幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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自分の年老いた時の姿を想像してみる日

2007-09-17 | 日記 Ⅰ
私自身、20代の前半くらいまで、結婚などには全く興味なかった。
むしろ、一生独身がいいと思っていたくらいだ。

しかし、父親がガンで亡くなる時。
入院していた父が日に日に衰えてゆき、満足に一人で食事も出来なくなってゆく様を見た時、「こんな状態になった時、家族も誰もそばにいなかったらどうなんだろう…」と、ふと思った。

それですぐに結婚相手を探し始めたということでは、もちろんない。
また、結婚したからといって、自分が死ぬ時そばに妻子が居てくれるなどという保障も、どこにもない。

だが、自分の価値観・考え方が変わる大きなきっかけになったことは確かだ。

事実、それまで「正社員」などという立場には全く興味なかった私が、以前から「社員に」と乞われていたバイト先への「就職」を決めるようにもなった。

それは、フリーターやパラサイトシングルとされる人が多いこととも関係しているかもしれない。

実際、「彼は将来どうするんだろう」と思ってしまうような人も、私の周囲に少なくない。

就職など、自分の意思だけでは困難な事情もあるだろう。
しかしそれよりも、「自分が高齢になった時に独りで居るようになるかもしれないこと」に対する概念に、欠けているように思えてならないのだ。

今はいいかもしれない。
バイト仲間と楽しく過ごし、パチンコや競馬、ゲームなどに興じる。
親も存命かもしれない。
日常生活についても、自分でなんでもできるだろう。
また、「今のままじゃおわらない」という自負も、あるのかもしれない。

しかし、年月はあっという間に経過してゆく。
自分の気持ちは若いままだとしても、近い将来「現実」が実感させられる時が必ずやってくる。

結果的にどう生きるかは、もちろんその人の自由だ。
というよりも、自分自身の将来には、自分で責任を負うしかない。

「敬老の日」は、その名の通り高齢者を敬う日である。
しかし若い人には、「自分の年老いた時の姿を想像してみる日」であってもいいように思う。


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