幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
Googleディレクトリ公認サイトです。

再び、「ウッドペッカー志村小豆沢店」

2016-10-25 | 日記 Ⅰ
全く放置状態の、このブログ。
前回更新して(「更新」というほどの記事ではないが)から2年、定期的に更新していた頃からは8年の歳月が経過した。

先日、久々にブログをのぞいてみたら、驚いた。
10年も前のウッドペッカー志村小豆沢店という記事に2つ、コメントが寄せられていたのだ。
しかも内容が、「私も働いていました」というもの。

記事を書いて10年、このレストランがなくなって30年が経過するというのに…。
しかも、このレストラン。
東京23区の片隅にあり、誰もが訪れたことがあるというような場所にあったわけではない。
営業していた期間も、2~3年というところではなかろうか。

あらためて、インターネットの威力に驚愕する。
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子どもの成長

2014-01-27 | 日記 Ⅰ
10年前というと、愚息が保育園に入った頃か。
当時は何をするにも手がかかり、
「早く一人で何でもできるようになってくれれば」
などと思っていた。
子どもに手がかかる時間が減れば、その分、自分の時間にもゆとりができて…
などと思っていた。

あれから10年。
愚息も中学生になった。

確かにある意味、手はかからなくなった。
大抵の所へは一人で行けるし、食事も用意さえしておけばレンジで温めるなどして自分で食べることができる。

しかし、逆に気苦労は多くなった。
生活リズムの乱れや成績下降に気をもむ毎日。
しかも反抗期ということもあり、言うことなど聞かない。
直接手がかかる時間は減ったものの、神経をすり減らす時間は増えた。

10年前、言葉を発するのが他の子どもに比べ若干遅いことを気にしていたのだが、10年後の今も、発する言葉は少ない。
「ヤダ」
「めんどい」(面倒臭いの意)
「知らね~」
だいたい、この3語だ。

今となって、「ああ、あの頃は可愛くてよかったな」などと思う始末。
実に勝手なものである。

一緒に雪だるまなど作ったこともあった。
これは6年ほど前だろうか。

まあ、大人に向かって、順調に成長しているということではあるのだろうが…。
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今年で10年

2014-01-17 | 日記 Ⅰ
このブログを開設して、もう10年になった。
とは言っても、10年のうち半分くらいは休眠状態だったのだが。
ここ数年は全く更新しておらず、一番最近の記事でも、もう6年も前のもの。
つい最近のことという気もするが、もうそんなに経つのか…。

にも関わらず、どこからいらっしゃるのか、まだ毎日数十人の方が訪れている。
多い時には100人以上も。
大変ありがたいことだ。

ここに書かれているものは、ほぼ10年前の私の心情によって綴られている。
私を取り巻く環境も変わり、そして私自身もずいぶん変わったように思う。
基本的な部分はそう変わっていないと思うが、物の見方や考え方は当時とはかなり変わったのではないだろうか。

ここらあたりで過去の記事を読み返し、今の私だったらそれについてどう考えるのかなどと検証してみるのも面白いかもしれない。
などと言いながら実際はやらないかもしれないし、仮にやったとしても不定期更新にはなるのだろうが。

