リツゲイ稽古場日誌

劇団立命芸術劇場の稽古場日誌です。日々演劇と向き合う団員たちの思いが垣間見える、かも...?

どうでもいい事々 アクアリウムに関して

2016-11-24 00:25:34 | 2016年度冬公演
こんにちは。山戸麻紗子です。

今公演のタイトルは「アクアリウム」です。
いよいよ来週からですので、皆さんぜひお越しください。

ところで、先日、Twitterの企画でアクアリウムに関する思い出を答えてください、というアンケートが行われました。一回生の橋本君が担当している企画で、今日第1回目で服部ちゃんのが公開されていました。アクアリウムには印象的な思い出がいくつもあって、久しぶりにいろんなことを思い出しました。

小学校中学年ぐらいまで総合病院によく行くことがあって、漢字は忘れたけど「さいせい病院」と呼ばれている大きな病院でした。
別に大した病気ではなくても、風邪とか花粉症の薬とか予防接種とか何かとそこで済ましていて、車では40分ほどかけて街の方へ下りて、景色がミカン畑になってきたあたりで小高い丘を登ったところに建っていました。
で、その「さいせい病院」のロビーにあったのが、幅が4mくらいある大きなアクアリウムでした。広いロビーと廊下を区切るように設置されていて、下の方に写真つきで魚の名前が書いてあったりしたので、それを見ながら「どの魚が好き?」「やっぱりグッピーが一番きれい」と、母親と話した記憶があります。それが人生で初めてみたアクアリウムです。

家では常に何か飼ってました。と言っても犬や猫は変えないと言われたので、フナとかボラとか、アカザとかヨシノボリとかの川で捕まえてきた魚だったり、鈴虫のような昆虫だったり、手のかからない生き物に限定されてました。(近所には犬やウサギ、山羊も馬もいた。牧場ではないけど。)

夏祭りには毎年必ず金魚すくいをしました。すくった金魚は、母親の実家にある大きな池に放して飼ってもらっていました。その池は縁側のある庭から一段下がったところにあって、ちょうど真上から見下ろせるようになっていました。池のまわりは芍薬やあじさいや、南天や万両などが植えて合って、季節ごとに花が咲くように祖母が手入れをしていました。金魚は、尻尾がひらひらしたやつではなく和金だったので、大きくなるものは鯉みたいになって、猫も手を出せない程立派になってました。上から見下ろした時の泳ぐ姿がきれいだった。猫には食べられなかったけど、空から見た時に隠れようのないほど真っ赤な色をしていたので、時々それを見たカラスが食べに来ることがありました。

それから、小学校の教室にもアクアリウムがあったような気がします。確か小5のとき。何を飼っていたかよく覚えていないけど(たぶん金魚(和金じゃないほう)。だれがなぜ持ってきたのかは不明)、水槽の紫っぽい青いランプが、雨の日の電気を消した暗い教室の後ろで光っていたのが印象に残っています。モーターで水を循環させる装置が画期的に思えました。当番でテトラフィンというカラフルで薄いタイプの餌をあげていました。以前小学校が夢に出て来ることが何度かありましたが、その時には必ず、一階の職員室の廊下の前の、窓の下の机の上に水槽が置いてあって、怪物に追われた時に職員室に逃げ込んで、先生のデスクの下からその廊下の様子をうかがう、というパターンでした。夢の中の水槽には魚は居なくて、水草が森のように詰まっている、やわらかい緑色をしたアクアリウムでした。



アクアリウムをみると、ざわざわした気持になります。水族館ではなくて、アクアリウムでないとざわざわしません。水族館なら、暗いエリアのちいさな水槽がたくさん並んでいる熱帯魚コーナーが好きです。大水槽の青い水とは違って、水が透明という感じがするところとか、人の話し声がなくなってモーターの音だけがしている感じとか。アクアリウムを前にすると、気持ちはざわざわして、思考は停止するような気がします。

掘りかえそうとするとアクアリウムに関する記憶がまだまだざくざく出てくるので、自分で少し驚いています。ホームセンターの一角に観賞魚を売るコーナーがあったことや、学校の池から水草をもらってきたこともあった。理科室にはメダカの水槽があったことも。友達の家に巨大な魚を飼っている水槽があって、そのなかに亀が住んでいたこととかは、もはや事実なのか捻じ曲げられた記憶なのか判別がつかないくらい。
とにかく、お魚とアクアリウムに関しては特別な思い入れがあるようです。






  きれいな水は大事。








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