幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
Googleディレクトリ公認サイトです。

メルマガからリンクできなくなりました…

2005-02-28 | 日記 Ⅰ

メルマガ「忙しいあなたの代わりに新聞読みます」から、当ブログをお知りになった方も多いことと思います。
いつもご覧いただき、本当にありがとうございます。

毎週金曜日、同メルマガコラム欄に「戯言(ぎげん)」を掲載しているのですが、スペースに限りがあること、そして、やはり「人様の土俵の上」ということもあって、伝えたいこと全てが伝えられないという気持ちが次第に強くなってきました。
そんなこともあり、当ブログを立ち上げ、リンクするようにしたのです。
(おかげさまで見て下さる方々も、順調に増えております)

その際、メルマガ主宰者の方にはその旨事前に打診してから始めたのですが、ここにきてリンクできないこととなってしまいました。

「広告性が高い」という理由ではないかと勝手に推測していますが、確かに客観的に見れば、そうとられても仕方ないかとも思います。
私のコラム欄の内容も含め、主宰者の方々にはいろいろご心労を与えてしまっているのかもしれません。

「あなたが毎日見てくれている」ということを励みに、毎日更新しています。
今後、リンクはできませんが、これまで同様に当ブログをご覧いただけたら、とても嬉しく思います。


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2月25日メルマガ掲載分

2005-02-27 | 戯言 Ⅱ
 
「革命を起こす」とホザくヤツほど、
自分は変わらず周りを変えようとする。

モチベーションの源(みなもと)?
アンタみてぇになりたくねぇってことだよ。

どんなにその志が崇高・立派だったとしても、
自分で責任がとれることでなくては意味がない。

返事がないのも立派な返事

縁があんなら何かあんだろ

貧乏自慢は親不孝

「天才」とは、凡人の逃げ口上

結婚相手となる人は、
なぜか生涯で3番目に好きな人。


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JAPANESE “SAMURAI“ SWORD

2005-02-26 | 戯言 Ⅰ

人を斬るためにこの世に生まれながら、
しかし、恐らく二度と人を斬ることはなく、
また、抜き身を巷間(こうかん)に晒(さら)すこともなく、
それでもなお、人を斬るための技を、
そして、刀身そのものを磨き続ける。

何のために?

人を斬ることもないのならば、
また人目に晒されることもないのならば、
技を修める必要もなく、
刀身を研磨することもなく、
柄(つか)や、鍔(つば)や、鞘(さや)の美しさのみを
誇っておればよいというのに…。

何の装飾もない白鞘に収められた刀。
身幅(みはば)広く、鎬(しのぎ)高く、帽子(ぼうし)よく延び、地沸(ぢにえ)のついた鍛えに湾(のた)れ調の沸出来(にえでき)の乱れ刃となり、砂流(すななが)しがかかり、金筋稲妻(きんすじいなづま)の入りたるものに、飛焼(とびやき)が加わりし、美しき刀。

虚飾に満ち満ちた現代に残る
SAMURAI SWORDのように…。


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ヒルティ「眠られぬ夜のために」

2005-02-25 | 価値観の基(もと)
眠られぬ夜のために〈第1部〉

岩波書店

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この本には「第一部」と「第ニ部」の2冊があります。

各々、「一月一日」から「十ニ月三十一日」までのセンテンスに区切られ、
例えば…、
「第一部」
四月二十一日
ひとは他人からなにも得ようと思わないなら、全く違った目で彼らを見ることができ、およそそのような場合にのみ、人間を正しく判断することができる。
「第二部」
八月十一日
人びとを愛することができなければ、彼らを恐れざるをえない。人びとにたいしては無関心でいることはできないし、彼らから全く離れるわけにもいかないからである。
八月十四日
あまりに多すぎる休息は、少なすぎるのと同じように、ひとを疲れさせるものである。
…といった具合…。

