青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります



 

私と五十嵐さんとの出会いは私の尊敬す るASEANの副代表・山口日聖先生の紹介。とにかく五十嵐さんはビッグな人。付き合えば付き合うほどさすがにその度量には驚くばかり。過去を振り帰らず 前向きにまっしぐらに進むその人生観、それに出来るだけ多くの人に幸せを与えてやりたい、そして勉強家、今私やスタッフ一同、ネットを通じていろいろ社会 勉強をさせて頂いております。先日も私の事務所に五十嵐さんが来たとき、執行部4人と共に談笑。その中で、五十嵐さんからアントニオ・猪木氏の話になり、 私たち執行部も改めて猪木さんの人間としての、素晴らしさを知った。ここで五十嵐さんに猪木さんの生き様の一部を紹介させて戴きました。 

アントニオ猪木という男 そのカリスマの魅力



アントニオ猪木について語れと言われれば何時間でも語れる一人であると自負する。
日 本人で最も有名な人間と言っていいでしょう・・・と言うよりも、世界で最も有名な日本人と言ったほうが解りやすいかな・・日本の国を知らない人間でさえ 「アントニオ猪木」と言えば解ってしまう・・一度、バングラディッシュへご一緒したが、プロレスなど何も知らないかと思ったらとんでもない、ダッカの町は 猪木歓迎であふれた・・その光景はまるで宗教の「メシヤ」のような狂信的な興奮であった。私がアントニオ猪木に出あったのは、1978年だったと思うので 30余年のお付き合いである。



一言で言うと、人は傍へ行けば行くほど、欠点 が見えて、尊敬が薄れるものであるが、アントニオ猪木だけは、そばに近づけば近づくほど素晴らしさが見えて、魅力があふれて好きになり尊敬できる。猪木さ んにお会いするとそばに居るだけでも安心感と豊かな気持ちになってくる、体の大きさだけではない、純粋いで、心が大きく、ロマンに満ちて、決して人を恨む 事無く、常に前向き、ネバーギブアップ、100パーセントで生きているところから発するパワーと愛のオーラとでもいえるのか、とにかく一度あったら人を惚 れさせてしまう強力な魅力を持っている。私もその一人であり、初めての出会いは、知人の紹介でプロレスの会場であった。猪木の純粋さと闘魂という燃える生 き方が、私にはたまらない魅力であった。それから頻繁にお会いするようになった。だから猪木神話も猪木信者もそれを誇りに出来る。



アントニオ猪木氏は、会うと必ず私に言ってくれる言葉がある。「俺に何か出来る事が有ったら、なんでもするよ!」何度言ってくれたか・・それが本心から出てくるので 胸がつまる。私が民事再生を決意した時には、ロスアンジェルスまで猪木さんに会いに行った。「え??民事再生?今まで苦しかったの?・・どうにかならない の・・何とかしようよ!私 が、声をかけて友人達を集めて、もう一回アイワールドを盛り上げれば何とかならないの?・」と親身になって相談に乗ってくれた。そして私の状況が解ると、 「それでは資本家を紹介する、早いほうがよい明日ニューヨークに行ってくるよ」『五十嵐さん 全てを失っても失わないものが本当のものじゃないの』ニッコ リ笑ったアントニオ猪木の愛情は一生忘れ得ない。翌朝はニューヨークで資本家に話をしてくれた。地獄に仏だった・・・


また、プロレス談義で言えば、ハルクホーガン が新日本プロレスに初来日したころだ。猪木によってレスラーとしてスターダムにのし上がっていったレスラーはタイガージェットシン、ブルーザーブロデー初 め、前田明、長州力、高田伸行、藤原、最近の小川直也に至るまで、日本のプロレスを盛り上げたスターが沢山誕生したが、そのすべての育ての親はアントニオ 猪木である。その中で何と言っても猪木の手で世界のスーパースターになったハルクホーガンこそ猪木仕込みの中で、猪木のスター性という感性を自分のものに したレスラーはいないだろう。アントニオ猪木は何時か私に聞かせてくれた「あいつは、力も感性もスターになる要素がある」猪木は何度も感心していた。 


