青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります




中野富士見中学いじめ自殺事件は、1986年に東京都中野区で起きた鹿川裕史君の自殺事件。俗に「葬式ごっこ事件」とも言われ、学級担任がいじめに加担するなど日本で初めていじめ自殺事件としてメディアに取り上げられたと同時に全国からいじめ自殺事件が続々と発覚。青少年育成連連合会もこの問題を重視し、亡くなった鹿川裕史君の父親鹿川雅弘氏を連合会の副理事長とし、九州北海道を除きいじめ撲滅運動を展開。

※青少年育成連合会の歴史
昭和52年 川崎市高津区において、多くの少年達を集めて空手の指導を開始
昭和56年 青少年育成会を設立
昭和59年 青少年育成連合会に名称変更
昭和60年 シンナー・暴力が多発、多くの不良少年達を更生させる活動を開始
昭和61年 鹿川裕史君のイジメ自殺をきっかけに多くの子供達の自殺が日本全国で発覚し、大きな社会問題に発展
昭和62年 青少年育成連合会の総力を挙げて、いじめ問題に突入する。いじめ自殺をした遺族を訪ね歩き多くの活動仲間と協力して、いじめ撲滅運動を展開。
平成03年 町田市つくしの中の前田晶子さん鉄道自殺、作文問題、虚偽報告に対しての抗議運動。東京都小松川3中のいじめを受け自殺した菅原君、いじめの実態を追及抗議運動
平成04年 テレビ朝日、朝まで生テレビに出演、その他数々のテレビに出演学校での教師も参加した子どもの集団のイジメによって自殺した鹿川裕史君の父親で鹿川雅弘氏を青少年育成連合会の副理事長に選び、九州・北海道を除き、全国のいじめ撲滅運動を遺族と共に開始。
平成05年 「マット殺人事件」で山形県の学校の児玉君が亡くなった体育館に調査と共に児玉さんのご両親と会い改めて学校のでたらめさを知り、この児玉君の名誉の為にも闘うことを決心
平成06年 愛知県西尾市でいじめを受けて大河内君が自殺、いじめの実態を現地に行き追求する。神奈川県津久井町のいじめ自殺、現地の子供と共に育つ会と協力、いじめの実態を追求
平成07年 伊藤準君(13)がいじめを苦に自殺。上越市教育長と中学校長に、現地に行き公開質問状を提出。
平成08年 文部省にいじめ問題に対する改善要望を要求。NHKでニュースに出る。TVタックルや、いじめ問題など出演。活動も最盛期に入る。
平成12年 「5000万円恐喝事件」で名古屋市教育委員会と学校に調査に行く横浜、川崎を中心にシンポジューム、特に学校のいじめ問題を中心に活動を続け現在に至る

神奈川県川崎市立中学校3年の篠原真矢君が「いじめから友人を守れなかった」と遺書を残して自殺した問題で、篠原真矢君のお父さんから調査報告書まとめ、経過、遺書、遺言、シンポジウム原稿を本日メールで送って頂きました。今回、その中から経過、遺書と遺言(友人に書いたもの)、シンポジウム原稿を紹介します。
最終報告は学校関係者らでつくる調査委員会が8月28日まとめたが、我々青少年連合会はこの調査報告書を読んでみても、学校はこれから何をどうやるのかが見えてこない。調査委員会は校長や保護者、教育委員会担当者、張賢徳帝京大学教授(精神科医)ら11人で構成税金と時間をかけて作成した報告書。