つまり、毎日就寝前に少しずつ読む、という体裁となっているのです。
上記の文はその中でも短いほうですが、長いものでも1ページ分くらいといったところでしょうか。

聖書がその土台となっていますので、私もそうですが門外漢には少し難しく感じる箇所があったり、また、肯定しかねる部分もあるかもしれません。
(特に、私の価値観とはちょっと違うかな、という箇所はかなりあります)

しかし、(眠れない日に限らず)毎晩、こうした文章に数行触れてから眠りに入る、ということはいいことかもしれません。

もしかしたらこれによって、あれこれと思索してしまい、かえって眠れなくなってしまうでしょうか。
或いは、難しい内容の日など、すぐに眠くなってしまうでしょうか。

参考までに、「幸せとは?」という問いに対するヒルティの言葉は以下のとおりです。
「夜、ベッドに就くとき、朝、起きるのが楽しみな人」
(この言葉は、この本には載っていなかったと思いますが…)


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*追伸
「自分のコトバを、世の中に解き放ちたい!」と思っている方って、どのくらいいらっしゃるのでしょうか?
そんな方のための「企画」を考えております。
固まり次第、近日お伝えしたく思いますので、しばらくご注目下さい。
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「自分よりも辛い人がいる」という発想

2005-02-24 | 日記 Ⅰ

私の毎日の睡眠時間は、だいたい4時間半くらいです。
それしか寝てないの? と思いますか?
それだけ寝てられてるの? と思いますか?

1つだけ確実に言えるのは、「もっと寝ている人もいるし、寝てない人もいる」ということでしょう。

「俺、今日、4時間しか寝てねぇよ~」と言っているその相手、またはそれを聞いている周囲の人の中には、もしかしたらもっと寝てない人がいるかもしれません。

以前にも書きましたが、
「自分のことは考えなくても自然に感じるが、他者のことは考えなくては解らない」
ものだと思います。
そのため、つい、自分の辛さをとても強く感じてしまい、自然に感じ取ることはできない他の人の状況よりも大変なものとして認識してしまうのかもしれません。

そして、それによって自分自身が周囲にカッコ悪く映ってしまったり、或いは他の人がもっといろいろなことをしているということに気付かなかったり…。

「自分より辛い人は確実にいる。そしてそれは自分のすぐそばにいるかもしれない。」
このくらいに思っていてちょうどいいのかもしれません。


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「手間のかからない人になりたい」という考え方に端を発する、「幸せ」についての雑感

2005-02-23 | 日記 Ⅰ

あなたの周りに「手間のかかる人」って、いませんか?
言動が悪いということではないんだけれど、なぜかトラブルの元となったり、面倒な事柄を持ち込んできたり、或いは他の人だったら1回で済むことが、その人には何度も必要であったり…。

個人的には、他者から見て「手間のかからない人」になりたいと思っています。

「手間のかからない人」というのを言い換えてみると、
「知識・収入・健康・人間関係・各種トラブル」その他諸々について、「自立している・自己防衛できる・他者に迷惑を及ぼさない」ということでしょうか。

しかし、今度はそうなることによって、「自立できない人たち」がその人を頼って集まってくることになるかもしれません。
そして、よけいな負担を増加させるそうした状態は、「幸せな状態」とはいえないのでしょうか?

集まってきた連中を、自分に都合がいいように「取り扱う」っていうのも好きではないし…。

やっぱり、人に頼って、或いは組織に頼ってヘバりついている…。
そうした状態のほうがラクであり、そして「幸せ」なのでしょうか。

それでも私は、「手間のかからない人」になりたいですね。
何ででしょうかね?

それは、「ラク」だとか「幸せ」だとかとは違う「カッコよさ」という範疇のことなんでしょうか。
しかし漠然とではありますが、「手間のかからない人」になったほうが「幸せ」に近いような気もするのですが…。

結局「幸せ」っていうものは、「極めて主観に基づくもの」なのでしょうか。
肉体的にはラクでも、他の人に手間をかけさせてしまっているような状態はイヤだ、というような…。
そして、他の人から「ダメなヤツ」と思われるのがイヤだ、というような…。

それならば、他の人に手間をかけてしまっている状態でも、それを苦痛と感じないのなら、そのほうが「幸せ」ってことなんでしょうか?

