幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
Googleディレクトリ公認サイトです。

縁があんなら、なんかあんだろ

2004-12-31 | 日記 Ⅰ

私は「意識する」女性を目の前にすると、どうも言動が「ギクシャク」してしまいます。
自意識過剰になってしまうのでしょうか。

そんな私の自己暗示が、
「縁があんなら、なんかあんだろ」
です。

何とか話すキッカケをつかもうとしたり、
何とかデートに誘おうとしたり、
何とか…、
など、意識が過剰に働きそうになるとき、
この言葉で意識を抑制させるのです。

縁があるなら、話すキッカケくらいあるだろう。
縁があるなら、食事くらいする機会もあるだろう。
縁があるなら、…。
と、いうわけです。

実際、もし相手のほうも多少なりとも私のことを「意識」していてくれたとしたら、また、互いに話すキッカケを欲していたとしたら、自然とそういう機会も生じてくるでしょう。

逆に、キッカケも何もなければ縁もない…。
私には、そんなくらいの意識でちょうどいいようです。

そして、「縁がある」との判断に至れば、あとは、
タイミングと、
スピードと、
ちょっとの勇気、
でしょうか。


このブログを始めて、2ヶ月弱。
1年前の今ごろは「ブログ」などという言葉も知らず、まさか1年後にパソコンを駆使してこのようなことをしているとは、思いもしませんでした。

それが、こうして今、みなさんに拙文を披露できているというのも、正に「縁」と言えるでしょう。

いつも私のブログまでお越しいただき、本当にありがとうございます。
来年も、ぜひともよろしくお願いします。

来年が、あなたにとって素晴らしい年となりますよう。
あなたに全ての良いことが、次々とおこりますよう…。


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よい上司に恵まれるのは、不幸?

2004-12-30 | 日記 Ⅰ

よい上司に恵まれると、とてもラクです。

自分の目の前にある仕事にだけ集中していれば自然と結果が出るように、段取りを組んでくれる。
「悪いことは自分のせい、いいことは部下のおかげ」にしてくれるので、普通に仕事をしているだけでよい評価を得られる。
頼りがいがあるので、いざというときには助けてくれる、など…。

その点、悪い上司にあたると、大変です。

状況をよく把握していないと思わぬ所からとんでもない課題が降りかかってくるので、段取りや仕事の流れを自分で作らないといけない。
「いいことは自分のおかげ、悪いことは部下のせい」だから、常にミスのない完璧な仕事をこなせるようにならなければならない。
頼りにならないので、自己防衛のためにあらゆる能力を向上させておかなくてはならない、など…。

…?
自分にとって、本当にプラスになるのはどちらなんでしょうかね。
その人の価値観によっても違うのでしょうが…。


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実存

2004-12-29 | 戯言 Ⅰ


宇宙があり
仕事があり
世の中があり
たくさんの人々があり
そしてその中に ぽつねんと
自分自身たる自分が存在している。
しかし、それは、決して
自分が中心となるものではなく
様々な潮流に揉まれる
全ての中の一つにしか過ぎない。

人は人、私は私。
そうであることによってのみ
この世が成立しているという
この現実。
自立し、自覚しながらも
大衆の中に埋没してしまっているという
この事実。
それゆえ、支配しているものに対して
確固たる自分が在るべきはずであり
また実際、あるのではあるが
そこにはただ
荒涼たる人の世の
疲弊した心、満たされぬ心。
そして、
それを覆う憔悴した身体。


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「他の人が喜ぶことを」という観点

2004-12-28 | 日記 Ⅰ

常に、「他の人がどうしたら喜んでくれるか」という観点で思考・行動するとよいと、個人的には思います。
特に、私のように根本が「ジコチュー」な人間は、そのくらいでちょうどいいでしょう。

将来、独立・起業などを考えている人は尚更です。
仮に、今の仕事に不満があって「ここはカネを稼ぐのだけが目的だ」などと思っている人が、独立したと同時に急に、「お客さんのため」という観点で物事を考えることなどできない、と考えるからです。

