徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

やっと根津美術館に!-都会のオアシスー

2016-08-20 11:37:58 | 美術展から
久し振りの団塊夫婦の散歩。
6月の初旬、明治神宮内にある
菖蒲田行き以来のことだ。

気が付いたら、8月も後半になっていた。
この日もまた暑かった。

でも、根津美術館の庭園なら、
すこしは涼しいかもしれない。
それに、美術館自体は今、
「はじめての古美術鑑賞」ということで、
日本画の技法と表現についての
やさしい解説展とあった。

  根津美術館「はじめての古美術鑑賞ー絵画の技法と表現ー」
   会期:2016年7月23日8(土)-9月4日(日)

素人の私たちは今まで、
そんな技法のことは何も知らずに鑑賞していた。

その中で知っている言葉と言えば「たらしこみ」くらい。
これは伊藤若冲の追っかけをするうちに学んだ。

と、それくらいのど素人なので、いいチャンス!
「うらはく」「はくぼく」「はくびょう」
「つけたて」「うんげんさいしき」なーんて
はじめて目にした言葉ばかり。
でも、さすが「はじめての」がつくだけに、
例として展示されている絵画も分かりやすかった。

そんななか、私が気に入ったのは、
そういう技法はともかく、
長沢芦雪の筆なる「竹狗児図」。
竹の下で戯れる子犬2匹の図。
その表情が何とも言えない。
(残念ながら、ここでは画像をお届けできません・・・)

芦雪は私のお気に入りの一人。

 長沢芦雪「虎図」  串本無量寺応挙芦雪館蔵

是非一度、串本の無量寺を訪れて、
本物に対面したい!というのが今の願い!!
この、ユーモラスで軽快で、
それでいてなんだかあたたかいっていうのが好きなのかも・・。
この「竹狗児図」も小品ながら、
そんな芦雪が垣間見られた。

そのあと、常設展に。
今回はこの美術館の祖、
根津青山(初代嘉一郎)の
茶事用のコレクションが展示されていた。
まあ、よくも集めたものです。
さすが、鉄道王といおうか・・。

そして仕上げはいつもの庭園散策。
今回は夏真っ盛り。
起伏のある邸内は見渡す限りの緑、緑。
足元にはシダやユキノシタが・・。
セミの鳴き声、シオカラトンボ、
シジミチョウ、ハチ・・・。


 庭園から見上げた夏空


 庭園内の孟宗竹林


 筍から竹へ

ここに来ると、今は空き家になってしまった
実家の庭を思い出す。

もちろんスケールは比べものにならないが、
それでも、関東大震災の後押しで?
瓦屋で成功した曽祖父は、
庭に小さなお稲荷さんを作り、
瓦造りの鍾馗さんや、
同じく瓦造りのしゃちほこを
そのお稲荷さんの前に置いていた。
亡くなった父は、そのお稲荷さんの屋根に上って遊んだとか。
私たちの時は屋根には上らなかったけれど、
お稲荷さんの中にいる陶器製の狐にお供えをした。

紅白梅、柚子、ヒバ、紅葉、アオキ、アオギリ、
クスノキ、ヤツデ、ヤマブキ、ツツジ・・・。
そして、足元にはユキノシタ、シダ、タマスダレ・・。

いつの間にか年月が経ち、
曽祖父後の祖父や父は
お世辞にもしっかり手入れをしていたとはいえず、
庭木も大木に育ってしまった。
そしてついにお稲荷さんも朽ちていった。

が、根津の庭園に来ると、
実家の庭でなじみの木々がいっぱい。
そして青山翁らが収集した石像が。

 庭園内の石仏

ちょっと、持ってきすぎって感じもあるが、
それが実家の庭と規模は比べものにならなくても重なってしまう。

港区青山というど真ん中にも、
こんな庭園が残されているっていうのは
やっぱり宝だなって思う散歩のひと時でした。



骨折り損のズブ濡れ儲け(若冲展リタイアの巻)

2016-05-18 07:32:24 | 美術展から
よし、今日こそやっと行かれるぞ!
と、夫ともども勇んで家を出た。

待ちに待った若冲展。
この春の私たちの美術館巡りの締めくくり。

久し振りの大雨、
でも、そんなものはものともせず出かけた。
だって、昨日は月曜日だけれど開館されていたし、
水曜日は「シルバーデ-」ということで65歳以上は優待だし、
こんな雨の日に、いくら何でもシルバーはいかないだろうな・・・、
と、考えたのは大甘だった!!