「ホーガンはあ のバランスのとれた体に似合わ ず気が小さい、まずそこから教育だ!」ある日、猪木の自宅でハルクホーガンと一緒にご飯を頂いた事があるが、猪木の前のホーガンは、リングとは像像も出来 ないほどおとなしく優しい人だった「イチバーン!」と言いながらきょろきょろと観客を見回しながら一本指を突き出す仕草も、きっと猪木のアピールの仕方を 感性で学び取ったものだろうと私は見ていた、そして83年にはあの運命の闘いとなったIWGP第一回の選手権で、猪木はホーガンと戦ってまさかの失神をし てしまい会場が、異様などよめきとなってしまった。私はリングサイドで、猪木の失神して目をむいて、舌を出して泡を吹く姿を見て 死んでしまったかと思っ た。猪木さんは言った「自分のおごりもあったな、あいてを最大限に光らせるためには、攻撃を受けきって勝負する。」と何時も云っていたが、このときもまさ にホーガンの魅力を最大限に光らせてから・・と言う思いがあったと聞いた。



猪木はその頃から、強度な糖尿病に苦しんでい たが、どんなにからだがだるくても、トレーニングを欠かさなかった。何度も一緒にブラジルへ行かせて頂いたが、飛行機の中でもオリジナルのトレーニング機 械を使って人が寝静まってから、腕立て伏せや柔軟体操を欠かさなかった。ブラジルでも、レイメという、くそ熱い牧場でさえも、朝早く起きてランニングから トレーニングを欠かさなかった。ある時ブラジルからの帰りポツリと言った「今日は体がしんどい、明日の試合は、相手の事を考えている状態ではないので、5 分で決めてしまう」「え!!」果たして次の日の試合は、いつもの猪木らしからぬマイペースの攻撃であっという間に相手を倒してしまった、この姿を見てもい かに猪木プロレスが誰にも出来ない戦いのロマンがあり相手をも生かしきる見事なプロレスかが解る。


もう一つ世界中の誰でも知っているアン トニオ猪木と、モハメド・アリ戦。「神が仕組んだ戦い」とまでモハメド・有りに言わしめた 戦い、猪木が初めて恐怖を感じた相手、それと同じようにアリも恐怖を感じたという戦い、これこそがまた猪木を世界のスーパースターに押し上げる事になっ た。猪木の戦い方は、つねにチャレンジとロマンがあり、そして戦いのリアルさが有る、そして欠かさないトレーニングの厳しさがある。よく聞かされた言葉に「練習しないやつは、戦う資格が無い!直ぐ解る・・怪我するやつも練習を怠けているやつだ」 



逆境にあっても決して逃げる事はなく、 真正面から受け、最後には逆境もチャンスにし、人気にしてしまう生き方の裏には、生き方の哲学と妥協無き生き様があるのだ。それは猪木の強さからだけでは なく、弱さや、恐怖に対して、狂気の沙汰で立ち向かい乗り越えていく非常さも持っているからである。またその反面、限りなく優しい人柄と純粋な人間性、学 ぶ事への謙虚さ、飽くなき自己探求心、見えないものへの敬虔な姿勢、大自然への愛と生かされている感謝・・・

アントニオ猪木の魅力は、プロレスを通して無限の夢と戦いのロマンを日本人にくれたが、それは全て猪木の中にある人間の魅力であり選ばれた人にしか感じる事 の出来ない特別な感性が潜んでいるのです。アントニオ猪木の勇気や闘魂は世界中の多くの人々に影響を与え奮い立たせ続けている。この様な猪木の深い魅力を 書けば人生のバイブルとなってしまう。