賛否両論ありましょうが、会社組織は現実的に言って「上司が客」です。
(ただし、これは「部下からの観点」であって、上司がこのような考えではいけませんが)
常日頃から、「ゴマすり」ではなく、本当に「客」が望んでいることは何か、という観点で思考・行動すれば、結果的に自分のスキルを高めることになりますし、独立した際、極めて有効な能力ともなります。
また現職においても、昇進・昇給などにもつながるものだと考えます。
更には、自然と人間関係も良好になるでしょうから、そういう点での余計なストレスも軽減されてゆきます。

そして、これはいけないことなのですが、「他の人がどうしたら喜んでくれるか」という発想を裏返すと、「どうしたらヤツをツブせるか」ということも分かるようになります。
しかも、周りは全てあなたの味方です。
いざというときに、身を護(まも)る術(すべ)にもなるでしょう。

それならば、いつも「どうしたら他をひきずりおろせるか」「どうしたら自分だけいい思いができるか」という観点でいる人は、その発想を裏返せば「他の人のために」ということも分かりそうに思いますが、なぜか不思議とそれはできないようです。

ただし、「ボクは他の人のことを優先して考えてる」と思っていても、本当のところは「保身目的」でそうしていることに気付いていない、という人もいますので、注意が必要です。


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あなたへのメッセージ(「ノウハウ」活用の前に)

2004-12-27 | 日記 Ⅰ

現在、「夢」「成功」というコトバをキーワードとしたノウハウ・マニュアルが、私たちの周りを取り巻いています。
そしてそれは、正に「玉石混交」といった感があります。

それが「玉」であれば、もちろんノウハウそのものを、
それが「石」であっても、そのアピールやセールスの仕方などの「勧誘技術」を冷静に分析して取り入れる、
等、活用すればいい…。

それよりも一番重要なのは、
「私はどうしたいのか・どうなりたいのか」
ということではないでしょうか。

幸せになりたいとかいうこととは全く別にして、
「どうしても、それがしたい」
「私には、これしかない」
というのであれば、迷わず一途にその道を邁進すればよいと思います。

そうでない人。
「ただ漠然と“いい思い”がしたい」
「金持ちになれば幸せになれそう」
などと、思っている人たち。

そういう人たちは、「夢」「成功」というコトバをキーワードとしたノウハウ・マニュアルから一度距離をおいて、「夢の実現・成功」という概念と「幸せ」という概念を分けて考えてみる必要があるのではないでしょうか。


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「夢が叶う」というノウハウは本当に存在するのか?(5)

2004-12-26 | 日記 Ⅰ

結論を言えば、
「夢を叶えるために必要な概念」という意味でのノウハウ
は、あると思います。

しかし、それはあくまで
「夢を叶える た め に 必 要 な 概念」であって、
「夢を叶える こ と の で き る 概念」ではない…。

厳密に言えばそういうことになるのでしょうが、
それをあえて、「夢が叶う」「成功する」と言い切ってしまう…。
そこが正に「成功するためのノウハウ」と言える、などと言ってしまっては皮肉でしょうか。

私個人としては、そのようなノウハウは、その内容よりもむしろ、
「どのような経緯で、そのノウハウの存在を知ったのか」
「どんな文言によって、そのノウハウに興味を抱いたのか」
「どんなことがきっかけとなって、そのノウハウを実践するに至ったのか」
といった部分を分析したほうが、よほど成功に近くなる、と思ったりもしますが…。

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「夢が叶う」というノウハウは本当に存在するのか?(4)

2004-12-25 | 日記 Ⅰ

前回、ボクシングのチャンピオンを目指していた時期があった、と書きました。
もしも、その願いが叶って「世界チャンピオン」になっていたとしたら、どうだったでしょうか。

