幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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生きてりゃ、半分は敵

2005-06-30 | 日記 Ⅰ

私は、本質的には、人から嫌われるのが人一倍イヤだと思うタイプかもしれません。
つい、みんなに好かれたい、と思ってしまいます。

しかし、現実的には不可能なことですよね。
たとえ、どんなに完璧で立派な人間になれたとしても…、
もっと極端に言ってしまえば、たとえ「神」の領域に達することができたとしても、どこかの誰かからは必ず嫌われることと思います。

誰からも嫌われない方法があるとするならば、それは、何もしないこと…でしょうか。
何もせず、何も主張しなければ、嫌われることはないかもしれません。
しかし、誰かから好かれることもないでしょう。

誰からも嫌われることがないかわりに、誰からも好かれない…。
誰かから嫌われることがあるかわりに、誰かからは好かれる…。
そのどちらか、ということになってしまうのでしょうか。

「自分のことを嫌う人がいるというのは仕方ないけど、割合としては、好かれるほうをより多く」…
と、いうのが本音かもしれません。
しかし、特に私のようなタイプなど、そう考えてしまうと、ついつい「嫌われたくない」というほうに比重が傾いてしまうような気がします。
結果、積極的に行動できない、主張できない、ということにも…。

「人間、生きてりゃ半分が敵」
私は、このくらいに思っていてちょうどいいのかもしれません。


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メリハリ、ついてる?

2005-06-29 | 日記 Ⅰ

私は以前から折に触れ、「時間をムダにしないこと」そして「考えること」の大切さを主張し、そしてそれを記事にもしてきました。

確かに時間はとても貴重なものですし、限られたものでもあります。
そのため、ムダにすることなく、有効に使う必要があると考えます。

しかし、あまりにも「ムダ」の無さ過ぎる生活というのも、どうなんでしょうか。

伸びきった糸が少しの衝撃で切れてしまうのと同様、あまりにムダのないキッチリとしたスケジュールに縛られた生活というのも、良いものとは言えないように思います。

時には、何も考えずに「ボケ~ッ」とする時間があってもよいのではないでしょうか。

要するに、「今は何をすべき時間なのか」をしっかりと意識し、そして「メリハリをつける」ということが大事なような気がします。

例えば、「体を鍛え」「シャワーを浴び」「ビールを飲み」「休む」という場合。
鍛える時には、苦しみながらも充実した時を過ごし、
シャワーを浴びるときは、その気持ち良さを満喫し、
ビールを飲む時は、その美味さを楽しみ、
休む時には、何も考えずにリラックスする…。
これらがきちんと独立し、メリハリが効いているから、それぞれ「至福の時間」となるものと思います。

これが、例えそれぞれ全てが好きなことだからといって、
「シャワーを浴び、ビールを飲みながら、気を抜いて何も考えず、体を鍛える」…
などと一緒くたにしてしまっては、それぞれが全く無意味な、つまらない時間になってしまうものと思います。

頑張る時には、頑張る。
楽しむ時には、楽しむ。
「グデ~ッ」とする時には、「グデ~ッ」とする。

メリハリのついた時間を過ごしたいものです。


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パソコンを使うための時間

2005-06-28 | 日記 Ⅰ

皆さんは1日のうち、「パソコンのために使っている時間」ってどのくらいありますか?
私は、メールチェックやブログ更新などで1~2時間、あとは仕事での文書作成等に適宜、といったところでしょうか。
因みに、無目的なネットサーフィンなどは殆どしません。

パソコンは、本当に便利です。

例えば、仕事で実績表などを作成する場合も、数字さえ入力すれば正確な計算がなされ、見栄えのいい表やグラフが簡単にできあがります。
これを全て手作業で、というと、大変な労力になるものと思います。
更に、字がヘタな私にとっては、ワープロ機能もなくてはならない存在です。
また、何かを調べたい時なども、ネットで検索を行うと瞬時に欲しい情報が得られたりもします。
これも、本などのみから情報を得ようとすれば、大変な労力となるでしょう。
或いは、人によっては、アフェリエイトなどで副収入を生んでいる場合もあるかもしれません。
そしてもちろん、こうして私の言いたいことを皆さんに披露することができるということも…。

反面、場合によっては、無目的なネットサーフィンなどによって、時間をムダ遣いしてしまうこともあるかもしれません。
また、簡単に物品を購入できる便利さから、おカネまでムダに遣ってしまうこともあるかもしれません。
更には、情報の漏洩その他、自分に不利益に作用してしまうことも…。