8時半過ぎの上野駅公園口。
ゾロゾロゾロ・・・、
中高年が行く。

今日は雨。
ということは、動物園に行く人ってわけではないかも・・・。

だとすると、
いま話題沸騰の若冲展目当てか・・。
私たちと同じ????
雨なのに???
中高年なのに???
雨にもめげずってこと??

なんて、自分たちのことはさておき、
???だらけで、改札口を出た。

ゾロゾロゾロ・・・
ビチャビチャビチャ・・・

やっぱり、みーんな方向は同じ。
改札を出た人たちは95%同じものを目指していたのだ。



東京文化会館あたりで、すでにズボンはびしょぬれ。
私はコートを着ていたから、それで済んだが、
夫はもっとびしょぬれ・・。
それでもめげずに歩き続けた。



「✖✖✖」スピーカーから流れる声。
よーく聞くと、
「券をお持ちでない方は先にお進みください。
お買い求めののち、こちら側の最後尾にお並びください!」

まさかの傘の大行列。



無理、無理無理・・・。
「うーん・・・」
夫と二人、頭を抱えた。
その間にもびしょ濡れ度合いは増していく。

「退却しよう!これじゃあ、びしょ濡れのまま
人の頭を観に行くようなもんだ」(夫)
「そうよね。退却に賛成!」(私)
久し振りに意見が一致!

こうして私たちは上野退却を決めた。
「あの行列はどう考えたって、
夜が明けた頃から並んでいる人がいるってことだよな」(夫)
「そうよね」(私)

考えてみたら、昨年10月の京都の「琳派展」も長蛇の列だった。
京都だったから、私たちも混んでるからって出直しはできなかった。
今日の人たちの中にも退却したい人はいたのかもしれない・・・。

でも、上野駅に逆走しているのは私たちだけだった・・。

それだけ若冲人気は伯仲しているということか。
NHKはじめマスコミの露出が凄かったし・・。

でも、だからといって、この混み方尋常じゃない。

で、ふと思った。
集まっているのは団塊の世代を中心とする世代。
私たちって、ひょっとしたら
流行は「一つ」の世代だからかも。

ミニスカートが流行った時は、
皆ミニスカートはいたっけ。
今からは考えられないけれど
こんな私でもスカート丈35センチというのをはいた。

そのあと、すぐに今度はロングスカートが流行った。
そうなると、もうミニスカートなんてはいていられない。
流行遅れそのものって感じになってしまうから。

けれど、それが流行が「一色」の最後かもしれない。
そのあと時代はどっちをはいても、パンツ(ズボン)姿でも
「その人なりのスタイル」という考え方が
徐々に定着していったと思う。

時を同じくして、国民的流行歌というものが
衰退を始めたと、記憶している。

若かりし頃、そんな「一色」時代に生きた私たち。
やっぱり流行は一つっていうのが、
体に刷り込まれているのかなあ。

火曜日。
平日。
雨にも負けないエネルギーをもった団塊、
そしてその前後世代。
それが今の私たち。

辻惟雄さんによれば「奇想の系譜」に入る若冲。
「奇想」が人口に膾炙しちゃった今回のイベント。

今回どうしても観たかった「動植綵図」は
三の丸尚蔵館に里帰りして来たら、
ゆっくり会いに行こうと思う。












ゆかいな若冲・めでたい大観@山種美術館で口直し?