それは「夢が叶った」状態であり、そして「成功した」状態である、と言えるわけです。
しかし現実には、「夢は叶わず」「失敗」してしまった…。

もしも、そのとき夢が叶っていたら、或いは今頃、より幸せな人生を送っていることになっていたかもしれません。
しかし、もしかしたら「価値観・人生観」が今のものとは異なり、一時的によい生活ができていたものの、今の年齢になった時には或いは不遇な生活を送ることになっていたかもしれません。

全ては想像の世界のことになってしまいますが、少なくとも今は、ボクシングをやっていた頃の経験や備わった能力が、そこそこ幸せな生活を送ることができているプラスの要因にはなっています。


「夢が実現すれば」「成功すれば」幸せな生活を送ることができる、と思いますか?
「夢を断念してしまったら」「失敗してしまったら」不幸な人生になってしまう、と思いますか?

「夢が叶うこと・成功すること」と、「幸せな生活を送ること」は、全く別次元の概念だとは思いませんか?

「幸せになれるかどうかはともかく、この夢を実現したい」
と考えているのならばそれでいいでしょうが、
「この夢が実現すれば幸せになれる」
と考えていたとしたならば、ちょっと怖くないですか?


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「夢が叶う」というノウハウは本当に存在するのか?(3)

2004-12-24 | 日記 Ⅰ

以下、過去における私自身の夢とその結果です。
例:「夢・希望、またはスタート時の状況」
  → その結果

「強くなりたい」
→ 柔道の昇段審査に合格(黒帯取得)

「ボクシングの世界チャンピオンになりたい」
→ プロテストに合格するも、鼻を手術し断念

「TV番組:アメリカ横断ウルトラクイズで優勝したい」
→ 2万人中40人まで勝ち残るも、グアムでの「どろんこクイズ」で敗退

「TV番組:クイズミリオネアで1000万円獲得したい」
→ 最終カメラテストまで進むも、TV出演は叶わず

「20代で持ち家」
→ 20代では叶わなかったが、「20世紀中」に取得

「ダイナースカードを持てるようになりたい」
→ 規定年齢最年少とされる、33歳で取得

「人材派遣会社にアルバイトとして入社」
→ 事業部ごとに独立することになった際、役員に抜擢され新会社設立に携わる

「その他の仕事」
→ バイトも含め、どこでも順調に昇進・昇給
  今年も不景気な中、月収が10万円増加

「本を出したい」
→ 違う2つの出版社主催の文学賞にて共に最終選考まで残るも、
  あと一歩大賞獲得に及ばず
  書店流通を確約した一部自己負担による出版を勧められるも、
  条件が折り合わず出版に至らず
  
「あのコと仲良くなりたい」
→ 成功もあり、失敗もあり…
  失敗がわずかに多いでしょうか(苦笑…)
 

以上、どのような印象を持たれたでしょうか。
現在、私は有り余るほどのお金は持っておりませんが、生活に不自由することなく、妻子及びネコと、そこそこ幸せに暮らしております。

現状に「満足」はしていません。
あらゆる面における更なる向上や夢の実現を果たし、今以上に「幸せ」になりたいと思っています。
かと言って「不満」というわけでもありません。
この現状で不満などと言ったらバチが当たるでしょう。


私の夢の数々は、実現しているという印象を受けますか?
私は現状において、成功している部類に入ると思いますか?

「夢の実現」や「成功」の線引きって、どこでなされるのでしょうか?
「夢が叶った、叶わない」「成功した、しない」ということは、はっきり二極化されるものなのでしょうか?


