2011年8月18日(木)
ファミリーヒストリー
「勝野洋~父はボルネオで何を見たのか」
NHK総合
8/17(水)22:00-22:50
--------------------------------------------------
追伸
大変申し訳ないです。NHKのブログにも掲載されていたので、再放送されるのかと私も楽しみにしていました。
いつか再放送される時には、もう一度私も見たいので、今度は決定しましたら掲載します。
すいませーんでした。m(_ _)m
2011年8月25日(木) 20:00
--------------------------------------------------
※ご注意
8/25(木)11:10-12:00
(どこかのホームページでみたのですが、
再放送があるのか、未だわかりません。
ネットのテレビ番組表には載っていないので、
おそらく放送されないと思います。
放送されなかったら、本当にゴメンナサイ。m(_ _)m )
NHK ワールドプレミアム 番組表
http://nhkworldpremium.com/program/detail.aspx?d=20110825111000&ssl=false&c=26
NHK プレミアム
http://nhkworldpremium.com/program/detail.aspx?d=20110817220000&ssl=false&c=26
本当にお薦めの番組です。
私はボロ泣き状態でした。
私は観光で行ったことがあるボルネオ島。
ボルネオ死の行進ということがあった場所を私はバスで同じような場所を通ったことがあります。
あの戦中の時代は熱帯雨林のジャングルの中を600キロも歩くという過酷なルートだったようです。
タワウという場所はインドネシアとの国境にあり、途中にキナバル山(4,095m)があり、山の近くは標高が結構高いです。
私はバスでコタキナバルからサンダカン。サンダカンからタワウへバスでいどうしました。
キナバル山
私はある程度舗装されている山道を歩きながら途中で一泊して、頂上まで登頂しました。1往復するだけで足は棒のようになってしまいました。
”ボルネオ死の行進”は、約2ヶ月間だったので、想像を絶します。
キナバル山のガイドさんに聞いたことですが、この近辺はたくさんのがあり、みなそれぞれの言語があり、全く通じないようです。
今ではマレー語で通じるので、情報が入りますが、あの頃はまだまだそんなに多くの人がマレー語を話せていないかと思います。
インドネシア語とマレー語はほとんど同じで、どちらか一つできればお互いに分かり合えます。そして、言語がとても簡単なので、すぐに使えてしまう言語です。
戦中のボルネオ島では人口も少なかったので、孤独な行進だったかと思われます。
ボルネオ島が日本軍にとって、こんなに過酷な場所だとは、初めて知りました。
地獄のような過酷な場所で、人間は何を考え、どう行動してきたかをしることができる、ドキュメント番組です。
勝野洋さんの父はとても立派な軍人さんで人間的にも物すごく惹かれる人物だと思いました。本当に尊敬できる人だと感じました。
本当に深い感動を受けました!!!
番組の関係者の方々、本当にありがとうございました。とても大切なことを心に刻むことができました。m(_ _)m
ファミリーヒストリー
「勝野洋~父はボルネオで何を見たのか」
NHK総合
8/17(水)22:00-22:50
--------------------------------------------------
追伸
大変申し訳ないです。NHKのブログにも掲載されていたので、再放送されるのかと私も楽しみにしていました。
いつか再放送される時には、もう一度私も見たいので、今度は決定しましたら掲載します。
すいませーんでした。m(_ _)m
2011年8月25日(木) 20:00
--------------------------------------------------
※ご注意
8/25(木)11:10-12:00
(どこかのホームページでみたのですが、
再放送があるのか、未だわかりません。
ネットのテレビ番組表には載っていないので、
おそらく放送されないと思います。
放送されなかったら、本当にゴメンナサイ。m(_ _)m )
NHK ワールドプレミアム 番組表
http://nhkworldpremium.com/program/detail.aspx?d=20110825111000&ssl=false&c=26
NHK プレミアム
http://nhkworldpremium.com/program/detail.aspx?d=20110817220000&ssl=false&c=26
本当にお薦めの番組です。
私はボロ泣き状態でした。
私は観光で行ったことがあるボルネオ島。
ボルネオ死の行進ということがあった場所を私はバスで同じような場所を通ったことがあります。
あの戦中の時代は熱帯雨林のジャングルの中を600キロも歩くという過酷なルートだったようです。
タワウという場所はインドネシアとの国境にあり、途中にキナバル山(4,095m)があり、山の近くは標高が結構高いです。
私はバスでコタキナバルからサンダカン。サンダカンからタワウへバスでいどうしました。
キナバル山
私はある程度舗装されている山道を歩きながら途中で一泊して、頂上まで登頂しました。1往復するだけで足は棒のようになってしまいました。
”ボルネオ死の行進”は、約2ヶ月間だったので、想像を絶します。
キナバル山のガイドさんに聞いたことですが、この近辺はたくさんのがあり、みなそれぞれの言語があり、全く通じないようです。
今ではマレー語で通じるので、情報が入りますが、あの頃はまだまだそんなに多くの人がマレー語を話せていないかと思います。
インドネシア語とマレー語はほとんど同じで、どちらか一つできればお互いに分かり合えます。そして、言語がとても簡単なので、すぐに使えてしまう言語です。
戦中のボルネオ島では人口も少なかったので、孤独な行進だったかと思われます。
ボルネオ島が日本軍にとって、こんなに過酷な場所だとは、初めて知りました。
地獄のような過酷な場所で、人間は何を考え、どう行動してきたかをしることができる、ドキュメント番組です。
勝野洋さんの父はとても立派な軍人さんで人間的にも物すごく惹かれる人物だと思いました。本当に尊敬できる人だと感じました。
本当に深い感動を受けました!!!
番組の関係者の方々、本当にありがとうございました。とても大切なことを心に刻むことができました。m(_ _)m