私個人としては以前「戯言(ぎげん)」で表現したとおり、
「主観的な幸せと客観的な幸せの両方を満たして初めて本当の幸せ」
だと思うのですが…。

…って、それが既に「主観」か…?


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苦労をすれば、人に優しくなれるのか

2005-02-22 | 日記 Ⅰ

「苦労したほうが人に優しくなれる」とか、
「そういう経験をしていないから人の痛みが分からない」とか、言われることがあります。

果たして、本当にそうでしょうか。

苦労してきたがために、かえって心がヒネクレたりする人もあれば、何の不自由もなく生活してきたがために、純粋無垢な心を持ったまま、全ての対象に優しく接することができる人もいるように感じます。

要するに、「経歴がどうなのか」ということよりも、「その人自身がどうなのか」ということではないでしょうか。
同じような経験をした人が同じような人になる、とは、必ずしもいえないと思います。

「経歴」や「状況」などが人に与える影響は大きいかとは思いますが、それが全てということでもないでしょう。

少なくとも私自身は、経歴等を「言い訳」、或いは「人を判断するモノサシ」には使わないよう努めたいとは思っております。


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「色気」というものに対する「開眼」?

2005-02-21 | 日記 Ⅰ

20歳頃のことでしたでしょうか。
東京・四谷で、女優の池波志乃さんと偶然すれ違ったことがありました。
和服姿で向こうから歩いていらしたのですが、この時、「色気」というものをハッキリとこの目と肌で、捕らえることができたのです。

ちょうど風呂上りに体から湯気が立ち昇るように、甘く熱い「色気(いろけ)」という「気(き)」が体から発散し、立ち昇っているのが見えたのです。

自分のような「若僧」には、どう「扱って」よいものか解らない、圧倒されるような大人の女の色気…。
変な話ですが、こんな色気を発散させる大人の女を「扱える」中尾彬さんに、なぜか「大人の男」というものに対する憧れも感じたものでした。

この時は、「これがプロの女優というものか!」と思ったのですが、どうやら違ったようです。
確かに、一般女性ではなかなかこんな気(き)を放つ方にはお目にかかれないのですが、プロの女優さんでも、感じられない方が多いように思います。(あくまで「個人的に」ですが)

その後、これと同質の色気に思わぬ所で出会いました。
それは、「紺屋高尾」の噺を演じる立川談志師匠です。
失礼ながら外見的には「ムサいオヤジ」の師匠の体から、これと似たような色気が立ち昇っていたのです。

そういえば池波志乃さんも、伝説的な噺家・古今亭志ん生のお孫さんにあたる方。
このような「色気」を放つためには、単なる外見の美しさ以外の「何らかの概念」と「素養」、そして「修練」が必要なのかもしれません。

余談ですが後年TVで、かなりのご高齢の女性が日本舞踊(?)を舞っているのを偶然見ました。(恥ずかしながら少なくともその当時は、その「踊り」のジャンルもその方も存じ上げなかったのです…)
その方の体からは、甘く熱いものではない、「銀色に渋く光る色気」が立ち昇っているのが見えました。

20歳の頃、当時はインターネットもDVDも勿論なく、一人暮らしのアパートにはビデオさえありませんでした。

偏りに偏った女性に対する「歪んだ魅力」の虜となる前に、こういう形で女性の魅力の貴重な一ジャンルであるところの「色気」というものを体験できたということは、とてもラッキーだったのかもしれません。

最後に「戯言(ぎげん)」を一つ…。

色気・肉感・扇情・官能
みんな微妙に違うのに
マタを広げて一括り



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2月18日メルマガ掲載分

2005-02-20 | 戯言 Ⅱ
 
結婚生活に、
「楽しさ」を求めるのであれば
同じ価値観を持つ相手を、
「癒し」を求めるのであれば
力関係に差のある相手を、
それ以上の「何か」を求めるのであれば
異なる価値観を持ちながら、且つ、
互いのそれを尊重し合える相手を、
選ぶとよいのではないだろうか。