篠原真矢君自死 経過報告
1.2年生 F君へのいじめ
友人F君へのいじめが始まる。同じクラブチーム(野球)に所属する加害生徒2人を中心に、いじめが始まり、最終的には4人からのいじめを受ける。
2. 〃 秋頃 真矢へのいじめ
友人F君をかばううち、加害生徒4人から「いじり」と称されるいじめ(叩く、蹴る、ズボンおろし等)が始まる。
3. 〃 秋頃 個人面談
担任より「真矢君はいじられキャラですね。クラスの女の子からシノが可哀想という声を聞きました。」との発言が有る。発言の真意は不明。
4. 〃 3月 母への告白
真矢の様子がおかしいので問いただすと「友達のF君がいじめにあっている。相手は4人で、そのうちの2人はF君と同じ野球クラブのチームメイト。平日は俺が見てやれるけど、土日は何をされているのか分からない。あんな良いやつをいじめるなんて許せない。」と泣きながら話す。
5.3年生 4月22日家庭訪問
「F君がいじめにあっていると真矢が心配しているので、よく見ていてください。」と母親が担任に伝える。
6.5月24日 教科書事件
担任より「真矢君がクラスメイトE君の教科書をはさみで切ってしまいました。積もるものがあったようです。」と電話あり。帰宅した真矢に問いただすと泣きながら、EがF君をいじめていることと、他にB、C、Dの3人の名前を挙げる。その夜、Eの家へ謝罪の電話を入れ、翌日教科書を購入。真矢に持たせる。「言いたいことはきちんと相手に言いなさい。そうしないと相手は直らない。このままだと真矢が悪者で終わるよ。」と言って学校に送り出す。
帰宅後、真矢に状況を聞くも「あんなヤツに何を言っても無駄。早く終わらせたかったから、うわべだけ謝ったよ。」との事。それ以上は聞ける状況ではなかった。
7.5月末日 自殺準備
ネット通販で除草剤を着日・時間指定(6月7日午前)にて購入手配。洗剤(溶剤)を店舗にて購入。
8.6月4〜6日 修学旅行
最後の思い出作りだと思ったのか、現地では必要以上にハイテンションだったとの事。
9.6月7日 自殺当日
修学旅行翌日の代休(月曜日)。父母は仕事で不在。自宅には真矢と祖母のみ。
午前中、手配してあった除草剤を代引きにて本人が受取る。
昼食を食べた後、パソコンのメールにて友だち数人に、最後のさよならメールを送る。
その後、自宅1階トイレに篭り、内側から鍵をかけ、目張りのためガムテープを貼り、硫化水素ガスを発生させる。
17時頃、母親が帰宅。
トイレのドアには「毒ガス発生。扉を開くな。高濃度の硫化水素が発生しています。即死するので絶対に扉を開けないでください。」の張り紙。すぐにドライバーで鍵をこじ開け、中で倒れている真矢を発見。救急搬送するも既に死亡しており、19時49分死亡確認。
検死の結果、硫化水素ガスを吸っただけでなく、薬液が胃の中より見つかったため、薬液を飲んだことが判明。おそらく即死であっただろうとの見解。
トイレから「俺自身と、友人Fをいじめた4人を絶対に許さない」と書いてある【遺書】が発見された。
また、後日警察の捜査により、部屋の机の引き出しの中から、複数の友人に宛てた【遺言】が発見された。
   (※ 【遺書】と【遺言】については、参考資料として添付してあります)
10.6月11、12 通夜、告別式
200人以上の生徒、保護者が参列。多くの方に弔問いただきました。
