リツゲイ稽古場日誌

劇団立命芸術劇場の稽古場日誌です。日々演劇と向き合う団員たちの思いが垣間見える、かも...?

夏の夢うつつ

2009-07-07 13:54:58 | 夏公演「Evil Narratage」
 バラシその他諸々のことが終わり、13時間眠り続けました。ようやく体調&精神状態が公演モードから平常に戻りつつある感じです。しかし、公演終わるといつも思うのですが、あー終わっちゃったんだ、っていう感じがして淋しいですね。今回は3週間という比較的短い公演期間でしたが、それがえらく長かったように感じています。レパ選で私の作・演出が決まってから今までのことは、妙に現実的な時間を過ごした気がせず、夢うつつです。
 ただ、ベッドに横になって薄目でカーテンの隙間から漏れる夏の日射しを見詰めていると、確かに公演が終わったんだな、という実感が、薄ぼんやりと自分の中に出来上がっていく気がしています。何かをし終えた後の気持ちって、案外こうした気怠いものなのかもしれません。
 しかし今日はこれから総括があります。まだ公演は完全には終わっていません。画竜点睛を欠くにならないよう、すべきことは確実に片付けていかないと。
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客よ、来い(松任谷由実ふうに)

2009-07-04 00:34:06 | 夏公演「Evil Narratage」
 例年だと、夏公演はそれほど大量に客が来ないものですが、今回はとにかく客が来ます。この調子で行けば、目標の150人集客も夢じゃなさそうです。ついさっき遠い夢が現実になったのですが、良いことは2度続いて欲しいです。虫のいい話ですけど、やっぱり客が多いと演技のテンションが違いますからね。ハケ裏で客のざわめきを聞いてる時が、一番楽しいくらいです。
 特に、池沢アキラのシーンで客が笑ってくれたのがたまらなかったです。全体的にしんみりとしたシリアス調の本作品において、唯一笑えるキャラが池沢です。みんなが羨ましがる最高に美味しい役です。そして実際のアキラの演技も、ただキモくてウザいだけでなく、ハイテンションな中に見え隠れする孤独と哀愁が垣間見れるようになってきています。
 そしてヒロインの折原ユイ。表面上は対照的ながら、本質的には不器用でそれ故に人恋しさを抱えているという、池沢アキラと共通する心の奥底を持ったヒロインです。全くの初心者から始めたのに、彼女の演技の上達ぶりには感動しました。加えて集客でも助けられました。私もそれに応えるべく、目一杯、可愛く繊細なヒロインを作ったつもりですが、どうでしょうか。
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時の流れに身を任せ

2009-07-02 00:45:56 | 夏公演「Evil Narratage」
 往く川の流れは絶えずして、而も元の水に非ず。まだまだ練習して練り込みたい点は多々あれど、時は無情にも過ぎ行き、遂に明日(もう「今日」か)本番を迎えます。もっと時間があれば、もっと練習できて、もっと良い芝居に仕上がる。誰もが考えることです。しかしまあ、こうして時の流れという逆らえない制約があるからこそ、やる気になれるのかもしれません。
 私は基本的に制約というものが大嫌いです。しかし、全くの自由に放り込まれたら、やっぱり何をしていいか判らなくなって途方に暮れるでしょう。結局は尻に付いた火に追われながら、その場その場でできることを積み重ねていくしないないんでしょう。それは時の流れという、この世で唯一万人にとって平等な物だから、不条理と思うことなく自然と制約を受け入れて、その中でできる限りのことをしよう、という気になれるのでしょう。
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仕込み2日目

2009-07-01 02:23:00 | 夏公演「Evil Narratage」
なんかもう、「そんなバナナ!」とか思っちゃうことが最近多いクリヤマです。
久しぶりの投稿です。
う~んと、舞台が立ちました。
音響も照明も宣伝美術もいろいろやってますねー、はい。
衣装小道具さんはちくちくやってくれたり・・ほんと色々な事が進行していますよ。

それにしても24時間買い出しができる「SHOP99」は素敵ですね。
そして、ちょっともさもさ試してみた。
公演が迫ってます。
みんなでがんばっとります。
是非お越し下さい。
では~
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母校は遠い夢