2016-02-28 22:01:17 | 美術展から
熱海に行った。
久し振りの一泊旅行。

美味しい海鮮料理と温泉を満喫する以外に、
もう一つ目的があった。

それはA美術館に行くこと。
お目当ては岩佐又兵衛作と伝えられる「山中常盤物語絵巻」。
12巻で、全長150メートルと聞いていた。

昨年5月から6月にかけてその全展示があった。
行きたい、行きたいと思っていたが、
チャンスは遂に訪れなかった。

ここ1,2年、辻惟雄のいうところの
「奇想の系譜」にハマった私。
その祖といわれる岩佐又兵衛のこの絵巻は
是非この目で見たかった。

最大のチャンスは失したが、
今回は改装前の「大名品展」を開催中と聞いた。
目玉は尾形光琳の「紅白梅図屏風」と
野々村仁斎の「色絵藤花文茶壺」。

「山中常盤物語絵巻」は目玉ではなかった。
だから展示はないのかも・・・、と思いつつ、
一抹の期待を抱いていた。

熱海の急坂を登ると、
その美術館の入り口があった。

山の中腹の入り口から山の上にある展示室まで
大トンネルエスカレーターが延々と続く。
200メートル上るということだったが・・・。
それがなんというか、かんというか・・・。
この美術館の母体が宗教団体ということもあるのか・・、
エスカレーターはレインボーカラーの
間接照明で照らされているのだ。

私は綺麗な色に包まれているにもかかわらず
不気味な天国への階段を上っているような錯覚に陥った。

なんだか、目当てのものを目指す途中で、
気を散らされてしまったような感じがした。

やっと着いた展示室入り口。
入るとすぐに目に入ったのは、金ぴかの茶室。
豊臣秀吉が作らせた「黄金の茶室」を復元したものだという。

うーん、もう、何が何だか分からなくなった。
一体、私はここに何をしに来たのだろう??
そんな気持ちになってしまったので、
慌ててその場を退散。

そして、展示室を一室ずつ回っていくことに。
ところが、ところが・・・、
ここでも、目が回る、というか、
一体どういうコンセプトで展示してあるのかさっぱりわからない。

この展示で何が言いたいのかが伝わってこない。
すべてが細切れだ。
頭の中が支離滅裂になった、というのは少しオーバーだけれど、
なんか、こんなものも持ってます、
あんなものも持ってますといいたいだけなのかしら?

一つ一つは価値があるのに、なんだかもったいない。

そんな気持ちのままに出会った尾形光琳の「紅白梅図屏風」。
既に頭がごちゃごちゃになっている私には
ゆっくりと堪能する余裕が残っていない。

野々村仁斎の「色絵藤花文茶壺」に至っては、
これが海外に流出する直前に、この美術館の創始者が
世田谷の土地3000坪を売り払って手に入れたということしか
頭に残らない始末。

楽しみにしていた伝岩佐又兵衛「山中常盤絵巻」は、
「常磐殺し」の場面のみの展示となっていた。
これもチラ見せ程度の展示だ。

ということで、今回だけのことだろうとは思うけれど、
やはりストーリーのない美術展を楽しむのは本当に難しいと実感した。

閑話休題。

と、そんなことがあって2日後、
今度は山種美術館の「ゆかいな若冲・めでたい大観」展へ。

山種美術館は今の私のお気に入りの美術館。
竹内栖鳳の「猫」や速水御舟の「炎舞」を所有している。
ある意味、明治以降の日本画を主に収集している。

今回は若冲の展示も多いと聞いていたので、
前々から楽しみにしていた。
年明けから3月6日までの展示。
滑り込みセーフという感じだ。

「ゆかいな」「めでたい」というコンセプト。
山種所蔵作品が多い中、もともと山種所蔵ではない
河鍋暁斎、伊藤若冲、歌川国芳も展示されている。
いずれも、このコンセプトに合わせて展示しているもの。

だから、展示にストーリーと流れがある。
A美術館で経験した頭がバラバラになる感じは抱かずに済んだ。

今回、息をのんだのは若冲の「軍鶏」。
水墨画ながら、その、特に「尾」の勢いが凄い!
さすが、庭に鶏を何羽も飼って暮らしていただけのことはある、
なんて思いながら観た。

