幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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18歳未満、大歓迎

2005-03-31 | 日記 Ⅰ

いわゆる「AV(という呼称は古いのでしょうか)」、男女交合の様子を詳細に撮影した映像のことについてです。

その方面の欲求を満たそうとすることよりも面倒くささが先に立ってしまうような年代の男性には「一服の回春剤」ともなるかと思いますが、生身の女性を知らない男に与えてしまうのはいかがなものか、と考えます。

映像の場合は「視聴者がいかに興奮するか」をその意識の対象としておりますが、「実戦」において意識すべきは、「実際に対している相手がどうなのか」ということになるかと思います。

そのため、映像に登場する男優よろしく技巧を駆使し、女性を乱れさせることを良しとする「カン違い男」も増えてしまうのではないでしょうか。
しかも、日頃「ジコチュー」ぎみの女性でも、なぜかそういう時になると「サービス精神」を発揮して「過剰な演技」をしてくれるもの…。
そのため尚更軌道の修正がきかず、「知らぬは己ばかりなり」ということになってしまうのではないでしょうか。
(このあたり、自嘲も含め…)

また「女性との接触」はもちろんそれが全てではなく、そのような行為は当然のことながら、多種多様にわたるコミュニケーションの、ほんの一部分に過ぎないものです。
しかし、自我が確立する前にこの手の刺激を受け過ぎると、「そのためのみの対象」という価値観が過剰に形成されてしまう危険性があるように思います。

かといって、若い男に「オンナのハダカを見るな」といっても、それはムリというもの…。
始めから終わりまで、そして「細部」に及ぶまでを詳細に表現した映像ではなく、アブノーマルでない、自分の想像力を充分に掻き立てられるような、そんな対象を相手として「孤軍奮闘」してもらいたいものです。


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新・無頼派共和国

2005-03-30 | 日記 Ⅰ

サントリーさんのサイト「ひびき場」というところが、31日朝で終了となります。
ここの「新・無頼派共和国」という所に書き込みを始めたのが、思えば私の「ネットデビュー」ということになるかと思います。
そして、このブログ立ち上げへと続いたわけです。

「ひびき場」時代から、時々私はエラそうな、まるで達観したかのようなことを書くことがありました。

しかし、実際の私は発展途上の不完全。
そして結構、感情的であったりもします。

そんな私が書いている内容については、中には経験則に基づくノウハウめいたものもありますが、「できればこうありたい」というような願望も多くあります。
或いは、「私はこう思うが、皆さんはどうですか」というようなものも…。

私のコトバから何かを感じてくれたとしたら、もちろんとても嬉しく思いますし、また、何かを考えるキッカケにしてくれたとしても幸いです。

「alice」さんのように、「ひびき場」からこちらに来て下さった方って、どのくらいいらっしゃるのでしょうか。
今後は「ひびき場」の代わりに、このブログや掲示板でご発言いただけると嬉しく思います。

私の拙い考えに皆さんのコメントを加えることによって、より「本質」に近づくことができるのではないか、などとも思いますし…。


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私の夢

2005-03-29 | 日記 Ⅰ

私がこのブログを書いている目的、望む所は何なのだろうか、と考えてみます。

個々の人たちに合った、その人らしい「幸せ」を掴んでもらうこと…
そして、そのためにはどうしたらよいのか、世の中の人たちに「何か」を考えてもらうこと…

しかし「キレイゴト」ではない、もっとドロドロとしたような本当のホンネの部分では、やはり「有名になりたい」ということがあるのだと思います。

「桐鳳柳雨」という名前を世に認知させたい…
「何か」を書くことによって、収入と名声を得たい…
それも、偽らざる本心だと思います。

もちろん、「多少なりとも世の中にとって有益な存在であること」という大前提はありますが…。

だからといって、「作家」「詩人」「エッセイスト」「コラムニスト」…といった、「既製の肩書き」にはあまり囚われたくない…。
とりあえずは「戯言家(ぎげんか)」と名乗っておりますが、本来こうした「肩書き」もあまり必要としたくない…。

さしあたっては、「戯言集」のようなものを世に出せたらいいかな、という「夢」はあります。
また、「戯言(ぎげん)」と同じような読後感を持つことができる、いわゆる「小説」めいたものも書いてみたいという欲もあります。

