夏の高校野球新潟県代表は新潟明訓高校に決まった。
母校十日町高校はその明訓と準決勝で戦い9-0コールド負けとなった。
初回から相手に点が入り続けた。
十日町にも何度かチャンスはあったのだが点には結びつかなかった。
力の差は歴然だった。
試合終了から数日間は
「もう少し何とかならんかったんかいな!」と怒り、そして落胆した。
でもね、だんだんと思いだしてきた。
お店の窓からグランドがよく見える。
毎日野球部の諸君がグランドで汗を流していた。
冬は雪で滑りながらランニングをしていた。
夏休みには猛暑の中で1日中長袖姿で練習していた。
本当に野球が好きじゃなきゃあんなことできない。
去年のいつだったかやっぱり暑い日に
長時間の監督の話(たぶん説教)が続いていた。
野球部員は全員が直立不動でその話(たぶん説教)を聞いていた。
「監督も木陰で椅子に座っていないで
ひなたにでて(太陽光線直撃状態)しゃべったらどうなんや~!!」
とわたしはひとりお店で毒づいていた。
たぶん、一般市民で野球部のグランド練習を
一番長く見ていたのはわたしだと思う。
新潟県だからといってすべての高校が雪の大変さを経験しているわけじゃない。
十日町の「半年雪の銀世界」はうそじゃない。
そんな中でのベスト4じゃあないか。
89校の中の上位4校に入った君たちを誇りに思うよ。
では前回の続き。まだ横浜に住んでいた頃のある夏の日のことです。
休みで自宅におりました。
午後4時頃、ごろんと横にはなっていましたが
もちろん意識ははっきりしておりました。
突然、足元から「こんばんは、こんばんは」という男の人の声がしました。
ラジオもテレビもつけてはいませんでした。
空耳というにはあまりにもはっきりとした挨拶でしたが聞き覚えのない声でした。
それから数日後の、やはり真昼間のことでした。
隣の部屋の押し入れの方からオルゴールの音がしました。
ガサゴソと押し入れの段ボールを開けてはみたものの・・・
途中で気が付きました。
わたしはオルゴールなど持っていなかったのです。
この2つの出来事に共通していたのは、
なぜかちっとも怖くなかったということなんです。
誰かが「少しお盆には早いけど」と来てくれたような
なつかしいような、そんな不思議な気持ちになりました。
本物は案外怖くないのかもしれません。
これは金造さんの人形です。
わたしはあんまり霊感というものは持ち合わせていないのですが、
後で考えるともしかしてあれは・・・ということがひとつふたつございます。
わたしの場合は「音」なんでございます。
今と違って繊細な心を持っていたらしく
布団に入ってもなかなか寝付けない子どもでした。
ある夜中、誰かが階段を上ってくる音がしたのでございます。
古い家なのでギー、ギー、ときしむ音がしたのですが
いつまでたってもその音が聞こえ続けました。
たぶん13段以上登る音がいたしました。
途中でわたしは気を失いました。
そして翌朝母にその話をしたのです。
「ふ~ん。」
これでこの話は終わりでございます。
少し涼しくなりましたでしょうか?えっ?全く涼しくない?
では、本当に本当の話はまた次回ということで。
ちなみに、翌朝階段の数をかぞえたところ、12段でした。
「少年と自転車」という映画を見に行った。
日本の児童養護施設での話が映画の着想になっているらしい。
「親が迎えにくるのをず~と屋根の上で
待ち続けていた子どもの話が元になっているらしいよ」
いつもは私が映画に行くと言っても興味を示さなかった母が
自分も行きたいと言い出した。
映画館に行くのは数十年ぶりだという。
着ていく洋服をうれしそうに選び、小さな手提げバッグを持った。
説明的な描写はほとんどない映画だった。
そのうちバッグの持ち手を握りしめる (キュー、キュー)
という音が聞こえてきた。
ラスト近くになるとその音が強くなった。
上映が終わり灯りがつくと
「とても、いい映画だった」と母は言った。
わたしも「いい映画だったね」と答えた。
帰りしな映画館の受付嬢に母は「ありがとうございました」とお辞儀をした。