それから横山大観の象形文字の書「寿」。
これも何とも言えない愉快さが潜んでいるなって思った。

ある流れの中での鑑賞。
流れを楽しんだり、時に流れに逆らうものを楽しんだり。
いずれにせよ、少なくともバラバラ感はない。

この二つの美術展に日をあけずに行ったことで分かったこと、
それは学芸員の方々の何を見せたいのかということにかけた、
素養と知恵と努力。

自分のところの所蔵品だけで勝負しようとすると、
やはりそこにはおのずと限界がある。
「お宝展示」ということでは一定の意味のあった
A美術館の「大名品展」。

でもそれだけでは、やっぱり物足りない。
自分はつくづくストーリーを求めているのだなと思った
二つの美術館巡りなのでした。





博物館に初もうでー松林図屏風に会いに行くー

2016-01-16 23:38:17 | 美術展から
「博物館に初もうで」というのは
東京国立博物館の新春特集のキャッチコピー。

「ねえねえ、どんないちねんにしたい?」と
狩野山雪のかわいいお猿さんがこちらを見て微笑んでいる。

なかなかいけている。
と、このコピーに惹かれて出かけることに。

でも、実は実は、昨年来、
ずーっと、会いたい、会いたいと思っていた
長谷川等伯の「松林図屏風」が展示されると知ったからだ。

初もうでの期間は2日から31日だが、
この等伯の「松林図屏風」は特別展示。
だから17日(日)までの期限付展示。

気が付けば14日。
もう明日しかない!と15日に出かけることにした。

昨年の京都国立博物館での
琳派400年展のときの二の舞を踏まないように
ともかく早く行くことに。

なんたって、あのときは、
博物館に入館するまで140分待ちだったからなあ・・。

というわけで、9時半の開場前に到着。
それでも列ができている。
でもよーく見ると、常設展の方ではなく、
時を同じくして開催されている
兵馬俑の特別展の方に長い列。
ホッと、一安心。

いざ開館!
もうまっしぐらに特別展示室へ。
そこには風に揺れる無彩色の松林が広がっていた。

安倍龍太郎著の『等伯』を読んで以来、
見たい、見たいと思っていた「松林図屏風」。
うーんと近くからも、ぐっと離れた位置からも
じっくりと堪能することができた。

いいなって思うと
すぐにストーカーモードになる私。
昨年は琳派と等伯だった。

3月には本法寺の「涅槃図」に唸った。

10月末には琳派400年展が開催されている
京都国立博物館に行った。
同じ日に智積院の宝物殿を訪れた。
ここには等伯一派の障壁画が収められている。
息子久蔵の「桜図」、そして父、等伯の「楓図」。

あの戦国最後の時代から、
江戸開府までの疾風怒濤期を
絵師として生きた等伯。
もちろん、私の等伯は安倍龍太郎作の等伯ではあるのだが・・。

将来を期待していた息子久蔵の夭折。
それをいつもどこかで引きずりながら、
それでも果敢な挑戦を続ける。

その晩年の作が「松林図屏風」。
水墨画の寂とした世界がそこにはあると思った。

不思議なことに近くで見ると
その松葉の一本一本は鋭く力強い。

寂の中にある強と弱。そして静と動。
展示されている部屋全体が一つの世界になっている・・・。

一昨年の歌川国芳展との出会いから
「奇想の系譜」に惹かれた私。
若冲に出会い、昨年はとどめの河鍋暁斎展。

美術展に目を凝らすうちに出会った琳派。
夫の読んでいた『等伯』を
横取りして読んだことにはじまる彼の画業との出会い。

ちょっと前まで、夫に付き合って、
さーっと回るだけだった私の中の何かが変わった。
そんな自分を面白いなって思う。
まだまだ開けることがあるんだなって。

今回の新春特別展示。
実は北斎のものもふんだんに出ていた。
北斎のことは通り一遍しか知らなかった私。
その世界の壮大さにびっくりした。
90歳過ぎの画もまた挑戦的だった。
知らない世界はまだまだいっぱいある。

そして、今回の発見は・・・。
江戸後期の絵師、森狙仙。
名前だけしか聞いたことがなかったけれど、
彼の「十二支図」の模本が私の心をとらえた。
十二支が一画面に描かれ、
そのそれぞれの「目」力の凄かったこと。
私はその動物たちの目に釘付けになった。

 十二支図(模本)模者不詳 原本 森狙仙筆

なんで釘付けになったのか?
それは分かりません。
そういう自分に出会ったということ??

でも、この出会いを大切に、
私は原本を描いた森狙仙について、
ストーカーモードになっている自分に気づいたのでした。

今年はどんな私に出会えるのだろうかと思いつつ・・・。

ほっこり「久隅守景」展@サントリー美術館

2015-11-02 21:39:36 | 美術展から
目覚めたら雨!
よし、今日だ!