ただし、高い収入と名声を手に入れるために、頻繁にTVに露出したり、ハードなスケジュールに追われたり…という状態は望みません。
(全くの無名である現在、こんなことを言うのはナマイキかもしれませんが)

ある程度名前が知られ、ほんの僅かだけ肖像も知られ、私の書いたものや存在そのものが、「何処かの誰か」に有益な作用をもたらす…。
そして、「高額納税者」である必要は全くないが、将来にわたって、収入面と健康面で不安を抱くこともない…。

ゼイタクではありますが、そんな生活を送ることが私の夢であり、目標でしょうか。


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お金は大事だよ~?

2005-03-28 | 日記 Ⅰ

日々の私の記事をご覧いただいている方の中には、或いは、私は「カネモウケ=悪」みたいな価値観の持ち主ではないだろうか、などと思ってらっしゃる方もいるかもしれません。

私自身、お金はものすごく欲しいです。
何もしないでカネが入ってくるような状態ならば、なおのこと。

しかし、カネモウケが優先順位の一位にはならない、ということです。
そして特にこれからの世の中、カネモウケに対する概念をしっかりしておかないと、自分自身がいつ「カモ」にされるか分からない、ということです。

例えば、よくある「これであなたも成功します」みたいな情報商材。
それを活用した全ての人が「成功者(この定義も曖昧ですが)」になれるはずなどない…。

確かに、「自分は絶対成功する!との強い信念がなくば成功しない」という概念があることは知っています。
しかし、あたかも「みんな成功できる」というような謳(うた)い文句で、客を引き寄せている…。
この辺に、この商材を売り込む人の「無責任さ」を感じてしまいます。

「ちゃんと、このノウハウを実行していないからだ。」
「途中であきらめることがよくない。」
などの「回答」は用意されているのでしょうが…。

私個人の考え方としては、このようなノウハウは「成功者になれるかもしれない一つの手段」にしか過ぎないと思っています。
「私があなたに与えることができるのはチャンスのみです。これによって成功するもしないも、あなた次第です。」
そういう人がいたなら信用するかもしれません。
そして、その後で、「成功するとの強い信念を…」と言えばよい…。

しかし、そんな売り込み方では、売上は激減するのでしょうね。
やはり、「これであなたも必ず成功できる」ということをお客に信じ込ませる「技術」が必要なのでしょう。
そして、そのような「技術」こそ、「成功するための本当のノウハウ」なのかもしれません。


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3月25日メルマガ掲載分

2005-03-27 | 戯言 Ⅱ

本当の「サヨナラ」は、
「仰々しいセレモニーによる別れ」
ではなく、むしろ、
「すぐそこの街角曲がって、それっきり」
というようなものかもしれない。


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需要と供給?

2005-03-26 | 戯言 Ⅰ

「オレって、スゲーだろ~!?
 レベルの低いキサマらが
 どうやったらオレ様みたいになれるのか
 知りたくねぇか?
 1万円よこしな!
 そしたら、教えてやるぜ。」
自分自身の口から、
こういうことが言えてしまうという感覚…

そして、
そういう人たちに憧れを抱くという感性…


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フロイト「精神分析学入門」

2005-03-25 | 価値観の基(もと)
精神分析学入門〈1〉

中央公論新社

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(本当は、新潮文庫の「精神分析入門(上)(下)」をご紹介したかったのですが、「画像」が出ませんでしたので…。)

例えば、登校前にお腹が痛くなるという子供がいるとします。
周囲から見ると、「学校に行きたくないから痛くなる」というように見えてしまう…。
しかし、本人には、「学校に行きたくない」という気持ちなど全くない。
けれども、不思議と登校時になると決まって腹痛がおこる…。

この現象の1つの解釈として、自己流に「精神分析」してみると、以下のようになります。
(専門家の方からは異論があるかもしれませんが)

--------------------------------------------------------------------------
「学校に行きたくない」…そんな感情が、まず最初に生じる。
しかし、発生したその感情を「顕在化」させるためには、自分の心の中にいる「顕在意識の門番」の許可を得て、潜在意識から顕在意識に移動しなければならない…。

