと
思い出せないという体たらく。

これはちょっとどうかなあ・・ということで、
その次からは、当たり前だけれど、
自分たちで選んでいくことにした。

若い時から行きたくて、
行きそこなっているところを中心に回った。
私の第一選択は、広隆寺だった。

広隆寺の「弥勒菩薩」にはずっとずっと会いたかった。
そして、ついに実現。
いまでも、そこで手に入れたお守りは
いつも一緒だ。

そしてもう一つ、行きたかったのが、
三千院と寂光院。
最後に行ったのが、学生時代の冬。
冬景色の寂光院では、院主さんとお話しできた。
本当に寒かったけれど、心が満たされたひと時だった。

それから、ずっと訪れたいと思っていた。
それを果たせたのは50年後。
この再訪は、桜の前の温かい春の日のことだった。

三千院には私たち夫婦のほかには
あと一組がいるばかりで、
本当に静かだった。
お庭の石づくりの童たちも
なんだかのんびり遊んでいた。
あの冬の日は寒くて、
お庭をゆっくり楽しむなんてことはとてもできなかった。
でもこのときは、この山里にある静かな三千院を堪能した。

それからあぜ道を通って、寂光院に向かった。
春の日差しは暖かく、寂光院に着くのが待ち遠しかった・・。

が、なんと、そこは火災に遭っていた。
平成12年(2000)、放火にあったという。
ご本尊の地蔵菩薩も焼け、今は修復されて
収蔵庫に安置されているという。

そのため、新たな地蔵菩薩が安置されていた。
鎌倉時代の製作当時と同じ色彩で再現されているという。
私が出会った寂光院のモノトーンの落ち着きとは対照的。

(寂光院HPより抜粋)

本堂も焼失したとかで、新たに再建されていた。
その本堂のきらびやかさも、
寂光院のわび・さびと言ったものを連想させる
私自身のもつイメージからは程遠かった。

私はそのとき、混乱した。

私が憧れたのは、
建礼門院が我が子を失い、
一族の滅びを目の前にしつつ、
自分が生き残ったことを引き受けて生きていくというその人生と、
50年前に出会った寂光院の静謐さをたたえた
その佇まいがぴったり一致していたからだと思う。

だから、そこにあった新地蔵菩薩の
五色に包まれた明るい美しさは
その建礼門院の運命にはそぐわない・・、
と私には思えるのだ。

でも、よく考えてみると、
元の地蔵菩薩が安置されたころは
この美しさ、きらびやかさがあったわけで、
それに焦がれてお参りする人々も多かったことと思う。

そんなことを思った2年前であったのだが・・、
今回の修学旅行でも、
またこれと同じ問題にぶち当たった。

今回の目玉の一つは大徳寺の聚光院を訪れることだった。
そこでは狩野松栄・永徳父子の障壁画が
普段の預け先である京都国立博物館から里帰りし、
あるべき場所で見られるという情報があったからだ。

15人ずつ40分かけて、説明していただける。
ただし、予約が必要。ほぼ予約で埋まっているという。

私たちはダメもとで、聚光院に向かった。
そして2名なら大丈夫と、その15人ツアーに加わることができた。

安倍龍太郎著「等伯」に松栄・永徳親子のことも描かれていたが、
それを彷彿とさせる、二人の障壁画だった。
優しさをたたえた松栄、
力強さと才気が溢れる永徳と行ったらいいだろうか。

それに続いて、千利休の茶室等の説明があった。
更に最後、2013年に落慶した書院に奉納された
千住博作「滝」。


新しい書院に新しい障壁画。

今まで見てきたのは、もう金泥が剥落した狩野父子の障壁画。
描かれた当時は時間や天候によって、様々な色を醸し出し、
さらにはかなりきらびやかなものであったことが想像できる。
が、今はそれは想像するしかない。
目の前にあるのは、色がほとんど剥落している。

色のあるものを見るのと、色あせたものを見るのでは
私たちの印象は大きく違う。

今回の修学旅行ではこの色の剥落ということから、
「古きもの」と「新しきもの」ということを
考えさせられた、いや帰京した今でも考えさせられている。

そんな私の今回のハイライトは
建仁寺に奉納されていた鳥羽美花作「舟出」。

これは新しきものの象徴。

建仁寺では前の修学旅行のときも
金澤翔子「風神雷神」に釘付けとなりました。
今回も同様、鳥羽美花さんの襖絵に釘付け。
それも建仁寺で、というところが共通。

お寺のお宝を拝見しながら、
今回私の中に浮かび上がってきたのは
「古きもの」と「新しきもの」を考えることなのでした。

心行くまで、同じ場所を訪ねることができるのも、
こうしてあれやこれや考えることができるのも、
50年後の修学旅行の大きな楽しみかなって思います。