なるべく、自分のプラスになるよう、パソコンを使いこなせるとよいかと思います。

ところで皆さんは、現在パソコンに使用している時間というものを、パソコンを入手する前にはどのように利用していたか、考えたことがありますでしょうか。

私で言えば、プライベートな部分での1~2時間。
パソコンを購入するまでは、その分、テレビに充てられていたように思います。

テレビを観ていた時間を削って得ている、パソコンのための時間。
自分としては、「以前よりは有意義に使われているかな」とは思うのですが…。
皆さんは、何のための時間を削って、パソコンを使っているのでしょう?


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「グチ」が嫌いな理由

2005-06-25 | 日記 Ⅰ

*聞かされる人が迷惑だと思うから
グチの内容が聞き手にも興味ある内容ならまだしも、全く興味のない、或いは全く無関係な内容だったとした場合、相手が不快に思うかもしれないばかりでなく、そのことによって、何だかその人に「マイナスの運気」を浴びせてしまっているような感じがして、ものすごく悪いような気がします。

*何の解決にもならないから
一時的に気は晴れるかもしれませんが、それによって自分が「向上」することはないと思います。どうせ気晴らし目的なら、もっと別の、自分が向上するような「何か」に、そのエネルギーをぶつけたほうがいいように思います。

*悪感情が伝染するかもしれないから
例えば、私が誰かに対する不満をある人にぶつけたとします。それを聞いたある人は、元々「不満の対象者」に対して全く悪い感情を持っていなかったとしても、それによって対象者を見る目に少し「偏(かたよ)り」が出てきてしまう可能性があると考えます。人が人をどう評するのか、それを私のグチをきっかけとして歪めてしまうことがあるとしたならば、それは私の望むところではではありません。


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絶対に君を幸せにするよ!

2005-06-24 | 日記 Ⅰ

「一生」「絶対」「必ず」…。
こういった言葉、どうも使いにくいんです。

例えば、「絶対に君を幸せにするよ!」くらいのことを言ったほうがいいような場面があったとしても、「君を悲しませるようなことは、たぶんしないと思うよ」という表現になってしまうような…。

気持ちとしては、「絶対…」と言う人と変わらない、というよりむしろ、より「絶対」に近いようにさえ思うのですが…。
「一生」という言葉の持つ重みを感じてしまったりとか、「絶対なんてことがこの世にあるのだろうか」などと思ってしまったりとか…。
割り切って、一種の「慣用語」として使えばいいんでしょうけど、どうもできないんです。

相手に、より誠実であろうと、より正直であろうと、そして結果的にウソをついてしまうことにならないようにしようとするあまり…。
かえって相手にとって、不誠実な態度になってしまうようです。


↓今、何位なんでしょう?
まだ見てません…。



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金銭以外に支払う対価

2005-06-23 | 日記 Ⅰ

運転免許を取得して20年くらい経ちますでしょうか。
その間、だいたい車かバイクに乗っております。

私が免許取り立ての頃は、普通車よりもむしろ大型トラックなどを運転しているドライバーのほうに、マナーの良さを感じたものでした。
「大きな図体をしてて、迷惑かけちゃうね」というような謙虚さというか、「プロとしての誇り」というか、何か「余裕」のようなものを感じました。

しかし昨今、以前よりもマナーの悪さを感じることが多くなってきたような気がします。
何だか、「ぶつかったら、どっちが痛い思いするのか解ってんだろうな!?」というような…。
(もちろん、マナーの良い大型ドライバーも多くいらっしゃいますが)

その背景には、もちろん「人そのものの変質」ということもあるのでしょうが、「以前よりもドライバーが過酷な勤務状態におかれるようになった」という要因もあるのでしょう。

どちらにしろ、こんな例を挙げるまでもなく、何だか世の中、ギスギスしてきてるように思います。
どんどん便利になって、スピードもアップして、それはそれでよいのですが…。

世の中には、「得たものに支払う対価」というものがあると思います。
そしてそれは、単に金銭とかいったものだけではないような気がします。
「こういう恩恵を受けるからには、こういう負担が生じる」というような…。
更には「こういう報復がある」というような…。

「より良くなろう」という意志があるから、人間って繁栄してきたんだと思います。
しかし、手に入れた多くの便利さと引き換えに、負担しなければならない「何か」も多くなってきているということ…。
地球の温暖化をはじめとする環境破壊なんかもそうかもしれません。