「門番」は、「そんな考えを持つのはいけないことだ」「そんなことを言ったら親や先生から怒られるかもしれないし、友達に対しても恥ずかしいだろう」などという理由から、そのような感情が顕在意識に移動することを認めてくれない。
そのために、「学校に行きたくない」という感情はしっかりと心の奥底にありながら、自分自身ではそれを全く認知していない、という現象が起こる。

そこで「学校に行きたくないという欲求」は、それを実現させるため「門番」に、「でも、もし体調が悪かったら学校へは行けないよね?」との「妥協案」を提示する…。
すると「門番」は、「そりゃあ、仕方ないだろう」と答える。
その結果、「門番」の許可を得て「欲求」を果たすべく、体調が悪くなってくる…。
--------------------------------------------------------------------------

日頃、「自分がこういう考えに基づき、このように行動している」と思っていることが、実は、「感情が提示した妥協案による行動に過ぎない」ということも、少なからずあるのかもしれません。

例えば、「どうせ短い人生なんだから、楽しまないと損!」と言う人。
「短い人生」という考えがまずあって、だから「楽しむ・ラクをする」という結論に至っているかのように見えますが、実際には、「ラクをしたい」という欲求が先にあって、それを果たすべく「門番」に、「人生は短いんだから」という「妥協案」を提示しているように思えるのですが…。
(こう言う人全てがそうだとは言いませんが)

自分で自分の潜在意識を全て認識できるとは思いませんが、こんな概念の有る無しだけでも、今までとは違った「自分」が見えてくるかもしれません。
(フロイトの学説を妄信することの是非については、また別の話となりますが…)


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「美人」は冷たく、「不美人」は温かいのか?

2005-03-24 | 日記 Ⅰ

今回の記事も、女性の方々にとっては失礼な話題でしょうか。
不快にお感じになったとしたら、ごめんなさい。

性格について、よく表題のように言われることってないでしょうか。
個人的には、一概にそうとも言えないように思うのですが…。

必ずしも「不美人」に限らないのですが、時々見受けられるのが、コンプレックスを抱いていることがありありと窺(うかが)える方…。
こうした方に対しては、失礼のないよう、傷つかないよう、とても神経を使います。

逆に、これも必ずしも「美人」に限らないのですが、自分自身にある程度「自信」を持っている方…。
こういう方に対しては、多少こちらに落ち度があってもそのことに固執しなさそうで、意外と「気楽」に接することができるように思います。

特に私のように、そちらの方面についてのセンスに欠ける男にとっては、ちょっと失礼な言動をしてしまった場合でも、余裕を持って受け止めることができるような女性だと、とても「居心地のよい」感じがします。

意外と、一見冷たそうな「男慣れ」した美人のほうが、一緒に居て「温かみ」を感じる場合もあるように思います。

それともやはり、こういうことは「一般論」としては語れないのかな…?


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女性の3タイプ

2005-03-23 | 日記 Ⅰ

おおむね女性は、「可愛い子ちゃんタイプ」「愛人タイプ」「お母さんタイプ」の3つに分類できると聞いたことがあります。
つまり大まかに言って、女性の「異性としての魅力」には3通りあり、個々の人々がそのどれかに当てはまるということでしょうか。

確かに例えば、
「可愛い子ちゃんタイプ」が「愛人タイプ」を気取ってもシラけるだけ、
「愛人タイプ」が「可愛い子ちゃんタイプ」を演じてみてもただのブリっこ、
「お母さんタイプ」が「愛人タイプ」や「可愛い子ちゃんタイプ」を装っても腹が立つだけ(失礼!)、
という気もします。

やはり自分が持って生まれた、または環境によって培われた素養をきちんと自覚し、それを素直に表現することが「異性としての魅力」として映るということなのでしょうか。
(それは「女に限らず男も」だと思いますが)

もちろん、自分がどのタイプの魅力を追及するかは自由だと思います。
ただしその場合は、単に外見や振る舞いを変えるだけではなく、自分の人格を根底から変化させるほどの多大な努力、または時間を必要とするのかもしれませんね。


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「こんなに頑張ってるのに…」と思うとき

2005-03-22 | 日記 Ⅰ

自分なりにではあるけれど、こんなに頑張っているのに…。
結果だって、多少なりとも出しているはずなのに…。
誰一人として、それを認めてくれない…。

何が欲しいとか言うわけじゃなくて、
みんなが全員とか言うわけでもなくて、
ただ、誰か一人だけでも、
ただ、一言だけでも、
「ご苦労さま」「大変だったね」「おかげで助かったよ」「ありがとう」…
そんな言葉をかけてほしい…。

そんなときって、ありませんか?