とりあえず久しぶりに…気まぐれに書いてみた。






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もくじのつづき:1

2010-12-14 | 日記 Ⅰ

「夢が実現するノウハウ」についての考察(6)
「夢が実現するノウハウ」についての考察(5)
「夢が実現するノウハウ」についての考察(4)
「夢が実現するノウハウ」についての考察(3)
「夢が実現するノウハウ」についての考察(2)
「夢が実現するノウハウ」についての考察(1)
「凶器」を携帯する人へ
本当の意味での、武器の携帯
砂の築山(つきやま)
欲求の増大は、苦悩の増大
「サイテーのヤツ」から学べること
それは、「普通」じゃなくて「理想」?
「事実」と「想像」の混同
「想像と事実」「主観と客観」分けて考えてますか
「良し悪し」「好き嫌い」分けて考えてますか
結局、同じレベル?
コトバを発する目的
雄弁に語る勝者と、黙して語らない敗者
積み重ねるもの、掘り進めるもの
私的「向上心」考
大津波から1年
理想の「幸福」
オンリーワンになるには?
マニュアル活用法
理想は、ロールプレイングゲーム?
「この人みたいになりたい」と思える人とは?
藤田社長みたいになりたいか?
堀江社長みたいになりたいか?
その人みたいになりたいか
そういう人だから、そうなった
「他の人から」で、ちょうどいい
成功事例について
不満の語尾
起業は幸せへの道か?
いわゆる「ダイエット」について
容姿は変わる!
どちらが大事?
子供がオカシイのか?
たとえ好きだからといって…
とりあえず、すべてに全力
大志を抱くきっかけ
自分は変わらぬつもりでも
エネルギーの使い道
生まれ持った武器
人を好きになるということ
「子供っぽさ」の残る大人
天国と地獄
不動選手、6年連続賞金女王に
世界は1つにあらず
裕福な人たちのエサ
激変の真っ最中?
本当にオレのほうがツラいのか?
ひょっとして「傀儡」?
どちらの価値観が正しいか
夢の実現について
協調性について
価値観について
「ありがためいわく」歓迎?
「私のこと好き?」と聞かないで?
コイツには何を言ってもムダ
向上心について
登録数にびっくり
ブログ1周年?
そうすることでしか自己主張できないのですか?
幸せになって見返してやろう
家事の負担割合
これも一つのエコロジー?
一番の贅沢
メルマガ創刊、もう少しお待ち下さい。
コイツが原因でした
会社にムカつく時


更に以前の記事は、こちらから

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吉田沙保里選手とのツーショット

2008-09-23 | 日記 Ⅰ
画質がイマイチですが、愚息とのツーショットです。
う~ん…。
ミーハーでしょうか?

写真撮影に気軽に応じて下さった、吉田選手。
ありがとうございました!!
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桜散っても指先ゃ割れる。

2008-04-03 | 日記 Ⅰ
どうにも親指が割れて仕方ない。
以前は真冬だけだったのに、最近ではこの時期になっても割れてしまう。

う~ん…、痛い!
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捕鯨の問題について

2008-03-05 | 日記 Ⅰ
捕鯨を、「国や民族の文化の相違」或いは「食料資源」といった観点で捉えるケースもあるようだ。
これは、その通りと思う。

しかし人間というもの、そうした理論だけでは納得しにくいものではなかろうか。

例えば、「ネコ」を食料とする文化を持つ民族があったとする。

で、その民族が逃げ惑うネコを追いかけ銛(もり)か何かで突き殺している場面、或いは、捕獲したネコの死骸が並んでいる場面といった映像が流れたとする。

たとえそこに冒頭で述べたような論理が存在していたとしても、正視に堪えないという日本人は多くいるのではなかろうか。

それが例えば、未開の地に住むような人々によるものだったとしたならばまだしも、先進国といわれるような国で行われていることだとしたら、日本でも強い反対運動が巻き起こることだろう。

欧米人の目に映る捕鯨活動は、多少大袈裟ではあろうが、もしかしたらこれに近い感覚があるのかもしれない。

異なる文化を持つ人たちの「感情」に対する配慮というものも重要だと考える。

言うまでもなく、だからといって昨今問題となっているような海賊のような行動は論外だが。

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「パートも派遣も厚生年金に」?

2008-02-19 | 日記 Ⅰ
2月18日付「朝日新聞」、『希望社会への提言(17)―パートも派遣も厚生年金に』の社説から。

『年金は税に頼りすぎず、保険方式を基本にしていこう。』
社説は、こう提言している。

最初に言っておくが、私は年金にも税にも詳しくない。
なので、専門的につっこまれてしまうと何も言えないのだが、個人的なイメージとしては、むしろ「税」としてやっていったほうがよいのでは、という印象を持っている。