この話、明日以降も続きます。
(意見・反論等、大歓迎です。(ただし「価値観の押し付け」は望みません)

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「夢が叶う」というノウハウは本当に存在するのか?(2)

2004-12-23 | 日記 Ⅰ

「アメリカ人は、英語を使う。」
これは、概ね「正」としてよいでしょう。 しかし、
「英語を使うのは、アメリカ人だ。」
とした場合、イギリス人を始め英語を使う国籍の人は他にもいますので、「誤」となるかと思います。

いわゆる「成功すること」や「夢が叶うこと」に共通するノウハウに、
「実現するという強い信念を持つ」
「明確な目標を立てる」
などといったことが挙げられるかと思います。

確かに、いわゆる「成功者」や「夢が叶った人」の大半が、こうした概念を持っていたものと思われます。
また私自身も、「成功」や「夢の実現」のために、これらは必須の概念だと考えています。

そこで、冒頭の話。
「成功者は、このような概念を持っていた。」
これは、概ね「正」としてよいでしょう。 しかし、
「このような概念を持った人は、成功者だ。」
とした場合、はたして「正」と言えるのでしょうか?


この話、明日以降も続きます。
(決してこれらのノウハウを「ケナす」のが目的ではなく、「真に幸せを掴みたい」という想いからくる「素朴な疑問」を書こうかと思っています。)

意見・反論等、大歓迎です。(ただし「価値観の押し付け」は望みません)

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「夢が叶う」というノウハウは本当に存在するのか?(1)

2004-12-22 | 日記 Ⅰ

「禁止薬物を使用してもいいから、オリンピックで金メダルを獲りたい!」
というくらいに金メダルを渇望している同一競技のトップアスリート5名に、いわゆる「夢は実現する」的な事を主張する方のノウハウを施したとします。
そして、皆、真剣にそのノウハウに取り組み続けたとする…。

同一競技ですから、1大会につき金メダルは1個。
全員が夢を叶えるとしたら、16年かかることになります。

それでも全員、金メダルがとれると思いますか?
或いは、「勝者は1人だけ」ということには向かないノウハウなのでしょうか?

この話、明日以降も続きます。
(決してこれらのノウハウを「ケナす」のが目的ではなく、「真に幸せを掴みたい」という想いからくる「素朴な疑問」を書こうかと思っています。)

意見・反論等、大歓迎です。(ただし「価値観の押し付け」は望みません)

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「凶器」を持とうとする人たちへ

2004-12-21 | 日記 Ⅰ

前回、「武器」ということについて書きました。
「キレイゴト」で済まないときのための「武器」があったほうがいい、というような内容でした。
また、「イザというときには、自分にはこれがある」という「何か」があったほうが、日常においても自信になるものと思います。

ところで、「キレイゴト」では済まないときに、自分や自分の大切な人を護(まも)るための「武器」、というと、「凶器」を連想する人もいることでしょう。

私個人は、持ちたいのなら持てばいい、と考えます。
例えば、懐にナイフを忍ばせたり、車内に金属バットを常備したり…。
しかし、そのためには、「覚悟」が必要だとは思いますが…。

あなたが携行するその「凶器」が、逆に、あなた自身やあなたの大切な人に向けられるかも知れない…。
「凶器」をちらつかせて相手がビビってくれればいいですが、相手が「殺さなければ、殺される!」という心理になって、死に物狂いであなたに向かってきたとしたら…。

あなたに残された道は、その「凶器」を相手に行使するか、自分や自分の大切な人に行使されるかしかなくなる…。

あなたが手にするその「凶器」で、自分や自分の大切な人が殺されるかもしれない…。
そんな「覚悟」を持って、携帯すべきだと考えます。

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「キレイゴト」では済まない時

2004-12-20 | 日記 Ⅰ

今まで、いろいろと「キレイゴト」や「理想論」めいたことを書くことが多かったですが、生きていれば、「キレイゴト」や「理想論」では済まない局面や相手が出てくることもあるでしょう。

そのような場合のために、自分自身と自分にとって大切な人を護(まも)るための「武器」を、常日頃から携えておく必要もあるかと考えます。

と言っても、決して相手を「ブチのめす」という概念ではなく、あくまで自分と自分の大切な人を護るための、

例えば…、
相手を一撃で仕留める、鋭いナイフのようなコトバとか、
危険を事前に察知する、鋭敏なアンテナのような感受性とか、
理論で相手を屈服させる、有能な弁護士のような知識とか、
危機からいち早く逃れる、俊敏な動物のような逃げ足とか、
相手の暴力を制する、屈強な武道家のような格闘術とか、