11.6月中〜学校側との対話を開始
遺族、F君の両親を含む約10名の支援者と同行し、週に一度、学校側との対話を開始。
学校側には現状報告の他に、真相の究明、F君の保護、加害生徒への指導・教育を要望するも、
進展せず。同時期、外部からの招聘者を含め10人程度のメンバーにて、「調査委員会」が発足。
12.7月7日 加害者の対応
学校長から、加害生徒の4家族が代理人として弁護士を立てたことを聞く。訴訟対策?(真意は不明)
13.7月中旬 学校側との対話を中止
約1ヶ月間、全く進展しない不毛な話し合いに業を煮やし、学校側との対話を中止する。
替わりに、週に一度現状報告をするよう約束させ、その報告は調査委員会のメンバーである市教委の2名より受けることになる。
14.7月24日 中間報告
調査委員会による報告書の中間報告を受ける。いじめの内容が明らかにされる。
叩く、蹴る、肩パンチ、名前を呼んで振り向きざまにビンタ、集団で押さえつけての下着おろし等。
15.7月31日 被害届提出
麻生署の刑事6名が家に来られて、被害届を出すよう薦められる。
昨年2月に発生した、加害生徒4人による「パンツおろし事件」が立件できそうだとの事で被害届提出。
16.8月25日 書類送検
加害生徒4人のうち3人を「暴力行為処罰法違反」の疑いで書類送検。 当時13歳だった1人を非行容疑で児童相談所に通報。
17.8月28日 最終報告
調査委員会による報告書の最終報告を受ける。46ページにおよぶ立派な【調査報告書】が完成。
いじめ内容だけでなく、両親の知らない真矢の性格、心情、自殺を決心するまでの心の振れにも言及。
いじめと自殺との因果関係は認められなかったが、いじめが行われていたこと、それが自殺の原因の一つであったことは認める。
また、学校体制の不備、教師の能力欠如に関して、強く反省を促す旨の非難が書かれていた。
   (※ 【調査報告書】のまとめとして書かれていた「後書き」を、原文のまま参考資料として添付してあります)
18.12月4日 要望書提出
一向に進展しない現状を打破すべく、F君の両親との連名にて、学校に要望書を提出する。
内容は、?被害者であるF君の保護 ?加害生徒4人の教育と指導 ?生徒たちへの教育と心のケアーの3点。口頭での要望は無駄だと思い、文書での要望書提出となった。なお、要望書提出の際には、立会人として報道各社に声をかけ、同席していただいた。
19.12月11日 回答書受理
2度の手直しを経て、回答書を受理。
?→時期的にクラス替えは無理。そのため、F君と加害生徒たちは、卒業するまで同じ教室で授業を受けなければならないという異常な結果となる。 ?→週4時間の個別指導(別室にて)の実施。 ?→絵本「しらんぷり」を用いての学習。またエンドバイオレンスによる、いじめ防止プログラムの実施。
20.1月15日 審判開始決定
書類送検された加害生徒3人の少年審判開始が決定される。
21.3月3日 処分の決定
加害生徒3人に、保護観察処分(半年間程度)が決定。
22.3月9日 卒業式
真矢の代理で、兄が卒業証書を受取る。遺族も遺影を持って列席。加害生徒4人は不参加。
答辞の最後、生徒会長(真矢の友人)が「シノ(真矢の愛称)、一緒に卒業しような!」と、台本に無い言葉で呼びかけてくれた。
この卒業式を期に、真矢の実名と写真を報道各社に公開した。


