幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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「パートも派遣も厚生年金に」?

2008-02-19 | 日記 Ⅰ
2月18日付「朝日新聞」、『希望社会への提言(17)―パートも派遣も厚生年金に』の社説から。

『年金は税に頼りすぎず、保険方式を基本にしていこう。』
社説は、こう提言している。

最初に言っておくが、私は年金にも税にも詳しくない。
なので、専門的につっこまれてしまうと何も言えないのだが、個人的なイメージとしては、むしろ「税」としてやっていったほうがよいのでは、という印象を持っている。


『パートや派遣で働く人のうち、いまは厚生年金の対象になっていない約1200万人を対象に加えていくことを提案したい。この人たちにも未納や未加入が多いからだ。』

『新たな保険料負担は、とくに中小零細企業にとって重荷となるに違いない。だが、その我慢が従業員のやる気や企業の活力を生むことにもつながる。移行時には企業の負担を和らげるため、法人税の軽減といった支援策を考えたらどうか。』
と、社説にある。

中小零細企業にとって重荷となるのは間違いないだろう。
その場合、法人税軽減等の支援策と、本来厚生年金に加入させるべき雇用者を加入させないことと天秤にかけて、支援策がさほどプラスにならないとしたら、企業はどうするのだろう。
結局、ごまかすことになりはしないか。

それに、これは以前から言っていることだが、厚生年金加入が従業員のやる気につながると決め付けるのはいかがなものだろうか。

私は仕事の関係から、これまでアルバイトの人たちと一緒に働く機会が多かった。
述べにして数千人になるだろうか。

そうした人の中には、年金等加入を喜ばない人もかなりいるという印象を持っている。

特に若い世代の人や借金を抱えている人など、福利厚生で天引きされるくらいなら、手取りが少しでも多いほうがいいと考える人が多くいた。

また、有給休暇取得の権利は声高に主張しながら、年金加入には消極的という人も見受けられた。

こうした問題や非正規雇用者対策といった場合、ステレオタイプ的に「非正規雇用者は、みんな正規雇用や福利厚生の充実を望んでいる」と考えてしまうと、かえって問題解決につながらないように思えてならない。


『人を雇って事業をする以上、たとえ正社員でなくとも、その将来に対して応分の負担をするのは、企業の社会的な責任である。そんな意識を定着させたい。』

これは、その通りだと思う。
厚生年金加入条件を満たしている従業員に対しては、きちんと加入させる義務が企業にはあると思う。
たとえ、従業員が手取り収入の増加を望んで加入を拒んだとしても、だ。


『それでも低年金者や無年金者を完全になくすことはできない。年金を税で賄う方式と比べた最大の弱点だ。それをカバーするため、例えば低年金者には生活保護をもっと受けやすくするような配慮を検討してはどうか。』

安易に生活保護を受けやすくしてしまうというのはどうなのだろう。

例えば今、他の人たちが必死で働いているのを尻目に、マイペースで生きている人たちがいる。
福利厚生の充実や将来の生活を考えることよりも、目先のわずかな収入の多さや気楽な生活に目を奪われてしまう人たちがいる。

そうした人が将来、「年金ももらえないし、生活できない」と言って、他の人たちが必死で働いて収めた税金から生活保護を受けることになるというのはどうなのだろう。
狭量な私など、尚更そう思ってしまう。

もちろん、本人の努力とは無関係に厳しい生活を強いられてしまっている人には、しっかりとした支援が必要であることはいうまでもない。

このあたりの見極めは、現実的にはとても難しいのだろうが。

そういう意味でも、むしろ税にシフトしていったほうがよくはなかろうか。



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クリントン候補の涙

2008-02-12 | 日記 Ⅰ
個人的に、クリントン候補の「涙」が気になる。
2度ほどあったろうか、目に涙をためるシーンが映し出され、投票にも影響したようだ。