でも決して、「自分がいなかったら、どうなるのか思い知らせてやる」なんて、思わないで下さいね。

もし、「努力の方向」が間違っていないのなら、きっといつか「良いこと」が、自分が思いもしない所から、思いもしない形で、返ってくることでしょう。
少なくとも、私はそう信じたい…。

そして、「正しい方向に」頑張っているあなたに、きっと将来良いことがいっぱい待っていることも、私は信じています。

ただし、「努力の方向」にだけは、気を付けて…。


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「アイツがいい思いをするんじゃ仕方ない」と思われる人になるという考え方

2005-03-21 | 日記 Ⅰ

あなたの周りにいませんか?
「アイツだけにはいい思いをさせたくない」
「あんなヤツがいい思いをするなんて許せない」
とかいう人…。

こういう人に対しては、進んでその人の足を引っ張ってやろうとまでは思わなくとも、少なくともその人が「いい思いをすること」を望んだりはしないかと思います。

しかし逆に、
「この人がいい思いをするのは当たり前かな」
「この人がいい思いをするんじゃ仕方ない」
と思うような人…。

こういう人にたいしては、進んでその人に協力してあげようとまではおもわなくとも、少なくともその人が「いい思いをしないよう」に望んだりはしないかと思います。

この差って、結構大きいように思うのですが…。


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混凝土(コンクリート)の川

2005-03-19 | 戯言 Ⅰ

僕が生まれて最初に住んだ
三人暮らしの借間(しゃくま)の前に
川が一本ありました。
家と道との間を通る
広くて深いその川は
混凝土(コンクリート)の川でした。
橋の上から眺めて見ると
居るはずのない蟹々(かにがに)が
居るよに見えたものでした。

僕が生まれてその次住んだ
四人暮らしの借家の前に
川が一本ありました。
最初のそれよりちょっぴり狭い
深さのよく似たその川も
混凝土の川でした。
橋の欄干裸になって
渡ると菓子が貰えると
嘘を信じたものでした。

(月日は流れ…)

最初の川に来てみると
そこは歩道になりました。
広いと思ったその幅も
一跨(ひとまた)ぎほどのものでした。
親子で住んだアパートも
とても小さいものでした。

次の川に来てみると
高速道路がありました。
青信号にならないと
渡れないよな幅でした。
親子で住んだその家も
側(そば)の空き地も消えました…。


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太田裕美「ベスト・コレクション」

2005-03-18 | 価値観の基(もと)
ベスト・コレクション
太田裕美
ソニーミュージックエンタテインメント

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小・中学生時分、私は当時みんなが聴いていた「ピンク・レディ」などの日本のアイドル歌手には目もくれず、「日本の若い歌手は実力がないよ。くだらねぇよなぁ。」などと吐(ぬ)かす、ヒネクレたガキでした。

聴くのは専(もっぱ)らビートルズやビリー・ジョエルを中心とした洋楽で、日本の歌手では、グレープとかかぐや姫とか、フォーク系の一部の歌手くらいでした。

そんな私が当時、実は密かに好きだったのが、この太田裕美さんでした。
(広義では彼女もフォーク系に入るのだろうか?)
なんといっても、とてもかわいい!
(年上の人をつかまえて「かわいい」もないものですが…)
そして、もちろん歌も素晴らしい…。

しかし、家族も含めた周りの人たちにヒネクレたことを言っている手前、「太田裕美が好きだ」などとは、もちろん言えない…。
彼女がTVに出ていても全く関心ないような素振りを見せつつ、横目で必死に彼女の姿を追っていたものでした。

当時、誰にも見つからないように隠し持っていた彼女の「LPレコード」は、「太田裕美 THE BEST」という1枚だけでしたが、アマゾンをちょっと検索した限りでは見当たらないようです。
が、冒頭のアルバムには私の好きな「南風」という曲が入っているので、こちらのほうがいいかな、などと思います。(この曲は当時、CMで使われていましたね)

私が高校生の時でしたか。
彼女が結婚したと聞き勝手にショックを受け、それ以来進んで彼女の曲を聴くことはなくなりましたが、今でも色褪せることのない、とても素敵な曲の数々だと思います。


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「トラックバック」は難しい?