『パートや派遣で働く人のうち、いまは厚生年金の対象になっていない約1200万人を対象に加えていくことを提案したい。この人たちにも未納や未加入が多いからだ。』

『新たな保険料負担は、とくに中小零細企業にとって重荷となるに違いない。だが、その我慢が従業員のやる気や企業の活力を生むことにもつながる。移行時には企業の負担を和らげるため、法人税の軽減といった支援策を考えたらどうか。』
と、社説にある。

中小零細企業にとって重荷となるのは間違いないだろう。
その場合、法人税軽減等の支援策と、本来厚生年金に加入させるべき雇用者を加入させないことと天秤にかけて、支援策がさほどプラスにならないとしたら、企業はどうするのだろう。
結局、ごまかすことになりはしないか。

それに、これは以前から言っていることだが、厚生年金加入が従業員のやる気につながると決め付けるのはいかがなものだろうか。

私は仕事の関係から、これまでアルバイトの人たちと一緒に働く機会が多かった。
述べにして数千人になるだろうか。

そうした人の中には、年金等加入を喜ばない人もかなりいるという印象を持っている。

特に若い世代の人や借金を抱えている人など、福利厚生で天引きされるくらいなら、手取りが少しでも多いほうがいいと考える人が多くいた。

また、有給休暇取得の権利は声高に主張しながら、年金加入には消極的という人も見受けられた。

こうした問題や非正規雇用者対策といった場合、ステレオタイプ的に「非正規雇用者は、みんな正規雇用や福利厚生の充実を望んでいる」と考えてしまうと、かえって問題解決につながらないように思えてならない。


『人を雇って事業をする以上、たとえ正社員でなくとも、その将来に対して応分の負担をするのは、企業の社会的な責任である。そんな意識を定着させたい。』

これは、その通りだと思う。
厚生年金加入条件を満たしている従業員に対しては、きちんと加入させる義務が企業にはあると思う。
たとえ、従業員が手取り収入の増加を望んで加入を拒んだとしても、だ。


『それでも低年金者や無年金者を完全になくすことはできない。年金を税で賄う方式と比べた最大の弱点だ。それをカバーするため、例えば低年金者には生活保護をもっと受けやすくするような配慮を検討してはどうか。』

安易に生活保護を受けやすくしてしまうというのはどうなのだろう。

例えば今、他の人たちが必死で働いているのを尻目に、マイペースで生きている人たちがいる。
福利厚生の充実や将来の生活を考えることよりも、目先のわずかな収入の多さや気楽な生活に目を奪われてしまう人たちがいる。

そうした人が将来、「年金ももらえないし、生活できない」と言って、他の人たちが必死で働いて収めた税金から生活保護を受けることになるというのはどうなのだろう。
狭量な私など、尚更そう思ってしまう。

もちろん、本人の努力とは無関係に厳しい生活を強いられてしまっている人には、しっかりとした支援が必要であることはいうまでもない。

このあたりの見極めは、現実的にはとても難しいのだろうが。

そういう意味でも、むしろ税にシフトしていったほうがよくはなかろうか。



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クリントン候補の涙

2008-02-12 | 日記 Ⅰ
個人的に、クリントン候補の「涙」が気になる。
2度ほどあったろうか、目に涙をためるシーンが映し出され、投票にも影響したようだ。

その気になれば世界のどこにでも紛争を引き起こすことができ、核兵器のボタンをも握る、米大統領。

涙のシーンは「戦術」だったのかもしれないが、そうでないなら、自らの感情を制御することが苦手な人物が、超大国のリーダーになるかもしれないわけである。

それが例えば、他者の悲惨な現状を目の当たりにして流した涙だとかいうのならまだしも、自分自身のことをその原因とするものだとしたらいかがなものだろう。

人間的な魅力は別として、少々不安に感じる。


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雪だるま その2

2008-02-11 | 日記 Ⅰ
土曜夜に降った雪で、ふたたび雪だるまを作りました。
(画像がちょっと粗いですが)

今度は息子も「完全参加」です。

向かって一番左側の大きい雪だるまは、前回作った残骸です。


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雪だるま

2008-02-05 | 日記 Ⅰ
先日降った雪で、雪だるまを作りました。

ウチで飼ってる白ネコをモデルにした、一応「招き猫」です。
右手(ブラシで代用)を上げていますので、金運を期待しております。


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朝日新聞に、パクられた?