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我が眼前に悉く(わががんぜんにことごとく)

2005-02-19 | 戯言 Ⅰ

我が眼前に悉く、猛ける嵐の吹き荒ぶ

我が眼前に悉く、此身斬らんと刃舞う

我が眼前に悉く、嘲笑浮べし顔の降る

我が眼前に悉く、堅固な壁の聳え立つ

我が眼前に悉く、鬱の真深き溝掘らる


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ザ・ビートルズ「ザ・ビートルズ」

2005-02-18 | 価値観の基(もと)
ザ・ビートルズ
ザ・ビートルズ
東芝EMI

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「音楽界の3大B」というコトバがあります。
「バッハ」「ベートーベン」「ブラームス」のことですが、私にとっての「3大B」となると、
「バッハ」「ビートルズ」「ビリージョエル」ということになります。

小学生の頃、偶然聴いた「イエスタディ」と「レット・イット・ビー」。
もの凄い衝撃を受けました。
「こんな音楽がこの世にあったのか」と…。

これはあくまで私個人の概念ですが、私は「ビートルズの曲が好き」とは言いますが、「ビートルズのファン」だとは言いません。というより、言えません。
それは、その時代を共に生きていないということをある意味「負い目」に感じているからなのかもしれません。
そのために一歩引いてしまい、「ファン」というコトバを使うことに抵抗があるのかもしれない…。
(そんなことを言ってしまえば、この世に「モーツァルトのファン」などいない、ということになってしまいますが)

「今、この世の中に表現されている音楽というものは、既に、全てこのアルバムにおいて、可能性という形により体現されてしまっている。」
と言ってしまっては言い過ぎでしょうか。

ハードなロックや前衛的な楽曲など、「ビートルズ以降」にも様々なジャンルの曲が誕生しましたが、その根源ともいうべきものは全てこの「アルバム」において既に試されているものである…。
個人的には、そんな感じがします。

昨今の曲を聴いて、ビートルズを聴いた時ほどの感銘を受けないのは、単に感受性が衰えてしまったということだけが理由ではないように思うのですが…。

…いや、やはり感性が鈍くなってしまったのかな…?


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「人類」はどこに向かうのか?

2005-02-17 | 日記 Ⅰ

先日、関西の小学校で発生した悲惨な事件…。
亡くなられた先生に心からお悔やみ申し上げると共に、肉体的・精神的に被害を受けた方々の、1日も早いご回復をお祈り致しております。

凶悪的な犯罪が増加したと言われる一方で、凶悪事件の件数そのものはむしろ数十年前のほうが多かったというデータもあるようです。

確かに、数字そのものではそのとおりかもしれません。
しかし、その内容…「質」が、かなり変容しているように感じます。

昔であれば犯罪の動機が、例えば、食欲・性欲によるものであったり、金銭欲・権力欲によるものであったり、恨み・憎しみによるものであったり、或いは保身のためであったり…。
事件そのものは残虐であったとしても、人間の本質に近い部分から発生したものが多かったように思います。

しかし昨今の凶悪事件を見ていると、先の小学校の事件にしても、恨む対象となる先生を殺傷すればよかったわけですし、奈良県で発生した女児の殺害にしても、単に「イタズラ」をすればよかったわけで、殺す必要はなかったわけです。
(ここで言う「すればよかった」とは、「そうなればよかった」という意味ではなく、「そうすれば犯人の欲求を満たせるはずなのに」という意味です)

過去、次々に生まれた、人々を幸せに導くかのような様々な商品・情報・ノウハウ・マニュアル、更には法律・価値観など…。
理屈から考えると人類は日増しに「幸福」に向かっていきそうなものですが、こうした事件を見ていると、個人的にはなぜかそんな実感があまり湧いてきません。


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堀江社長を巡る一連の騒動、及び他のエラい方々に対する私見