2009-06-29 00:26:34 | 夏公演「Evil Narratage」
 公演前日ですが、全校応援のシーンで使う校章入りのメガホンを作り終えました。そんなもの適当にデザインしてもいいんですが、『おお勝利』をそっくりそのまま舞台上で使うことになったので、こちらも忠実に再現してみました。団員の何人かがいつの間にか『おお勝利』を覚えてしまったようです。在学中はうろ覚えだった応援歌が、今頃になって頻繁に耳にすることになるとは妙な気分です。公演本番には、『おお勝利』とコマクサの校章が京都・衣笠学生会館小ホールに翻ることでしょう。
 まあしかし、この作品自体に母校でのことを原案としている部分がありますから、それでいいんでしょう。ヒロインのモデルはプライバシーに関わるので伏せますが、I田O先生、K藤I夫先生、T村M絵先生と愛娘のMちゃん、S藤E司先生、もし公演を御覧になられたら思い当たることがあるでしょう。「茹で魚」とか。また身勝手にも勝手に悪役にしてしまった方もいらっしゃいます。この場を借りてお詫び致します。高校在学中、誰とだったかは記憶が定かでありませんが、「H高の教師はキャラ濃い人だらけだから、そのままドラマにできる」と話していたことがあります。その時は他愛もない話に過ぎませんでしたが、4年後に私がそれを実際にすることになるとは、巡り合わせとは不思議なものだと感じています。
 私は別に運命だのなんだのは一切信じない、「宗教=迷信=阿片」と言い切る無神論者ですが、そうした割り切れないことをつい思ってしまうのは、感情を持つ蛋白質の塊の性なのでしょうか。あるいは、こうした思いこそ素朴な原始宗教の芽生えなのか。
 それにしても私がこうも母校を懐かしむようになるとは、自分でも信じがたいです。卒業見込みが立ち、就職も決まり、人生の岐路に立っているから、フッと過去を振り返りたくなるのかも知れません。そこでの過去とは「遠い夢」、脚色され都合良く美化された妄想に過ぎないのでしょうが。
 ですがまあ、そんな精神状態になっているほうが、“Evil Narratege”の上演には好都合かもしれません。「ナラタージュ」(島本理生の『ナラタージュ』でなく映画用語での意味で)ですから。
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IGNITION!!

2009-06-28 22:51:01 | 夏公演「Evil Narratage」
アキラ役の足立です。
明日からついに仕込み開始です!!
そして木曜日になったら夏公演『Evil Narratage』の開始です!!

練習期間は短かったし、いろいろと問題はあったけど、
ここまで来たら後は思いっきりやるだけです(≧▽≦)!!

ではみなさん、明日から頑張って「スターダックス」の舞台作りを、
気合入れていきましょう!!

ワァーハハハハハハハツ

P.S. 写真は噂のスターダックスのロゴです
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泣きたい時に泣きたい

2009-06-27 12:27:26 | 夏公演「Evil Narratage」
ど~も、ど~も
アキラ役の足立理志です
久しぶりの日誌更新です
しかも珍しく(?)携帯での更新です
さらに3回目の更新です、テヘッ(笑)


公演日までついに1週間をきりましたよ!!
でも俺はピンチですσ)Д`)グワッ
あの噂の猫型ロボットに助けて欲しいぐらいにピンチです
もう何度も言ってますけど本当に演劇をナメてましたね(笑)
いや、笑ってる場合じゃないけどさ・・・


観客に『感情を伝える演技』ってのが難しいですよ

下手したらセリフが流れて聞こえてしまうし、
ただテンションを上げてもアキラのキャラがウザイだけに見られてしまうし、
さらに滑舌が悪いと自分のセリフが観客に届かないし・・・


もう今さらながら問題ばかりですよ
どうしよう?(屮゜Д゜)屮

でもまあ『池沢アキラ』という人物を舞台の上でどう生かすかってのは俺次第ですからね
公演が始まるまでの最後の1分1秒まで努力します



P.S. 今月の俺は『今世紀薔薇が似合う男、No.1』です
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玉座の責務