そんな大袈裟なことじゃなく、身の回りのことでも…。
自分が求めるものを得ることに対して、自分は金銭以外に何を支払わなければならないんだろう…。
そんな意識も必要なのかもしれません。

font size="2" style="line-height:130%;">
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なぜか、「香水」考

2005-06-22 | 日記 Ⅰ

初めて「香水」に類するものを体に振り撒くようになったのは、中学3年生の頃でしょうか。
最初に買ったのは、確か「資生堂のシャワーコロン」。
その次は、「TECH21(テックツーワン)」…って言ったかな?
メーカー名は忘れましたが…。

香りについては、最初は「柑橘系」、後には「ムスク」とか、異性にアピールするタイプのものへと変化してゆきました。

その後しばらくの間、日常的につけていたのですが、ウッディ・アレンの「ボギー、俺も男だ(邦題)」という映画を観たのをキッカケに、つけなくなりました。

この映画は、ウッディ・アレン演じる主人公が、空想上の「ボギー(ハンフリー・ボガート)」に、「カッコいい男のあり方」をアドバイスされる、というものなのですが、その中で、「においで勝負をするのは女だ」みたいな意味のボギーのセリフがありまして…。

当時、「カッコよさ」ということにおいては心酔していたボギーがそう言うのですから、単純に「そうなのか!」と、思ったわけですね。

そのセリフが今でも効いていて…、というわけではないのですが、今では殆どつけなくなりました。
せいぜい、「ここ!」という「勝負」の時くらい…。
(つまり、「そういう機会がなくなった」ということなのかな…)

香水については全然詳しくありませんが、人のつけているのが気になることはよくあります。
特に、とても強烈なニオイを発散させている人…。
まるで警察犬のように、この場にいないその人を、ニオイを元にたどっていけそうなくらいな…。

香水というものは、個人的には、
「離れた人にアピールするためのもの」ではなく、
「一瞬近づいた人にアピールするためのもの」のように思います。

ちょっとすれ違った人から、一瞬、素敵な香りが漂ってきた…。
いいにおいだな…。あの人の近くにいきたいな…、みたいな…。
つまり、「この人にもっと近づきたい」という気持ちにさせるためのもの、という感じでしょうか。

そういう意味では、今はあまり見かけませんが、銭湯帰りの女性の香り…。
すれ違った瞬間漂ってくる、石鹸と女性特有の甘い体臭の入り混じった香り…。
そして、ほのかな熱気…。
どんな香水よりも魅力的に感じたものです。

ところで普通、香水というと、「首筋」とか「手首」とか、「脈打つところ」につけるとよいとされていますが、以前どこかで、「足(首?)につけると、適度に香って良い」という話を聞いたことがあります。
実践したことはないのですが、本当なのでしょうか…?


↓「香水のつけ過ぎは迷惑!」と思った「あなた」!
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「時間×人数」という考え方

2005-06-21 | 日記 Ⅰ

「時間が一番貴重」だとは、よく言われることです。
「全ての人に平等」だとか、「二度と戻らない」とか…。

私自身も本当にそう思います。
だから、他の人の時間を無駄にしてしまうことも、そしてもちろん自分の時間を無駄にしてしまうことも、どちらも好みません。
(実際には、つい「グデグデ」して自分の時間を無駄にしてしまうことも多く、反省しきりなのですが…)

その中でも特に、「複数の人が集まる場合」については、気をつけるようにしたいと思っています。
例えば、会議や打ち合わせ、或いは待ち合わせなど…。

仮に、10人が集まる何らかの場で、私が3分遅れてしまったとします。
すると、その時間の損失は、単純に3分ではなく、
「3分×10(人)=30分」
ということになるかと思います。
つまり、何にでも使うことができる30分の時間をムダにしてしまったということになるという…。

或いは、何らかの打ち合わせがあったとします。
事前に何も準備をせず、みんなが顔を合わせてから初めて「さて、今日の議題は…」とか「これについての皆さんの意見を…」だとかいうケースの場合…。
この場合も、「ムダに使った時間×人数」ということが言えるかと思います。

今は、メールでもケータイでもFAXでも、便利な道具がいろいろとあります。
あらかじめ、「次回の議題は○○についてですので、事前に準備をお願いします」とか、「今度の打ち合わせでは、○○についてのご意見を伺いたいと思いますので」とか…。
打ち合わせの場では、「顔を揃えなければ出来ない最低限のことだけをする」ようにして、顔を合わせなくても出来ることは事前に済ませておきたい(ほしい)ものだと思います。