2005-02-16 | 日記 Ⅰ

事の是非はともかく、ライブドア・堀江社長の姿勢で共感できることの一つに、「言行一致」というところがあるかと思います。
もちろん、「そう思う」という個人的な主観という範疇を脱し得ないのですが、公の場での発言は、殆ど本音に近いものがあるという印象を受けます。

それに比べ、大会社のエラい方々は、口では「企業倫理」とか「社会に与える影響」とか「顧客重視」とか仰っていますが、「我利」「保身」というホンネが、チラチラ垣間見えるように思えて仕方ありません。
(「言いたいことをストレートに表現する」ということの善し悪しは別として)

私に近い所でも、口では「利益より社会貢献」と謳(うた)い体面を気にしながら、実際には、精度を維持するに必要な経費を出し惜しみしているエラい方も見受けられます。
(以前書いた、「トラブルまみれの某自動車メーカーと同系列の会社」ですが…)

堀江社長を巡って、今、いろいろな騒動が持ち上がっているようです。
自分には持ち得ない「才能」に恵まれた、そして自分には出来ないことを次々とやってのける氏の動向を、いささか無責任ではありますが「一傍観者」として、ことの顛末と共に見続けてゆきたいと考えています。

そういう意味では、堀江社長はやはり超一流の「プロフェッショナル」ということになるのではないでしょうか。


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とにかく、健康が第一!

2005-02-15 | 日記 Ⅰ

現在、何らかの病気に罹患されている方がいらっしゃいましたら、1日も早いご回復をお祈り申し上げます。

とにかく、まず健康でなければ何も始まりませんからね。
おカネを稼ぐことも、それを使うことも、遊ぶことも…。
楽しむこと、幸せになること、全ての土台になるものと考えます。

忙しく、またストレスにも晒(さら)される毎日を送っている方も多いと思います。
健康によいとされるような理想的な生活を送ることはなかなか難しいかもしれませんが、でき得る限りでの体調管理を、まず考えるようにしたいものです。

健康の維持・増進については他の詳しい情報を参照願えればと思いますが、私自身は一般的に言われている健康に対する留意点の他、「緩やかな傾斜」を敏感に察知するよう心がけています。

個人的には、「左鼻奥から咽頭部にかけての違和感」と「体のこわばり」が、そのポイントとなっています。
「体のこわばり」については、ほぼ毎日行っているストレッチの際に気付きます。
「体が硬いな」と感じるときは、カゼの前段階ということが多いように思います。
「咽頭部の違和感」も同様。カゼの前段階のようです。

こんな時は充分に栄養素を補い、保温・保湿を心がけ、極力睡眠をとるようにして、それ以上進行しないよう努めるようにします。

自分の「ウィークポイント」が、「体調の緩やかな傾斜」のサインともなっているようです。


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「義理チョコ制度」について

2005-02-14 | 日記 Ⅰ

義理チョコという「制度」について、女性の方々はどのように感じているのでしょうか。
一種のイベントとして楽しんでいるのか、または面倒だと思っているのか…。

「義理チョコ制度」が始まったのは、今から20年くらい前からでしょうか。
それまでは、バレンタインデーにチョコレートをもらうということは、「チョコをもらえる男」というある種の「ステータス」のような所があったように思うのですが…。

私個人は「義理チョコ制度」を、かなり面倒くさく感じています。
「くれる」という気持ち自体は嬉しいのですが、「どんなものを、どこで買って返そうか」など考えることがどうも…。

本当に親しい人であれば「面倒だから、やめようよ」とも言えますが、「会社の同僚」程度の距離の人に「チョコはいらないからね」とは、「ウヌボレんなよ」とか思われそうで言いにくいし…。

それでもこの制度が「日本の景気回復の一助」となっているというのなら、まあ、いいんでしょうが、お菓子メーカーその他の「一部のエラい方々の懐を潤す行為」に過ぎないのであるとするならば、「廃止してほしい」というのが本音です。


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