2009-06-27 02:21:36 | 夏公演「Evil Narratage」
「何を思って演技しているか?」役者にとっては究極の問いでしょう。今日の練習の後、玲彩ちゃんが谷村役の谷脇に言っていた言葉です。「この台詞はこういうトーンで、こんな風に間を取って読むんだ。あの台詞はああ言うんだ」と、小さな積み重ねで芝居を作っているのではないか、という感じがしました。どこかで聞き覚えのある言葉だと思いました。そして考えてみると、それはほぼ1年前に私が「青く赤く青い空」の演出をした時に、渡会に言った言葉でした。
 乱暴に二分すると、会話劇での役の作り方には対照的な2通りのアプローチがあるとされます。一つは、各々の台詞の言い方や身体の動き、表情を細かく意識して作り込んでいって、そして役の人物像を形作っていく方法。もう一つは、役の感情を抽象化した意識として自分の中に取り込んで、感覚的に演技をする方法。私はほぼ間違いなく後者のやり方で演技をしていたでしょう。そのため演出を付けるにしても、役者は後者のやり方で役作りをする、という前提を無意識のうちに勝手に作っていたような気がします。おそらくそれが彼の役作りの仕方と相容れなかったのではないか、との不安が頭をよぎりました。
 度々指摘されてきましたが、私の演出はキャラクターの感情の変化を抽象的に説明しているだけで、個々の場の動きの指示が非常に雑なようです。地道な努力の積み重ねでなく、センスに頼って演技をしてきたことのツケが回ってきたのではないかという気がしています。
 しかし、作品世界において演出が皇帝(作品世界を創った作者が造物主=神=天帝であるなら、演出はそれを実際に生身の人間を使って運営していく天子=皇帝といえるでしょう。大それた喩えですが)として君臨し統治している以上は、そうした各役者の性質を良く見極めた上で適切な指示を出すことが求められます。   
「JUSTICE」の時にとぐろ先輩が言っていましたが、演出は自分は動かずあれこれ言うだけの、ある意味楽なポジションにいる。だからこそ徹底して指示を出し、公演において曖昧なことを無くしていかなければならない、と。それが私にはできるのか、できる、というしかないでしょう。演出の玉座は安楽椅子ではなく司令塔です。一旦司令塔に座った以上は、責務を全うしないといけませんから。

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人間の証明

2009-06-26 00:06:14 | 夏公演「Evil Narratage」
 本日、この作品のクライマックス(いやどちらかというとカタストロフィか)、夏祭りの夜のシーンを練習しました。最重要シーンなのでこれまで何度も練習してきましたが、衣装・音響も本番同様にしての練習は初めてです。やっぱり衣装と音響が入ると違います。夏祭りの夜、遠い夢の中の想い出といった感じがグンと出てきました。
 最後の新幹線が走り去っていく音も切なくていい感じです。バブル期の恋愛映画「シンデレラエクスプレス」を彷彿とさせます。ただしあちらは100系「ひかり」、こちらはE2「はやて」ですが。
 もっとも、本来は何もなくても演技だけで雰囲気を作れるのが理想で、音響と衣装で雰囲気が出た、というのは演出の指導の拙さの証明で、あまり喜んでいけないのです。ですがまあ、衣装や音響の雰囲気に乗っかって役を作っていく、ということもありますから、ここは素直に良しとしましょう。かくいう私自身も、本番の舞台と観客の醸す高揚感がないと完全に役になりきれない所があります。そのために、演出には計り知れないほどの迷惑と不安を蒙らせてきたでしょうが。
 それにしても、1回生の役者陣はよくやってくれていると思います。わずか3週間の練習期間と、異常に対人関係能力のない演出という悪条件下で、着実に芝居を作っていっています。特に玲彩ちゃんの脚本読解力は素晴らしいです。
 そしてこだちとポルも、私のコミュニケーション力の欠落を補って練習を支えてくれています。元はwhiteberyyの「夏祭り」を聴いていて浮かんだ、ボワーッとした閃きに過ぎなかったものが、舞台作品に組み上がりつつあります。
 閃きという種子を、周囲の協力という水を得て作品に育てていく。これが私にとっての「人間の証明」なんじゃないかって気がしています。
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神は疲れている

2009-06-25 01:11:01 | 夏公演「Evil Narratage」
 作・演出の山田です。森村誠一の随筆を読んでいて、「作家は神である」という言葉が目に留まりました。曰く、生身の人間が現実世界で神となることは極めて困難である。如何に強力な独裁権力を保持しても、必ずそれに背く者が現れ、意のままにならない。しかし作品世界においては、作家はそこに存在する人・物全ての殺生与奪の権を握っている、と。
 しかし、実際に演出をしてみるとそうはいきません。"Evil Narratage"が脚本であるうちは、私は唯一絶対神でいられますが、それを役者に演じてもらって芝居にするとなると話は別です。作品の意義を、その創り主が的確に子細漏らすことなく役者に伝えられるかといえば、答えは否となります。そこが作品世界では神であっても、現実世界では蛋白質の塊に過ぎない作者の宿命なのかも知れません。しかし、何とかしてもっと細部の演出を詰めていかないといけないんです。とにかく、何とかして。
 野田知佑は四季折々に変化する日本の自然を、「日本を造った時、神は最も気分が乗っていた」、荒涼とした北極圏のマッケンジーを「マッケンジーを造った時、神は疲れていた」と評していました。もう上演まで10日あまりですが、公演を見た観客から、「演出は疲れていた」と思われるような結果にしてはいけないんです。
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