青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります



少年育成連合会は、いじめ自殺問題を日本で初めて取り上げて活動を始めた団体として全国に知られ、マスコミにも数多く取り上げられました。
今から31年前に日本で初めて中野富士見中学生の鹿川裕史君のいじめによる自殺事件(葬式ごっこ)が発覚。
それから鹿川裕史くんの父、鹿川雅弘氏を副理事長に迎え、いじめ撲滅運動を北海道・九州を除く全国で多くの遺族と実態調査と共に一緒に活動。この事件をきっかけに、いじめによる自殺が大きな社会問題になった。当時の文部省にも我々の為にひと部屋を用意されて、ここで記者会見などを行ったりした。
現在も子供の安全と女性が安心して暮らせる社会作りを目指して地域防犯パトロールと夜間パトロールを中心に活動中。

今でもいじめで自殺をした被害者遺族の泣き叫ぶ声が私の頭によみがえる。私が一番辛かったのは兄弟が亡くなった棺に、泣きながらしがみつくのを見て、どれだけ学校や教育委員会に復讐を誓ったか。

「葬式ごっこ」のあらまし

1986年(昭和61年)2月1日、岩手県盛岡市の国鉄(現・JR)盛岡駅に隣接するデパート「フェザン」の地下1階男子トイレで、東京都中野区立中野富士見中学校2年の鹿川裕史(しかがわひろふみ)君(13歳)が自殺した。
11月14・15日、クラスメイトや教師までも加わった「葬式ごっこ」が行われた。黒板の前におかれた鹿川君の机の上には、飴玉や夏ミカンが並べられ、花や線香も添えられていた。鹿川君の写真の横には「追悼」色紙がおかれ、そこには級友の寄せ書きや「やすらかに」といった担任を含む4人もの教師のメッセージや署名もあった

1986年(昭和61年)1月8日、この日は始業式の日だったが、10人ほどのグループに、ひざ蹴りやパンチなどの暴行を加えられた鹿川君は、その後、欠席を繰り返すようになっていた。登校した日は、校庭で歌を歌わせられたり、下駄箱の靴を便器の中に投げ込まれたりした
1月30日、最後の登校日となった。その夜、鹿川君は家でごはんを食べ、コタツにくるまりながらテレビを見ていた。別に変わった様子もなかったという。
2月1日朝、鹿川君はいつも通り、自宅を出る。母親(当時39歳)が、鹿川君の姿を見たのはこれが最後だった


月日の流れは速いものであの葬式ごっこから、もう31年経ったなんて何かこの事件も最近起きたような気がしてならない位自分の頭から今でも時々思い出す。改めて、その当時の色紙に「やすらかに」といった担任を含む4人もの教師のメッセージを書いたヤツラが今頃何をやっているのだろうと思い出し憎しみがわいてくる。そういったヤツラの教育を受けたからこそ、子供がいじめに走っていったのではないのかと思っている。


裕史君の仇は必ずとると言っていた鹿さん(鹿川雅弘氏)の気持ちは私がくみとっているの私も一生いじめ問題と戦う。鹿さんは子供を失ってから、絶対に子供の死を無駄にしないように、いじめの無い社会を作って行きたいというのが、口癖だった。だいたいが弱いものいじめをするやつは、人間としての生きる資格は無い。最低の社会のゴミだ。こういうゴミは、皆で協力して、早く片付けよう。


当時横浜で行われた青少年育成連合会のいじめ自殺防止撲滅運動のシンポジウムをマスコミも入る中、青少年育成連合会副理事長・鹿川雅弘氏による陰湿ないじめをいかに無くすか、自殺まで走っていく子供たちをいかに救うかを皆で激論を交わした

本部事務局での幹部会議がワイドショーで放送された


時には我々のいじめ撲滅運動がテレビ局の取材にあう時があります






空手道拳心会森道場 森明夫館長
住所:川崎市高津区子母口976


日本空手道拳友会、沖縄剛柔流空手道拳志会千葉県支部、上野派糸東流、神道天心流拳法の道場
代表:川隅敏最高師範
住所:274-0824千葉県船橋市前原東5-23-9


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