アントニオ猪木であるときと、猪木寛至、である時は明らかに違う、試合30分前になると、突然アントニオ猪木になる、激しい戦いのオーラを発し、目がランランと光り闘魂の激しいオーラが全身からあふれる。声をかけることが出来なくなる。

こ の様にアントニオ猪木というプロレスラーと、猪木寛至という二つの魅力が一つになった人間に惚れてしまった。それはどんな先生の話を聞くよりもロマンと、 哲学と、示唆に富んだ言葉の連発であり無駄な言葉がないのである。最近は、社会のあらゆる荒波と、激動の中で益々人格に磨きがかかり、人間性に魅力を増し 悟りの世界に入ったという感じすらするのです。

「真理を悟っ た人が話す言葉は、真理じゃなくても真理であり、悟っていない人の言葉は、真理であっても真理ではない」と言う言葉があるが、まさに猪木の言葉は、神懸か り的なのだ、そしてもう一つ彼の決定的な行動の動機は不純が無く、人類愛や、自然への愛に立脚している所なのです。これは、彼に直接ふれた人が全てフアン になってしまう魅力の根本だと私は勝手に思っている・・・。



「大きな試合になると、その試合の情景 が映画を見るようにストーリのように見えてしまう」アントニオ猪木の一番凄さを見たのは、前田明、高田信彦始めメーン選手5人の離脱者をだしたときだっ た、もはや新日本プロレスは潰れるとうわさされた時、猪木さんは何の弁解もせず、何時もと同じ態度で、興行を打った。親日フアンなら忘れることの出来ない 場面、ブルーザブロデーの参戦である。

本当の新日フアンが集まった後楽園ホール、新日本頑張れと祈るような気持ちで見ている、一瞬会場のライトが消える、お客様のどよめき、とその瞬間、ジャジャジャジャ~~ン、ジャジャジャジャ~~ン、ジャジャジャジャジャジャジャジヤジャヤジャジャン!
クラシックの「運命」の曲が最大のボリュームで流れる、スポットライトが3階の一点を照らす、「ハッ!ハッ!ハッ!」ブロデーのうなり声と手に持ったチエーンが振り回される・・「ウヲ~~!!」全館のどよめき、ばたばたと足を慣らす音が怒号のように響く・・・この感情の高まりは、この窮地の新日本プロレスでなければ・・・いやアントニオ猪木でなければ出来ない鋭い度肝を抜くドラマだ!皆感動と安堵の涙を流してこの壮絶なドラマの生き証人となった。・・

 



戦うものにしか解からない友情と、戦いのロマンを感じるドラマだった。

後で聞いてみると、あの戦いの場面は、突然目の前に浮かんできたと言う、「運命」という曲もこれしかないと思ったと言う、皆 反対したがこれしかないと思って決めたと言う・・・

人が窮地に立った時、本当の意地や、根性や、性格や、信念や、生き方まで出てしまう・・・

猪木語録にはたくさんの格言があるが、「転んでも立ち上がれ!」「この道を行けばどうなるものか・・・」「元気ですか!」「型にはまるな型を破れ!」「怒 れ!」「優等生になるな!」「非常識の常識」「本当にやってんのか!」「いくぞ~~!イチニィサンダ~~っ!」そしてなんといっても「闘魂」である。それ が言葉ではなく全て実践の中から叫びとして出てきているから迫力がある。


普段の猪木さんは、とっても優しいし穏 やかだが、人生や、仕事のことを話し始めると闘魂がほとばしる・・・又アントニオ猪木ほどロマンの持ち主はいない、どんなに打ちひしがれようが、どんなア クシデントに会おうが、どんなに邪魔が入ろうが、夢を捨てた事がない、「まあ、いう人には、言わせておけ、俺は俺だ!」いつもこの調子であり喧嘩にならな い、喧嘩は同レベルで始めて火花が散る、次元が違えば喧嘩にならない・・・

又、飛行機の中でどんなに眠くても、人が尋ねてくれば、真剣になって納得するまではなしをする社員をしかる時は、火のようになって叱る!!中途半端はない、いつも100パーセントあの生き方は、自分ととことん戦っていなければ出来るものではない。