 皆さんこんにちは。私は、川崎市に住む「篠原」と申します。
 昨年6月、中学3年生になる息子の「真矢」が、自宅で硫化水素ガスを発生させて亡くなりました。真矢の死から約1年半。もう二度と真矢には会えないという現実を突きつけられ、今は、亡くなった直後よりも辛い日々をすごしています。
   ◇◆◇将来の夢は警察官◇◆◇
 真矢は、シャイで不器用な子でしたが、芯のしっかりした、正義感の強い男の子でした。遺書にも書いていましたが「困っている人を助け、人の役に立ち優しくしたい」という目標を持っていた子で、亡くなる直前は、将来警察官になりたいと、母親に話していたそうです。
 未来に、そんな希望を膨らませていた真矢が、なぜ自らの命を絶たなければならなかったのか――?
 真矢が死を決意するまでの心の葛藤と、心理状態を克明に分析し、真相を解明してくださったのは、真矢の死後、川崎市の教育委員会から派遣された2名の先生方でした。今でも、毎月7日の月命日には、おふたり揃(そろ)って我が家に足を運んで、私たちと一緒に真矢を語ってくださいます。本当にありがたいことです。
 今日は、そのおふたりが心血を注いで解明してくださった事実に基づいて、この1年半を振り返り、お話したいと思います。お手元の資料をご覧いただきながら、お話をお聞きくだされば幸いです。
   ◇◆◇友人を守ろうとして「いじめ」の対象に◇◆◇
 生徒たちの証言によると、真矢へのいじめが始まったのは、2年生の秋頃だと思われます。発端は、小学校時代から仲の良かった友達(仮にF君とさせていただきます)が、加害生徒4人から心無い言葉の暴力によるいじめを、度々受けていたことから始まります。それを見過ごすことが出来なかった真矢が、いじめを止めさせようとして、加害生徒に接近したところ、今度は、自らが標的とされてしまいました。
 加害生徒4人は、真矢に対して叩く、蹴る、名前を呼び振り向きざまにビンタする、4人で羽がい絞めにしてズボンや下着を下ろすなど、思春期の男の子に対して屈辱的ともいえるいじめを繰り返してきました。
 3年生に進級することで、4人の加害生徒たちは、それぞれ別々のクラスになり、真矢に対するいじめはほとんど無くなりました。しかし依然としてF君や、他の生徒に対するいじめは、行われていたようです。その光景を見かねた真矢は、5月のある日、4人の加害生徒のうち1人の教科書を、カッターナイフでズタズタに切り裂いてしまうという、報復攻撃に出ました。
 真矢がやってしまったことは、その後すぐに分かったのですが、当時の担任教師からは、「真矢君が友達の教科書をはさみで切ってしまいました。原因は分かりませんが、積もるものがあったようです。教科書は弁償してください。」と電話連絡が入っただけでした。真矢の死後、警察が介入してこの事件を調べたところ、教科書は、はさみではなくカッターを使って、特に相手の名前のところを中心にズタズタに切り裂かれており、使い物にならないほどの被害だったそうです。相手に対し、想像を絶するほどの憎しみを抱えていたのだろうと、警察から聞きました。
 しかし私たちは、その教科書を、いまだに見せてもらっていません。せめてあのとき、ズタズタになった教科書を私たちが見ていれば、対処の仕方も変わったのだろうと思うと、悔やんでも悔やみきれません。
 真矢からは、日ごろから相手のことが嫌いだと聞いていたので、「憎いのは分かるが、やり方が間違っている。そんなに憎い相手なら、正々堂々と目の前で訴えればいい。」と諭(さと)したのですが、真矢からは、私たち両親は何も分かっていない「偽善者」だと言い放たれました。
 調査報告書では、誰にやられたか分からない恐怖というものを、相手に植え付けたかったのではないかと分析していました。だからこそ、たとえ卑怯だと言われても名乗り出るわけには、いかなかったのだと。親として、真矢の本心を汲み取ってやることもできず、この事件を機に、私たちは真矢の信頼を完全に失ってしまったのだと思います。
   ◇◆◇お粗末な学校側の対応◇◆◇