何が今日かと言えば、
サントリー美術館で開催されている
「久隅守景」展に行くこと。

あの京都国立博物館での
140分待ちのトラウマはいまだ癒えず、
何とか待ち時間なしでゆっくり観たい一心。

夫ともこの点では息が合った。

10時開館に合わせて準備万端。
なんといっても、昨日は予習までした・・。
というのは少し大げさ。
たまたまEテレの「日曜美術館」で
久隅守景を取り上げていて、それを見ただけのこと。

ちらしでもわかるように地味-な感じ。
この人が狩野派なんて信じられないほど。

私の狩野派のイメージがどうしても権力に近い
立派なきらびやかさというもので
塗り固められているからかもしれない。

でも、友人から「四季耕作図屏風」には
子どもも描かれていると聞いた。
ふーん、狩野派の流れをくむ人が
どんな風に描いているのかなという興味もあった。

開館直後の10時5分に到着。
予想通り、まだ人影はまばら。
でも、まわりはほぼ全員団塊世代と思われた。

月曜日のこの時間、
おまけにかなり本降りの今日ということになれば
ここに来られる年代はおのずと限定される。
団塊世代以上の方々には足元が悪すぎるし、
その世代以下は働きざかりだから。

などとつらつら思いながら、入場した。



そして思ったこと・・・・。
それは「まるいなあー」ということ。

山水図って、もっと険しいイメージだった。
でも、守景の画はまろやか。
山も日本の山。つまりまろやかな曲線。

まずそれで、ホッとした。
山水画で無彩色なのに
なんだか温かい感じがじわじわ湧いてくる。

そしてちょっぴり期待していた四季耕作図屏風。
普通四季は画面の右から左へ流れていく。
実際、守景の師匠の狩野探幽の四季耕作図屏風は
右から左に流れていっていた。

でも、そのあとに展示されている守景のものは
左から右に春夏秋冬と流れる。
言わば正反対の構図。

へええ、狩野派というがっちりした流派のなかで
正反対の構図でいくとは凄い!
そう思った。

そして、子どもを含めた人々や動物たちは
農村の四季風景の中に柔らかく、
柔らかいけれど動きをもって描かれている。

江戸時代の安定した時期だからだろうか、
農作に精出しているのだけれど、何か余裕がある。

子どもの描かれ方も、
母親にまとわりついている構図もあって、
とても自然な母と子の姿だった。

猿回しを楽しむ風景、犬の喧嘩風景、
どれをとっても自然体。

江戸時代の農民というと、
私などは厳しい年貢の取り立て、
凶作などに喘いでいるというイメージがこびりついている。
だから農民一揆も起こったなんて思ったり・・・。

でも、そういう時はあっても、
人々は日々の暮らしを楽しむことを知っていたんだという発見。
それは、守景の眼差しかもしれないけれど、
どんな時代にあっても、市井の人々は日々の暮らしの中に
楽しみや面白みを見つけて生きていたのだと思わされた。

その真骨頂を表わしたものが、
守景の代表作とされる「納涼図屏風」。
これは国宝。つまり私たちの宝ということだ。
が、恥ずかしながら私は知らなかった。

この「納涼図屏風」に関しては言い古されているけれど、
こんな風に農民と思われる家族が、
夕涼みの時間を楽しんでいるっていうのが新鮮。

狩野派の四天王と言われながら、
様々の事情で狩野派を去ったという。
しかしその後ろ盾を失っても、
いや、もしかしたら失ったからこそ
守景らしいのびやかな作風に磨きがかかったのかもしれない。

今回は「守景の子どもたち」ということで
息子久隅彦十郎と娘清原幸信の作品も展示されている。

息子彦十郎の画は佐渡に流されているときに描かれたものという。
また、娘幸信の画は当時は売れたのではないかと思わされる
精緻さを持っている。
でも、二人に守景の画のもつ温かさはない。

守景のことは作品が残っている割には
人物やその周辺については、今だ謎の部分が多いという。

でも、絵師としての眼差しは温かいというのが、私の印象。

この前期の展示には
きらびやかな色彩を放つものはほとんどなかったが、
出口に立った時、心がほっこり温かくなるのを感じた。

この展示、11月5日には入れ替えられるという。

全く、美術音痴を生きてきた私には、
今になって、こういう楽しみが与えられている。

絵って不思議だなってまたまた思う一日でした。