ところで、私のブログに毎日訪れて下さる方々。
せっかく貴重な時間を割いてお出でいただきながら、記事の更新がされていない時のことなどを考えると、本当に心苦しく思います。
あなたの貴重なお時間をムダにしてしまったのではないか、などと…。
その場合は申し訳ありませんが、過去の記事でもご覧いただけると嬉しく思います。

あなたが私のブログのために割いて下さった貴重なお時間。
「ムダな時間」と思われることがなければ嬉しいのですが…。


↓20位前後をウロウロしてると思います。
もし、ご覧いただいている方全員がクリックしてくれたとしたら…。
いったい何位になるのかな…。



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「いないと困る存在」になるということ

2005-06-18 | 日記 Ⅰ

前回、会社を利用するという考え方という記事を書きました。
「利用する」というと漠然としてしまうかもしれませんが、まず最初は、「いないと困る存在」を目指すと良いのでは、と思います。
「その人がいると助かる」「いないと困る」というような存在…。
そのような立場になれば、周囲も自分にプラスに作用してくれやすくなると思いますし、それにより「居心地」もよくなるかもしれません。

そのためには、あくまで「素直な態度」で…。
そして最初のうちは、変に提案等の「積極的な発言」はせず、その代わりに「積極的に仕事に関する知識を吸収」してゆく…。
更にできるようなら、量・質共に、他の人の水準を上回るように考え、努力してゆく…。
また、健康管理・スケジュール管理等にも極力留意し、勤怠に乱れがないようにもすべきかと思います。

つまり当面は…、
あくまで素直に、
遅刻・早退・欠勤がないよう留意し、
積極的に知識を吸収し、
自分の仕事の能力「だけ」を向上させることを考える…。
更に出来るのなら、「他の人が喜ぶことを」という観点にも気をつけてみる…。

因みに、最初から積極的な発言を良しとする考え方もあるかもしれませんが、私は個人的にはちょっと疑問を感じます。

上司も人間。
仮に、普段から「忌憚のない意見を聞きたい」と皆に言っているような人でも、本当に本音をぶつけてしまったら、もしかしたら理性とは裏腹に悪感情を抱いてしまうかもしれない…。
「いないと困る存在」になれば、自然と上司や周りの人が意見を聞きにくるようになるかと思います。
また、そうなって初めて、こちらの主張にも耳を貸してくれやすくなるのではないでしょうか。

そして、そういう存在になれば、(自分が在勤を望むのなら)会社の続く限り少なくとも「クビ」にはならないでしょうし、昇給・昇進も果たしやすくなる…。
更には、自分のスキルも向上してゆくかと思います。

因みに、「いないと困る存在」になった後には、「いなくてもいい存在」を目指すべきかと考えますが、こちらはまたそのうち、気が向いたら記事にするかもしれません。


↓「丁」「半」どちら!? 
 「偶数位」は「丁」、「奇数位」は「半」。
 クリックして勝負!!
 見事当たったあなた! 今日はツイてる!



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会社を利用するという考え方

2005-06-17 | 日記 Ⅰ

前回の記事「昇給」は無意味?について、「ake」さんからコメントをいただきました。
以下、そこから想起してみました。

私自身、以前は「成果主義」的な考え方が強かったのですが、今では「ある程度の年功序列もいいのでは」という考え方に変わってきています。
世間一般でも、「成果主義の綻(ほころ)び」のようなものが見えてきているようですし…。

もちろん「給与ドロボー」のような人がいるのも事実なので、全て「年功序列」で片付けてしまうのはどうかとは思いますが…。
(よく、全社員のうちの優秀な人2割が、会社の全利益の8割を生み出しているとか言われますよね)

時々、自分の会社への功労を主張し「昇給」を声高に訴える人がいますが、もしその人の言うことを素直に取り入れ、会社が従業員の功労を重要視し昇給させた結果、経営が傾いて「倒産」などということになってしまったら…。
「昇給」どころか「給与」さえなくなってしまう…。
その時に、昇給を主張した人は、路頭に迷ってしまった他の人たちに何らかの責任を負うことができるのだろうか…。
(ちょっと極端な話ですが…)