 誰にも伝わらない想いを抱えた、真矢の苦悩はいかばかりだったか。大きな絶望と孤独を感じたことでしょう。そして修学旅行から帰宅した翌日の6月7日、真矢は事前に準備した薬品を自らの手で混ぜ、硫化水素ガスを発生させて死んでいきました。「たとえ死人となっても、彼ら4人は絶対に許さない!」と遺書を残して――。
 事件後間もなく、学校側は市教委の2人の先生をはじめとする、全10名程度で構成された調査委員会を立ち上げました。また同時に私たちも、支援してくださる方々と一緒に、何があったのかを知りたくて、いくどとなく学校と対話する機会を持つことにしました。しかし、そこで目にした学校の対応は、実にお粗末なものでした。  
 「悪いことをしたとしても、その子たちにも人権があるので、他の生徒たちの目の前では叱れない」
 「調査委員会の結果報告が出るまでは、何があったか具体的には話せない」
 「被害にあっている生徒と、加害生徒たちを、今さら引き離すことは無理」 
 …と、到底、死者が出たとは思えない、他人事のような対応に、愕然(がくぜん)としたものでした。そんな教師たちとの不毛なやり取りが1ヶ月ほど続き、絶望の末、私たちはついに学校との対話を打ち切りました。 
 しかし、このまま引き下がれない私たちは、調査委員会への遺族の参加・同席を強く求めました。もちろんこれは却下(きゃっか)されたのですが、その交換条件として、週に一度、調査委員会の進捗(しんちょく)状況を聞かせてもらうよう、学校長に詰め寄り、その場でこれを約束させました。そして、この報告のため、毎週我が家を訪れてくださったのが、先にご紹介した教育委員会の2人の先生だったのです。
   ◇◆◇根気強い聞き取りでわかって来たこと◇◆◇
 このおふたりは、昼夜を問わず、寝る間も惜しんで、真矢の友達だった生徒たちへ、根気強く聞き取りを行ってくださいました。当初、極度の大人不信になっていた彼らも、おふたりの情熱に心を開いて、ポツリポツリと真実を話し始めたそうです。
 真矢はどんな人格の子だったのか?何を目指していたのか?加害生徒たちの言動は?そして具体的に誰がどんな被害を受けていたのかなど…。
 また、真矢が書き残した詩やメモの数々。好きだった歌や物語。自殺直前の言動などから、真矢の心の揺れを丁寧に解明していただきました。そこには、親である私たちでさえ知らない、我が子の強い正義感、崇高(すうこう)な理想、そして優しさがありました。
 多くの生徒たちから、話を聞いてくれたのは、この教育委員会のおふたりだけではありません。事件当初から関わっていただいた、少年課の刑事さんも、私たちの思いを汲み、真実を追究してくださいました。事件後、書類送検された「パンツおろし事件」では、いつ、どの教室で、誰が、どうやって真矢に手を下したか。また誰が目撃し、どの教師が注意をしたのかまで、全ての情報収集に当たってくれました。
 そのおかげで、これを事件として立件することができ、加害生徒4人に対して、結果的には半年間の保護観察処分という裁定がくだりました。これとて、私たちから事件にして欲しいと頼んだわけではなく、警察の方から「被害届を出して家裁に送り、彼らに反省する機会を与えましょう!」と、アドバイスをされたからです。
 3月初旬、加害生徒たちの保護観察処分が新聞報道された時に「お父さん、良かったね…」と、電話の向こうで男泣きをしてくれたのは、この事件の担当刑事さんでした。
   ◇◆◇毎月訪れるクラスメイトたち◇◆◇
 私たちは、真矢という大切な宝物を失いはしましたが、その真矢が、作り、育んでくれた様々な方々の「ご縁」というものに、ずっと支えられて、今日まで生きてくることが出来ました。今も、真矢が守りたかったF君のご両親とは、家族ぐるみでお付き合いさせていただいていますし、小学校時代から、ずっと真矢を応援してくださった少年野球の関係者、また部活の仲間やそのご両親からも、いつも温かい言葉をいただいています。
 そして何より、毎月7日の月命日には、真矢とともに学んだ仲間たちが、部屋に入りきらないほどの人数で我が家に押しかけてきます。何をするわけでもないのですが、朝早くから、夜遅くまで、みんなで他愛のない話をし、真矢と同じ空間で同じ時間を、ゆったりと過ごしてくれています。