猪木さんとであって、浮いた話など聞いた事がない、もしかして私にはその類の話はしないのかもしれないが・・・・いつも未来の事、組んでいる野望、「珊瑚のの再生事業」苦しい人々を助ける事、いつも地球レベルで考えている。

本当のアントニオ猪木を知りたかったら猪木の傍へ行け!肌で闘魂が解るだろう。

失礼ながら、ここは、あえて親友と呼ばせて頂く、永遠の親友アントニオ猪木の闘魂伝説はまだまだ、これからです。

このたび、猪木バイブルとも言える「戦いの歴史の写真集」が出版されるが、4000点に及ぶ写真が掲載され、新しいアントニオ猪木を発見するだろう。永久保 存版となるので是非買ってください。本来なら2万円くらいの想定のようだが、安価で発売する。楽しみに待ってください。



自民党の【日本の安全保障を考える会】に隊友会の親友の斉藤功一さんの紹介で、私と石塚副事務局長と2人で参加。そこで最初に出会った人が小泉進次郎衆議院議員に会い名刺交換。そこで以前川崎の鷺沼駅にお父さんが街頭演説に来たときに、道場生6人と警護に当たり、その話をしたり名刺を改めて見ていたら、青少年育成連合会の事は知ってますよという話。とにかく気さくな人。これからの自民党の顔になるのは進次郎議員しかいないだろうと思った。そのとたん我々を見ていた大勢の人たちが、進次郎議員をめがけて走りより携帯やデジカメのフラッシュの集中。そ れは現場にいないと判らない位騒然とした、議員の格好だけの人気ではなく父親に似た政治家としてのオーラを感じせざるを得ない。それに壇上に上がっての講 演の中身はベテランの議員以上。さすがにアメリカで勉強したり、特に日本の安全保障に対しての話が、私も自衛隊出身なので現状の自衛隊の中は良く知ってい る。その辺も議員も隊員の訓練や生活を体験しただけあって、素晴らしかった。今の自民党も存在が無いくらい、国民から冷ややかな目で見られているだけに、 思い切って進次郎議員を自民党の顔として、自民党を立ち上げる事が先決だ。



自民党の【日本の安全保障を考える会】に隊友会の親友の斉藤功一さんの紹介で、私と石塚副事務局長と2人で参加。そこで最初に出会った人が小泉進次郎衆議院議員に会い名刺交換。そこで以前川崎の鷺沼駅にお父さんが街頭演説に来たときに、道場生6人と警護に当たり、その話をしたり名刺を改めて見ていたら、青少年育成連合会の事は知ってますよという話。とにかく気さくな人。これからの自民党の顔になるのは進次郎議員しかいないだろうと思った。そのとたん我々を見ていた大勢の人たちが、進次郎議員をめがけて走りより携帯やデジカメのフラッシュの集中。そ れは現場にいないと判らない位騒然とした、議員の格好だけの人気ではなく父親に似た政治家としてのオーラを感じせざるを得ない。それに壇上に上がっての講 演の中身はベテランの議員以上。さすがにアメリカで勉強したり、特に日本の安全保障に対しての話が、私も自衛隊出身なので現状の自衛隊の中は良く知ってい る。その辺も議員も隊員の訓練や生活を体験しただけあって、素晴らしかった。今の自民党も存在が無いくらい、国民から冷ややかな目で見られているだけに、 思い切って進次郎議員を自民党の顔として、自民党を立ち上げる事が先決だ。