最終的な「責任」は、会社が負うことになるものと考えます。
だから、どのような方針で会社を経営し、どのような考え方で従業員を雇うのか、といったことについては、どうしても会社主導とならざるを得ない…。

「だったら、従業員は会社の言いなりなのか」と言うと、必ずしもそうではない…。
要するに、「会社の意識がどうなのか」というよりも、「働く側の意識がどうなのか」ということが大切なのだと思います。

例えば、
その会社で長く働くことを望んでいるのであれば、
「どうしたらクビにならずに長く雇ってもらえるか」ということを考え、実行すればいい…。
昇給・昇進を望むのなら、
「どうしたら自分の収入が上がるのだろうか、出世するのだろうか」と一所懸命考え、実行すればいい…。
どうしても会社に「昇給」を主張したいのであれば、
単に「給料上げろ」とゴネるのではなく、そのために必要な、しっかりとした裏付けを伴う具体的な方法を提案すればいい…。

私個人としては、「会社は利用するもの」だと考えます。
単なる仕事上のノウハウを越えたあらゆる事柄…。
例えば、
自分の守備範囲のみならず、関わりのある全ての範疇のノウハウを吸収してみる…。
どうしたら顧客に喜んでもらうサービスを提供できるのか、いろいろと試してみる…。
人脈を広げる…。
今後に有利な資格、肩書きを得ておく…。
全体を俯瞰するクセをつける…。
細部にまで気を配る習慣をつける…。
人と接する能力を向上させる…。
…など。

会社での仕事が、単なる「カネを稼ぐためだけの場」というのでは、あまりにもったいないような気がします。
「おカネ」に限らず、自分のためのあらゆる有用な物事を得るための場として、そして、自分自身が向上するための場として、大いに活用すべきではないかと考えます。

また、基本的に「お客様が第一」ですが、職場によっては直接お客さんと接しない仕事もあるかと思います。
その場合は、不本意ではあるでしょうが、「上司が客」です。
自分に支払われるべき給料決定の基となっているのは「上司による査定・考課」です。
極論してしまえば、給料をもらっているのは「上司」からです。
また、そう思って接するべきだと考えます。

それは将来、転職・独立を考えている人にとっては尚更です。
顧客と直に接する機会のない人にとっては、「自分が望むものを如何にお客さんから得るのか」ということの良い「模擬練習」になるものと思います。

転職・独立してから試行錯誤を繰り返して失敗、などということになってしまっては大変です。
会社のあらゆる「資産」を使って、今のうちにあらゆる「実験」をしておくべきではないでしょうか。

「会社の資産(人的なものも含め)」を、自分の向上のために大いに「利用」してみては…?


↓15位前後をウロウロしております。
 今は何位にいるのでしょうか…。



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「昇給」は無意味?

2005-06-16 | 日記 Ⅰ

以下、「人事考課」をしつつ感じる雑感です。

例えば今、固定給で月20万円もらっている人が、25万円に昇給したとします。
それを「当たり前」と思う人もいるかもしれませんが、普通はたいてい喜び、そして感謝します。

ところが、それもほんの一瞬だけのこと。
もう次の瞬間には、その人にとって「25万円」が「普通の水準・月給」という感覚になってしまいます。
次の月以降、「5万円分は、本来の給料から上乗せしてくれた分だ」とは解釈しない…。
「25万円が普通」と感じるようになる…。

正直、「昇給のもたらす効果」というものに、疑問を感じることがあります。
「昇給」によって生じる効果は、ほんの一瞬。
「昇給したことによるプラスの効果」というよりも、「昇給しないことによるモチベーションの低下等、マイナス作用の回避」にしかならないような…。
そんな気になってしまうような人も、中にはいたりすることも…。

また、違う話。

例えば、ある人が入社1年を経過したとします。
入社直後と1年後では、普通、仕事の能力や知識の違いに大きな向上がみられると思います。
そして、2年目と3年目の1年間を比べても、入社直後と1年後ほどの違いはないにしろ、ある程度の向上はあると思います。

しかし、5年目と6年目、10年目と11年目…などと比べてゆくと、ほとんど差がなくなってゆく人というのも多いような気がします。

職種によってももちろん違うでしょうが、「同じ内容」「同じ質」の仕事を続けているだけでは、いつか「天井」にぶち当たってしまうように思います。
「長年続けている功績」というものも当然考慮すべきだとは考えますが、同じような仕事だけを続け、「天井」に到達してしまった人に「功労賞」という意味のみの昇給を続けてゆかなければならないのなら、そういう人を排除して新人を補充したほうがいいのでは、などと考えてしまうこともあります。

もちろん、これらは自分自身を省みるという意味でも…。
評価してもらった部分についてはそれを忘れず、マンネリ化した仕事をするのみ、同質の仕事を続けることのみで、収入の増加を期待したりすることのないよう…。


↓15~20位をウロウロしております。
 ここをクリックしていただいた時、もし私のランクが、
「奇数位」だったら、あなたの金運の上昇を、
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一所懸命、祈念致します!