 今では笑顔の絶えない子どもたちですが、当時はいつも厳しい表情でした。でも真実を明らかにするために、警察や調査委員会に何度も足を運び、一所懸命話をしてくれました。本当に有り難かったです。そんな彼らも、高校に進学したときには、それぞれの学校の制服を着て我が家を訪れ、嬉しそうに私たちに披露(ひろう)してくれました。
 こうして毎月会える彼らの成長ぶりが、私たちにとっては何よりのプレゼントであり、そして真矢にとっても、何よりの供養となっているはずです。
   ◇◆◇子どもの〈死〉について真実を知らされない苦しみ◇◆◇
 息子を亡くした私たちが、こうして心穏やかに日々を過ごすことができるのも、真矢の想いを含め、事件の全容を明らかにしてくださった教育委員会のおふたり、少年課の刑事さん、支えてくださった仲間、そして子どもたちの笑顔のおかげです。
 私たち遺族は、けっして無謀な要求をしているわけでは、ありません。愛する我が子が何を憂(うれ)い、なぜ死なねばならなかったのか?ただ事実を明らかにしたいだけなのです。
 事件が起こると、自らの保身のため、関係者は口を塞(ふさ)ぎ、事実を隠そうとします。ある日突然、我が子に死なれているのに、その真相さえ知らされない。その痛みや苦しみが、なぜ理解できないのでしょうか?どう説明すればわかってもらえるのでしょうか?
 我が子の死を、誰かの責任とし、誰かを吊(つ)るし上げるために、真相究明をしたいと言っているのではありません。我が子に死なれた責任の重さというのは、遺族となった両親が、誰より重く受け止めています。しかし、命を救えなかったという点では、遺族を含め、教師、クラスメイトなど、関わった全ての人たちに、大なり小なり、それぞれ責任があると、私は思っています。
 全ての人たちが、各々の立場で責任を受け止め、自分たちに何が出来て、どう行動すべきだったのかを真剣に考え、そして反省し、その上で次の命を守り、育むため、行動を起こさなければなりません。
 また、加害生徒に対しても、自分たちがやってしまったことの愚かさに気づかせ、事件と向き合わせた上で、徹底的に考えさせること。そして、心からの反省を促し、被害に遭った人たちへ謝罪させてあげること――。彼らには「罰」を与えるのではなく、愛をもって「反省する機会」を与えてあげなくてはなりません。本気で彼らを救ってあげるには、大人も真正面から、本気で彼らと向き合うことが大切であり、それこそが大人としての務めではないでしょうか。
   ◇◆◇残された者の責務、託されたバトン◇◆◇
 亡くなった子が何を思い、何に絶望し、そして何をどう変えたかったのかは、強い信念と志(こころざし)さえあれば、必ず明らかにすることができます。そして、それを解明するのは、間違いなく、残された者の責務です。
 私たちは、こうして皆さんに明らかにして頂けたのですから、他のご遺族に対しても、出来ない理由は絶対に無いと信じています。責任をとりたくないというだけで逃げるのは、遺族や、亡くなった子に対する侮辱行為です。
 お願いです――。遺族となってしまった者たちに、我が子を失った悲しみ以上の辛さを、どうか背負わせないでください。この世に絶望し、亡くなっていった子どもたちに報いるためには、その子らが、もう一度生まれてみたいと思えるような世界を、残された者たちが作っていくしかないのです。
 自分たちに何が出来るのか……まだ何も見えてはおりませんが、遺族としての経験と想いを語りついでいくことが、真矢から託された使命だと考えます。
 将来、別の世界で真矢と会えたときに、もう一度笑って話せる日がくることを楽しみにして、真矢から託されたバトンを、私たちも、次の世代に託していきたいと思います。
 なお、今日のお話の参考資料として、お手元には「事件経過」、現場に残されていた「遺書」、そして、机の引き出しの奥に隠してあった多くの友人にあてた「遺言」を付けさせていただきました。ぜひ目を通してくださればと思います。
 最後になりますが、本日は私のつたない発言に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。ご清聴に感謝申し上げ、私の話を終わらせて頂きます。