2008-02-04 | 日記 Ⅰ
2008年1月31日付「朝日新聞」
『あらたにす発足―言論の戦いを見てほしい』の社説より。

『もし当時、全国の人たちが「平民新聞」と「万朝報」などの論調を読み比べることができていたら、どんな反応が起きていただろうか。
こんなことを考えたのは、きょう、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞によるインターネット共同事業「あらたにす」が始まったからだ。これは3紙の主な記事や社説を一目で比べることができ、それぞれのニュースサイトにも簡単に接続できるサービスである。』

これは以前から私が、【世界の新聞「101紙」の視点】というメルマガで試みようとしていることである。
そして実際、2年数ヶ月にわたり、このメルマガを配信し続けている。
もちろん、朝日新聞の規模とはケタ違いなのだが。


『これは新聞の側にも大きな緊張感をもたらす。3紙による共同の試みを、日本の新聞がいっそう個性を磨き上げ、競い合う出発点にしたい。』

そういう意味では、私のメルマガが「出発点」だと自負しているのだが、「大朝日様」からご覧になればこのメルマガなど、塵芥(ちりあくた)も同然、無視されたとしても仕方ないだろう。

朝日新聞の発行部数800万部に比べ、弊誌は僅かに6000部。
その差は歴然としている。


『現代の新聞の主張にも、驚くほど違っていることが少なくない。例えば、読売は自ら改憲案をつくって憲法改正の旗を振るが、朝日は現行憲法、特に9条を活用することを基本と考えている。イラク戦争、靖国問題などでも、多くの新聞がさまざまな論を張ってきた。』

『比べて読めば、それぞれの主張が立体的に浮かび上がる。どちらに説得力があるかは読者が判断する。』

私がブログ等で掲載している、メルマガの紹介文。
「1つの事象でも、それに様々な角度から光を当てることによって、より「実体」が浮かびあがってくるものと思います。
各新聞を読み比べることにより、あなたが物事の本質を捕える一助となり得たら、また「何かを考えるきっかけ」となり得たら、と思います。
各紙がどの出来事に注目しているのか、また、それをどのように捉えているのか…。
そのあたりを読み比べてみて下さい。」

2006年4月22日付、メルマガ掲載文より。
「特に価値観の異なる新聞社のものを併せ読むと、さらに全体像が立体的に浮かび上がってくるような印象があります。」

2007年5月11日付、メルマガ掲載文より。
「切り口の異なる各社説に目を通すと、より「立体的に」感じられるように思います。」

2007年11月20日付、メルマガ掲載文より。
「一方の主張だけを読むよりも、双方の意見に目を通したほうが、なんとなくこの件が「立体的」に見えてはこないだろうか。」

2008年1月1日付、メルマガ掲載文より。
「双方の考え方・価値観・言い分などは、読者の方々に紹介しました。あとは、読者の方々がどう考えるかだと思います。」

…以上、私がこれまで発言してきた、或いは、今現在も公表している文言である。

よもや天下の朝日新聞が、私の存在が無にも等しいのをいいことに、文言をパクったなどということはないのだろうが、似てはいないだろうか。

まあ、同じ目的を果たすために辿り着いた表現ということなのだろうから、似通ってしまうのは当然なのかもしれないが。

ちなみにメルマガ創刊にあたっては、「朝日新聞社・知的財産センター」に、メルマガの主旨を含めた問い合わせをし([問No.20052078])、確認・了承を得ている。


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「傍観するのは“共犯”」か?