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最低、このくらいは…

2005-06-15 | 日記 Ⅰ

他者に対して、無意識のうちに「最低ライン」というものを引いていないでしょうか。

例えば、
上司・同僚に対しては、
「最低このくらいの仕事はする(できる)べきだ」とか、
配偶者に対しては、
「最低このくらいの稼ぎはないと」
「最低このくらいの家事はしてもらわないと」とか、
子供に対しては、
「最低このくらいの成績は取ってもらわないと」
「最低このくらいの学校は卒業してもらわないと」とか、
その他の人に対しては、
「最低このくらいの常識は守るべきだ」とか…。

そして、この「最低このくらい」ってライン、けっこう個人差があるとは思いませんか?
或いはそのカテゴリーによって、かなり甘かったり辛かったり…。
更には、そう他人を評している人に限って、自分自身の「最低ライン」はものすごく低かったり…。

他の人に「最低ライン」を引いてしまうと、辛くなるのはかえって自分自身だったりするような気がします。

私個人としては、
「最低ラインは他者に引くものではなく、自分自身に引くもの」
ではないかと考えています。

そして、その最低ラインとは、
「現在の自分自身」
ということになるのではないでしょうか。


↓20位前後をウロウロしております。
 ここをクリックしていただいた時、もし私のランクが、
「奇数位」だったら、あなたに素敵な出会いがあることを、
「偶数位」だったら、あなたに素晴らしいチャンスが訪れることを、
一所懸命、祈念致します!



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あえて発する罵声

2005-06-14 | 日記 Ⅰ

以前にも書きましたが、私自身、本質的にはかなり感情的なほうです。
機嫌の悪い時や、他者からマイナスの作用を受けた時など、感情を表(おもて)に出しやすいタイプであると言えます。

しかしある時、身近にやはり感情を表に出す人がいて…。
その人を見ていると、なんだかとても「カッコ悪く」思えました。
同時に、「何だか近づきたくない」というか、「関わり合いたくない」というか…。
少なくとも、その人と「有益な」関係など築きたくないな、と感じました。

それ以来、「そうなりたくない」という一心で、多少は感情を表に出さなくなったかな、と思います。

ただ、まだ唯一例外がありまして…。
それは、バイクや車を運転している時。
「運転すると人が変わるタイプ」というのがありますが、私など正にそうなのかもしれません。

マナーの悪い車や、人に迷惑を及ぼすような車に関わったりすると、つい、カーッとなってしまうことがあります。
そんなケースで同乗者がいない場合には「あえて」、ちょっとここには書けないような罵声を発することがあります。
もちろん、相手の運転手にも聞こえないようにですが…。

しかし、これは「意識的に」解禁しているという節(ふし)もあります。
ムカつくのは相手の運転手ではなく、その行為自体…。
誰に迷惑をかけるわけでもないし…。
ストレス発散やガス抜きにもいいかな、など、適当な理屈の下(もと)、止めようとも思わず続けているという部分があります。

もちろん、良いこととは言えませんが…。
何があっても平然としていられるような境地に達することは出来なさそうだし…。
このくらい、いいですよね?
…ダメですか?


↓25位前後をウロウロしております。
 ランクアップしていましたら、
それは、クリックしていただいた「あなた」のおかげです。



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ブログ休止と再開について

2005-06-13 | 日記 Ⅰ

私事ですが、30名ほどの部下に対する人事考課の締め切りをすっかり忘れてしまっておりまして…。
先週末が締め切りだったので、ブログをお休みさせていただいて取組んでおりました。(猛省)

また、他にも2つほど、私的な興味の対象が新たに増えてしまいまして…。
「自分のこと」「家族のこと」「仕事のこと」のバランスをとろうとムリが生じていたようです。
(「新たな2つの対象」については、時期を見てお話することもあるかもしれませんし、ナイショのままかもしれませんし…)

