前回、生きてりゃ、半分は敵という記事を書きました。
ところで、「敵」とか「味方」って何が基準となるんでしょう?
あえて一般的な意味で定義づけるとするならば、「敵」とは、
「自分の嫌いな人」「自分にマイナスに作用する人」、
そして「味方」はこの逆、というところでしょうか。
私個人として定義づけるとすると、
「自分の進路を阻む存在」が「敵」
「自分を理解してくれる人」が「味方」
という感覚でしょうか。
しかし、実際のところは、それほど明確に「敵・味方」と分かれるものではないと思います。
ある部分では自分にプラスに作用したり、ある部分ではマイナスだったり、とか…。
よい上司に恵まれるのは、不幸?で書いたようなこともありますし…。
「夫婦」なんて、特にそうじゃないかと…。
広い意味では「味方」であるべき存在でしょうが、「敵」になることもしばしばであったりとか…。
明確な「敵」とか「味方」とかいう存在って、本当はないのかもしれません。
心情的には「敵」のような人でも、自分のためにうまく利用してしまえば「味方」ということになったりとか…。
ある時は「味方」であっても、ある時は「敵」であったりとか…。
突き詰めて考えてしまうと、結局、「敵」も「味方」も自分自身が作り出しているもの…、
もっと言ってしまえば、「自分自身そのもの」なのかも…。
因みに以前、こんな「戯言(ぎげん)」を書いたことがあります。
⇒オレのミカタもカタキも3つ
アナタのミカタもカタキもアナタ
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いつもご覧いただき、うれしく思っております。
私もそう思います。
このような内容について、2月2日に「他者に対する不満ばかり言う人について」という記事を書いております。
お暇な時にでもご覧下さると嬉しいです。
http://blog.goo.ne.jp/rew-toho/d/20050202
それと、大変申し上げにくいのですが、
私の名前は一応、「桐鳳柳『雨』」ということになっております…。
ややこしい名前で、すみません。
漢字だと面倒ですので、「リュウ」とでもお呼びいただけると幸いです。
私も、そのようなことを、親から言われておりました。そうですね、時間が解決してくれることって、
よくありますものね。
怒りがあるってことは、相手に期待をしている自分もいるのかしら?と思う時もありますけれど。
翌朝目覚めて、まだ腹が立っているようなら、それは本当に怒るべきこと。」
「腹が立ったら、10まで数えろ。
もっと腹が立ったら、100まで数えろ。」
…言い回しはうろ覚えですが、こんな言葉もあるようです。
頭にきた場合は、時間をおいたほうがいいということなのでしょうね。
一回悪いイメージを持ってしまうと、ずっとその人のことをそういうイメージで見てしまいがちになることも…。
そうならないためにも、というところでしょうか。
確かに!自分の気持ちの持ちようで
敵に感じたり、味方に感じたり…
置かれてる状況によっても敵になったり
味方になったり。
やはり、自分次第なのですね…