2008-01-20 | 日記 Ⅰ
1月18日付「東京新聞」社説より。

『凶悪な犯行で犯人が罪に問われるのは当然だ。だが現場に居合わせた人々も見て見ぬふりをしていたら、良心に恥じることはないのか。警察と防犯カメラ頼みでは、犯罪はなくせない。』

『さらに恐ろしいのは、事件が起きている間、同じ車両に乗り合わせた約四十人の他の乗客が、被告を制止はおろか、乗務員への通報もせず、見て見ぬふりをしたことだ。』

『被害者は恐怖で助けを求められなくても、女性の泣く姿など異常に気づきながら他の乗客はなぜ傍観したのか。犯人に立ち向かわなくても、乗務員にこっそり知らせたり、非常ボタンを押したりすることはできる。携帯電話もこんな時こそ役立てるべきだろう。』

全くもって、そのとおりである。
何の反論の余地もない。

しかし、である。
ここで、私の恥ずべき過去を告白させていただく。

24時間営業のセルフサービスのガソリンスタンドで洗車していた時のこと。
時間は早朝4時頃だろうか。
自分は一人。
スタンドの反対側の隅では、大型車が何台か給油していたと思う。
かなり広いスタンドである。

洗車をし終え車を拭いていると、ものすごい勢いで1台の車がスタンド内に進入してきた。
直後、この車から2人組の男が降りてきて、慣れた様子で両替機をこじあけ始めたのだ。

一瞬、わけがわからなかった。
全く想定外の出来事が突然目の前で起こると、瞬間的に思考回路が停止するようだ。

そうしているうちに、次の両替機をこじあけだした。

そしてここでやっと、これが強盗だということを認識した。

賢明な読者の方々なら、「すぐに従業員に知らせなければ」などと、いくつか選択肢が考えだされることだろう。

しかしなぜかその時、私にはそれが思い浮かばなかった。
「自分が何をすればよいのか」ということしか思い浮かばなかった。

「携帯で警察に知らせよう…しかし、何て言えば…そうしていることがヤツらに見つかって襲いかかってきたら…、自分の車のナンバーも見られてしまうかも…この場はなんとかなっても、後日報復されやしないか…。それも、家族が狙われたら…。ここからヤツらまでの距離は数十メートル…。向こうのナンバーは確認できない。通報したとして、何と言えばいいのだろう…。犯人の特徴は…、白っぽい服をきた男と、グレーの服を着た男…、頭にはニット帽…、2人組…、年は20代?いや、30代か? そもそも通報したところで、警察が来る前にヤツらは立ち去ってしまうだろう…。オレが止めに行くか…? ヤツらの手には、バールのようなもの…。凶器も持っているかも…。勝てるか…?いや、そこまでする義務はないか…? いっそのこと車を運転してヤツらにつっこむか…?…」

全く恥ずかしい話だが、こんなことが頭の中をグルグル駆け巡った。
そして、そうしているうちに犯人は事を済ませ、立ち去ってしまった。

これが、突然自分が襲いかかられたとか、家族が襲われたとかいうことであるなら、どのような結果に終わるかはわからないが、必死になって何とかしようとしただろう。

しかし、進んで関わりさえしなければ、自分には全く影響が及ばないことなのである。

臆病、或いは卑怯だと言われるだろうが、真っ先に思いついたのは、「まず、自分や家族の身が安全であること。そしてその上で、この件に自分がどう対処すれば…」ということだった。

私にはほんの僅かだが、多少の心得がある。
普通の方より日頃から、「もし、この状況でこんな事態が発生したら」などということについて、考えているという自負もある。

にもかかわらず、この体たらくである。
読者の方々の失笑が、目に浮かぶようだ。

今後、もしこのような場面に遭遇したならば、迷わずスタンドの従業員に知らせるだろう。

しかしそれは、こうしたことを経験したからこそ、そして、事後の冷静な頭脳でもって初めて言えることだ。

閑話休題。
特急内での暴行について。

私が乗客だったなら。
恥を承知で言わせてもらえば、傍観していたかもしれない。
進んでこの事態を食い止めようとしたであろう自信はない。

きっと、スタンドの時と同じように、頭の中を無意味な思考がグルグルと駆け巡ってしまうことだろう。

もちろん、今なら言える。
携帯電話で通報するか、乗務員に知らせるか、或いは非常ボタンを押すか。
更には、不意をついて、犯人を後ろから凶器で殴打するということもするかもしれない。