今後は、全体的にムリをし過ぎることなくバランスを取ろうかと考えております。
そのために、ブログの内容が少し薄くなってしまうかもしれませんが、ご勘弁ください。

また、お寄せいただいたコメントから、「アクセスやランキングの低下に悩んでいる」かのような受け取り方をされているようでもあるのかな…と…。(笑)

確かに、ブログを始めて間もない頃は「アクセスアップ」「ランキングアップ」に執着していた時期もあり、その「画策」によりピーク時には日に「1300ip」ほどあったものが、今では10分の1程度になってしまっているのは事実です。

またランキングのほうも、ピーク時には「不動の1位」の方がいるカテゴリーで2位だったこともありました。

しかしそれは、せめて、あなただけにでも届いたら…でも書きましたが、アクセスやランキングに固執する自分の姿に疑問を感じたこと、そして、固執するあまりに思わぬ所で他者に迷惑を及ぼしてしまったことなどがあり、「画策」を一切やめてしまったということが大きいのかな、と考えております。
(このあたり、個人的な価値観も含め、詳しく書くととても長くなってしまうので省略致します。機会があったら吐露させていただくかもしれませんが…。)

また、「ブログランキング」のバナーのところに、「こんなに落ちて…」という意味のことを書いたのも、「いつも同じ文言では面白くないかな?」という趣旨によるもので、以前から「クリックお願いします」「いま何位?」「○位あたりをウロウロしています」…などと変えていることの一貫によるものでありました。

ランキングの上下については、むしろ、順位が変わればまた違う「その順位周辺の方々」の目に止まる機会が増えるかな…と、考えているくらいで…。
実際個人的には、「ランキングアップ」と「素晴らしい読み手の方々と出会える確率」は、さほど連動していないんじゃないのかな、という感もありますし…。

確かに、ランキングが上がれば上がったで単純に嬉しいというのも事実ですが、それほど固執していないというのも正直なところです。
クリックしていただくと本当に嬉しいのですが、「とにかくお願いします」という姿勢を「私が」取ることについては抵抗がある、というのが本音というところでしょうか。
(もちろん、多種多様の価値観がありますので、そのような姿勢の方にたいして「良からぬ感情」を持っているということは、全くありません)

今回、私が早期にブログを再開させた理由の1つとして、
「記事の更新も、他の方へのコメントやTBも一切しておらず、またランキングも下降しているという状況にも関わらず、毎日以前と変わらない数…というより、むしろ多くの方が訪れて下さっているということを、とても嬉しく感じた。」
ということもありました。

日々、見て下さっている方々。
本当にありがとうございます!

当面の間、「不定期な雑文」になってしまうかもしれませんが、とりあえず「桐鳳柳雨も幸せを掴むため一所懸命生きてるんだな」とでも汲み取っていただけると幸いに存じます。

そして私のほうも、皆さまの幸せと夢の実現を、心よりお祈りしております。


↓25位前後をウロウロしております。
 もしランクアップしていましたら、
それは、クリックしていただいた「あなた」のおかげです。



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最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…

「ご意見」「ご要望」「ご感想」「各種お問い合わせ」等、よろしければこちらのメールアドレスからもどうぞ。
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「あなた」との接点

2005-06-11 | 日記 Ⅰ

雑用に追われ、更新をしなくなって数日。
人間とは勝手なもので、何となく物足りなさ、淋しさのようなものも感じ始めております。

「あなた」と何らかの接点を持っているということが大変貴重なものであったということ…。
今更ながら痛感しております。

表題とは遠くかけ離れた雑文に終始するかもしれませんが、また、不定期な更新になるかもしれませんが、何らかの「心情」を発信してみようかなどとも思い始めております。

「あなた」にとっては何のメリットにもならないような「個人的な雑感」であるかとは思いますが、気負わず、無理のない範囲で、更新してみようかなどとも考え始めております。

コメント等、いただくほどの内容ではありませんので、その点、なくとも結構です。
また、読み飛ばしていただいても結構。
日々記録される「アクセスカウント」で「あなたとの繋がり」を確認できたら、至福の喜びになるんじゃないのかな、などと…。

全く「自分勝手な理由」ですが…。

また、記事の更新のない間も訪れて下さった方々、とても感謝しております。
本当に、ありがとうございます。


↓5位前後だった順位が、休んでいる間に20位以下になっております。
 正に「自業自得」ですね…。



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