その気になれば世界のどこにでも紛争を引き起こすことができ、核兵器のボタンをも握る、米大統領。

涙のシーンは「戦術」だったのかもしれないが、そうでないなら、自らの感情を制御することが苦手な人物が、超大国のリーダーになるかもしれないわけである。

それが例えば、他者の悲惨な現状を目の当たりにして流した涙だとかいうのならまだしも、自分自身のことをその原因とするものだとしたらいかがなものだろう。

人間的な魅力は別として、少々不安に感じる。


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雪だるま その2

2008-02-11 | 日記 Ⅰ
土曜夜に降った雪で、ふたたび雪だるまを作りました。
(画像がちょっと粗いですが)

今度は息子も「完全参加」です。

向かって一番左側の大きい雪だるまは、前回作った残骸です。


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雪だるま

2008-02-05 | 日記 Ⅰ
先日降った雪で、雪だるまを作りました。

ウチで飼ってる白ネコをモデルにした、一応「招き猫」です。
右手(ブラシで代用)を上げていますので、金運を期待しております。


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朝日新聞に、パクられた?

2008-02-04 | 日記 Ⅰ
2008年1月31日付「朝日新聞」
『あらたにす発足―言論の戦いを見てほしい』の社説より。

『もし当時、全国の人たちが「平民新聞」と「万朝報」などの論調を読み比べることができていたら、どんな反応が起きていただろうか。
こんなことを考えたのは、きょう、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞によるインターネット共同事業「あらたにす」が始まったからだ。これは3紙の主な記事や社説を一目で比べることができ、それぞれのニュースサイトにも簡単に接続できるサービスである。』

これは以前から私が、【世界の新聞「101紙」の視点】というメルマガで試みようとしていることである。
そして実際、2年数ヶ月にわたり、このメルマガを配信し続けている。
もちろん、朝日新聞の規模とはケタ違いなのだが。


『これは新聞の側にも大きな緊張感をもたらす。3紙による共同の試みを、日本の新聞がいっそう個性を磨き上げ、競い合う出発点にしたい。』

そういう意味では、私のメルマガが「出発点」だと自負しているのだが、「大朝日様」からご覧になればこのメルマガなど、塵芥(ちりあくた)も同然、無視されたとしても仕方ないだろう。

朝日新聞の発行部数800万部に比べ、弊誌は僅かに6000部。
その差は歴然としている。


『現代の新聞の主張にも、驚くほど違っていることが少なくない。例えば、読売は自ら改憲案をつくって憲法改正の旗を振るが、朝日は現行憲法、特に9条を活用することを基本と考えている。イラク戦争、靖国問題などでも、多くの新聞がさまざまな論を張ってきた。』

『比べて読めば、それぞれの主張が立体的に浮かび上がる。どちらに説得力があるかは読者が判断する。』

私がブログ等で掲載している、メルマガの紹介文。
「1つの事象でも、それに様々な角度から光を当てることによって、より「実体」が浮かびあがってくるものと思います。
各新聞を読み比べることにより、あなたが物事の本質を捕える一助となり得たら、また「何かを考えるきっかけ」となり得たら、と思います。
各紙がどの出来事に注目しているのか、また、それをどのように捉えているのか…。
そのあたりを読み比べてみて下さい。」

2006年4月22日付、メルマガ掲載文より。
「特に価値観の異なる新聞社のものを併せ読むと、さらに全体像が立体的に浮かび上がってくるような印象があります。」

2007年5月11日付、メルマガ掲載文より。
「切り口の異なる各社説に目を通すと、より「立体的に」感じられるように思います。」

2007年11月20日付、メルマガ掲載文より。
「一方の主張だけを読むよりも、双方の意見に目を通したほうが、なんとなくこの件が「立体的」に見えてはこないだろうか。」

2008年1月1日付、メルマガ掲載文より。
「双方の考え方・価値観・言い分などは、読者の方々に紹介しました。あとは、読者の方々がどう考えるかだと思います。」

…以上、私がこれまで発言してきた、或いは、今現在も公表している文言である。

よもや天下の朝日新聞が、私の存在が無にも等しいのをいいことに、文言をパクったなどということはないのだろうが、似てはいないだろうか。

まあ、同じ目的を果たすために辿り着いた表現ということなのだろうから、似通ってしまうのは当然なのかもしれないが。

ちなみにメルマガ創刊にあたっては、「朝日新聞社・知的財産センター」に、メルマガの主旨を含めた問い合わせをし([問No.20052078])、確認・了承を得ている。


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