それでも、現実的に考えれば、
「どこに携帯電話で通報するのか? むろん、鉄道関係者への連絡先などわからない。警察か? しかし連絡したところで女性を救うことはできないだろう。非常ボタン? どこにあるんだ? 第一、電話をしたり、乗務員に知らせたり、非常ボタンを押しに行ったりしているところを暴行犯に見つかったら…」
などと、頭が混乱するかもしれないが。

更には、「約40人の乗客」ということも、結果的にそうだったということではないだろうか。
実際に暴行犯を目の当たりにした乗客には、他にそれだけの人がいたなどということは解らなかったことだろう。

私が遭遇した、スタンドの事件にしてもそうだ。
あのスタンドにはあの時、私以外にも何人かの客がいたはずだ。
しかし私には、自分以外の人がそこにいるという認識はできなかった。

私が何らかのアクションを起こしたとして、他の客もそれに同調してくれるなどという保証はどこにもない。
というよりも、そもそもどのくらいの客がそこにいるのかということさえ認識できていないのだ。

また、それもこれも、こうした事例を知ったからこそ、客観視できるからこそ、言えることだと思う。
私が今になって、或いは冷静な状況で、「スタンドの従業員に知らせれば」と言うようのと同じように。

事件当日、列車内には約40人の乗客がいたそうだが、その乗客は全て、私のような臆病かつ卑怯な人間だったのだろうか。

私は、そうは思わない。
40余人の乗客は、私たちみんなを体現した姿…私たちみんなのサンプルであるような気がしてならない。

『英国には、犯罪の被害者や目撃者が叫び声を上げると、居合わせた市民が犯人の制圧などに協力する「ヒュー・アンド・クライ」という伝統がある。わが国でも、暴力団追放など住民が協力した例はある。』
と、社説にある。

しかしそれは、緊急時に突発的にそう判断し、そうなったということではないだろう。
様々な不幸な経験や事件を積み重ね、その結果出来た伝統であり、また事例なのだと思う。

社説というもの、模範的な回答を載せなければならないものだということは充分解っているつもりだ。

しかし世の中全ての人が、社説を書く方のような立派な人間ばかりではない。

「何でこうしなかったんだ!?」と、結果のみから意見するような姿勢は、あまり好きになれない。

ちなみにこうした場合、どうしたらよいのだろう。
スタンドの件にしても、列車内の事件にしても、誰かに知らせるという過程において、自分に被害が及んでしまうのではないかという危惧があるものと思う。

個人的には、防犯ブザーのようなものが効果的だと考えるが、いかがだろうか。

そうしたものを携帯している人が、こっそりブザーを鳴らす。
すぐには、どこで誰が鳴らしているのか、判断がつかないだろう。

当然そのあたりに、周囲の注目が集まる。
そうした中で犯人が、わざわざその所在を確かめにまわるだろうか。

危険を冒して誰かに知らせにゆくよりも、よいのではないかと考える。


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大型スクーターに乗るヤツは、カッコ悪い

2007-10-31 | 日記 Ⅰ
大型スクーター。
相変わらず流行っているようですね。

しかし、これに乗っている人で、マナーのいい人というのをあまり見かけることがないような気がします。

こうしたスクーターに、止むに止まれず乗っている人というのは、あまりいないものと思います。
自分の趣味嗜好により、自分で進んで選び乗っているという人が大半なのでしょう。

にも関わらず、周囲に対して「ジャマだな、どけよ」というような運転をしている人が多いように思えてなりません。
実に「カッコ悪い」です。

今日も、小型スクーター用の駐輪場にムリに停めようとして、他のスクーターを突き飛ばしているドライバーを見かけました。

「自分の趣味でこんな大きいのに乗ってごめんなさいね。ちょっと通してね」くらいの心情でいてもいいんじゃないかなどと思ってしまいます。

我を押し通すために、不快な思いをさせられたらたまりません。

メーカーも「儲かってよかったね」だけではなく、もっとマナーの向上を訴えるなどしてもいいのではないでしょうか。


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日本の巡視艇が衝突して「尖閣航海」は終わる

2007-10-29 | 日記 Ⅰ
右の写真をクリックすると、拡大します。


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