会場の廻りの人は、進次郎議員と一緒に撮りたい人が殺到し、大変な騒ぎだった。ただ、人気ではなく政治家としての将来を皆楽しみにしているのでしょうね。



会場は大勢の人で一杯。もうすでに話を聞いても熱が入り、大物議員顔負け。とにかくこれからが楽しみだ。



講演の後半になると、ますます熱い話。話している雰囲気がお父さんそっくり。



佐藤正久参議院議員。イラクに最初に派遣され た部隊の隊長(ヒゲの隊長)。とにかく現地でのいろいろな活動の話。決してマスコミには出ない凄まじい話など、そして他人の苦労話など、我々はイラクの自 衛隊の活動が佐藤隊長の話などを聞くと、その凄まじい苦労と危険地帯との活動の話。それを1人の死者も無く本国に無事に帰ってきたと言うことは佐藤隊長の隊員を無事に帰すために毎日悩んだこと、それからイラクに出発する時に見送りに来た多くの隊員の家族のことを絶えず考えながら部隊を動かすと云うことは、並の神経では出来ない。私はその話を 聞きながら、是非地方に講演とかの話がもしありましたら、皆さん一度でいいから聞いておくことも国民として必要ではないかと思う。現在アフガンではアメリカの兵隊の死者が1000人を超えたと 言う話。しかしその多くの兵隊にも家族がいる。しかし日本と違ってアメリカが自由と正義の為に戦うという意識が強いから、たとえ戦死をしても国に対し抗議 をする事はない。むしろ名誉として迎える。それが世界の常識。日本だっていつテロに遭うかも知れない。その自覚が多くの国民は知るべきだ。



佐藤隊長のイラクでの話。楽しく又はイラクでの活動の真実を我々に話をして下さって、ありがとうございます。その苦労話は多くの国民に日本の安全を改めて考える場になってくれるのではないかと思う。決して安全はただでは買えない。今の日本の現状で日米軍事同盟をないがしろにして、この国の平和を維持出来ない。この辺民主党はしっかり考えておかないと、この国の将来を壊すとともに、間違いなく中国の大きな軍事力に戦わずして、中国の思い通りの国になることは、今の民主党の政権を見れば一目判断ができるだろう



プロレスラーとして有名な前田日明さんは、多分多くの人は知らないと思いますが、昔からこの日本を憂いている素晴らしい人です。何か私が前田さんを知らないくせにと、思う人がいるかも知れませんが、そうではなくプロレスラーとしての前田さんより昔からしっかりと武士道精神を持ったこれからの日本人としてどうあるべきかそ のジャンルはいろいろな特に政治の世界に前田さんは大きな夢があったのではないかと思っている。私は何故前田さんを素晴らしい人と尊敬しているのは杉山ひ でおさんが出版している武道通信をとっていたので、そのときの編集長が前田日明さん。私もそのいろいろな著名人と前田さんの対談を読んでいるうち、前田さ んの生き方や考えなど、私も非常にいい勉強をさせて戴きました。だから今回の小沢幹事長の前田さんに対する態度には正直な話、がっかりしたと同時に憤りを感じる。



 前田氏は都内で映画の試写会に出席後、取材に応じた。「明日の会見で事実を包み隠さず話してやりますよ」。持ち前の渋い声でそう前置きした後、明日まで待てないと言わんばかりに、1時間以上にわたり民主党批判を展開した。



 辞退の理由については、鳩山内閣が推進する 永住外国人への地方参政権付与法案に反対の姿勢を示した前田氏と民主党の間で認識の違いがあったことを挙げた。同法案について、民主党内でも反対派は少な くないが「選挙の応援演説のときにガンガンしゃべったけど『選挙にさしさわるのでやめて』って怒られた。ありえない話」とまくしたてた。
 



 小沢幹事長は、前田氏の公認見送りについて、今月3日の定例会見で「前田なにがしに つきましては、いろいろ本人の認識のことやら何やらありましたので、今回は見送り」と説明。その後も「選挙を進めるにあたって、お互いの認識が若干違って いた」とも語っていた。前田氏は「小沢さんと会ったのは2回。どちらもたった3分くらい。今後、もう民主党から政界に出ることはないと思う」と鋭い目で話 した。



