リツゲイ稽古場日誌

劇団立命芸術劇場の稽古場日誌です。日々演劇と向き合う団員たちの思いが垣間見える、かも...?

恋文なのかい

2015-10-08 00:40:52 | 2015年度秋公演
もう、このような季節なんですね。正直僕には卒団なんて何も感じられない、三回生の諸岡です。


僕が感じるのは卒団に際してとかそういうことではなく、学生生活の終わりかけということに色々な想いとか後悔とかが押し寄せてきているなぁ。というのが素直な実感なのかもしれません。



僕が夢に見ていた薔薇色のキャンパスライフはみるみる間に僕の腕や手の平をすり抜けながら遠く遠くの方へ逃げて行き、今となってはその後ろ姿が僅かに見えるかどうかのところとなってしまいました。
そんな僕が手に握れていたのは、僕にとっては青春と言えるドロドロとした濃い煮汁のようなリツゲイでの日々で、演劇とかいう更に濃いものが彼女のようにピッタリと側にいたということしかわからないです。

そもそも演劇をやっていながら彼女をも獲ようなどという都合のいいことを考えていた入学前の自分の甘さには呆れ果てて言葉が出ないどころか笑いが込み上げてくるばかりですが、そんな考えにドップリ浸かっていた自分がそうそう変わるはずもなく、専ら今の後悔は「恋文でも書いておけばよかったなぁ」ということです。

まずは相手がいない手紙を書くなという鋭すぎる指摘は置いておいて、そもそも恋文なんて自分のどうしようもない想いを伝えるだけ伝えて渡してしまえば後は野となれ山となれというスタンスのコミュニケーション手段なのに若人でなくなった自分に許されるわけもないと考え、勇ましく筆を取ったはいいものの一向に筆は進まない。

自分の中にある考えや想い、表情や風景や出来事や願い、宇宙を言葉に落とし込む作業には苦しさが付きものなんだと思い知らされています。


こんなことを書いていてやっと気づきました。
僕は大学生活でこんな不器用な恋文のような想い、情熱の押し売りをやっていたんですね。

舞台に立って或いは公演を支えて、自分たちのやりたいこと伝えたいことを人に不器用に見せつけるように主張することは皆さんへの恋文以外の何物でもない、そう気付きました。


尊敬する作家の先生が言うには、恋心を伝えようと力んだ恋文は良くないということらしいですが、最後くらい超不細工で不器用な形でも皆さんに恋文を押し付けるのもご容赦いただきたく思います。



こんなにも暑苦しい僕を最後まで包んでくれたリツゲイの恋文を皆様に受け取っていただくことを願って終わりとさせていただきます。



以上、諸岡より。愛をこめて



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