そういった、自分の得意とする「武器」を携えておく…。

どんなに自分が「理想的な」人間になったとしても、相手や局面も理想的に動いてくれるとは限りません。
不条理な理由によって自分の「幸せ」をメチャクチャにされてしまってから、「アイツのせいだ!」などと叫んでみても、もう遅い…。

そんな「キレイゴト」では済まない時のための、日頃の処世とは違う「何か」をも、得とくしておくべきではないでしょうか。

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12月17日メルマガ掲載分

2004-12-19 | 戯言 Ⅱ

経験や年齢を重ね、砂山を積み上げる。
そして、あと僅かで完成、という時に、
なぜか決まって、見えざる手により潰される。
どうせ潰すなら、もっと早く、
作り始めた頃に潰してくれればいいのに…。

しかし、その潰された砂山は、
実は、更に大きな山の裾野と化したのであって、
更に大きな砂山を積み上げるための土台となっている。

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「欲求」が増えれば、「苦悩」も増える

2004-12-18 | 日記 Ⅰ

「おカネが欲しい」とか、或いは女性が「オトコが欲しい」とか…。
ひと昔前まで口に出すのがはばかられるような欲求が、今では堂々と言われるようになってきました。
それ自体は決して悪いことではないと思います。
人に迷惑さえかけなければ、何でも自分の望みを手に入れればよいと考えます。

しかし、もしかしたらその分、「苦悩」や「ストレス」も増えてしまうかもしれませんが…。

追い求めるものが高ければ高いほど、現状の自分と理想の自分との間にギャップが生じてきます。
例えば自分の望む生活が、「生活に困らない程度の収入があって、健康であれば…」という程度のものであったとしたならば、現状とそれほど大きな隔たりはないでしょう。
しかし、「おカネ持ちになって、いいオンナをモノにして…」という理想であったとしたならば、現状と理想との間を埋めることは、なかなか容易ではありません。
その「隔たり」から生じるエネルギーを、夢の実現へと推進させる力にうまく変えることができればいいのですが、なかなか埋まらない「隔たり」に、ストレスを感じたり悩んだりしてしまうかもしれない…。

高い理想を持つことは素晴らしいのですが、そういったリスクも背負ってしまう可能性もあるかもしれない、という覚悟は少しだけ持っておいたほうがいいかもしれません。

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「最高」からだけではなく、「サイテー」からも学ぶ、という発想

2004-12-17 | 日記 Ⅰ

自分が何かを為し遂げたいとき、夢をつかみたいとき、成功したいとき…。
既にそれを手に入れている人を見つけ、その人を参考にし、その人を見習うとよいとされています。
「こうなりたい」と思う人の真似をする … とても大事なことと思います。

私は、そのように「最高」の人を見習うのと同時に、「サイテー」の人からも学ぶといいんじゃないかな、と考えます。

身近にいませんか? 「こうはなりたくねぇ~」って人。
そういう人に対してムカついてるだけじゃなくって、あえて、その人と逆のことをやってみる…。

例えば、それが、
目上・目下によって態度をコロコロ変えてるイヤな上司だったら、自分は目上・目下分け隔てなく接するとか。
人の陰口ばかりたたく人だったら、自分は本人の目の前で言えないことを陰では言わないようにするとか。
ぜんぜん気のきかないヤツだったら、自分は人に気配りをしてみるとか…。

仕事ができるようになりたい、と思うのならば、
仕事ができる人のマネをするのと同時に
仕事ができない人と逆のこともしてみる…。

モテたい、と思うのならば、
モテる人のマネをするのと同時に
モテない人と逆のこともしてみる…。

そうすれば、自然と自分は「サイテー」なヤツらとは逆の方向に進むことになるわけですから、より「最高」に近づきやすくなるんじゃないかな、と思います。

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