山本一太議員のプロフィールを紹介します
<略歴>
1982年 中央大学法学部卒業
1985年 米国ジョージタウン大学大学院(国際政治学修士課程)修了
1986年 国際協力事業団(JICA)勤務
1991年 国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部へ出向
1995年 参議院自民党幹事長だった父、山本富雄元農水大臣の急逝を受けて第17回参議院議員通常選挙に立候補し当選
1999年 小渕・森内閣で外務政務次官就任(2期)
2001年 第19回参議院議員通常選挙にて再選
2003年 参議院外交防衛委員長就任(~2004年10月11日)
外交・安全保障分野の若手論客として、TVや新聞等で積極的に発言。農業政策や観光政策にも精通。外交や政治改革に関する様々な議員連盟や勉強会を主催。日韓若手議員交流にも力を注ぐ。発想力と行動力には定評がある。
<現職>
◆参議院 外交防衛委員会理事、予算委員会委員、政府開発援助等に関する特別委員会委員
◆自民党 外交部会長、遊説局長、観光特別委員会副委員長

若手でなかなか物事をはっきり言うし、やはりアメリカで勉強しただけあって国際派。外交を他の議員と違って得意分野ではないかと思っております。今の自民党を再生するためには、山本議員も進次郎議員と一緒に活動するのも、面白いと思いますがどうでしょうか
それに優秀な女性議員も何人もいるわけですから、考えて下さい



高市早苗衆議院議員のプロフィールを紹介します
1961年(昭和36年)3月7日生まれ
奈良県立畝傍高校卒業
神戸大学経営学部経営学科卒業 (財)松下政経塾 第5期卒塾
米国連邦議会Congressional Fellow(金融・ビジネス)
近畿大学経済学部教授(産業政策論・中小企業論)

内閣役職履歴
通商産業政務次官(小渕内閣)
経済産業副大臣(小泉内閣・福田内閣・麻生内閣)
内閣府特命担当大臣(安倍内閣)

イノベーション、科学技術政策、少子化対策、男女共同参画
銃器対策、犯罪被害者施策、交通安全対策、自殺対策
障害者施策、沖縄・北方対策、食育、IT政策等19分野を担当



高市議員はなかなか政治家としてもセンスもい いし、これからますます政治家として手腕を発揮できると思っている。民主党も政権を獲ったとたんに自民党も総崩れ。これは自民党にも色々な問題がありす ぎ。国民から一度政権を民主党にと、そういう意味で国民が民主党に票を入れた結果だと思う。その民主党も今はガタガタ。では自民党はというと、これもまた 党内もまとまっていないばかりか俺俺の世界。こんなことで国民の目が自民党に行くわけが無い。これでは自民党は自然消滅してしまう。高市議員、自民党再生 の為に進次郎議員を顔に小池議員、野田議員、山本一太議員、佐藤正久議員、義家弘介議員、山谷えりこ議員など、特に優秀な女性議員がいるわけですから、む しろしがらみがなくて国民からは期待の声があがると思いますよ。もう今の自民党の執行部では無理です。なんの魅力も無い。声を上げてください。


山谷えりこ議員のプロフィールを紹介します

昭和48年3月 聖心女子大学文学部卒業
出版社勤務を経て、ラジオ・雑誌・新聞の特派記者として渡米、家族・教育・生活問題などを取材する。サンケイリビング新聞記者、産経新聞生活面記者、テレビキャスター、エッセイスト、サンケイリビング新聞(発行部数約九百万部、世界最大の主婦向けの情報紙)編集長に。
平成12年6月 衆議院議員初当選
平成16年7月 参議院議員(比例区)初当選
平成17年11月 内閣府大臣政務官 就任〔小泉内閣〕



山谷先生とはよく知っており何回か話もして、 なかなかしっかりしている政治家としても子どもの教育の問題や特に今の子供社会を病んでいる第一人者。だから私らとは話が一致する。それに私の団体の顧問 をしているASEANの中島会長と知り合いの関係で日本の国は必要な政治家であると思っております。


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