2005-03-17 | 日記 Ⅰ

木村剛さんから、トラックバックをいただきました。
[ゴーログ]プロ選手とアマ選手の違いとは何か?
私自身、諸事情によりやや「ネガティブ状態」というタイミングだったこともあり、本当に嬉しく思いました。
ありがとうございました!

「トラックバック」というのは難しいものだと、この頃特に思っております。
「ご覧になった方が好意的にとらえてくれる」または「それをキッカケとして何かを考えてくれる」というのであるならこの上ない喜びとなりますが、「批判を受ける」または「迷惑に思われる」ということになってしまうと、ヘコんでしまう結果ともなりかねません。

特に、先方の記事とは無関係の内容をTBした場合、それを許容していただける方もあれば、不快に思われる方もいらっしゃるようです。
やはり、ブログはその運営者ご自身のもの。
その方にご迷惑をおかけする結果となってしまってはいけないことと思います。

ブログ人口も増大している中、「悪意を持つブロガー」や私のような「無知なブロガー」も、その分、増えてきていることと思います。
そのような現状において、個々のブログ運営者のほうにも、TBに対する何らかの策を講じる必要が生じてきているのではないかと感じます。

TBを許可しているブログであるとするならば、読者が増えるに伴い、ある程度「スパム」的なTBを受ける覚悟も必要かもしれません。
「記事に無関係なTBを受けたくない」という方は、ブログトップページや表題部に「記事に無関係なTBはご遠慮下さい」という旨の文言を入れることによって、少なくとも、私のような「悪意のない無知なブロガー」の無関係なTBは防げるかもしれません。

また望まないTBについては、根気よく削除することにより、相手に「広告効果」がないということを悟らせる、というのも一つの方法かもしれません。

そして、無関係なTBを送ってくる相手に対しても、いきなりコメント等による「オープンな反撃」をしてしまうと、「無知」が「悪意」に転じてしまう危険性もあるかもしれません。
警告する場合、相手のメアドが分かるようなら、最初は「コメント」ではなく「メールによる丁寧な文章」で行ってみてはどうかと考えます。

ところで、無関係に送られてきたTBについて、運営者以外の読者が不快に感じたとしても、もしかしたら当のブログ運営者ご自身は、「嬉しい」とか「何とも感じない」とかいった心境にあるかもしれません。

その場合に、読者の方が送付元にクレームをつけるということがもしあったとするならば、それは如何なものだろうか、と思います。
やはり、「あなたのTBに迷惑している」という意思表示は、運営者ご自身が行うべきものではないかと考えます。

(「堀江社長」や「眞鍋かおりさん」クラスになってしまうと、「all or nothing」しか手段がなくなってしまうかもしれませんが…)

因みに私自身は、「誹謗中傷」「公序良俗に反するもの」等以外のTBならば、例え記事に無関係だとしても、少なくとも「今のところは」歓迎しております。


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「1つの名言」より「複数の戯言(ぎげん)」?

2005-03-16 | 日記 Ⅰ

古今東西を問わず、様々な「名言・格言・箴言・金言」といわれるものがあります。
それらは、確かに我々にたくさんの恩恵を与えてくれますが、それを見る人全てに対して「効力」があるかと言うと、必ずしも「ある」とはいえないかと思います。

個々の人々それぞれに、価値観も違えば置かれている環境も違うわけですから、当然といえば当然かもしれません。

むしろ、いわゆる「ごく普通」の、
「自分より少しだけ先を歩いている、似た環境にいる似た価値観の人」や、
「忘れかけていた何かを思い起こさせるような、自分の歩いてきた道の原点に立つ人」の、
発するコトバの中に、「悩みの解決」や「幸せに至る道」を発見することも多いかもしれません。

そんな、1つ1つは決して「格言」といえるほどではないかもしれないコトバを複数集めることによって、その中の1つに、或いは幾つか組み合わせた中に、「誰かが求める何か」が表れてくるかもしれない…。

そんなことを考えています。


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