遺 書
お父さん、お母さん、お兄さん、婆さん、先立つことをどうかお許しください。俺は「困っている人を助ける・人の役に立ち優しくする」それだけを目標に生きてきました。
でも、現実は人に迷惑ばかりかけて、 F のことも護れなかった…
それに俺には思い出が多すぎました。
こんな俺が、人並みに生きて、友達を作って、人生を過ごしていく…そんな事があっていいはずないんです。
俺がいて不幸になる人は大勢いる。それと同時に俺が死んで喜ぶ人も大勢いるはずです。でも俺は F をいじめた、 B、 C、 D、 E を決して許すつもりはありません。
奴等は、例え死人となっても必ず復讐します。
でも、この十四年間楽しいこともたくさんありました。

春は桜が出会いを運び

夏は花火が夜空に消えて
秋は紅葉が空を染め上げ
冬は白雪が乾いた心を潤す

季節が過ぎていく中で色々ありました。それが全ての想い出となって心に残っています。
家族のみんなにはお願いがあります。
1つは、自分達をどうか責めないでください。
俺が死ぬのは家族のせいじゃありません。俺自身と、 F をいじめた連中が悪いんです。
大丈夫。
ある日は日の光となり、ある時は雨となって、あなた達の心の中で生きています。
だから哀しまずに、俺の死を糧として、全力で生きていって下さい。
2つは、俺の臓器が無事だったら、それを売ってお金にしたり、お婆ちゃんや爺ちゃんの治療に使って下さい。
それが俺に出来る唯一の罪滅ぼしだから…
それと、爺ちゃんには優しくしてあげて下さい。過去には色々あったと思いますが、それでも大事な家族です。
大切にしてあげて下さい。
そして赤、青のバッティンググローブは形見として下さい。
今まで本当にありがとう
そしてさようなら
君がため 尽くす心は 水の泡
消えにし後は 澄み渡る空

遺 言
父さん、母さん、婆ちゃん、兄さん、俺が先立つことをどうかお許し下さい。
俺は、自分をさらけ出して生きていくのも、人に迷惑をかけていくのにも疲れました。
俺にはあまりにも思い出が多過ぎました。
最期にはお礼を言いたいと思います。
(a)、(b) へ

本当に最期まで味方してくれてありがとう。その笑顔が言葉が、どれだけ支えてきてくれたことか…俺は二人のことを誰よりも信頼してました。本当にありがとう。言葉では言い表せないくらい、ありがとう。
(c) へ

3年間、(c)のおかげで本当に楽しかったよ。部でのことや、野球観戦とか、すごい面白かった。でも「これから野球部を盛り上げる」っていう約束を守れなくてゴメンな。
(d)、(e) へ

前に行ったカラオケは、思えば最後の思い出だったからな。でも、あの時は自分を忘れるくらい熱くなれたかな。ありがとう。最近、(e)とは喧嘩しちゃってゴメン。(d)はこれからも頑張って野球部を導いて下さい。
(f) へ

最期まで「相棒」と呼んでくれてありがとう。今回の件には巻き込んじゃって申し訳ないと思ってる。大丈夫。これからも俺とお前は「相棒」同士だから。
(g)、(h) へ

映画もカラオケもすごく楽しかったよ。二人はいつも面白かったね。二人の楽しげな姿は俺の心に、今だに残っています。
(i)、(j) へ

二人のコント(?)や突っ込みや行動には笑いが絶えませんでした。そういえば(i)とは昔からの仲だよね。長い間本当にありがとう。(j)はこれからも「クラスの中心」として頑張ってな。
(k)、(l) へ

生徒会のこと、最期まで果たせなくてゴメンな。(k)は誰よりも優しく、誰よりもお人好しでしたね。俺はそんな(k)を心から尊敬してました。(l)は本当に温かい心の持ち主だった。その優しさで、いろんな困ってる人を助けてあげて下さい。

連合会のコメント
真矢君は友人が沢山いた。それだけ友人を大切にしていた。このような真矢君を死に追いやった南菅中学校の校長をはじめ教職員達に対し、私は腹の虫がおさまらない。事実この学校には複数のいじめを受けていた生徒がいた事だ。まるでいじめの巣窟。
それを学校側は知らなかったとは済まない。この事件以前にも大きないじめ問題が起き、学校全体で二度といじめが起きないように対策を講じたと言っている。しかしそれにも関わらず今回の事件が起きたと云う事はどういうことか。教育委員会の調査でも、この学校に問題有りと結論を下している。この問題の続きは次回・・・

朝まで生テレビテレビ朝日朝まで熱い討論トーク番組


« 家族よさよう... いじめに学校... »